大陸暦1977年――12 初めの一歩
目が覚めて瞼を開けた。
部屋はまだ薄暗い。いや青白いと言ってもいい。月明かりが窓のカーテンから差し込んでいる。
よく寝た感じはするので夜中に目が覚めたわけではなさそうだ。月明かりの感じと、横に気配があることから夜明け前だろう。
私は左に顔を向ける。そこにはフラウリアがいる。体をこちらに向けて、体を丸めて寝ている。まだ寝入っているようで、小さな寝息を立てている。
私はそっと体勢を変えて横向きになった。それからフラウリアの寝顔を眺める。
普段は私が朝方に寝ているので当り前だが、一緒に寝たときでもフラウリアのほうが早く起きることが多い。こいつは仕事の日でも休みの日でも起きる時間は大抵、一緒だ。だけどほんのたまに、私が先に目が覚めることもある。
その場合、私がこいつを起こすことはない。こいつは規則正しい生活が身についているので、ほっといても時間になれば起きるからだ。だからいつもギリギリまで寝かせてやっている。密かに寝顔を眺めて。……少し気持悪い自覚はある。
だが、今朝は私の中に衝動があった。
これまでも何度も湧いてきた衝動が。
それに突き動かされて、右手が動く。フラウリアの顔に手を伸ばす。
しかしその手は衝動に反して、怯えるように止まった。
それに屈するように、自然と手が引こうとする。
やはり駄目だ……と諦めかけていたら、ふいに昨夜の言葉が脳裏に蘇った。
――私が貴女を拒絶することは絶対にありません。
私は引きかけた手を一度、強く握る。
こいつの言葉に後押しされるようにまた手を伸ばす。
逃げたがっている意思を押しのけて、指の背でフラウリアの頬を撫でる。
すると指から柔らかな感触と暖かな体温が伝わってきた。
それと一緒にまどろんでいる感情や色んな記憶も視える。……だが、それでもなにも視せない死者よりも心が安らぐのを感じる。
それがどうしてか、ずっとわからなかった。
他人の感情が流れ込んでいるというのに、不快にも違和感なども覚えないのはなぜなのかと。
フラウリアの根源の白さが成せるものなのか。
それともこいつの心に触れた影響なのか。
これまではそれぐらいにしか思っていなかった。
だけど今、自ら触れてわかった。
それは私が、こいつの全てを受け入れているからだ。
全てをこいつに話したからではない。最初からだ。
フラウリアと初めて会ったあのとき、こいつの感情で苦しむ私を助けるために心を開いてくれたあのとき、私も受け入れていたのだ。
自分でも知らないうちに、私もこいつに心を開かされていたのだ。
こいつの心の白さに魅せられたあのときからずっと――。
指から流れ込んでくるそれが心地良くて、もっとそれを感じたくて、指の背から手のひらに替えて頬を撫でる。
しばらくそうしていると、やがてぴくりと眉が動いた。
それから薄らと瞼が開き、寝ぼけ眼が私を見る。
「……ベリトさま……?」
「おはよう」
「……おはよう……ございます」
フラウリアは重そうな瞼で何度か瞬きをすると、その瞳を私から横へと動かした。そして頬に触れている私の手を見る。それからまた何度か瞬きをすると、目を開いた。
濃い緑色の瞳が揺らいで、こちらを見る。
私はどう反応していいかわからず苦笑で返す。
それにフラウリアはくしゃりと顔を緩ませると、頬にある私の手に自分の手を重ねてきた。私の手に意識を委ねるように瞼を閉じる。感情の高ぶりが、泣きそうになるぐらいに喜んでいる感情が視える。
少ししてフラウリアはまた瞼を開けると、こちらを見た。
「おはようございます。ベリト様」
そして今を確かめるようにもう一度、朝の挨拶を口にする。
「おはよう。フラウリア」
私も今一度そう返すと、フラウリアは嬉しそうに笑った。




