大陸暦1978年――14 良いこと
ほうきを動かすと、しゃっしゃっ、と音が鳴った。
その心地良い音を聞きながら、木から落ちた葉をほうきで掻き集める。
木に新しい芽が息吹く春季は古い葉が落ちる時期だ。普段からこの正面広場は見習いが掃除をしてはいるのだけれど、その間にも次々と葉は落ちてくる。
それが外庭ならまだしも、この正面広場は修道院を訪れた来客がまず一番に見る場所だ。私は落ち葉がある地面も季節が感じられて好きだけれど、訪れた人からしたら綺麗にしていたほうが気持ちがいいだろう。
そう思いこうして落ち葉が落ちる時期は、隙間時間に掃除をしている。掃除自体は好きなので、これはもう仕事というよりは趣味みたいなものだ。それに加えて気分も良いので鼻歌まで口ずさんでしまう。
授業中で見習いの目がないのをいいことに、そのまま鼻歌交じりで掃除をしていると。
「精が出るわね」
と背後から声をかけられた。掃除に夢中だった私は驚きながら振り返る。
そこにはルナ様とユイ先生がいた。お二人は並んでこちらに歩いてきている。
鼻歌を聞かれてしまっただろうか――そう気恥ずかしくなりながら私は挨拶をした。
「ルナ様、ユイ先生。こんにちわ」
「こんにちわ」
ユイ先生が小さく頭を下げて、ルナ様が軽く手を上げる。
「こんにちわ。久しぶりね。元気だった?」
「はい。元気です」
「あら、いいお返事」
ルナ様が笑う。彼女と会うのは先月の終わりにここでお会いして以来だ。
ユイ先生も今月はあまり修道院におられなかったので、申し送り以外でお話しするのは久しぶりな気がする。
年明けは国内外とも国や星教の式典や祭事も多いから、王族であるルナ様も青の聖女であるユイ先生もお忙しかったのだろう。
「フラウリア。掃除をしていただけるのはとてもありがたいのですが、きちんと休憩も取ってくださいね」
「大丈夫です。掃除が休憩みたいなものですから」
「掃除が休憩って凄いわね」
驚き笑うルナ様の横で、ユイ先生は困り顔を浮かべている。
それで私は、はっとして言葉を付け加えた。
「休憩もきちんと取っていますから」
「そうですか」
それにはユイ先生も安心するように微笑んでくれた。先生は私が働き過ぎていないか心配してくれていたのだ。
そのように気遣ってくれるのはとても嬉しいけれど。
「お二人こそ休まれていますか?」
そう。私なんかよりもお忙しい二人が休みを取れているのかが心配だ。
「私は合間合間に休んでるけど、ユイはどうかしらねぇ」
半眼で微笑んだルナ様がユイ先生を見る。
「今、休憩しています」
「それも私が連れ出したからだけどね」
「貴女がいないときも、リエナ先生に言われたら休んでいます」
リエナ先生はここルコラ修道院の副院長のことだ。あまり表情の変化がないからか下の見習いには怖がられているけれど、見習いだけでなく先生一人一人にも気を配ってくれるとても優しい人だ。
「リエナには素直じゃない」
「一度、怒らせていますから」
「あぁ。熱あるのに仕事してたときね。懐かしい」
「熱があるのに」
思わず言葉を反復すると、ユイ先生が面目なさそうに苦笑した。
「昔の話、若気の至りです。決して真似をしないでください」
「そうそう。フラウリアも具合が悪いときは遠慮なく休まないと駄目よ? でないとリエナにお説教されるから。いや、貴女の場合はリエナだけじゃないわね。ユイはもちろんベリトもうるさく言うと思うわよ」
怒りながらも心配してくれるお二人がありありと想像できて、私は頬が緩んでしまう。
「はい。気をつけます」
「よし。まぁ、ともかく私もユイも、休めるときに休んでいるみたいね」
話をまとめるようにルナ様が言った。
「それはよかったです。もう春のお仕事は落ち着かれたのですか?」
「えぇ」ユイ先生がうなずく。
「私もやっと公務が落ち着いてねえ。それで今日は部隊の書類仕事を片付けていたんだけど、集中力が切れちゃって。だから栄養補給に来たの」
「栄養、補給」
ユイ先生と食事をするために来られたのだろうか――などと思っていると、ルナ様が眉をあげてユイ先生を見た。見られた先生は小さく眉を寄せる。
「人を食物みたいに言わないでください」
……え、そういう意味……?
「私にとっては同じだわ。だってどちらとも摂取しなきゃ生きられないもの」
ルナ様の言葉にユイ先生は気恥ずかしそうに口を結んだ。そんなユイ先生を見てルナ様は楽しげに笑っている。
以前の私なら仲がいいなあと微笑ましくなっていたところだけれど、お二人の関係を知った今ではそう呑気に構えていられない。
だって今、目の前で繰り広げられているこれはいわゆる、その、恋人同士の戯れなのだ。そんなの見ていたら、以前にも思ったけれど恋愛小説を読んでいるときと似たような羞恥を覚えてしまう。
でもそう感じていることをお二人に知られるのは恥ずかしいので、平常を装ってその場をやり過ごそうとする。するとユイ先生を弄って楽しげにされてたルナ様がこちらを見て、にやりと笑みを浮かべた。
「おやー? さてはフラウリア、やっと気付いた?」
心臓が大きく跳ねる。
「な、んのことでしょうか」
それでも素知らぬ顔で目を逸らすと、視界の端のルナ様が吹き出した。
「私も昔は嘘や隠しごとが下手だってよく言われたけど、フラウリアも相当よね」
……自覚があるからなんとも言えない。
こういうとき顔に出ない人が心底、羨ましい。
「……すみません。その、知らない振りをしたほうがいいのかなと思いまして」
「こちらこそ、気を遣わせてしまいすみません」
観念して白状すると、ユイ先生も困り笑いでそう返してきた。
そんな私たちを見て、ルナ様はまた楽しそうにしている。
「それにしても気づくまで随分時間かかったわね」
「自分、鈍いみたいでして」
「自覚はあるんだ」
「ベリト様にもアルバさんにもよく言われますから流石に」
「あるというよりは自覚させられたのね」ルナ様が笑う。「そういえば今日、アルバは?」
「休暇です」答えたのはユイ先生だ。
「そうなんだ。フラウリアと一緒じゃないの珍しいわね」
そう。基本的に私とアルバさんはお休みが一緒だ。
そのように希望したわけではないのだけれど、私たちが親しいことを考慮してそうしてくださっているのだと思う。それならばお出かけするときも休みを合わす必要がないから。
「今日は先輩がたのお誘いを受けるために休まれたんです」私は理由を説明した。
「見習い時代の?」
「はい。一つ上の」
「相変わらずもてもてねぇ」
ルナ様の言う通り、アルバさんは本当にもてる。見習いだったときも同期と先輩がたによく誘われていたし、先生になってからも見習いたちから毎日『アルバ先生、アルバ先生』とひっぱりだこだ。
「アルバさんはお優しいですから」
「そこで顔がいいからと言わないあたり、あの子のことよくわかっているじゃない」
ルナ様が嬉しそうに笑う。その言い方がまるでアルバさんのお姉さんみたいで、微笑ましくなる。
いつかアルバさんがルナ様のことをユイ先生と同じぐらいに大事だと言っていたけれど、ルナ様もアルバさんを大事に思ってくれているんだな――そう、人ごとながらに暖かい気持ちになっていると。
「ところでフラウリア、良いことでもあったの?」
唐突にルナ様がそう訊いてきた。
「え」
「ほら、さっき、鼻歌を歌っていたから」
しっかりと聴かれていた……恥ずかしい。
「良いことがあったというよりは」
「うん」
「良いことばかりで」
それらを思い出して、つい頬が緩んでしまう。
「へぇ、どんなこと?」




