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少女と白の心  作者: 連星れん
その後の後

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199/203

大陸暦1978年――01 恋人とは


 遠くで、トントントン、という軽やかな音が聞こえ、目を覚ました。

 何度か瞬きをしてから、ゆっくりと上体を起こす。

 隣には、昨夜と変わらずベリト様が仰向けで静かに眠っている。端正で凜々しい眉をいつもより緩めて、耳を澄まさないと聞こえないぐらいの小さな寝息を立てている。

 その寝顔をいつまでも眺めていたい気持ちに駆られるけれど、今日はお仕事があるのでそうもいかない。

 私はそっとベッドを抜け出し、シーツを彼女にかけ直してから部屋を後にした。

 自室で身支度を整え、一階の厨房へと向かう。厨房に近づくにつれ、朝食の準備をする音が鮮明になる。朝に聞こえた律動的な音は、彼女が食材を切っている音だ。

 生活音で目を覚ますのは、どこか温かな幸せを感じる。それはきっと遠い幼き日にも、その経験があるからだろう。とはいえ、食材を切る音で目覚めるのは、いつもより起床が遅かった証拠でもある。だから、私は足を速め、手に持ったエプロンを身につけてから厨房へ足を踏み入れた。


「デボラさん。おはようございます」


 石窯のそばに立っていたデボラさんが振り返り、柔らかく微笑む。


「フラウリア様。おはようございます」

「すみません。遅くなりました」

「謝られる必要はありません。私としては、平日の朝ぐらいはゆっくりしていただきたいぐらいです」

「そういうわけにはいきません」


 平日の朝食のお手伝いと休日の食事の準備は、私が唯一許されているお手伝いだ。普段、家事をデボラさんに任せっきりだからこそ、その機会を逃すわけにはいかない。


「フラウリア様は真面目ですねえ」デボラさんはくすっと笑うと、コンロに目を向けた。「では、アク取りをお願いできますか」

「はい」


 私は火にかかってる鍋に近づき、アク取りを始める。アク取りは、スープ料理には大事な作業だ。これを丁寧に行なう行なわないとでは、スープの味は大分変わってしまう。だから、私はアクをひとつも見逃さないよう、集中して作業を進める。そうしていると、ふと横から視線を感じた。

 見ると、デボラさんがにこにこ顔でこちらを見つめている。


「どうかされましたか」

「いえ。お元気になられてよかったなと思いまして」


 お元気に――その言葉に、私ははっとした。


「気付いて、らしたんですか」


 ここ数日、私がベリト様のことで悩んでいたことを。


「はい」


 デボラさんはにっこりと微笑んで肯定する。

 どうやらベリト様やアルバさんだけでなく、デボラさんにも見抜かれていたらしい。

 私としてはいつも通り振る舞っていたつもりだったのだけれど……つくづく、自分には隠しごとが向いていないのだと実感させられた。


「すみません。ご心配かけて」

「いいんですよ。ただ、お一人で悩み続けていると、思考が袋小路になってしまいますから、どうか今後は一人で悩みを抱え込まず、誰かに相談してくださいな。ベリト様も、アルバさんも、ユイ先生も、ルナ様も、喜んで話を聞いてくださいますから。もちろん私も」

「はい。ありがとうざいます。私、幸せものです。いい人たちばかりに恵まれて」

「それは、フラウリア様が素敵な方だからですよ。ほら、類は友を呼ぶと言いますでしょう?」


 そう言って、デボラさんは「あ」と小さく声を上げ、口元に手を当てた。


「そうなると私も素敵ということになっちゃいますね」

「間違いないと思いますが」

「あらあら」


 デボラさんは笑うと、石窯をちらりと確認した。厨房には、パンが焼かれるいい香りが漂っている。

 まだ焼き上がりには少し時間があるようで、彼女は再びこちらに視線を戻した。


「それにしても、仲睦まじい方々を見ていると、私も恋人が欲しくなりますねえ」

「以前は、おられたのですか」

「えぇ。随分と前ですが」

「デボラさんなら、すぐに素敵な方が見つかりますよ」


 思わず拳を握り、熱を込めて力説してしまう。だって、本当にそう思っているから。お綺麗で、優しくて、お料理も上手で、こんなに素敵な人はいないって。


「あらあら、お上手だこと」


 デボラさんはふふっと笑うと、こちらに近寄り鍋を覗き込んだ。


「丁重にありがとうございます。こちらはもう大丈夫ですから、ベリト様のところに行ってらしてくださいな」

「はい」


 あまりお手伝いができなかったことに物足りなさを感じたけれど、今日は遅くに起きてしまったし、そう言われた以上は仕方がない。もっとお手伝いをしたいだなんて我儘を言っても、優しいデボラさんを困らせてしまうだけだ。

 エプロンをたたみ、厨房を後にする。それからベリト様の気配を探った。

 最近、一緒に寝た翌日の朝食も、ベリト様は一緒に食べてくれる。だから、起こしに行こうかと思ったのだけれど、今日はもう起きているようだ。部屋にある気配が動いているので、身支度をされているのだろう。

 起こす必要がなくなって残念、と私は温かく思った。

 ベリト様が寝ているときに部屋に入れるのも、直接彼女を起こせるのも私だけだ。だから、それができないのは残念に感じてしまう。でも、今日はお仕事前に一緒に過ごせるのだし、それだけでも幸せなのだから、そんな我儘をたしなめてそっと胸にしまいこんだ。

 私は少し考え、ベリト様の部屋へ向けて歩き出した。居間で待っていてもいいけれど、今日はその時間も惜しいと感じたので迎えに行くことにする。


「~♪」


 ベリト様と朝を一緒に過ごせることが嬉しくて、つい星歌せいかを口ずさみながら歩いていると、ふとデボラさんが先ほど口にした言葉が頭をよぎった。


『それにしても、仲睦まじい方々を見ていると、私も恋人が欲しくなりますねえ』


 仲睦まじい方々――私は先ほど、それはユイ先生とルナ様のことを指しているのだと思っていた。だって、私たちの周りで身近な『仲睦まじい方々』は、間違いなくあのお二人だから。

 でも、よくよく考えてみると、その場合『それにしても』という前置きがされるだろうか。

 話の流れからして、その『仲睦まじい方々』には、私とベリト様も含まれているのでないだろうか。

 いや、きっとそうに違いない。

 つまり、デボラさんは気付いているということだ。

 私とベリト様の、関係に。


 私とベリト様が、恋人関係になったことに――。


 その考えに至った瞬間、顔がかっと熱くなった。その熱にいても立ってもいられなくなり、胸に抱いた折りたたんだエプロンをぎゅっと握りしめてしまう。

 なにをどうして、デボラさんに気付かれたかということはとりあえず、今は置いておいて。

 そう。そうなのだ。

 私はベリト様と、こ、こ、恋人になったのだ。

 その事実が今さら胸に込み上げてきて、羞恥心で落ち着かない気持ちになる。

 この数日の出来事が次々と蘇り、顔の熱がさらに高まる。

 私はその熱を振り払うように頭を振ると、止まってしまっていた足を踏み出した。

 自然と早足で歩きながら、それにしても、と思う。

 それにしても、こ、恋人って、なにをするのだろう。

 これまで通りで大丈夫、なのだろうか。

 当り前だけど、今まで誰かとお付き合いをしたことがないから、こ、恋人の振る舞いなんて全く分からない。それに関する知識といえば、恋愛小説ぐらいだ。でも、あれは夢を詰め込んだ作りごとで、現実がそうではないことぐらい、私も分かっている。そう、分かってる。

 現実の、こ、恋人というのは、どのような感じなのだろうか。

 それこそルナ様とユイ先生に訊けば早いのだろうけれど、恥ずかしくてそんな勇気はとても出せない。でも、こ、恋人の常識を知らないことで、ベリト様を幻滅させてしまわないかと不安にもなる。

 胸の中でぐるぐると羞恥と不安が入り交じりながら歩いていると、廊下の風景ばかりを映していた視界に、白と黒が飛び込んできた。

 黒く細身のズボンに、白いシャツを身につけた人の姿。

 立ち止まり見上げると、そこにはベリト様の顔があった。


「ベ、ベリト様」

「どうした」

「え」

「顔が、リンゴみたいになってるぞ」


 思わず手で頬に触れる。先ほどより火照りが収まったとはいえ、手のひらに感じる体温は熱い。


「え、と、厨房が、暑くて」

「厨房ね」


 ベリト様の口端がわずかに上がる。これは……誤魔化していると気付かれている顔だ。

 そのまま彼女は私をじっと見つめると、ふっと柔らかく笑った。


「ほら、居間に行くぞ」


 そう言って、私の横を通り過ぎて歩き始める。


「あ、はい」


 私は慌てて踵を返し、彼女の横に並んだ。

 居間に辿り着くと、ベリト様はソファに腰を下ろした。

 私もいつも通り、彼女の隣に座る。そのときふと、私とベリト様との隙間が目に入った。

 その隙間は、手のひら一つ分ほどしか空いていない。最初はもう少し距離を空けて座っていたはずなのに、その距離はいつの間にか縮まり、今ではこの距離感が当り前になっている。これはベリト様のそばにいたいという気持ちが表われた結果、なのだろうか。……いや、きっとそうなのだろう。私のことだから。

 そのことをこれまで気にしたこともなかったけど、この距離感は適切、なのだろうか。

 むしろこれまで、こ、恋人でもないのに、近すぎたのではないだろうか。

 こ、恋人の正しい距離感って本来、どれくらいなのだろうか。

 そんなことを頭でぐるぐる考えていると、ふっと鼻で笑う音が聞こえた。


「なんでかしこまってんだ」

「え」


 ベリト様に言われて自分を見ると、いつの間にか膝の上に拳を握り、背筋をぴんと伸ばして座っていた。


「なんと、なく」

「なんとなく?」


 返答に困りそう答えると、ベリト様がふっと笑った。


「変な奴だな」


 そう軽く流してくれたところで丁度、デボラさんが飲み物を持ってきた。

 ベリト様の意識がそちらに向き、私はほっと胸を撫で下ろす。

 その後はベリト様が話題を振ってくれたおかげで、なんとかいつも通りの会話ができた。

 それでも、その間も私の頭の片隅では『恋人とは?』という疑問がずっとくすぶって消えなかった。



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