大陸暦1978年――15 団長
関係者入口から劇場内に入った私たちはルナ様の案内で、ある部屋の前まで辿り着いた。
両開きの扉の上には団長室と書かれている。ということはもしかして――そう思いながらルナ様を見ると、彼女は私の考えを肯定するように微笑んでから扉を叩いた。
するとすぐに中から「どうぞー」と声が聞こえてきた。男性の声だ。
ルナ様が扉を開けて部屋の中に入ったので、私たちも彼女に続く。
部屋は縦長で広かった。手前には向かい合わせのソファや応接机が、奥には執務机がある。執務机の周りは棚でいっぱいで、その中には沢山の書類などが見えた。
その執務机の前には一人の男性が座っていた。
「いらっしゃーい」
男性はかけていた眼鏡を外しながらそう言うと、椅子から立ち上がった。そしてこちらへ軽い足取りで歩いてきて、そのままユイ先生を抱擁する。
「ユイちゃん、久しぶりー」
「ご無沙汰しております」
ユイ先生が抱擁を返し、二人は離れる。
「ほんとよーなかなか顔見せてくれないんだもの。元気にしてた?」
「えぇ。この度も便宜を図っていただきありがとうございます」
どうやらユイ先生は男性と知り合いらしい。
「もう毎回、畏まらないでよう。あたしとユイちゃんの仲じゃない。本当はお代金だっていらないのに」
「そういうわけにはいきません」
「相変わらず真面目さんねえ。まあ、そんなところも好きだけど」
片目をつぶって男性が笑う。その言葉使いと仕草が女性らしくて、私は面を喰らってしまう。それはアルバさんも同じようで、彼女も横で目を瞬かせていた。
それで、と男性がこちらを見る。
「こちらがお連れさんね。あら、やだ! どうしたのー? みんな揃って顔が良いじゃない」
手で口許を隠して、男性が驚く。
「中性的な美少女に正当派な美少女、そして神秘的な女性、三人ともタイプが違って凄くいいわあ。どう? みんなまとめてうちにこない? 損はさせないわよ」
真剣な眼差しでそう言われて困っていると「フォル」とルナ様が言った。
苦笑する彼女を見て、男性がはっとする。
「あら、ごめんなさい。原石を見ちゃうとつい我を忘れちゃって」
男性は上品に笑うと、手を前にして恭しく礼をした。
「ようこそ星都劇場へ。星霜劇団の団長フォルデ・エルドランよ。三人のことはルナちゃんから聞いてるわ。よろしくね」
挨拶を返す前にフォルデさんは「さあさあ、立ち話もなんだから座ってちょうだい」と手でソファを指し示した。
「まだ公演までは時間があるからお茶をご馳走するわ」
ルナ様とユイ先生がソファに座ったので、私とベリト様も向かいのソファに座る。アルバさんは少し迷ったのちに私の隣に座った。
フォルデさんはまだ座らず、机に用意されていたカップに紅茶を注いでくれている。
私はその様子を見ながら自然と彼の顔に目が行った。
どことなく人間離れした綺麗な顔立ち。
ユイ先生に負けないぐらいに長くまっすぐな金髪。
そして緑の瞳に、長く尖った耳。
星霜劇団の団長がエルフだということは新聞にも載っていたことがあるので知ってはいたけれど、いざ目の当たりにするとその神秘的な雰囲気に私の目は釘付けになった。
まるでおとぎ話の住民のようだと思いながらじっと見てしまっていると、視線を上げたフォルデさんと目が会った。
「可愛い子に熱視線を向けられたら照れちゃうわ」
「す、すみません」
失礼なことをしてしまったと慌てて謝ると、フォルデさんは上品に笑った。
「謝らなくていいのよう。見られるのは好きだから。それにきっとエルフを見るのは始めてでしょう?」
「はい」
「そんなの珍しくて見ちゃうわよねえ。あたしだってベリトちゃん見ちゃうもの」
ベリト、ちゃん。
私は思わず隣のベリト様を見た。彼女の眉根は普段よりも寄っている。
「鳴賀椰族の黒髪に珍しい金の瞳、とても神秘的だわあ。またそれらが白狼国の女性の特徴であるハッキリとした目鼻立ちにもよく似合ってるわよね」
フォルデさんの言葉にベリト様が睨むようにルナ様を見た。それに彼女は眉を上げて首を振る。
「ルナちゃんに聞いたわけじゃないわよ。あたしが見て分かっただけ。うちは海外公演もするし、あたしはスカウトをするのも仕事だから、国ごとの人間の特徴はよく覚えているの」
ふふっとフォルデさんは笑うと、持っていたティーポットを置いた。それからカップを一人一人、前へと出してくれる。
「うちにも白狼国の出身者は何人かいるけれど、あの国の人間は顔立ちがハッキリしているから舞台映えするのよね。特にベリトちゃんは元の顔が良いから、舞台に立ったら凄く人気が出ると思うのだけど。そうねえ。男装の麗人役とかいいわねえ。ねえ、試しに今度一回、出てみない?」
「断る。あとちゃん付けで呼ぶな」
最初は我慢したようだけれど、二度目はできなかったようだ。
「それは許してちょうだいよう。人間で言うと貴女たちはあたしの孫みたいな年なんだから」
「見えま、せんね」
思わずそう言うと、フォルデさんは可笑しそうに笑った。
「やだ、エルフなんだから当り前じゃない。あぁでも、これでもお肌の手入れには気を遣っているのよ? いくら成長が止まるとはいえ、お肌を蔑ろにしていたらやっぱり荒れちゃうから」
そう言いながらフォルデさんは向かいのソファに座ると、手で飲み物を勧めた。
「これもその一つ。さぁ、召し上がれ」
「いただきます」
私たちはそれぞれカップを手に取るとそれを口にした。味自体は紅茶っぽくて美味しいのだけれど、胸の中がすうとするというか、涼しくなるような不思議な感じがする。
「どうかしら」
「美味しいです」
「お口に合ってよかったわ。これね、エルフの森――故郷に実る葉のお茶でね。お肌にとってもいいの」
そう言われると単純なものでお肌に効いている気がしてくる。
お肌のことなんて卒院するまでは気にしたこともなかったけれど、今はデボラさんに『若い内からきちんとお手入れをしておかないと後悔しますよ』と言われて色々と教えてもくれるので、最低限の手入れはしている。
「こちらでも売っているものなのですか?」
デボラさんもお肌には気を遣っているのようなので、教えてあげたら喜ぶかと思い私は訊いてみた。
「ううん。残念ながら売ってはいないの。エルフが毎日のように飲むものだし、自然の実りに任せているから外に売り出すほどの量はなくてねえ」
「昔に外でも栽培できるか竜王国が試したことがあるのだけれど、駄目だったのよね」
ルナ様が言った。
「そうなの。このお茶の葉だけでなく、エルフの森にはそこでしか育たない植物が多くあって、あたしたちはそれらの実りを精霊の加護のたまものと考えているわ。森には外より精霊が多いからね。だから精霊には毎日感謝を忘れないの」
「なんだか素敵な考え方ですね」
「それを素敵と思えるフラウリアちゃんも素敵よう」
そう言い返されて、少し気恥ずかしくなる。
それにフォルデさんは笑うと、カップを置いて両手のひらを合わせた。
「フラウリアちゃんとベリトちゃんはうちで見るのは初めてなのよね」
「はい。なので凄く楽しみです」
「あらー。顔一杯に楽しみにしてくれて嬉しいわあ」
「団長さんも舞台に立たれるのですか」
いつか違う劇団の記事で団長も舞台に立っているようなことが書いてあったのだけれど。
「そうしたいのは山々なのだけれど、あたし大根役者に音痴でねえ。折角、舞台に憧れて叔父を頼りに森を出たのに、それに気づいたときには絶望したわ」
言葉通り、団長さんは絶望いっぱいの表情を浮かべた。とても大根役者とは思えない。
「大根はともかく音痴は森では誰もなにも言わなくて、精霊にさえも気を遣われてて。優しいって言うのは時に残酷ね」
「それで団長さんに」
「えぇ。先代の叔父が経営や指導者には向いているって言ってくれて」
「叔父様の目は間違いなかったわね」ルナ様が言った。
「ふふっそうね。自慢じゃないけれどあたしが団長になってから国内だけでなく海外公演の依頼が増えたのは確かね。まあ、一番はうちの子たちが頑張ってくれているお陰だけれど。特に今人気の舞台俳優はみんな、あたしがスカウトした自慢の子だから」
フォルデさんの表情が緩む。その顔から彼が劇団員を本当に大事にしているのが伝わってくる。
「でもねえ、一番欲しかった宝石は二回連続で手に入らず」
そう言ってフォルデさんが見たのはユイ先生だった。
「それで知り合いか」
ベリト様が言った。どうやら彼女もユイ先生と彼が知り合いなのを知っていたらしい。
それにユイ先生が困ったように「まぁ」と微笑む。
「フォルはね、ユイのお母様とユイ、二人をスカウトしたことがあるの」
そう説明をしてくれたのはルナ様だった。
「ユイさんのお母さんも歌を歌っていたのですか」アルバさんが少し驚きながら訊く。
「えぇ。趣味で、ですが」
「あれは趣味なんてものじゃないわ。歌の女神が与えた歌声よ。故郷にも歌が上手い子は沢山いたけれど、貴女たち親子ほど精霊を喜ばせる歌い手は現世にはいないわ」
褒められて気恥ずかしそうにユイ先生の眉尻が下がる。
「だからこそフィーナちゃん、ユイちゃんのお母様に断られたときは本当に衝撃でねえ。でも仕方がないわよね。あがり症だというし無理に歌ってもらったとしても本来の歌声にはならないもの。私は偶然にもその歌声を聴くことができたのだけれど、一度だけでも聴けたことを運が良かったと思って諦めたわ」
そのときを思い出しているのだろうか、フォルデさんは首元に手を当てて上を見た。
「でもね。何十年経ってもその歌声を忘れることはなかったわ。そんな時ね、ルナちゃんとお知り合いになれたのは。ルナちゃん以前からうちをご贔屓にしてくれていたみたいで、お話ししたら意気投合しちゃって。それで星祭にも招いてくれたのよね」
「えぇ」ルナ様がうなずく。
「あたしも長いこと星都には住んでいるけれど、それまで星祭には縁がなくてね。エルフは星教みたいに二神ではなくその片割れ、歌の女神アスファンテスと精霊信仰だから。でも星教に素敵な歌い手がいることは耳に入っていてね。だから楽しみにしていたのだけれど、実際にユイちゃんを見て歌を聴いたときはそれはもう驚いたわ。だって顔も歌もフィーナちゃんにそっくりだったのだもの」
フォルデさんが両手のひらを見せて驚く。
「ルナちゃんに訊けばこれまたびっくり、彼女の娘さんだと言うじゃない。これは運命だと思って星祭が終わって早速、誘っちゃったわ。修道女を辞めてうちに来ないって。でもやっぱり断られちゃって」
がっくりと肩を落とす。……本当に大根役者なのだろうか。
「だからあれ以来、毎年ユイちゃんが歌う星祭で自分を慰めているの。もちろん星祭のユイちゃんも凄く素敵よ? でもやっぱりあたしの舞台で歌ってほしいなんて夢見ちゃうわ」
フォルデさんは目を細めてユイ先生を見る。けれどやがて伏し目がちでふっと笑うと、こちらを見て微笑んだ。
「とはいえ、もちろんうちの子たちの歌もユイちゃんに負けじと素敵だから、是非楽しんでいってね」




