大陸暦1977年――13 年の瀬
被っていたフードを取り、私は扉に手をかけた。
室内から暖まった空気と共に、紙とインクの嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔に届く。
「いらっしゃい」
店内の奥にいた細身で小柄でさらには猫背な男――ケンはこちらへ振り返りながら言った。
「おや先生、こんにちは。今日はお一人ですか」
パタパタと音を立ててこちらにやってくる。
「悪いか」
「いえいえ、そんなことはないですよ。本をお持ちしますね」
ケンがいつものように私が興味を持ちそうな新刊や輸入本を、カウンターに置いていく。それを一つ一つ手に取って確認していると、本を運び終わったケンがしみじみとした様子で言った。
「年の瀬ですねぇ」
今日は光の月の五十日――一年で最後の日だ。
その影響でいつもは人がまばらな昼前の商店街も、今日は人で溢れかえっている。年始は閉まる店が多いのもあり買い出しに来ているのだ。
本当はこんな日に外に出たくなかったのだが、本が切れてしまったのでは仕方がない。
「年の瀬に先生が来られるのは、なにげに初めてですね」
カウンター奥の椅子に座り、眼鏡をかけたケンが帳簿らしきものを見ながら言った。
「そうだな。本屋は年末、暇なのか」
店内には平日と変わらず人の姿はない。
「年末の休みに入ったころは忙しかったですが年の瀬は毎年、暇ですね。だから先生、いいときに来られましたよ。もし来られるのが三日前でしたら午前中もお客さんが多かったですから」
「その代わりに商店街は人ごみだったがな」
「そういえばそうですね」ケンは苦笑すると帳簿に視線を戻す。「それにしても先生。今年は本を買いに来られる頻度が少し減りましたね」
「そうか?」
「えぇ。帳簿をまとめていたら去年より半分近くは減っていました」
「別にほかのところでは買ってないぞ」
専門書でもなんでも頼めば仕入れてくれるので、ほかに行く必要がない。
「そんなことを疑ってはおりませんよ。ただ本を読む時間が減られたのかなと思いまして」
意味深げな微笑みを浮かべてケンが見てくる。
……そういうことか。
確かに今までは仕事と寝る以外は一日中、本を読んでいた。
しかしフラウリアが一緒に住むようになってからはあいつが仕事で、そして私も仕事が終わったあとや夜中の待機時間ぐらいにしか読んでいない。
そう考えると大分、本を読む時間は減っている。まぁ、本は暇つぶしで読んでいる部分も大きいのでそれはいいのだが。
私は一通り確認してから最後の本を置いた。
「全部もらう」
「まいど。すみませんが配達は二日でよろしいですか? 今日は人がいないもので。ほら、年末ですから」
「それなら一冊、持って帰る」
「お手数かけます。それと先生。かわいいお嬢さんにお土産はいかがですか?」
「土産?」
ケンはカウンターから店内に出ると、新刊売り場から本を一冊、手に持って戻ってきた。そしてそれを私に差し出してくる。装丁と題名からして小説だ。
「以前、お嬢さんに贈らせていただいた作者の新作が出まして。面白かったと恥ずかしそうにお礼を言ってくださったのでどうかなと」
「そういうのを押し売りって言うんじゃないのか」
「とんでもない。わたしとしてはオマケでお贈りしたいところですが、なにもないのにそんなことをしたら彼女、気が引けてしまうでしょう?」
よく見てるな。まぁ、最初にあんなやり取りを見ていたら誰でも気づくか。
「わかった。もらう」
「ありがとうございます。こちらも持って帰られますか?」
「あぁ」
ケンがカウンターに入り、帳簿に記す。
「しかし、あんなのが人気なんてよくわからんな」
私は持って帰る本を選別しながら言った。
「おや? 先生もお読みになったので?」
「本を読んでいるときあいつの様子が変だったから、お前が変なものでもやったんじゃないかと思って軽くな」
「そんなことしませんよぅ。あぁでも以前のでそうならば、今回のは少し刺激的かもしれませんねぇ」
「読んだのか」
「えぇ。おや、なんですかその『男が恋愛小説を』みたいなお顔は」
まさにその通りに思っていた。
「先生、偏見はよくないですよ。近頃は男性にだって恋愛小説は人気なんですから」
「へぇ」
「まぁ、わたしの場合は流行や需要の調査目的もありますが。あとは親御さんや使用人さんが子供さんに買い与える本について質問してきたときに答えるためでもあります。ここは住宅街が近いこともあり、そういうお客さんも多いので」
「道楽にしてはちゃんと商売してるんだな」
「私の代で潰すわけにはいきませんからね。とはいえ先代はまともに商売をしていませんでしたが」
先代とはこいつの本業である情報屋の先代のことだ。
「私はお前がやるまで、ここに本屋があることすら知らなかったぞ」
「なんたって看板すら出していませんでしたからねぇ」
仕方がない人だとでも言うようにケンが笑う。先代の話は聞いたことがないが、こいつの表情からするに慕ってはいたのだろう。
「それでどうされます? 親御さんによっては子供に恋愛小説を買い与えるのを嫌がったりするのですが」
「あいつはそこまで子供じゃないし、私はあいつの保護者でもないぞ」
「それは失礼しました」
おどけるようにケンは礼をすると、帳簿の記入に戻った。




