大陸暦1977年――12 冬の珍客2
「元気そうで良かったですわ」
出された紅茶を一口飲んで、アオユリが言った。
それは私が、という意味ではない。フラウリアに対してのものだ。
一昨年、セルナの部隊、碧梟の眼が犯罪組織からフラウリアを助け出したとき、初めにあいつの治療をしたのが検挙に同行していたこのアオユリだ。
アオユリはユイの十年来の友人であり、治療士の全体的な向上のために解剖を正式な学問にすべく動くセルナの協力者でもある。普段は宮殿神星魔道士長補佐として星城に勤めながら、その実現に向けてセルナに協力をしている。
しかしそれ以外のことでアオユリがセルナの仕事を手伝うことはないし、セルナもアオユリを頼ることはない。それはこの国の神星魔道士全てを束ねる機関、その宮殿神星魔道士長の補佐であるアオユリが常日頃から忙しい身だからだ。たとえ碧梟の眼から正式な依頼があったとしても、上の立場であるアオユリが現場に出張ることはないだろう。むしろ急に高位治療士の必要に迫られた場合、セルナがまず頼るのはユイだ。
それなのにセルナがフラウリアを浚った組織に乗り込んだあの日、あいつに関係のあるユイではなくアオユリを連れていったのは、浚った奴らの悪名からして最悪を想定していたからだろう。ただでさえ大事な教え子が失踪して心を痛めているユイに、どんな状態かわからないあいつを診せないほうがいいとセルナは判断したのだ。
そういうわけでアオユリは最初からフラウリアのことを知っている。それでも先ほど初対面の体で接していたのは、フラウリアに配慮してのことだ。私の力のことはもう当り前の如くセルナが喋ってしまっているし、私があいつの記憶を引き受けたこともこいつは知っている。
「ユイに経過は聞いていなかったのか」
前回、用事で顔を見せたときはフラウリアのことを一言も訊いてこなかったので、てっきり知っていると思っていたのだが。
「聞いていましたわ。生殖機能以外の臓器への目立った後遺症は特になく、日常生活は問題なく送れていると。ただ回復した姿を見るのは初めてでしたから」
「あぁ」
「本当はそんな後遺症も残さずに治してあげたかったのですが」
「それでも、お前だからそれだけで済んだんだ」
アオユリは虚を突かれたように目を見開いた。私がこんなことを言うなんて思いもしなかったからだろう。自分でもこんな言葉が素直に出たことに驚いている。
しかし今のは世辞ではない。事実だ。
アオユリの家、ルドレシア伯爵家は星王家の分家を除けば、神星魔道士の家系としては一番の名門だ。
代々、例外なくと言えるほど高位神星魔道士を輩出しており、アオユリ自身も素養が高い。それだけでなく知識に貪欲なこいつは解剖学もしかり、幼いころからあらゆる医学の知識を身に付けている。まだ歳は二十そこらだが、治療士としての実力はこの国で一番と言ってもいいだろう。
そんなこいつが治療しなければ、おそらくフラウリアは助からなかった。もし助かったとしても後遺症がかなり残ったはずだ。
アオユリは驚きから立ち直ると、紅茶を一口飲んだ。
それからこいつにしては珍しく、愁傷な表情を浮かべる。
「正直、最初は命を繋げるべきではないと思いました」
……そうだろうな。あの状態を見れば、誰だってそう判断する。
「イルセルナ殿下にもそう申し上げたのです。おそらく彼女の心は死んでいる。治療したところで目を覚ます確率はかなり低いと。しかし殿下はそれでも助けてほしいと仰った。このまま死なせるのはあんまりだと。私は殿下の思いを汲んで治療しましたが、そのあとやはり彼女が目覚めなくて殿下は気に病んでおられた。自分の気持ちを優先したあまりに苦しみを長引かせてしまったと思われたのでしょう。それはユイも同じです。殿下が彼女の捜索に乗り出したのは、彼女がユイの教え子だったのが切っ掛けですから。そのあたりはきっと先生もご存じですわよね」
「……あぁ」
「それには殿下やユイだけでなく私も責任を感じていました。私があのとき治療士としての判断を通していれば、こんなことにはなりませんでしたから。だから殿下が彼女の安楽死を決めたときも、なにも申し上げられなかった。それが彼女のためであり、私たちの気持ちに整理をつける唯一の方法でもありましたから。それでもやはり当日まで気持ちは重かった。そんな最中、先生があの子を救ってくださったと聞いたときは心から安堵いたしました。そして不思議にも思いました。私のようにユイから少しでも彼女の話を聞いていたのならばまだしも、どうして先生が全く知らない他人のためにお力を使ってまで救ったのかと」
問うような眼差しでアオユリが見てくる。
それになにも答えずにいると、アオユリは上品に微笑みを浮かべてから話を続けた。
「ですが今日、初めて元気な彼女に会って、わかった気がします。とても愛らしい子ですわね」
「……別に、そういう理由で助けたわけではない」
そもそも元気なあいつを見たのは、助けたあとでのことだ。
「中身のことをわたくしは申しているのですよ」
もちろん外見もとても可愛らしいですが、とアオユリが付け加える。
「少し話しただけでよく言う」
「確かにわたくしには先生のようなお力はありませんが、人を見る目、特に女性を見る目には自信がありましてよ。それに先生は視たからこそお救いになろうと思われたのでしょう?」
沈黙が肯定と取られるとわかっていながらも、私は口をつぐむ。
それにまたアオユリは微笑むと、手に持っていたカップと受け皿を机の上に置いた。
「それで先生、彼女とはいつからお付き合いされていらっしゃるの?」
私は自然とため息が出た。
アオユリがこの手の話を振ってくることはいつものことだ。
こいつはそういう話が大の好物で、私にも昔からなにかと『いい人は見つかりましたか?』とか『一人でお寂しくありません?』とか『私が紹介しましょうか?』とか余計なことばかり言ってくる。しかも粘着質で引くことを知らないからある意味、セルナより面倒くさい。
「お前の頭には脳の代わりに花が詰まってんのか」
「そんな言葉では誤魔化されませんわよ。どうなんです。先生?」
案の定、皮肉も聞きやしない。上品な微笑みで圧をかけてくる。
肯定でも否定でも、なにかしら言わないことにはこの状況が終わることがないことは、これまでの経験から学んでいる。
無視も無言も駄目だ。そんなことをしたら肯定と取られて勝手に話が進められてしまう。その所為で昔一度、マジで人を紹介されそうになった。幸い、引き合わされる前にまず候補者の写真をたんまりと持ってきたので、そこで止めることが出来たが。
「……そんなんじゃない」
私は少し迷った挙句、仕方なくそう答えた。
するとアオユリが「へぇ」と目を細めて見てくる。
私はその視線から逃れるよう、机に置いていたカップに手を伸ばした。しかしその寸前、手が伸びてきて反射的に手を引く。
視線を上げると、こちらに手を伸ばしていたアオユリがにやりと笑った。
「触れるのを許している時点で、そんなんだと思うわよ。せーんせ」
勝ち誇ったように笑う自称弟子に、私は睨み返すぐらいしかできなかった。




