大陸暦1978年――02 誕生日のプレゼント
開け放たれた窓から入り込んだ風が、前髪と手に持つ書類をはためかせた。
飲み物を持って来ていたデボラが、すかさず書類の束に重石を乗せる。
「寒くないですか?」
デボラの問いに「いや」と答える。むしろ、少し暑く感じていたところなので、冷えた外気が心地いい。
夏期の星祭が終わり、季節は秋期に移った。
例年なら夏期のなごりが残るこの時期も、今年は幾分か気温が低い。
雪国生まれの私にはありがたい気候だが、ここの連中はそうではないらしい。長年、慣れ親しんだ気温が変わると、体調を崩すやつも出てくる。実際、ルコラ修道院では、何人か風邪引きが出ているようだ。その影響で、フラウリアもいつもより忙しそうで、最近は帰宅もいつもより遅い。
今日も遅くなるんだろうか。そんなことを思いながら紅茶を飲む。
フラウリアに気持ちを伝えた後も、生活に大きな変化はない。これまで通りの日常が続いている。それはきっと、こうなる前から私たちの生活が完成されていたからなのだろう。
いや、それでも、全く何も変わっていないわけではない。以前にも増して、心が満たされている感覚がある。……そう、あいつと過ごす何気ない毎日に、私は幸せを感じている。それはこれまでにも実感がなかったわけではないが、互いの気持ちを伝え合ったことでより確かな、揺るぎないものになった気がする。
世の中には『幸せすぎて怖い』という言葉があるが、今、まさにその状態とも言える。
私が他人に心を許す日が来るなんて、こんな風に人と触れ合うなんて、壁近に住んでいたころは夢にも思わなかった。
もし、過去の自分に今のことを話したら『頭にウジでも湧いているのか』と一蹴されるに違いない。……昔の自分、言葉が悪すぎないか。
ともあれ、心境の変化はさておき、毎日の暮らしに変わりはない。
喉が渇いていたので、カップに残った紅茶を一気に飲み干す。それを机に置くと、ほかの書類の束にも重石を置いていたデボラがおかわりを注いだ。
「もうすぐフラウリア様の誕生日ですねえ」
そう。もうすぐフラウリアの誕生日だ。今年であいつは十八になる。
人間の年齢は数え年で数えるのが普通だが、誕生日は普通に祝う。
「今年はなんのケーキをお作りしましょうか。フラウリア様はなんでも喜んで下さるから、作る側としても反応が楽しみです」
デボラの言う通り、あいつは本当になんでも喜ぶ。
去年の誕生日にカイとその妹が野花を贈ったときも感激して、愛おしそうにその花を世話し、最後には押し花のしおりを作っていた。そのしおりは今も、あいつが本を読むときに使っている。
「ベリト様は、何を贈られるかお決めになりました?」
「……いや」
実のところ、幸福な毎日に浸かりすぎていたのと、元来、人の誕生日どころか自分の誕生日すら気にしない性分なので、あいつの誕生日が近いことを今この瞬間まで完全に忘れていた。……危ない。
去年はいきなり高価な物をやってはあいつが気後れするかと思い、デボラに頼んで筆記道具一式をやった。それまではこの家の古い物を使っていたからだ。もちろんそのときも、フラウリアは心から喜んでくれた。
「なにか欲しがっていなかったか」
「そうですねえ。フラウリア様って何か欲しいって仰るタイプではありませんから」
そうなのだ。あいつは本当に物欲がない。
ここに住むようになってあいつが買ったものといえば、生活必需品を除けば、写真立てと本ぐらいだ。
なにをやっても喜ぶとはいえ、欲しいものがなにもないというのも、プレゼント選びに困る。
「お困りのようでしたら、アルバさんに相談なさってみては?」
「アルバに」
「ベリト様の次にフラウリア様と一緒に過ごす時間が多いのは彼女ですから。なにか心当たりがあるかもしれませんよ」
……アルバか。
あいつは私たちの関係を知っている。
気持ちを伝えたその日に、フラウリアがアルバに話してもいいかと訊いてきたので、それは流石に許可をした。アルバはあいつの一番の友人であるし、弁えたやつでもある。私たちのことを知ったところで、決して余計なことはしないだろう。
その後、セルナやユイにも話していいかと訊かれたが、それは断った。
どうせセルナのことだ。わざわざ伝えなくとも勝手に気づく。いや、もう気づかれている。その証拠に家に来たとき、気持ちが悪いぐらいにニヤついていた。その時に『なにか私に言うことない?』と言ってきたから『別に』と答えたら、一人で楽しげに笑っていた。そのことはもうユイにも筒抜けだろう。
「しかし、アルバだけが休みの日がないだろ」
フラウリアとアルバは基本的に同じ勤務形態で働いていて、休みも同じだ。まれに違う日もあるが、それを待っていては誕生日が過ぎてしまう。
「そこはお任せくださいな」
デボラはそう言うと、なにか企むような自信に満ちた微笑みを浮かべた。




