大陸暦1978年――14 口止め
そのあともフラウリアの様子は変だった。
夕食までの時間にはいつも以上によく喋り、夕食中もデボラのことを呼び止めてはなにかと料理のことをあれこれ訊いていた。その不自然さにはデボラも気づかないわけがないわけで、こちらを覗いながらもフラウリアに付き合っていた。
食事が終わると、フラウリアは片付けを手伝うと言って食器を乗せたワゴンを手にさっさと食堂を出て行った。それを呆然に近い気持ちで見送った私にデボラは『喧嘩、ではないですよねぇ』と独り言のように呟くと、不思議そうな様子でフラウリアの後を追った。
そんなこんなで夜になり、いつものように自室のソファでフラウリアと話をしていたのだが、こいつの様子は相変わらずだった。次々と話題を出してはよく喋る。辛うじて相槌はできるがそれ以上のことは言えない。まるで私に喋る隙を与えないようにしているかのようだ。
それでも私は敢えてなにも言わず、こいつのお喋りに黙って付き合った。
そうして寝る時間になったので、会話が途切れたのを見計らってなんとか私は言った。
「そろそろ寝るか」
それになぜかフラウリアの顔が強張る。
「今日、ルナ様、お休みなのですか」
「休みではないが、あいつ今夜はずっと書類仕事するから待機しなくていいと連絡があったと言わなかったか」
今日こいつが仕事から帰ってすぐに言った気がするのだが。そしてこいつもそれを喜んでいたはずなのだが……。
「聞いた、ような気もします」
そう答えたフラウリアの視線は落ち着きがない。
それに気づかない振りをして、私はソファから立ってベッドにあがった。フラウリアもぎこちない動きで反対側からベッドにあがってくる。そして正座をすると、なにやら言いたげにもじもじとし始めた。
「どうした」
「ええと、その、夕方のことなのですが……」
「そのことならもう気にしてはいない」
気にはしているが。言われてそうだ、あの二人に知られたのだとまた気落ちしそうにはなったが。
「そうではなくて、ベリト様に問われたとき私――」
そこでフラウリアはきゅっと口を結ぶと俯いた。
……まぁ、こいつの様子が変なのはそのことだろうなとは思っていた。
思い浮かべたことを私に視られたと思い、それを気にしているのだろうと。
そしてよく喋っていたのは、そのことに触れてほしくなかったからだろう。
「視えていない」
私の言葉にフラウリアが顔を上げる。
「私も無理に視ようとして悪かった」
「いえ……! それはお話ししてしまった挙句にベリト様を笑った私がいけなかったわけで、ベリト様が悪いわけでは」
「それならもうお互いに気にしないでいいだろ」
「そう、ですが……」
またフラウリアが俯く。
「まだなにかあるのか」
「……その、今日のことが記憶になったとして」
そこで言葉が止まったので、私は「あぁ」と相槌を打つ。
「……今日、私が思い浮かべたことも、それは視えるのですか……?」
「心の声は視えない。だがそれ以外は視える」
私の返しにフラウリアがまるでこの世の終わりとでもいうような顔を浮かべた。
その顔があまりにも悲壮感に満ちていて、思わず笑いそうになる。だが流石に深刻になっている人間を笑うのは不味いと我慢した。
「そんなに視られたくないのか」
「だって私……とても、はしたないことを思い浮かべましたから」
はしたないこと……?
「ベリト様、きっと呆れられます。それどころかお嫌いになるかもしれません」
……嫌いになる?
私が?
こいつを?
「はっ」
それには流石に私も笑ってしまっていた。
「……ベリト様?」
泣きそうな顔で、フラウリアが俯いていた顔を上げる。
「私はお前の根元を視ている。今さらお前を嫌いになるなど無いよ」
「でも……」
「それともお前はこれからもずっとそれを気にして、私に触れてくれないのか?」
フラウリアは目を開くと、続いて顔をゆがませた。
「――ずるいです」
そうだな。私もそう思う。
お前がそれを拒否しないと、できないとわかっていて、私はそう言っているのだから。
私はフラウリアに手を差し出す。
それをフラウリアは落ち着きなく見ると、恐る恐る自分の手を乗せた。
その触れた手から、記憶と感情が流れ込んでくる。
羞恥と恐れの色、そして今まさにこいつが意識を向けている夕方の記憶が。
その記憶の中で、私の問いにフラウリアが思い浮かべたもの――。
――それは、本だった。
開かれた本。
今年の、まだ新しめの記憶だから本の文章まで鮮明に視える。
その文章には見覚えがあった。軽くだが私も読んだことがある。
そう、それを読んだフラウリアの様子がおかしくて、内容を確かめるために読んだあの恋愛小説――。
……なるほどな。
私は内心で苦笑すると、乗せられた手を握って引き寄せた。
驚くフラウリアの左頬に手を添えて、その唇に口づける。
それから離れるとこいつは目を見開いて硬直していた。
瞬きもせず、じっとこちらを見ている。
だがやがて唇が小刻みに震え出すと、顔がみるみる赤くなった。
その様子に口端が上がるのを感じながら私は言う。
「これで口止めだな」
それにフラウリアは沈むように身を小さくすると、赤い顔で力なく。
「ずるいです……」
そう抗議を口にしたのだった。




