大陸暦1978年――17 翌日
一つの長椅子を磨き終わり、満足感で息を吐く。
中央教会に二回目のお手伝いに来た今日、私とアルバさんは星霊堂の掃除を任されていた。
ここは生者が死者を想い祈る場所、星礼参りをする場所だ。
小さな教会などでは星還送が行なわれる儀式場の祭壇で星礼参りを行なうのが普通なのだけれど、大きめの教会にはきちんとそのための建物が用意されている。その中でもこの中央教会の星霊堂は大陸で一番の規模を誇るらしい。
ここは普段、管理を任されている聖職者と、星礼参りをする人間以外は自由な出入りが許されていない。なので私も今日、初めてここに入ったのだけれど、想像以上の広さに驚いた。流石に中央教会の礼拝堂には適わないけれど、それでも修道院の中では大きめだというルコラ修道院の礼拝堂以上の広さはある。それだけでなくさらにここには、地上以上に広い地下空間が広がっているらしい。
そこは各国の星教本部のみにある聖域と呼ばれる神聖なる領域で――そう、ベリト様が解剖のお仕事をされる場所だ。
星霊堂の地下に聖域があることは知っていたので、今日ここの掃除をすると聞いたときは聖域にも入れるのかと少し期待した。ベリト様のお仕事場を一目でも見てみたかったからだ。でも残念ながら、いや当然なのだけれど一般聖職者が立ち入ることは許されていないらしい。掃除も全て聖域でお仕事される死検士がされているのだとか。
ともあれ今日は一日かけて中央教会の方々とアルバさん、そして前回と同じくオレリアさんとエルマさんと一緒にここをお掃除することになっていた。
星祭の日にはここでお祈りされる人も多いとのことで、掃除にも身が入る。
私は雑巾をバケツの水で洗いながら周囲を見た。アルバさんもオレリアさんもエルマさんも、それぞれ窓や椅子や柱などを黙々と拭いている。今日は他の修道女様と修道士様もいらっしゃるので、一日目のように会話をしながら掃除ということはできていない。私は掃除が好きなのでそれでも苦ではないけれど、オレリアさんだけは私たちにだけうんざりとした様子を見せていた。
そのような感じで一時間ぐらい掃除をしていると、修道女様に少し休憩を取るようにと言われた。
アルバさんがそばにやって来たので、私たちは一緒に長椅子の右端に座る。するとオレリアさんとエルマさんもやって来て二人は前の席に座った。
「フラウリア、ちゃんと別れた?」
背もたれに両腕を乗せたオレリアさんが開口一番そう言った。
どう答えるか迷う間もなく、アルバさんが不思議そうに訊いてくる。
「なんの話だ?」
まだ彼女にはここ一週間の出来事は話せてはいない。話すのが嫌だったのではなく、本当に話す心の余裕がなかったからだ。なので今日の帰りにでも、馬車の中で話そうと思っていたのだけれど、それを今、オレリアさんとエルマさんがいる前で口にするには流石に少しばかりの勇気がいる。
「想いに答えてくれそうにない人からは早めに離れたほうがいいって話」
躊躇する私の代わりに、オレリアさんが簡潔に説明してくれた。先日の会話を事細かく説明されなくて内心でほっとする。一番のお友達でも知られて恥ずかしいことはあるから。
「なるほど」アルバさんが苦笑する。「最近こいつが元気なかったのはお前が原因か」
ここ数日いつも通りに振る舞っていたつもりだったのだけれど、気付かれていたらしい。それでも何も言ってこなかったのは、私が言い出すまで待ってくれていたのだろう。その間きっと優しい彼女のことだ。内心では心配してくれていたに違いない。
この一週間ベリト様しかり、彼女にも気を遣わせてしまっていたのだと一人、反省する。
「ごめんねフラウリア」エルマさんが申し訳なさそうに言った。「オレリアってお節介なところがあって」
「私は彼女が傷つく前に忠告してあげただけよ」
不服そうにしているオレリアさんにエルマさんが苦笑する。
「心配しなくとも、悪い人じゃないよ」
アルバさんの言葉にオレリアさんが眉を上げた。
「アルバも知っている人なの?」
「知ってるよ。ルコラ修道院の治療学の教本を作っている人だから。私も何度か会ったことがあるけど人を弄ぶような人じゃないよ。まぁ、ちょっと人当たりはよくないかもしれないけれど。いや、ちょっとじゃないか?」
苦笑したアルバさんに見られて私も苦笑で返す。それについては私も否定は、できない。
「それを聞いてたら私だって少しは見解を変えたわよ。とはいえ私の言葉が貴女の気持ちを落ち込ませたのは事実よね。ごめんなさい」
「私も一緒に余計なこと言っちゃったよね。ごめん」
オレリアさんとエルマさんに頭を下げられて、私は慌てる。
「いえ、私のことを思って下さってのことですから。それに」
そこで言葉を止めると『それに?』と問うように二人が見てきた。
その無言の圧力に押されて、つい続きを口にしてしまう。
「その、よい切っ掛けにもなりましたし……」
私の言葉に二人は顔を見合わせると、ぐいっと前のめりになった。
「それってどういう意味かしら」
「もしかして告白されたの!?」
二人の勢いに気圧されながら私は助けを求めるように隣のアルバさんを見る。だけど彼女も二人と同じく興味深げな表情を私に向けていた。それもそうだろう。そのことはまだアルバさんにも話をしていないのだ。事情を知らない人に助けを求めること自体、間違っている。
こんなことならば恥ずかしいからと先延ばしせず、行きの馬車で話しておくべきだったと後悔した。
「ほら、白状しなさいよ」
オレリアさんがさらに詰めてくる。どこにも逃げ場なく困っていると、こちらを見ていたエルマさんがふとした感じで星霊堂の入口へと視線を向けた。それに釣られてオレリアさんが、そして私やアルバさんも振り返り入口を見る。
星霊堂の入口には、二人の人間が立っていた。
一人はお掃除中もここにおられた年配の修道士様だ。そしてその修道士様とお話しているもう一人を見て私は驚く。
――ベリト様だ。
どうしてこんなところに、と疑問に思いながら彼女の服装に目が行く。彼女はお仕事用のきちんとした服を着ていた。それですぐに思い至る。お仕事でここに来られたのだと。
「解剖学者様だ」エルマさんが言った。
「へぇ、あの方が」オレリアさんが目を細める。「って貴女、どうして知っているのよ」
「あれ、言ったことなかったかな。修道院の同期に死検士の友達がいるって」
「死検士見習いと一緒の修道院だったのですか?」
先日エルマさんは役職を星還葬で遺体を魔法火葬する星還士だと言っていた。
確か癒し手や星還士などの魔法素養者と死検士は修道院が別のはずなのだけれど。
「うん。地方は星都とは違って修道院が多くないから、分野ごとに修道院が分かれていないの」
「そうなんですか」
「そうそう。でその友達にね、解剖学者様は髪だけでなく全身黒ずくめだって聞いてたんだけど、本当だね」
エルマさんはベリト様を見てそう言うと、次いでオレリアさんを見て苦笑した。
「オレリア」
「なによ」
オレリアさんは答えながらもじっとベリト様を見つめている。
「あの人女性だよ」
「それぐらい知っているわよ」
答えながらもやはり、ベリト様から目を離さない。
そんな様子のオレリアさんにエルマさんは肩をすくめると、再び入口に目を向けた。そしてあ、と声を漏らす。
「こっち見た」
「貴女が無遠慮に見ているからでしょう?」
「いや、どちらかというと見てたのオレリアだよね!?」
小声で言い合う二人に苦笑しつつアルバさんがこちらを見る。
「フラウリア」
私はうなずき立ち上がると、長椅子の間を抜けて星霊堂中央の通り道へと出た。そして私の前で立ち止まったベリト様を見上げる。
「今日、お仕事だったんですね」
「あぁ。言いそびれた。悪い」
「いえ。その機会を作らなかったのは私ですから」
そう言える雰囲気を作らなかったのは私だ。
ここ数日、私が悩んでいたようにベリト様も私のことで悩んでいたのだ。
私が意気地なしなばかりに彼女には本当に申し訳ないことをしたと思っている。
でも昨日そのことを謝罪したらもう気にしていないし気にするなと言われているので、その気持ちは抑えておいた。
「今日、遅くなるのか」
「先日と同じぐらいにはなると思います」
「そうか。夕食は」
「待っています」
ベリト様の言葉を遮って私は言った。先に食べるよう言ってくれるのはいつものことだから。
「食事が遅くなるぞ」
「大丈夫です」
微笑む私にベリト様は僅かに眉を寄せると、仕方がないなとでも言うように小さく息を吐いた。
「分かった」ベリト様が視線を上げる。「アルバ」
「はい」
近くに来ていたアルバさんが私の横に並ぶ。
「今日は家の前まで送ってやってくれ」
「そのつもりです」
アルバさんは即答した。彼女はベリト様が家を空けているときや、帰りが遅くなったときはいつもお家の前まで送ってくれる。もちろんそのことはベリト様も私に聞いて知っているのだけれど、私のことを思い改めてお願いしてくれるのは嬉しかった。
「いつも悪いな」
ベリト様の言葉にアルバさんが目を開く。直接、労うようなことを言われたのが初めてだったので驚いたのだろう。
その反応にベリト様は気恥ずかしげに視線を逸らすと、星霊堂の奥へと歩き出した。
「ベリト様」
私はその背を呼び止める。
「お仕事、頑張ってください」
立ち止まり振り返ったベリト様はかすかに目を細めるとまた歩き出した。
基本的に人前では表情を崩さない彼女が少しでも笑ってくれて嬉しくなる。
「星都にはいないタイプね」
いつの間にかそばにはオレリアさんが来ていた。彼女は去って行くベリト様をじっと見ている。その友人の様子にエルマさんは苦笑すると言った。
「狙いを定める前に、気にすることがあるんじゃない?」
「なによ」
「夕食のくだり」
オレリアさんは目を瞬かせると、ばっと私たちを見た。
「もしかして」
アルバさんが笑って肩をすくめる。
オレリアさんは私の顔をまじまじと見ると、最後には肩を落とした。
「一瞬で失恋したわ」
「だから女性だよ?」
「性別なんて些細な問題よ」
「そうなんだ」
「実は禁欲に耐えられず修道院でも手を出した子いるし」
「初耳」
「心配しないで。貴女の顔は好みじゃないから」
「明言してくれてありがとう。お陰で心置きなく友人を続けられるよ」
「そういうさっぱりしているところは好きよ」
「はいはい」
慣れた感じでエルマさんは答えると、私を見た。
「なんかお似合いだね」
「そう、ですか」
そんなことを言われるのは初めてで、嬉し恥ずかしい。
「星祭が終わったら連絡先を教えて頂戴。別れたら連絡して欲しいから」
「オレリア、縁起でもないこと言わないの」
エルマさんに少し窘めるように言われて、オレリアさんが口を尖らす。
「ごめんね。自分の欲望に忠実なだけでこれでも悪気ないんだ。あと人のものには手を出さないから安心して」
「そこまで節操なしではないわ」
ふんとオレリアさんは鼻を鳴らすと、くるっとアルバさんを見た。
「ねえアルバ、私と付き合わない?」
「は」
唐突な提案に、アルバさんがきょとんとする。
「アルバ今、付き合ってる人いないんでしょ?」
「いないけど」
「それなら付き合いましょうよ」
「いやいや、お前どちらかというと男が好きなんだろ」
「もちろん。でもこれを機会にまた女性を試すのもいいかなって」
「試すって」
「私じゃ不満?」
「そうじゃなくて、付き合うってそういうことじゃないだろ」
「なに? それって私と本気で付き合いたいってこと?」
「そうでもなくて」
「大丈夫。お試しといっても遊びのつもりはないわ。付き合うからにはこちらも本気よ。あ、心配しないで。これでも私お嬢様だからデート代は全部出すし、物欲もないから高い贈り物だって必要ない。逆に欲しいものあるのならば私が買ってあげるわ。だからね? いいでしょアルバ?」
ぐいぐいとオレリアさんに詰め寄られて、アルバさんが助けを求めるようにこちらを見る。
似たような光景を見習い時代にも、そして先生になってからも見たことがあった私は、申し訳なく思いつつもどこに行っても人気者の彼女につい笑ってしまっていた。




