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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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188/203

大陸暦1978年――16 未来の解剖学者


「あらイリア、お昼寝から起きたの」


 アオユリ様の腕にしがみついた女の子はこくりとうなずく。


「イリアお嬢様」


 慌てた様子で女性の使用人さんがバルコニーへと入ってきた。

 女の子のそばに早足に歩み寄り、アオユリ様に向けて礼をする。


「申し訳ありません。ご来客中とお伝えしたのですが」

「いいのよ」


 謝る使用人さんにアオユリ様はそう言うと、こちらを見た。


「紹介しますわ。妹のイリアです」


 女の子、イリアさんはアオユリ様に促されてこちらを見ると小さく礼をした。人見知りなのだろうか、眉根は畏縮するように寄せられ目も泳いでいる。


「イリア、こちらはフラウリア。ユイの教え子よ」


 手で指された私を、イリアさんが上目使いで見る。

 そのように紹介してくださるということは、イリアさんもユイ先生のことを知っているのだろう。ユイ先生とは友人だと初対面時にアオユリ様が仰っていたから。


「こんにちわ」


 挨拶をすると、こちらを見ていた目がさっと逃げるように下がった。

 アオユリ様は『ごめんなさいね』とでも言うように苦笑すると、今度はベリト様を手で示す。


「それでこちらは解剖学者のベリト先生」


 その言葉にイリアさんの動きがぴたっと止まった。下がっていた目がゆっくりと前を見る。その目は先程みたいに泳いではいなかった。アオユリ様にしがみつく手はそのままに、真っ直ぐに彼女を見据えている。

 その視線を受けてベリト様は困るように眉を寄せた。

 アオユリ様は少しの間二人の様子を見ていたけれど、やがてしがみつくイリアさんの手にそっと触れた。


「さぁイリア、昼食がまだでしょう。食べてらっしゃい」

「……今日はずっと、いる?」

「えぇ、いるわ。だからいい子にしてて」

「うん」


 イリアさんはアオユリ様から手を離すと、一度ベリト様を見てからそばに控えていた使用人さんに連れられてバルコニーを出て行った。それを優しい顔で見送ったアオユリ様がこちらを見る。


「わたくしに似ず、可愛らしい子でしょう」

「え、あ」


 確かにイリアさんはアオユリ様と全くと言っていいほど似ていなかった。目や髪の色だけではなく、根本的に顔の造形が違う。だけどそれを肯定するとアオユリ様が可愛らしくないということになり私は返答に困った。

 それを見透かされたのかアオユリ様は笑みを漏らす。


「あの子は父の後妻の子なの」


 それで似ていないのだと納得する。おそらくお二人ともお母さん似なのだろう。


「元々は快活で人見知りをしない子だったのだけれど、色々あってね」

「それはもしかして一昨年の」


 その心当たりがあった私は、ついそう口に出してしまった。


「流石にご存じかしら」


 アオユリ様は苦笑する。言うべきではなかったかもしれないと後悔しながらも私はうなずいた。


「新聞で、拝見しました」


 神星(しんしょう)魔道の家系の名門であるルドレシア伯爵家の令嬢が誘拐されたことが新聞に載っていたのは一昨年、私がまだ見習いのときのことだ。

 あの事件は見習いの間でも少し話題になったのでよく覚えている。

 貴族の誘拐事件が珍しいからではない。

 事件の内容がただの誘拐事件ではなかったからだ。

 誘拐と言えば人質の解放と引き換えに、身代金などなにかしらの要求をするのが普通だ。でも令嬢が救出されるまでの三日間、誘拐犯は最後までなにも表明しなかった。

 それは端から犯人の目的が令嬢ではなく、令嬢の護衛である青年にあったからだ。

 護衛の青年は人間の中から稀に生まれる体質の持ち主だった。

 そう。ルナ様と同じ体内に粒子を持たない者、マドリックだ。

 誘拐犯が彼を狙ったのには昔からまことしやかに囁かれている噂が原因にある。

 マドリックの血液や臓器には病を治す力が、そして心臓には不死を得る力があるという噂だ。

 もちろんそれはただの迷信であり、そのような効果はないと大陸治療学学会も否定をしている。だけど中にはそれを信じる人もいて、大金を出してでも治療や不死の可能性に縋ったり賭けようとする人もいる。

 それもあり稀少なマドリックは商品としての価値が高く、壁際でも誘拐犯に狙われやすい。だから壁際ではたとえマドリックであっても隠して生きるのが当り前だった。もしマドリックだと知られてしまえば誘拐され売られるか、そのために殺されてしまう危険があるから。まさにその誘拐事件のように。

 令嬢が救出されたとき、護衛の青年は既に殺されていた。

 お腹を切り裂かれ、心臓やほかの臓器まで取られて。

 新聞には令嬢の名前が載っていなかったことと、ルドレシア伯爵家に何人の令嬢がいるのか知らなかったこともあり、まさか誘拐されたのがイリアさんだと先ほどは思い至らなかった。


「彼にはイリアもよく懐いていたのもあり、彼の死を目の当たりにした衝撃で幼児退行してしまってね」


 それは当然だ。大の大人だって身近な人間の死を目の当たりにしたら、どうなるか分からない。


「でも今では大分、症状が改善されてきているの」


 そう、とアオユリ様がベリト様を見る。


「先生のお陰で」

「は」


 それまで静かに話を聞いていたベリト様が、不可解とでも言うように眉を寄せた。

 その表情からして、彼女も思い当たる節がないらしい。

 アオユリ様は持っていたカップから手を離すと、ベリト様に向き直った。


「ベリト先生、妹に解剖学を教えていただけないでしょうか」


 それにはベリト様も流石に驚いたようだった。


「もちろん今すぐにというわけではありません。いずれです」

「なんで私が。お前が教えればいいだろ」

「わたくしは治療士――神星(しんしょう)魔道士であって解剖学者ではありません。イリアが興味を持っているのは治療学ではなく解剖学なのです」

「興味を持っている」


 私の呟きにアオユリ様がこちらを見てうなずく。


「新聞を読んだのならご存じでしょう? あの子の護衛はマドリックで、あの子の目の前で身体を割かれ臓器を抜かれたのだと」


 私はうなずく。確かに新聞にはそのように書かれていた。護衛の青年はイリアさんの命を守るために、自ら命を差し出し彼女の前で殺されたのだと。


「ですがイリアはどうして彼が死んだのか理解できていなかった。イリアを発見したとき、あの子は必死に彼からはみ出た腸を身体に戻そうとしていた」


 私はその姿を想像して胸が締め付けられた。そのときのイリアさんの気持ち、私にも理解が出来る。私も両親の……遺体を発見したとき、なぜ二人が死んだのか理解ができなかったから。


「それが原因であの子は幼児退行し、塞ぎ込むようになった。どんなに精神治療を施してもそれは改善しなかった。わたくしはその理由をイリアがどうしたら人が死ぬのかを理解できていないことだと思った。だから心理士に荒治療だと反対されながらも説明したの。ユイから頂いた治療学の教本を見せながら」


 そうです、とアオユリ様が再びベリト様を見る。


「先生が書かれたものです。姉のわたくしが言うのもなんですが、妹は賢い子です。簡単な人体の構造を説明するだけでも、あの子は彼の死因を理解し受け入れました。しかしそれだけでは(とど)まらなかった。あの子は更なる知識を求めた。人体の全てを知りたがるようになった。今では毎日のように先生の教本を読んでいます」


 アオユリ様はそこまで話すと、微笑んだ。


「どうです? 将来有望ではありませんか?」

「だとしても神星(しんしょう)魔道士の名門であるルドレシアの人間をわざわざ解剖学の道に進ませなくてもいいだろ」

「妹には魔法の素養はありません。いえ、もし素養があったとしてもあの子にはルドレシアの名に縛られず、自由に生きて欲しいと思っています」

「家名に泥を塗ることになってもか」

「なりませんわ。解剖学はいずれ日の目を見る学問になります。殿下とわたくしがそうします」


 上品に、それでいて自信に満ちあふれた微笑みをアオユリ様は浮かべると、カップを手に持った。


「返事は急ぎません。お考えになっておいてください。もちろんお受けいただける場合は先生が望む報酬をご用意させていただきます。なんでもね」



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