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少女と白の心  作者: 連星れん
前編
33/198

大陸暦1975年――09 騎士


「騎士様、ですか」


 問い返すと、カイさんは目を輝かせて「うん」と頷いた。

 治療学の授業日。いつものように授業はじめに課題を預かり修道院を出た私は、道中で声をかけられた。

 それは以前に出会った仲のよい兄妹だった。

 私達は再会の挨拶を交わすとそのままに、花屋手前の大通りの隅で少しばかり話しをしていた。そこで話題に出たのが、兄妹の兄――カイさんの将来の夢だった。


「でも友達は笑うんだ。壁近へきちかに住んでる俺たちが国のお仕事につけるわけないって。ましてや騎士なんて絶対に無理だって」


 そう言う彼の目からは、先ほどまでの輝きが見る見る失われていった。そして地面を見ると、いじけるように足下の石を軽く蹴り始める。

 彼の気持ちも、そして彼のお友達の気持ちもよく分かった。

 騎士などの国職に就くためには普通、士官学校に入学しなければならない。士官学校は身分関係なく万人にも開かれているけれど、幼年学校にも通えず知識が乏しい壁回りの子供には、まず入学するための試験に通ることが難しい。

 それにたとえ万が一に通ったとしても次なる問題も出てくる。学費だ。聞くところによると士官学校は国の補助を受けているため、そこまで学費が高額ではないらしいのだけれど、それでも裕福ではない壁近へきちかの家庭には大きな負担になることは間違いない。

 カイさんのお友達はそれを知っていたのだろう。

 ……いや、きっとカイさんも分かっている。だからこそこんな顔をしているのだ。

 現実を前に希望を失ったかのような顔を。


「そんなことはないです。どんな生まれにも可能性はあると思います」


 私は彼のそんな顔が見たくなくて、思わずそう口にしてしまっていた。


「でも、何にでもお金はかかるんだ」


 カイさんは石を靴のつま先で転がしながら、切なそうに言う。

 やはり分かっているのだ。自分の置かれている立場を。この世にはどんなに望んだって変えることができない現実があると、諦めなければいけないことがあるのだと、彼は分かっている。

 それでもカイさんは捨てきれずにいる。夢を見続けたいと心の何処かで思っている。だからこそ私にそれを話してくれたのだろう。たとえそれが夢幻ゆめまぼろしでも、口に出せば夢はそこに存在し続けるから。それを聞いた私の中にも生き続けるから。

 私はそれを静かに受け入れてあげるべきなのだろうと思う。叶わない夢として覚えておいてあげるべきなのだろうと。……でも、それでは本当の意味で彼の夢は潰えてしまう。

 それが壁近へきちかに住む彼にとって自然なことだとしても。

 それでもこの歳で全てを諦めてほしくは、なかった。


「士官学校の特選入学というのを聞いたことがあります」

 カイさんはこちらを見て首を傾げる。

「特選入学?」

「はい。それで入学できれば学費が全額免除されるらしいです」

「ほんとに……!?」


 カイさんは驚くように目を丸くした。

これは昔、物知りなお爺さんが騎士に憧れる孤児に話していたのを耳にしたものだった。


「その代わり、何かしらの能力に長けていないといけないようですが」

「能力……そんなものないよ、おれ」

 がっくり、と肩を落とすカイさん。

「何か得意なことはないのですか?」

「得意って……木や建物に登るのは得意だけど」

 木、はともかく。

「建物、ですか?」

「うん。出っ張りとかに掴まってさ。壁近の家に登ってよく遊ぶんだ」


 こいつが昼寝してるときだけどな、とカイさんは自分の後ろに隠れている妹さんをちら見しながら耳打ちで教えてくれた。

 それは普通に凄いのでは、と私は思った。

 私も子供のころは他の子の真似をして木登りをしようとしたことがあるけれど、全く登れなかった。木登りは簡単そうに見えて、それなりの身体能力と握力がないと難しいのだ。


「最初のころはよく落ちてたけど、今ならちょちょいのちょいだぜ。このあたりの建物もいけると思う。流石に危ないからしないけどな。あとは足が速いぐらい。でもこんなの普通だろ」

「そんなことはないです」


 カイさんが身体を後ろへと引いた。私がつい前のめりになってしまったからだ。


「それも立派な能力ですよ」

「そうなの?」

「はい。身体能力でも受かる可能性はあると思います」

「でも……」


 カイさんはまだ信じ切れないという様子だった。足下の石に視線を落として、靴のつま先で突いている。でもその瞳は期待と諦めの狭間で揺れているようにも見えた。そんな彼に私は言った。


「私、修道院に入る前は壁区へきくの孤児だったんです」

「え、そうなの」彼は顔を上げてこちらを見た。

「はい。だからといって偉そうなことは言えませんが、でも今の状況に悲観せず、前を向いて努力し続ければきっと夢は叶います。だから諦めないでください」


 私を見るカイさんの大きな瞳に、次第に輝きが戻ってくる。

 そして彼は笑顔を浮かべると「うん。そうだね」と、力強く頷いた。


「よし! そうときまったら、剣を探さないと」

「剣ですか」

「そう! 俺の騎士剣。だって騎士になるためには必要だろ?」


それは分かるのだけれど、剣なんてものは早々に落ちているものだろうか。

 そう、私が真剣に悩んでいると、カイさんは笑った。


「本物じゃないよ。木の棒だよ棒」


 ……どうやら私は子供にまで見抜かれるぐらいに顔に出やすいらしい。


「このあたりさ、いいの落ちてなくて」

「それでしたら公園とかに行ってみたらいかがですか」


 とは言っても、どこに公園があるのかは知らないのだけれど。

 でも、カイさんは思い当たる節があるらしく、「あぁ」と道の先を見た。


「そういえば商店街の先にあったな」


 初めてここを通った時にそうではないかと思っていたけれど、やはりこの先には商店街があるらしい。そして公園も。


「あ、でも、枝を折っては駄目ですよ」

 慌てて言うと、カイさんはまた笑う。

「分かってるって。ナナ行くぞ。じゃあな。フラウリア姉ちゃん」


 カイさんは妹さんと手を繋ぐと走り出した。

 私は手を振りながらお二人を見送る。そして姿が小さくなったのを確認してから息を吐いた。


 無責任なことを言ったのは分かっている。


 特選入学を狙う裕福でない子供は何もカイさんだけではない。それなりに多いことは、壁区へきくの子供や孤児の中にもいたことから自ずと知っている。

 そして私はそれに受かった子のことを聞いたことがない。もちろんそれは私が知らないだけの可能性はあるけれど、でも壁区へきくはそういう噂には敏感な場所だ。誰かが受かっていたら、まず耳に入らないということはないと思う。


 つまり私が壁区へきくに住んでいた時に聞かなかったということは、誰も合格者が出ていないということだ。それほどまでに特選入学は狭き門なのだろう。


 それを分かった上で私がカイさんにしたことは、希望を指し示しながらも、必要以上に大きな希望を持たせてしまう行為だ。

 しかも自分が壁区へきくから抜け出せたのを引き合いに出してまで、私はそれをしてしまった。

 私が修道院に入れたのは、たまたま魔法の素養があったからだというのに。

 これはもの凄く幸運なことであり、誰にでも訪れることではないというのに。


 ……それでも、何か希望がなければ人は生きていけない。


 その希望を、あんな子供のうちから失って欲しくはない。

 後に下手な希望を与えてしまったことをカイさんに恨まれることになったとしても、希望を失う彼を見たくはなかった。


 自分のしてしまったことを受け止めつつ、でも後悔は抱かず私は歩き出す。

 つい声をかけられて話してしまっていたけれど、今は授業中なのだ。本当は自由に行動してもいい時間ではない。早く行かないと。

 反省しながら私は大通りを進む。急ぐ気持ちから足取りも次第に速くなる。だから次から次へと同じ方向へ歩く人を追い抜く。そして追い抜きながら気づいた。


 今日は普段より人通りが多い気がすると。


 しかもその様相も様々だ。いつもの買いもの客らしい人もいれば、何だか木の板など大きなものを担いでいる人や、道具っぽいのを腰や手に下げている職人さんらしき人もいる。

 何かあるのだろうか。

 私は不思議に思いながら花屋の筋を入る。その際に花屋の店員さんに頭を下げて挨拶をし、小走りそのままにベリト様の仕事部屋の扉を開けた。



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