大陸暦1975年――05 二人の接点
「あの、宜しかったのですか?」
執務机の椅子に座りながら、私はベリト様に訊いた。
「何が」
彼女も椅子に腰を落とし、足と腕を組む。
「ルナ様、ベリト様にご用だったのでは」
「用がなくても来るんだよあいつは」
苛立たしげに、あるいは諦めたかのようにベリト様は息を吐いた。
それはあたかもルナ様を嫌っているかのような態度だけれど、でも私には不思議と本気で嫌がっているようには見えなかった。先ほどのお二人のやり取りといい、憎まれ口を叩きつつもルナ様のことを受け入れているような、そんな印象を受ける。
何だかそれだけでもお二人の関係性が垣間見えた気がして、私は微笑ましい気持ちになった。きっとお二人は良い関係を築いているのだろう。ルナ様は快活そうな方だから、それが意外とベリト様に合うのかもしれない。
それにしても、お二人は本当にご友人なのだなと改めて思った。
もちろんルナ様が嘘をついているとは微塵も思ってはいなかったけれど、それでもやはり彼女の身分からすれば、この目で見るまでは信じがたかったのも事実だった。
そしてふと思う。この流れならば訊けるのではないかと。
「あの」
私が口を開くと、ベリト様は、なんだ、とでも言うように視線だけをこちらに向けた。
「ベリト様はどのようにしてルナ様とお知り合いになったのですか」
それは先日、ルナ様と初めてお会いした時に思ったことだった。
どうして王族であるルナ様が、開業もしていない治療士であるベリト様とお知り合いなのかと。
ベリト様は眉を寄せると、私から視線を外して黙りこくった。
その反応に私は心配になる。まだ訊くのは早かっただろうか。それとも訊くこと自体が不味い話題だったのだろうか。
「立ち入ったことを訊いてすみません。お答えしたくなければ」
「そういうわけじゃない」
慌てて取り繕うとしたら、ベリト様が私の言葉を遮るように否定した。
「少し、考えていただけだ」
どうやらベリト様はどう説明するか迷っていたらしい。
早とちりして思い違いをしてしまっていたようだ。これからは少しばかり反応を待つことにしよう、と私は反省しながら彼女の言葉を待つ。
やがて少しの沈黙のあと、ベリト様は口を開いた。
「あいつがマドリックなのは……マドリックを知っているか」
「どちらも知っています」
「マドリックに魔法が効かないことは?」
「それも知っています」
魔法というものは、人が体内に持つ粒子を使い、大気に存在する粒子に働きかけて様々な現象の発現を促す行為のことをいう。
分類は大きく三つ、攻撃魔法、防御魔法、そして治療魔法を含む補助魔法に分けられており、中でも補助魔法は人体そのものに様々な効果をもたらすことができる。
補助魔法の仕組みは攻撃魔法や防御魔法とは違い、魔法を使用する人間の体内の粒子を使って対象の体内の粒子そのものに働きかけるもので、そのことから体内に粒子がない人間には作用しない。
つまりは体内に粒子を持たないマドリックには――ルナ様には補助魔法が効かない。
怪我をしたとしても、魔法では治すことができない。
「私には魔法を使わない治療方法の知識がある。だからだ」
そう言ってベリト様は口を閉じた。
少し待ってみたけれど彼女はそれ以上、何も言わなかった。
どうやらこれで話しは終わりらしい。黙考していたにしては非常に簡潔な説明に、私は勝手ながら肩すかしを食らった気持ちになった。分かりやすくはあるのだけれど、何だか話しを上手くはぐらかされたような、そんな感じがしてしまう。
でも、それも仕方のないことだとも思う。ベリト様と出会って間もない私は、彼女にそこまで聞かせてもらえるほどの友好な関係を築いているとは言えないから。
それでもと、差し障りのない程度にもう少し訊いてみることにした。
「それはベリト様がルナ様の専属治療士、ということですか?」
「不本意だがな」
それが憎まれ口であり本音ではないということは、もう私にも何となく分かった。
「そういう知識を持つ人は少ないのですか?」
「少ない。そんな面倒なこと、酔狂か必要に迫られないと普通は学ばないからな」
ベリト様はどちらなのですか。どうしてそれを学ぼうと思ったのですか。どこで学ばれたのですか――と次々に疑問は浮かんできたけれど、それらを口に出すことは我慢した。
これ以上は彼女の人生に立ち入ることになりそうだったし、それにルナ様とのことも全てを話してもらえない以上、それを訊くのは早い気がしたから。
それにしても。
ルナ様への治療はどのように行なうのだろう。
私にはマドリックへの治療に対する知識はないので確かなことは言えないけれど、おそらく基本的な処置は傷口を縫ったりするのではないかと思う。壁区でも魔法治療が受けられない人がそういう処置をすることがあったから。
けれど、そうだとすると気になることが一つ出てくる。
人に触れられたくないベリト様がどうやってそれを行なうのかということだ。
それに関しては魔法治療でも同じではあるのだけれど、実際に傷口を縫うとなると負傷者にずっと触れていないと流石に難しい。それは実際に縫われている人を見たことがあるから分かる。
そうなるとベリト様は、人に触れることはできるということになる。
触れられたくないけれど、人には触れられる。
それはいったい、どういうことなのだろうか。
ルナ様だから大丈夫なのだろうか。それともその時だけ我慢しているとか……? 我慢すれば触れられる程度の理由なのだろうか。
私は一人、頭を悩ます。
……何だかこれでまた、ベリト様の謎が増えた気がする。
話せば話すほど、知りたいことが増えていく。
そして知りたい衝動も強くなっていく。
彼女のことを、もっとよく知りたい。
そう強く思うこの気持ちはいったい、何なのだろう。
そんなことを考えていると、ふと視線に気づいた。
当り前だけれどそれはベリト様だった。
彼女は言葉を返さず黙ってしまった私を訝しげに見ている。
そうか。会話としては切りが悪くはある。何か言わないと。
「ルナ様は王族であらせられるのに、とても気さくなかたですよ、ね」
そう誤魔化すように口にしてからすぐに『そうなんですね』とでも返せばよかったと後悔した。全く関係のない話題ではないけれど、会話の繋げかたが流石に不自然すぎる。
案の定、ベリト様は露骨な話題転換を怪しむように片眉を上げた。
私はそれに気づかない振りをして、何事もないように微笑みを維持する。
目の瞬きは多いかもしれないけれど、微笑みは自然を保てていると自覚している。それはやましいことがないからこそ出来ることだった。
誤魔化すように口にしたとはいえ、言ったこと自体は嘘ではなかったから。
ルナ様には最初こそ、その肩書きの高貴さに酷く緊張したけれど、今日は不思議とほぼ緊張はしなかった。
それは彼女の醸し出す雰囲気によるものだと私は思う。
何というかルナ様には――失礼かもしれないけれど――身分違いを突きつけられるような高貴らしさがあまり感じられない。それどころか逆に親しみを抱いてしまうような独特の空気感すらある気がする。
私はほかの王族や貴族に会ったことがないのでそれが普通なのかは分からないけれど、でも自分はルナ様にそういう印象を抱いたのだった。
ベリト様は数秒ほど私を見たあと、視線を外して息を吐いた。
「まぁ、あいつは育ちが庶民みたいなものだからな」
そしていつもの調子でそう言った。なんとか受け流していただけたらしい。
そのことに胸をなで下ろしながらも、王族なのに庶民? と疑問に思った。
その意味が分からなくて小首を傾げてしまうと、疑問に答えるようにベリト様が言った。
「あいつはガキのころ修道院に放り込まれたんだ」
あ、とそこで私は気づく。
「だからユイ先生とお知り合いなのですね」
「あぁ。ユイがあいつの世話役だったらしい」
世話役、ということは私とアルバさんみたいな関係だ。
そういえば、とルナ様と院長室に訪れた時のことを思い返す。
今思えば、お二人の間には遠慮というものが見られなかった。あの時はまだ謎の女性であったルナ様が気になってそこまで気が回らなかったけれど、今ならお二人が見知った間柄なのがよく分かる。
「話は終わりだ」ベリト様は息を吐くと、椅子に寄りかかりながら言った。「昼食までには戻らないといけないんだろ。覚えたところを説明してみろ」
「はい」
ベリト様について知りたいことが増えてしまったけれど、それでも今日は色んなことをお話しできたな――。
そのことを嬉しく思いながら、私は覚えた内容を彼女の前で披露した。




