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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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187/203

大陸暦1978年――16 招待


 その日の夜、就寝前に私は治療が全て終わったことをベリト様に報告をした。


「そうか。よかったな」


 すると彼女は優しく微笑んでそう言ってくれた。どうやら喜んでくれているようだ。

 正直なところ、治療が終わったとき私にはなんの感情も湧いてこなかった。

 その傷を受けたときの記憶が私の中には無いからだ。

 今では自分がどのような目に合ったのかそれぐらいの想像はついているけれど、想像は想像だ。想像は記憶に成り変わることはないし、どんなに想像力を働かせても記憶がなければ実感することもできない。だからユイ先生には感謝はすれど、傷痕が消えたことに喜びなどは感じなかった。

 だけど私はそうでもベリト様はそうではない。

 彼女は私が傷を受けた経緯の記憶を持っている。

 私の受けた痛みを――心の痛みを彼女は知っている。

 その痛みで苦しむ姿を私は見たことがある。

 それもあり治療が終わったことをベリト様に伝えるかどうか、少し迷った。その所為で彼女が具合を悪くしないか心配だったから。

 でも黙っていてもいつかは彼女の力で視えてしまうだろうし、それを伝えず私を治療した人を訊くことも難しい。それならば直接、きちんと伝えたようと思った。

 その結果、ベリト様は喜んでくれた。

 彼女が喜んでくれると私も自分のことのように嬉しい。

 これで少しはベリト様が引き受けてくださった私の記憶が軽くなるといいのだけれど。


「それでベリト様は私を最初に治療してくださった治療士様をご存じなのですよね?」

「ん、まぁ」

「そのかたが誰か、教えていただけませんか?」

「なんで」

「感謝をお伝えしたいので」

「あぁ……ユイに訊かなかったのか」

「ユイ先生はベリト様にお願いするようにと仰っていました」


 あいつ、とベリト様が小さく呟く。


「そんなに言い辛いかたなのですか」

「いや、言い辛いというか面倒というか」

「ご面倒でしたら私も無理には」

「そういう意味ではない。面倒なヤツという意味だ」


 少し慌てた様子でベリト様はそう言うと、眉を寄せて私から虚空へと視線を移した。


「……まぁ、一応は訊いてみるが期待はするな」


 そう言ってその話は終わった。

 それから数日後、私の次の休みに治療士様が会ってくださる――お家に招かれたとベリト様が教えてくれた。

 でもその人が誰かまでは教えてくれなかった。なんでも着くまで教えないのが会う条件の一つらしい。そのことをベリト様は忌々しげに、もしくは面倒くさそうに私に告げた。その様子からして彼女もよく知っている人物らしい。

 気が進まなそうなベリト様には申し訳ないけれど、私はその人に会うのが楽しみだった。だって彼女はルナ様やユイ先生やデボラさんも『面倒なヤツ』と形容することがあるのだ。治療士様もきっと素敵なかたに違いない。

 そして次の休暇日、ベリト様と馬車に揺られてやってきたのは星都(せいと)の中央区にある閑静な住宅街だった。

 そこにある家はどこも塀に囲まれていた。立派な門構えのそばには門衛も立っていて、門扉から見えるのは広い庭と大きなお屋敷ばかり。ベリト様のお家も立派だけれど、ここのお屋敷はその比ではない。星城せいじょうの大きさと位置からして、おそらくここは中央区にある貴族が住まう区画に間違いないだろう。

 そんな大きなお屋敷ばかり見たのは生まれて初めてで、私は圧倒されながらも車窓を眺める。そうしているとやがて一際大きな門扉が見えてきた。門衛が開けたその門を馬車がくぐり抜ける。それから大きな庭の中心を速度を落としながら進むとお屋敷の前で停車した。車窓から見える玄関前には二人の男女――使用人だろう――が立っている。どうやら私たちの出迎えらしい。

 私は今さらながらに緊張を覚えた。まさかこんな立派なお屋敷に来ることになるとは思いもしなかったからだ。いや、その可能性は考えるべきだった。ベリト様の交友関係は何気に凄い人ばかりだし、私を助けてくれたルナ様に至っては王族なのだ。自分を治療した治療士様が貴族であってもなにもおかしくはない。


「このような格好でよかったのでしょうか」


 緊張に続いて私はいつもの私服であることが途端に不安になった。

 とはいえ普段着以上の服など、私は持っていないのだけれど。


「気にしなくていい」


 そう言ったベリト様はいつもの普段着ではなく、以前に歴史劇を見に行ったときぐらいの服を着ている。まだお仕事に行くようなキッチリとした格好をしていないのがせめてもの救いだ。

 馬車の扉が開いたので先にベリト様が降りる。それから手を差し伸べてくれたので、私はその手を支えに馬車から降りた。


「リベジウム様、ミッセル様、お待ちしておりました。どうぞ中へ」


 男性の使用人さんに案内されて玄関から中に入る。

 玄関ホールは広かった。白が基調の床や壁には綺麗な細工が施されており、壁の所々には大きな絵画が何枚も飾られている。天井から下がるシャンデリアも壁に取り付けられた魔灯(まとう)も煌びやかでどれも綺麗だ。


「ようこそ我が屋敷へ」


 見たこともない世界にまたもや圧倒されていると、上のほうから声が聞こえた。見ると玄関ホールの左右から弧線を描いて二階へと伸びる階段、その右側の階段から女性がゆっくりと下りて来ている。

 その顔を見て私は驚いた。アオユリ様だったからだ。

 そう。昨年に一度、ベリト様の仕事部屋でお会いした彼女の弟子の――ベリト様は頑なに否定されていたけれど――ルドレシア女伯爵。

 私は横にいるベリト様を見る。彼女は眉を寄せると『そうだ』とでも言うようにうなずいた。どうやら彼女がその治療士様で間違いないらしい。


「ルドレシア家の当主としてお二人を歓迎いたしますわ」


 アオユリ様は私たちの前までやって来ると、優雅に礼をした。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 こんな返しでいいのかとまた不安になりながら、私も礼をする。


「そう硬くならないで。貴女は貴族ではないのだからどうか自然体でいてちょうだい」


 そう言ってアオユリ様がベリト様を見た。その顔には意味深な微笑みが浮かんでいる。


「私も貴族ではない」

「あら、それにしては所作がお綺麗ですわよね。お言葉以外の、ですが」


 痛いところを突かれたようにベリト様が顔をしかめた。これは……彼女が貴族の出だと知っていていじっているのだろうか。いや、おそらくそうだろう。アオユリ様、ベリト様の反応を見て楽しげに笑っていらっしゃるから。


「さあ、立ち話もなんですからどうぞこちらへ」


 そう言ったアオユリ様の案内で辿り着いたのは、お屋敷二階のバルコニーだった。そこには真っ白なテーブルクロスが駆けられた丸いテーブルと、お洒落な椅子が三つ並んでいる。

 テーブルを囲んで三人で席につくと、玄関でお出迎えしてくれた女性の使用人さんがカップを用意し紅茶を注いでくれた。そして男性の使用人さんがそれぞれの前にケーキを置いていく。こういうおもてなしをされるのは初めてで自然と背筋が伸びる。

 準備が終わると、二人の使用人さんは礼をしてバルコニーから出て行った。


「どうぞ、召し上がってくださいな」


 迷うが先にベリト様がカップを持った。

 行動に躊躇がないところがなんだか流石と思ってしまう。


「いただきます」


 私も簡易のお祈り、手で星十字(せいじゅうじ)を切ってから紅茶を一口飲んだ。香りからそうではないかと思っていたけれどそれはアップルティーだった。私が日頃から好んで飲む紅茶だ。

 そういえば三人とも違うティーポットからカップに飲み物が注がれていた。アオユリ様のは紅茶だとは思うのだけれど、どの味かは見ただけでは分からない。でもベリト様のは色でわかる。珈琲だ。もしかしたらそれぞれの好みを調べてくださったのかもしれない。

 その細やかな配慮に感動を覚えながら、今度はケーキを一口食べた。

 チーズケーキだ。濃厚ながらに食感はふんわりとしていてとても美味しい。


「うちの調理士(シェフ)が作ったケーキはどうかしら?」

「凄く美味しいです」

「そう、よかった」


 私は続けてケーキを食べる。美味しいものを食べると幸せな気持ちになってつい頬が緩んでしまう。だけど三口目を食べたところで、アオユリ様が微笑ましそうにこちらを見ていることに気づき、気恥ずかしくなってフォークを置いた。

 そして思い出す。本来の目的を。

 美味しいものに心を奪われてそのことを忘れるところだった。


「あの、私、以前お会いしたときは知らなくて」

「そうでしょうね。わたくしが口止めをしておきましたから」

「え、と、どうしてですか」

「そのほうが美しいじゃない」

「うつく、しい」

「こいつの話をまともに聞かなくていい」


 アオユリ様の言うことが理解できず首を傾げてしまった私にベリト様が言った。


「あらあら、酷い言いわれようだこと」


 口に手を添えてアオユリ様が笑う。やはりその顔は楽しそうだ。

 ベリト様の言葉に臆することなく、むしろ彼女の反応を楽しむところはルナ様と似ている気がする。


「それにしても、先生がご招待に応じてくださるなんて感激ですわ」

「来たくて来たわけじゃない。お前が私も来なければこいつと会わないと言ったからだ」


 そう、だったんだ。初耳な情報に私は二人を交互に見てしまう。


「わたくしが何度ご招待させていただいても首を縦に振らなかった先生がそれを素直に受け入れるのですから、先生は余程彼女を可愛がっていらっしゃるのですね」


 ぐっとベリト様が口を結ぶ。否定されないだけでも密かに嬉しい気持ちになる。


「ユイも先生に振って正解でしたわ。わたくしも先生がおいでくださるというのならば断れないですもの」

「なんでそこまで」

「このわたくしの誘いを断るのは先生ぐらいですから」


 ふん、とベリト様が鼻を慣らす。


「くだらん貴族の自尊心か」

「せめて自負心と言っていただきたいですわね」


 アオユリ様が目を細めて笑う。お上品だけれどなんだか凄みがある微笑みだ。

 そこで二人はそれぞれ飲み物を口にする。

 私は会話が途切れたことを確認したのちに口を開いた。


「それでアオユリ様、遅くなりましたが治療してくださりありがとうございました。お陰様で今ではこうして元気に毎日が送れています」

「確かにわたくしは貴女の治療をしたけれど、ただそれだけのこと。その後、貴女が元の生活に戻れたのはベリト先生のお力やユイの継続治療、そして友人の助けや貴女自身の努力による賜よ。だから感謝するならばわたくしよりもその人たちにしなさい」

「はい」


 いつだってその気持ちは忘れないようにしている。

 だからそれには自信を持ってうなずくことができた。


「言うまでもなかったようね」


 アオユリ様は柔らかく微笑むと、手にしているカップを口に近づけた。だけどその手は、ふとした感じで止まる。それから部屋のほうへと顔を向けた。

 どうしたのだろうとそちらを見ると、誰かがバルコニーの扉を開けて入ってきた。その小さな影はそのままアオユリ様のそばへと駆け寄る。

 見るとそれは子供だった。十歳前後だろうか。女の子だ。



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