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少女と白の心  作者: 連星れん
前編

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19/203

大陸暦1975年――05 昼食時間


 お昼の十二時過ぎ。

 ベリト様の仕事部屋から修道院へと戻った私は食堂で昼食を摂っていた。

 食堂内は昼食に集まった見習いの話し声で埋め尽くされており、朝食時に比べてさらに賑やかなものとなっている。

 それは声を抑える必要のない日中だということもあるけれど、それよりも大人がいないのが要因だとアルバさんが言っていた。大人の目がないことでみんな気分が開放的になっているのだと。

 ここでは昼食の時だけ、ユイ先生を含める修道女様達は見習いのあとに食事を摂ることになっている。それは意図的なものであり、見習いに息抜きをさせることが目的らしい。

 それを聞いたときは色々と見習いのことを考えてくださってるのだなと、私は感心と感謝の念を抱いた。

 そんな和気藹々とした雰囲気の中、私はみなさんに午前中のことを話していた。


「まさか、あのクロ先生が人に教えるとはな」


 そして全てを話し終えると、アルバさんが苦笑を浮かべて言った。

 ベリト様に勉強を教えて頂けるようになったことは前もって伝えてはいたけれど、今日まさにそれを終えた私の話を聞いても、彼女はにわかに信じられないといった様子だった。


「ていうかあの人、長く喋るの?」


 アルバさんは素朴な疑問とでもいうかのように訊いてきた。

 そう思ってしまう気持ちは分かる。普段は端的に物事をいう人だし、私も長く話すベリト様を見たのは今日が初めてだったから。


「喋りますよ。説明もお上手です」


 アルバさんは「へぇ」と半信半疑そうに声を漏らした。


「もう、本当ですのに」


 彼女の反応に私は思わず口を尖らせてしまう。

 するとそんな私を見てアルバさんは「悪い悪い」と苦笑した。


「これまでのクロ先生を考えると信じられない気持ちが強くてさ。なあ、リリー?」


 話しを振られたリリーさんは神妙に頷いた。


「そうですね。私も担当の時に何度か世間話を振ってみたことがありますが、返答はどれも淡白なものでしたから」


 アルバさんが感心するように笑みを零す。


「お前も結構、度胸あるな」

「ええと、それはきっと悪気はなくて」


 それがベリト様の素、かどうかはまだ分からないけれど、ともかくにも普通なのだと思う。もしくはどう返答していいのか分からなかったか。

 彼女は、そう、不器用なのだ。


「それは何となく分かっています。ですから以前、私は先生のことを何とも思わないと言ったのです」


 リリーさんは私を安心させるかのように小さく微笑んだ。

 そこのところは理解してくれているのだと私は嬉しくなる。


「まぁ、何にしても」アルバさんが言った。「辛くなったら遠慮せずユイ先生に言えよ」

「辛く、ですか」私は首を傾げる。

「あぁ。身体のこともだけどさ、たとえばクロ先生の教え方が厳し過ぎるとか、そういうの。勉強するのが辛いのは良くないからさ」

「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫です。ベリト様はとてもお優しいですから」


 おやさしい、とアルバさんが呟くように繰り返した。リリーさんも怪訝そうに少し眉を寄せている。


「お二人とも、疑ってらっしゃいますね」


 そう指摘すると、二人は視線を交わして苦笑した。


「もう……」


 ベリト様が優しい人だということは簡単には信じていただけなさそうだ。

 これまでがこれまでだったのでそれは仕方のないことだけれど……それでもいつかはみなさんにも分かってもらえるときが来るといいな――そんなことを思いながら私は昼食のハムチーズサンドのパンを口に運んだ。そして小さく噛み切ってそれを味わいながら、正面に座しているロネさんを見る。

 ロネさんは小さな口で一生懸命、固めのパンにかじりついて食べている。

 いつも賑やかなロネさんが静かなのは、今日の昼食が彼女の大好物だからだ、と食事が始まってすぐにアルバさんが教えてくださった。ロネさんはもともとチーズそのものが好きなのだけれど、それとハムをパンで挟んだものが何よりも好物らしい。まさに今日の献立だ。

 ロネさんが好きなものに対して並々ならぬ集中力を発揮することは、自由時間に絵を描いている彼女を見かけたことがあるので知っている。彼女は趣味の絵を描くときは、本当に何も喋らない。回りに人がいても賑やかでも気にせず、まるで風景と語らうかのように真剣に用紙に向き合っている。

 それを初めて見たときは感心したものだった。

 描いた絵そのものが素晴らしいから尚更に。

 そしてその集中力は絵だけではなく、大好物を前にしても変わらないらしい。

 そんな黙々と食事に集中しているロネさんを見ながら、私は少しばかり羨ましさを感じた。

 私には彼女のように夢中になれるものが一つもないから。

 勉強やデカント豆のように好きなものはあるけれど、夢中になるぐらいに好きかと聞かれればそれは違う気がする。

 孤児時代も生きるのに精一杯で、そういうものを見つける余裕すらもなかった。

 でも今は違う。修道院に入れたことで有難いことに生きること以外にも目を向けられるようになった。

 とは言っても現状は事故によって失われた勉強を取り戻すのに精一杯だけれど、それが落ち着けばいずれは私にも見つけることができるかもしれない。

 そのことしか見えないぐらいに夢中になれる何かを――。


 そんなことを考えていると、ふいにベリト様の顔が脳裏に浮かんだ。


 ――どうして。

 どうして、ここで彼女が出てくるのだろう。

 それが本当に分からなくて。

 でも、なぜか動揺するように胸の鼓動が早くなっていて。

 終いには耳まで熱くなってきた。

 あれだ、と私は慌てて思う。

 これはきっとベリト様のあずかり知らぬところで私が勝手に思い浮かべたりしたから、それが何だか申し訳なくて羞恥を感じているだけだ。

 そうだ。そうに違いない。

 そう自分に言い聞かせるように胸中で呟いていると「フラウリア」と右から声がした。

 それが私には突然のことのように感じて、驚いて跳ねるように右へ向いてしまう。すると手を伸ばしていたアルバさんの手に私の手が触れた。


「あ、悪い」アルバさんが手を引っ込めながら謝った。

「いえ、どうしました」

「いや、なんか固まってたから、どうしたのかなって」

「少し、疲れたのかもしれません」


 私は何となく恥ずかしくて、咄嗟に誤魔化すように言った。


「そっか。午後は無理すんなよ」

「はい」


 濃縮した午前を過ごしたことにより、疲れを感じているのは本当だった。でもそれは充足感に近いもので、だからそれに気遣いを頂いてしまい少し申し訳ない気持ちになった。

 私はいつの間にかお皿の上に置いていた食べかけのサンドに視線を落とす。お話しをしたり考えたりしていたせいで、サンドはまだ半分も食べ切れていない。回りを見るとみなさんはそろそろ半分を過ぎているところだった。

 私も食べる速度を上げないと昼食時間が終わってしまう――そう思いサンドに手を伸ばす。けれどそこで自分の手が目に入り、先ほどアルバさんと手が触れたことを思い出した。


「あの、ロネさん」


 それで思い立ってしまった私は、ついロネさんに声をかけてしまっていた。彼女はもぐもぐと頬を動かしながら「んー?」とこちらを見る。それを見て食べ終わってからにすればよかったと思ったけれど、呼んでしまったからにはもう遅い。

 私はロネさんに、ユイ先生のベリト様についての約束ごとについて話した。彼女は食べる口を休めることなくそれを聞くと、飲み込んでからかじりつくまでの合間に答えた。


「うん。言われたよー」


 やはりと思う。ロネさんも言われていたのだと。

 それはアルバさんとリリーさんの平常な表情から彼女達も同じなのが分かった。


「にもかかわらず触れて怒られたので、それからリベジウム先生が苦手なのです」


 リリーさんが苦笑いを浮かべながら補足してくれた。

 私も苦笑しながら納得する。ロネさんがあれぐらいでベリト様を怖がるだろうかと不思議に思っていたけれど、そういうことかと。きっと酷く叱られてしまったのだろう。

 でも、それで確実に分かった。

 そんなに怒るほどにベリト様は人に触れられたくないのだ。


「人に触れられたくないっていう気持ちは何から来るものなのでしょう」


 私はみなさんに訊いてみた。

 今日ベリト様がタバコを吸われている間、暗記をしながらそのことについて少し考えてはみたけれど、私にはその気持ちが分からなかった。

 私にとっては人に触れられるということは嫌でもなんでもないから。

 それどころかむしろ好ましく思っている。人と触れ合う――身を寄せ合ったり手を握ったりすると相手の体温が感じられて安心を覚えるから。

 もちろん誰とでもそのように感じられるわけではないし、自分だって触れられて不愉快だと思ったことはある。だけどそれはその相手に対して抱く感情であって、人そのものに対してではない。

 ベリト様の場合はおそらく人そのものに触れられるのが嫌なのだろうと思う。

 だからこそ私には彼女の気持ちがよく分からなかった。


「そうですね」リリーさんが思案するように口元に手を当てる。「可能性として考えられるのは接触恐怖症とかでしょうか。もしくは単純に触られるのが嫌なぐらいに人嫌いか」


 それにアルバさんが受け入れかねるという風に「んー」と唸った。


「でもさ、人嫌いが勉強を教えるかな」


 そのことは私も少し思っていたことだった。

 確かにベリト様の態度は客観的に見たら冷たいものだ。人を嫌っているかのように突き放すような物言いもされる。

 けれど私は今日ベリト様とお話しをしてみて、彼女が単純に人そのものを嫌っているというような印象は受けなかった。

 だって本当に人が嫌いなら、アルバさんの言う通りわざわざ私に勉強を教えようとは思わないし、ルナ様と友人になったり専属の治療士を引き受けたりもしないはずだ。


「それもそうですね」リリーさんも同意する。


「それはフラウだからじゃない?」


 と、唐突に口にしたのはロネさんだった。

 私達の視線が発言者の彼女に集まる。

 ロネさんは丁度、チーズサンドの最後の一口を飲み込むと、口回りを舐めて満足そうに微笑んだ。


「私だから、ですか」

「うん。フラウってなんか白いじゃん」


 当り前のようにロネさんが口にした言葉に、私は目をしばたかせてしまった。

 白い……?


「ええと、それはもしかして、髪のことを仰っているのですか」


 私の練色に近い白髪が生まれつきではないことは知っている。

 孤児時代の記憶では自分の髪は金に近い練色だった。

 そのことを不思議に思いユイ先生に訊いてみたところ、事故による心理的衝撃が色を抜いてしまったのだろうと教えてくださった。

 でも、それとベリト様が勉強を教えてくださることに、何の関係があるのだろう。

 ロネさんは私の言葉に「そうじゃないー」と不服そうに口を尖らすと、腕組みをして首を傾げた。

 その難しげに悩む姿に微笑ましさを感じながら、彼女の返事を待つ。

 ロネさんは唸りながら首ごと上体を傾げると、やがて思いついたように身体を真っ直ぐに戻して表情を明るくした。


「心が!」


 私は再び目をしばたかせてしまう。

 心が白い……?

 ますます意味が分からない。

 どう反応していいのか困った私はアルバさんとリリーさんに顔を向ける。

 きっと二人も同じ気持ちに違いないと思って。

 けれど私の予想に反して二人は感心したようにロネさんを見ていた。


「それはお前にしては」

「言い得て妙ですね」


 そして口々にそう零す。


「いーえてみょ? 何それ? ほめられてるの?」


 言葉の意味が分からず再び首を傾げるロネさんに、アルバさんは「褒めてる」と言った。

 それを聞いてロネさんは誇らしげな笑顔を浮かべる。


「ふふーそうでしょーいーえてみょでしょー」

「意味分からず使うな」アルバさんが苦笑する。

「それは、どういう意味なのでしょう」私は訊いた。

「言い得て妙って言うのはな」

「いえ、そちらではなくて」

「あぁ」


 アルバさんは困ったような顔をするとリリーさんを見た。

 視線を向けられたリリーさんも彼女と同じく困ったように眉を寄せる。


「意味と聞かれると、説明は難しいのですが」

「でも、何か分かるっていうかさ」


 今度は私が首を傾げる番だった。


「そう悩むな」アルバさんが笑った。「良い意味なのは間違いないから」

「そう、なのですか」

「そうそう」

「そうですね」

「うん!」


 そうして押し切られる感じで話しは終わってしまった。

 意図がつかめないことにもやもやした気持ちを抱きながら昼食を続けていた私は、その所為か時間内に食べきることが出来なかった。



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