大陸暦1977年――12 その夜1
そのあとアオユリは紅茶を飲み干すと、満足げな顔でさっさと帰って行った。
おそらく仕事の合間にでも来ていたのだろう。ただでさえ忙しい癖に、やっと出来たであろう自由時間に下世話なことを確認するためにここに来るのだから全く、どうかしている。先ほど何気なく『脳の代わりに花が詰まっている』と言ったが、それはあながち間違いではないのかもしれない。
なんにしても早く帰ってくれたことに安堵しつつ、疲労感も覚えつつ、私は仮眠に入った。そして夕方に目覚めるとフラウリアが戻っていたので、それからはいつも通り夕食に風呂とを済ませて、二人で自室のソファに座ったころには時刻は二十一時前となっていた。
「それで冬も行けないなってアルバさん、残念そうでした」
今フラウリアは夕食時にしていた話の続きをしている。
今日アルバとお茶をしたときの話だ。
なんでも来週、中央教会で行なわれる年に二回の大規模礼拝――星祭に、夏期に引き続き行けないことをアルバが残念がっているらしい。
「あいつそこまで信心深いのか?」
「ええと」
言ってもいいものかと迷うように、フラウリアが口籠もる。
「その反応が答えのようなものだと思うが」
そう言うと、フラウリアは苦笑いを浮かべた。
「あまり、神様は信じていないそうです」
「まぁ、今の時代、そう珍しいことじゃないだろ」
「そうですよね」
「それならなんで星祭なんかに行きたいんだ」
「星祭ではユイ先生が歌われますから」
「あぁ」
普段の礼拝では信者全員が星歌を歌うのとは違い、星祭は星歌隊に所属する歌い手――星歌士によって星歌が歌われる。
その星歌隊にはユイも癒し手の傍ら所属しているのだが、あいつはただの歌い手ではない。
星教一と称されるぐらいに有名な歌い手だ。
聞くところによれば、あいつの歌を目当てに国内外から星祭にやってくる信者もいるらしい。それだけでなく外国の星祭にも招かれて歌うこともあるのだとか。
フラウリアの口振りからして、アルバもその一人なのだろう。
「そういうことなら、ユイに言えば休みをずらせたんじゃないのか」
「私もそう言ったのですが、新米でそれは言いづらいと」
「そういうものか?」
「言われてみればと私も思いました。それにユイ先生ならば融通をきかせてくれるだろうから余計にと」
「そんなに気を遣わなくてもいいと思うが。ユイもそういうのを気にする奴でもないだろ」
「優しいからこそ甘えずらいっていうのもあるのだと思います」
「そういうものか?」
「そういうものです」
私の言葉をなぞるように言ってフラウリアが小さく笑った。
そういう気のやり取りは私にはよくわからんが、この表情からするにこいつにも覚えがあるらしい。
そういやこいつもたまに、変な遠慮をすることがあるよな。
あれもそういうことなんだろうか。
「そういえばベリト様は星祭に行かれたことはあるのですか?」
「ん、まぁ、昔に一度な」
「お仕事で、ですか?」
「いや。セルナに連れて行かれた」
「ルナ様に? でも、ルナ様は王族として参加されているんじゃ」
こいつの言う通り星王家は毎回、公務として星祭に参加している。それは星教がこの国の国教であるためだ。そのため中央教会の後方二階には王侯貴族専用の礼拝席もある。そのことは星祭の度に新聞に記事が載るので、こいつも知っているのだろう。
「そこに連れて行かれたんだ」
そのときのことを思い出してため息が出た。
あの席はたまに星王家に招かれた客が座ることもあるのだが、それに私は一度だけ招かれたことがある。
セルナにではない。あいつの兄である星王にだ。
もちろん最初は断った。絶対に嫌だと。
しかしセルナに兄の顔を立ててとか、一回だけでいいからとか、その報酬に私が以前から興味を持っていた国宝を見せてあげるからとか、あれこれ上手いこと言われて結局は折れてしまった。いやだって仕方がないだろ。その国宝、初代星王が残した一九〇〇年前の医学書で基本的に一般人には非公開なんだぞ。これを逃したら一生お目にかかれないと考えたら、私だって流石に釣られてしまう。
そんなわけで無駄におめかしまでさせられて星祭に参加させられたわけだが、そのことは当時も少し不思議に思っていた。
セルナは常日頃から強引な奴ではあるが、その行動には必ずなにかしらの意図がある。
この間の竜王国での解剖実演もそうだ。
あいつが今になって外の仕事を振ってきたのは他国での解剖学の普及目的もあるが、それ以前にそれが私のためにもなると思ってのことだろう。セルナが人に対して強引になるときはだいたいが相手のためで、善意だと思ってあいつはそうしている。
その性格はあいつに会った当初から、あいつに触れたときから知っている。
私を国宝で釣ってまで星祭に参加させようとしたのも、最初は解剖学者として私を世間に認知させるためかとも思った。しかしそれならば星祭にこだわる必要はない。新聞に記事でも書かせればいいだけの話だ。
現に私が星導師の許可を得て、治療士の向上のために犯罪者の解剖を特例として認められたことは、その星祭の半年前には新聞に書かれていた。
そのとき星導師と写真を撮ることも提案されたが、私が拒否したので撮られなかった。それにはセルナも無理強いはしてこなかった。ただでさえ私は目立った容姿をしているのだ。顔を出さなくとも、名前が通ればいずれ自然に顔も通るようになるだろうと言って。
それでもセルナは星祭に参加させることだけは引かなかった。
何度も私を説得した。当時はそれがどうしてかがわからなかったのだが、今ならわかる。あの犯罪組織の首領であるショーンに話を聞いた今なら。
おそらくセルナは公の場で、私と星王家との繋がりを一度でも示しておきたかったのだ。
そうすることで私の力のことを知っている組織が、下手に私に手出し出来ないように。もしかしたらあのときそういう動きがあったからこそ、兄に協力をさせてまで星祭に連れて行こうとしたのかもしれない。私の身を守るために。
いつもは余計なことまでベラベラと喋る癖に、恩に着せられそうなことはあえて言わないのが小賢しいというかあいつらしいというか。
「ということはベリト様、新聞に載ったことあるのですか」
フラウリアがぐいっと前のめりになる。
「あぁ、まぁ」
王族を撮ったついでに写ったものなのでそんなに大きくはないが。
それを見たセルナが『ベリトってある意味、写真うつりがいいわよね』ってからかってきたのを覚えている。小さくとも私の不機嫌そうな顔がよく写っていたからだろう。
「いつのですか」
「聞いてどうする」
「見たいです」
「覚えていない」
「本当ですか」
疑わしげにフラウリアが見てくる。……本当は覚えている。あれはセルナが大怪我をした翌年だから私が十八のときだ。
「……本当だ」
だが私は嘘をついた。嘘はつきたくはないが、昔の自分をこいつに見られるのはなんとなく羞恥を感じる。
「そうですか……残念です」私の言うことを素直に信じてフラウリアが肩を落とす。「それでしたら今度、ルナ様に聞いています」
……そうきたか。
あいつのことだから覚えているだろうな……それどころか当時の新聞も探し出して持って来るかもしれない。いや、持ってくるな。絶対に。
先延ばしになるぐらいなら正直に答えればよかったと後悔する。




