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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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大陸暦1978年――16 傷痕


 ユイ先生の手から生まれていた白光が小さくなった。

 それに伴いそれまで感じていた皮膚の引きつりが収まっていく。そして完全に光が消えると、それまで光に覆われていて見えなかった太股が露わになった。

 そこには先ほどまで薄らとあった傷痕が完全に無くなっている。それを確認するようにユイ先生は傷痕があった場所を指で撫でるとうなずいて言った。


「はい。衣服を整えていいですよ」


 私はまくり上げていた修道服のスカートを下ろす。


「これで治療は終わりになります。長い間、お疲れ様でした」

「こちらこそ長い間、治療していただきありがとうございました」


 私は椅子に座ったまま頭を下げた。

 傷痕を消す魔法は少しずつ綺麗な皮膚へと変換するものなので、傷を治すように一度や二度の治療で終わるものではない。継続的に治療をしてやっと傷痕が綺麗に無くなるぐらいに手間の掛かる魔法だ。その傷痕が一つだけならばまだしも、私の場合は全身に渡って傷痕が残っていた。その所為でユイ先生にはかなりの労力をかけてしまったと思う。

 実際、治療を始めてから今日まで二年以上の月日が経っていた。


「いえ。時間が掛かってしまいすみませんでしたね」


 時間が掛かったのは私の傷痕が多いのもあるけれど、ユイ先生が魔法が使えるとき、魔力に余裕がある日が週に一日あるかないかなのも原因ではあった。

 それも当り前だ。先生は色付きの聖女で星教(せいきょう)では指折りの癒し手(いやして)なのだ。常日頃から外国のお仕事や施しなどで魔法を使う機会が多く、とてもお忙しい。

 そういうこともあり多忙なユイ先生のお手を煩わせまいと卒院後に一度、自分で治療すると申し出たことがあった。だけど先生は傷痕を消す魔法は扱いが難しいからと了承はしてくれなかった。

 そのことは当時も、今も不思議に思っている。

 だって魔法は使わないと上達しないものだ。それはベリト様や治療学の先生、そしてユイ先生の口からも訊いたことがある。魔法は実際に使うことで洗練されより早く、正確に発現できるようになるのだと。

 だというのに先生は私が魔法を使うことを許してくれなかった。

 そのことを不思議に思いながらも、私はこれまでなんとなしにその理由を問うことが出来なかった。

 でも、今日で治療も終わりなのだ。

 この際だと、私はずっと疑問に思っていたそのことを訊いてみることにした。


「もし治療痕に違和感を覚えることがありましたら言ってくださいね」


 執務机に向かったユイ先生が治療記録にペンを走らせながら言った。


「はい。……ユイ先生。訊いてもいいですか」

「なんでしょう」手を止めて先生がこちらを見る。

「どうして私が自分で治療することを許してくださらなかったのですか」


 意外な質問だったのか、ユイ先生は驚くように少し眉を上げた。


「難しい魔法だとしても、自分で練習ができるのならばこれ以上の機会はないと思うのですが」

「貴女の言うとおりです」ユイ先生はペンを置くと、こちらに向き直った。「それが分かっていながらもその機会を奪ってしまったのは、私の勝手な思いからです」


 勝手な、思い。


「アルバから聞いたのでしょう? 貴女が私の教え子だということは」

「あ、はい」


 アルバさんからそれを聞いたのは卒院前、配属先とベリト様のお家に住むのが決まったときのことだ。あのとき彼女は私が覚えていないことを口にしてしまったと少し気にしていた。それをユイ先生が知っているということは後ほど、アルバさんが報告をしたのだろう。


「私が貴女を教えるようになったのは、貴女が最初に入ったホルスト修道院の院長に頼まれたのが切っ掛けでした。ホルストには貴女を教えられる先生がいないので週一で先生を貸してもらえないかと」


 そう。元よりホルスト修道院には神星(しんしょう)魔法の素養者を育てる環境が整っていなかった。それなのになぜ私がそこに入ったのかは最近、ベリト様が私の記憶を少しずつ話してくれているので知っている。

 私がそう希望したからだ。なるべく地元から近い場所にいたいと我儘を言って。それを私は強く希望したわけではないらしいのだけれど、星教(せいきょう)は便宜を図ってくださったようだ。


「ですが、それでどうしてユイ先生が」

「最初に私が赴いたのは、ルコラのどの先生が貴女を教えるのに適しているのかを見極めるためでした。多人数で授業を受けるならまだしも二人きりで授業をするわけですから、出来るだけ相性のいい先生を付けるべきかと思いまして。しかし、熱心かつ楽しそうに学ぶ貴女の姿を見ているうちに、自分で育ててみたいと思う気持ちが強くなったのです」


 そのように思ってくれていたことに感動を覚えると同時に、申し訳ない気持ちも湧いてくる。だって私はユイ先生に習ったことを何一つ、覚えていないのだから。


「そういうわけで貴女の先生は私自身が引き受け、それから五年近く私たちは二人で授業をしていました」


 私がルコラ修道院(ここ)に移るまで、ということだ。


「私もこれまで各地の修道院で教壇に立ったり、ここでも個別授業をすることはありますが、一から十を教えているわけではありません。ここには私以外にも神星(しんしょう)学を教えられる先生がいらっしゃいますし、今では全てをお任せしていますので。それは貴女も知ってはいますね」


 私はうなずく。私は六年生になってやっとみんなと一緒に授業が受けられるようになったけれど、ユイ先生が教壇に立ったのを見たことは一度もない。先生の言う通り時折、個別授業を受けるぐらいだ。それは先生がお忙しい身だからだろう。


「つまりこれまで私が全てを教えた子は、本当に教え子と呼べるのは貴女だけなのです。その分、貴女には思い入れも強かった。だから貴女が行方不明になったとき、私はルナに話したのです。私の個人的な思いで彼女を頼るのは申し訳ないと思いながらもそうせずにはいられなかった。その結果、ルナは貴女の居場所を突き止めてくれましたが、救出の際に私の同行を許してはくれませんでした。貴女の状態がよくないことは予測できていたからでしょう」


 私にはもちろんそのときの記憶はない。だけど私の過去に対するベリト様の態度と、全身の傷痕でその状態というのは想像ができる。


「私の代わりに同行した治療士は腕のいい神星(しんしょう)魔道士でした。それこそこの星都(せいと)では彼女以上の治療士はいないというぐらいに。なのでそこは心配をしていませんでした。実際、彼女は貴女の命を繋ぎ留めてくれましたし、彼女でなければ貴女は助からなかったでしょう」


 それほどの人が治療をしてくれていたなんて、知らなかった。


「そのあとベリトが貴女を救い、それで私も一先ず安心はしました。しかしそれでも思ったのです。私も貴女のためになにかしたいと」

「ユイ先生……」

「貴女をここで引き受けたのも、傷痕の治療もそのことがあったからです」


 ユイ先生が苦笑を浮かべる。


「これらは全て私の都合、私の我儘です。その所為で貴女をホルストで卒院させてあげられなかったこと、そして傷痕の治療が遅れてしまったこと、きちんと詫びるべきでした。すみません」

「そんな」


 頭を下げたユイ先生に、私は慌てて言った。


「先生がそこまで思っていてくださって私凄く、嬉しいです」


 ここに来てからずっとユイ先生は私を気遣って親切にしてくれていたけれど、それほどまでに私のことを考えてくれてのことだなんて思いもしなかった。


「だからこそ申し訳なく思います。私は先生の教えを何一つ、覚えていないのですから」

「それは仕方のないことですし、貴女の所為でもありません」

「いいえ。私の所為です。その人達に捕まったのは自分の不注意によるものだと思いますから」


 もちろんその記憶も私の中にはないけれど、私を捕まえた人達の口振りからしてそれは間違いないと思う。以前の私は自分の身の安全よりも、誰かを助けることのほうが大事だったから。

 その結果、私を助けるためにベリト様は記憶を引き受けてくれたのだけれど、記憶を失ったのは私を捕まえた人達でも彼女の所為でもない。自分の所為だ。自分の行動の結果、私はホルスト修道院の記憶やユイ先生に教わったことの全てを失うことになった。そう、全ては私の責任、自業自得なのだ。


「それでも貴女は全てを失ったわけではないと思います」

「え」私は申し訳なさから下がっていた視線を上げた。

「ベリトが言っていましたよ。貴女が短い期間で五年分の勉強を取り戻せたのは貴女の努力によるところも大きいですが、おそらくは私が教えたことが記憶とは別のどこかに残っているのもあるからではないかと」


 記憶とは別に――それを聞いて私の手は自然と胸元へと動いていた。

 そうか……そうかもしれない。

 私がベリト様に助けられたことを心のどこかで覚えていたように、私の心はユイ先生に教わったことを覚えてくれていたのかもしれない。

 治療士になるための――人を助けるために必要な知識は今も、そしてきっと昔も私にとっては大事なものだから。


「それに、どのようなことがあっても貴女が私の大事な教え子であることは変わりありません。これまでも、これから先も」

「ユイ先生……ありがとうございます」


 ユイ先生は優しく微笑んでくれると、手で外を指した。


「さ、アルバが待っていますよ」


 そうだったと私は椅子から立ち上がる。今はお仕事の就業後で、アルバさんは別室で私の治療が終わるのを待ってくれているのだ。

 私は座っていた椅子を持ち、部屋の隅に片す。そしてそこでふと、思い至った。


「ユイ先生、私を治療してくださったかたのことですが、それが誰なのかは教えていただくことは可能でしょうか」


 私がこうして元気に過ごせているのは、最初に治療してくださったその人のお陰でもある。

 傷痕の治療も完全に終わったことだしこれを機に一言、お礼をお伝えしたい。


「そうですね……」


 私の言葉にユイ先生は困ったように眉尻を下げた。そういう反応をされるのは私としても予想外で、訊いてはいけないことだったのだろうかと不安になる。

 やがてユイ先生は困り顔そのままに、だけど微笑みを浮かべて言った。


「それについてはベリトにお願いしてみてください」

「ベリト様に、ですか」


 これまた予想外な名前が出てきて私は驚いた。


「えぇ。そのほうが可能性は高いと思いますから」


 可能性は、高い?


「分かりました」


 その言い回しを不思議に感じながらも、これ以上アルバさんをお待たせするわけにはいかないと思い、私はそれを確認することなく院長室をあとにした。



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