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少女と白の心  作者: 連星れん
前編
27/198

大陸暦1975年――07 夜の音色2


 礼拝堂前に辿り着いた私は、扉の取っ手を持った。一瞬、鍵がかかっている可能性も脳裏によぎったけれど、その心配はすぐに消える。扉にはなんの抵抗も感じられなかった。

 私は音を立てないようにゆっくりと取っ手を引く。すると、わずかに開いた扉の隙間から音が溢れてきた。


 それはピアノと人の声――歌だった。


 その歌声に聞き覚えがあった私は、確認するために扉の隙間から中を覗き見る。

 そこには思った通りの人物と、もう一人、見知った人の姿があった。


 ユイ先生と、ルナ様だ。


 どうしてお二人がここに……と思ったその時、ぴたり、とピアノの音が止まった。

 祭壇横にあるグランドピアノ前に座っていたルナ様がこちらを見る。続けてその側にいたユイ先生もこちらに振り返った。

 ふいに注目を浴び、心臓の鼓動が早くなる。

 これではまるで、覗きをしているのを見つかった人みたいだ。いや、まるで、ではなく、この状況はまさにそうなのだけれど……。

 見られてしまった以上、立ち去るわけにもいかず、どうしようと一人どぎまぎしていると、ルナ様が笑いを漏らすように微笑んだ。そして口元に人差し指を当ててから、手招きをする。

 それで気づく。礼拝堂内の粒子が活発になっていることを。

 防音結界が有効になっている。だから扉が開くまで外に音が洩れていなかったのだ。

 私は誘われるがままに中に入り、二人の元へと近づく。


「眠れないの?」


 こんな時間に出歩いていたことを怒られるだろうと覚悟して俯いていた私に、ルナ様が優しく声をかけてくれた。

 頷くと彼女は「それなら聞いていきなさい」と軽い調子で言った。

 いいのだろうか、とユイ先生を見る。先生は小さく微笑んで頷いてくれた。

 私はお言葉に甘えて礼拝堂の一番前、礼拝用の長椅子に座る。


 お二人は小さく言葉を交わすと、ルナ様がピアノを弾き始めた。

 穏やかで優しいピアノの旋律に、ユイ先生の声が乗る。


 歌は常用語ではなかった。

 これは……魔法を使う際に使用する古代言語スピラナス――紋語だ。

 紋語を使用する歌は私が知っているもので二つある。


 一つは古来からエルフ族に伝わる歌、精霊歌だ。

 精霊歌はエルフ族の娯楽の一つであり、日常的に歌われているものだという。

 その実は、多くの精霊の力を借りて様々な現象を引き起こすことができる精霊魔法の一種であり、初代星王(せいおう)が瘴気から大陸を浄化するために歌ったのも精霊歌の一つだと言われている。


 そしてもう一つは星教せいきょうに伝わる、星の歴史や神をたたえる賛美歌、星歌せいかだ。

 礼拝でも歌われる星歌せいか星教徒せいきょうとにとっても馴染み深いものではあるけれど、普段は常用語に翻訳したものが使われており、信徒は基本的に本来の星歌せいかを歌うことはない。それは修道士や修道女、見習いも同じだ。

 紋語による本来の星歌せいかは、大規模礼拝や祭事などで星教せいきょう星歌士せいかしによって歌われるらしい。

 私はそれを聞いたことがなく、そしてまだ聞いただけでは紋語を翻訳できないので確かなことは言えないけれど、おそらく今ユイ先生が歌っているのもその本来の星歌せいかなのだろう。


 ユイ先生の歌は、まだ私がベッドに臥せていたときにも聞いたことがあった。

 あの頃の私は精神の不安定さからか、なかなか寝付けない日が多かった。そんなとき、先生は私の手を握り歌ってくれた。

 その手はとても温かく、その歌声は子守歌のように優しくて、それで抱いていた不安や寂しさが不思議と和らいだのを覚えている。

 今日の歌声はそのときとは打って変わって、生命力に溢れるかのように力強く、それでいて透きとおるように神秘的で美しかった。

 それに加えてルナ様のピアノがさらにユイ先生の声を彩っている。

 まるで最初から一つであるかのようにピアノと声が寄り添っている。

 その二つで一つの音色を聞いていると心が安らぎ、そして気力が湧いてくるようだった。

 私はこれまで、まともに音楽というものに触れてこなかった。

 最近は礼拝でみなさんと一緒に歌うことはあっても、人の歌をじっくり聴く機会なんてここに来るまではなかったし、聴けたのもベットに臥せていたときのことをまとめて一回とするなら今日で二回目だ。

 だから歌い方や曲調、そして音が合わさることによって、聴き手も与えられるものや感じるものが変わるのだと今、初めて知った。

 音楽って凄いな――そう感動を覚えながら、私はお二人の奏でる音色に聴き入った。


 それから一曲が終わって、また一曲と、曲調は変わっても音は途切れることなく続き、そうして三曲目に入って少し経ったころだった。

 曲の途中でピアノの旋律が止まった。続けて歌声も消える。

 どうしたのだろう、と私はずっと伏せていた目を上げてお二人を見た。

 お二人は同じ方向を見ていた。ピアノが先に止まったことから考えるに、おそらく最初に見たのはルナ様だろう。彼女はピアノの椅子に座ったまま半身で振り返っている。その視線を辿ってみると、祭壇横の窓に行き着いた。

 窓の外には夜の薄闇が広がっていた。何かいるのかと思い、そこに目をこらしてみる。すると窓の外に小さな影が動いているのが見えた。

 あれは……鳥……? 小さな鳥だ。小鳥が窓の側を飛び回っている。


「あら残念。仕事だわ」


 言葉に反してルナ様は快活そうにそう言うと、立ち上がり窓際に向かった。そして窓を開けて小鳥を招き入れる。小鳥は慣れた様子で彼女の肩に止まった。ルナ様の言葉からして、どうやらその小鳥は伝書鳩ならぬ伝書鳥らしい。見るかぎり伝書らしきものは何も持ってはいないけれど、おそらく小鳥が来たこと自体に意味があるのだろう。

 ルナ様がひとさし指で小鳥のお腹を撫でながら、こちらに戻ってくる。

 外を飛んでいるときは暗くてよく分からなかったけれど、小鳥は鮮やかな色をしていた。胴体が白色で、羽はルナ様の瞳の色とよく似た青色をしている。形は丸っこくて尾が長く、一見どこにでもいそうな鳥に見えるけれど、連絡に用いられるということは普通の種類ではないのかもしれない。少なくとも私は、鳩以外がそういう用途に使われているのを初めて知った。

 それにしても。


「こんなお時間にですか」


 私は立ち上がり、ルナ様に訊いた。

 礼拝堂には時計がないので正確な時間が分からないけれど、おそらくそろそろ日付が変わるころではないかと思う。


「そう。こんな時間にね」


 ルナ様は私の言葉を弾むようになぞりながら、ピアノを弾くために外していたのだろう、手の防具を手慣れた様子で装着し直していた。

 王族のお仕事と言えば公務なのだろうけど、もしそうだとしても流石にこんな深夜にあるとは思えないし、ルナ様の様子からしてもそれは違う気がした。

 何というか彼女の様子は与えられた責務を果たしに行くというよりは、やりたいことをしに行くという感じに見える。そう、それはどことなくロネさんが好きなことに夢中になっている時の様子に似ていた。

 そんなルナ様を見ていて私は興味が湧いた。

 自分には夢中になれるものがないからこそ余計に気になった。

 彼女はいったい何に心を注いでいるのかと。


「何のお仕事なのですか」


 ルナ様は私の質問を受けて、にやり、と笑みを浮かべると、


「正義の味方」


 どこか得意げにそれを口にした。


「え」


 想定外の返答に思わず私は、きょとん、としてしまう。

 その言葉の意味自体は知っている。孤児時代に施しで、それが登場する本を読んでもらったことがあるから。でも、その言葉が使われるのは物語の中だけだと思っていたので、ルナ様がそれを口にしたことに驚いたのだった。

 そんな私を見て、彼女は楽しそうに笑う。


「悪い子を成敗して捕まえるお仕事ってこと」


 それは分かるのだけれど、どうしてそれを王族であるルナ様が……? と疑問が浮かんだところで、私は今さらながらに思い出した。

 そういえば昔に、ルナ様が城下守備隊とは異なる治安部隊を率いていると聞いたことがあったことを。

 そうか、と私は納得する。

 ルナ様のやりたいことは正義の味方なのだ。

 そしてそのためにこのお仕事をされている。

 率いているということは、もしかしたら部隊自体もルナ様が作ったのかもしれない。

 そうだとしたら凄いなと思った。

 物語の中の役割に自らなろうとするなんて、しかも実際に行動してなってしまうなんて何だか夢のある話しだし、素敵だ。


「かっこいいお仕事ですね」


 素直な気持ちを口にすると、私がそう言ったことが意外だったのかルナ様は驚くように目を見開いた。そして、続いてそれをはにかむような笑みに変える。それは照れくささと嬉しさが混じったような、まるで少女みたいな笑顔だった。

 それからルナ様はピアノの椅子に立てかけてあった剣を剣帯に装着しマントを羽織ると、祭壇上から降りてこちらに歩いてきた。


「悪い子はね、だいたい夜更かしが好きなの。だからフラウリアもそろそろ寝なさい。でないと捕まえちゃうわよ」


 冗談めいた口調でそう言って私の頭を撫でると、ルナ様はそのままの流れで礼拝堂の出入口へと向かった。

 私はその姿を目で追う。先ほどルナ様の口からそれを聞いていたからだろうか、颯爽と群青色のマントをなびかせて歩くその姿は本当に正義の味方のように見えた。

 思わず見送りの言葉をかけることも忘れて、見惚れるようにその背をみていると、


「ルナ」


 どこからか正義の味方を呼び止める声がした。

 ルナ様の足が止まる。振り返ったその顔は、どうしてか虚をつかれたかのように見開かれていた。

 私は一瞬、誰が彼女を呼び止めたのか分からなかった。

 でも、私ではないのだから、それが誰なのかは決まっている。

 私は背後を見た。自分の斜め後ろにはユイ先生が立っている。先生は今まで見たことがないぐらいに心配そうな面持ちで、真っ直ぐルナ様を見据えていた。


「気をつけて」


 ユイ先生の言葉を受けて、目を見開いていたルナ様はその顔を悪戯っ子のような笑みに変える。


「殿下って呼ばなくていいの?」


 言われてユイ先生が、はっ、としたような表情で私を見た。

 その反応からしてどうやら先生は普段、人前ではルナ様を愛称で呼んではいないらしい。

 そんな先生の様子にルナ様は楽しそうに笑うと、背を向けて手を振りながら礼拝堂を出て行った。

 扉が閉まるまで見届けてから私はユイ先生を見る。先生はこちらに顔を向けると、ばつが悪そうに微笑んだ。


「彼女とは修道院の同期なのです」

「はい。伺っています」


 そうですか、とユイ先生はもう一度、先ほどと同じ微笑みを浮かべると、私に礼拝堂の長椅子に座るように手で促した。

 促されるままにそこに座ると、ユイ先生も隣に腰を下ろす。



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