大陸暦1978年――17 疑問と不安
中央教会から戻ったのは十八時過ぎだった。
商店街の停車場で馬車を降り、アルバさんに送っていただいた私はいつものように仕事部屋から帰宅する。するとそこにはこれまたいつものようにベリト様がソファに座って待っていた。
「おかえり」
彼女は小さく微笑んで私を出迎えてくれる。いつもならその顔を見るだけで安心と嬉しい気持ちが湧いてくるのに、今日は胸が締め付けられるのを感じた。
「ただいま戻りました」
それでも私は自然体を装い答える。
「お掃除をして汚れたので今日は先にお風呂に入ってきます」
「そうか」
読んでいたのだろう本をそばに置いてベリト様がソファから立ち上がる。帰宅して夕食前にお風呂を頂くことは今までにもなかったわけではない。そしてその時は決まってベリト様と一緒に仕事部屋を出る。だけど今日の私は彼女が来る前に部屋をあとにしていた。
廊下を早足で歩きながら思う。きっと変に思われただろうなと。いつもはなるべくベリト様と一緒にいたがる私が彼女を置いて行くなんて。
私だって本当はこんなことを望んではいない。いつだってベリト様と一緒にいたい。でも最近の彼女は私に触れるのを躊躇しない。自然と私に触れてくれる。もちろんそれは嬉しいことなのだけれど、今彼女に触れられると今日の記憶を視られることになる。私がどんな感情を抱いているのか彼女に知られてしまう。
なにもオレリアさんの言うことを真に受けているわけではない。彼女はベリト様のことをなにも知らないし、ベリト様がそんな人ではないことは私も分かっている。
だけどそれでもオレリアさんの言葉が頭から離れてくれない。
一つの考えが頭をもたげる。
ベリト様は私のことをどう思っているのだろうか、と。
ただ一緒に暮らす人間だろうか?
それとも家族に近い存在だと思ってくれているのだろうか?
もしくは自分の身を削ってまで命を助けた人間だから、保護欲的な気持ちを抱いてくれているのだろうか?
たとえそのどれかに当てはまろうとも、私にはなにも不満はない。
どんな理由でも彼女と一緒にいられるのならば私はそれだけで幸せだ――幸せだけれどそれでも、と思う。
それならどうしてベリト様は私にあのようなことをしてくれるのだろう……?
お付き合いをしているわけでもないのに、その、恋人がするようなことをしてくれるのだろう……?
……そのことを今まで一度も不思議に思わなかったわけではない。
以前からその疑問は確かに私の中に存在していた。
だけど私はこれまでその疑問に気付かないふりをしていた。
その行為で生まれる嬉しさと恥ずかしさの感情にかまけて、かまけることでその疑問に目を向けないでいた。
ふとその疑問が顔を覗かせても、幸せならそれでいいのだと、そう自分に言い聞かせてそれを心の隅に追いやった。
それが今日、オレリアさんによって掘り起こされた。
彼女は私の中にあるそれを直接、言葉で突きつけてきた。
もう二度と仕舞いこむことができないぐらいに、見て見ぬ振りが出来ないぐらいに。
私はデボラさんに帰宅の挨拶だけするとお風呂に入った。いつもは早くベリト様に会いたくて長風呂はしないのだけれど、今日はこれまでで一番、時間をかけてお風呂に入った。
お風呂から上がったときにはもう、夕食の時間となっていた。
食堂に行くとベリト様はすでに席についていた。準備をするデボラさんに『今日は長風呂でしたね』と言われたので私は『大分埃を被っていたので』と返した。本当はベリト様と二人きりになる時間を減らしたくてそうしたのだけれど、そんなことを考えている自分が自分で嫌だった。
その気持ちを気付かれたくなくて、夕食が始まると私は今日の出来事を一から十まで話した。もちろんオレリアさんが話していたあの部分を除いてだ。それにベリト様は相槌や言葉を返してくれた。
そうしてなんとか喋り続け、私は夕食を乗り切った。いつもは楽しくてあっという間に終わってしまう夕食が今日はいやに長く、そして気持ちが重く感じた。
私の不自然な行動が、自分自身の心を重くしているのは明白だった。
それに加えていつも通りに優しく接してくれるベリト様の存在がより一層、私の心を締め付けた。
夕食が終わり、ベリト様はお風呂に入った。私はそれをいつものようにベリト様の部屋のソファで本を読みながら待ち、彼女がお風呂から上がるのを見計らってベッドに上がった。
浴室から出て来たベリト様はベッドに上がっている私を見て、少し驚いたようだった。
「もう寝るのか」
「はい、疲れたので早めにお休みさせていただきます」
「そうか」
そうベリト様は言うと、一冊の本を持って出入口へと向かった。
「あの、こちらにおられても」
一階に下りようとしているのだと気づき、私は思わず呼び止めてしまう。
身勝手なことだ。今日は一緒にいるのが気まずいのに、でも離れるのも寂しいと感じている。
「お前が寝るならここにいる意味はないだろ」
それは私が起きてたらここにいる意味があるということだ。
そう思ってくれるのは凄く嬉しい。嬉しいのに……。
「おやすみ」
扉に手をかけてからベリト様はそう言った。いつもの優しい声で。
私はそれに胸が締め付けられるのを覚えながらも微笑んで答えた。
「はい、おやすみなさい」
ベリト様は小さくうなずくと、部屋を出て行った。
彼女の気配が離れて行くのを目で追う。それが階下に下りて小さくなると、少し涙が込み上げてきた。
私は泣きそうになるのを我慢してベッドに寝転がる。
それから魔灯を消して、身を丸くしてから瞼を閉じた。




