大陸暦1977年――11 変わらないもの
修道院から帰宅すると、自宅の明かりが灯っていた。
仕事を早く切り上げたのだなと思いながら、玄関の扉を開ける。
「お帰り、ユイ」
するとすぐにルナが出迎えてくれた。
「ただいま戻りました」
家に上がりルナと並んで廊下を歩く。
「いつごろ帰ったのですか?」
「んー一時間前ぐらいかな」
「そうですか。明かりはお隣さんに?」
彼女は無能者なので粒子を操作する魔灯を点けることはできない。だから彼女が先に帰った場合はだいたい、お隣の使用人にお願いするようにしてもらっている。
「ううん。護衛の子たち」
「あぁ」
ルナには今年半ばごろから新しい二人の護衛が付いている。
一人はルナを慕って星ルーニア騎士団から碧梟の眼に異動してきた少女で、もう一人は色々ありルナが護衛にした少女だ。二人ともまだ十代半ばと若いのだが、腕は確かだとシンが言っていた。そのような護衛が付き私も安心している。ルナは身分の割には気楽に一人で出歩いてしまうから。
「先ほどまで居間でお話ししてたの」
「そうですか。入れ違いでしたね」
「意図的なね。ユイの気配がするって言ったらそそくさと帰ってったから」
「避けられているんでしょうか」
護衛とは言っても常に連れ歩いているわけではないので、二人とはまだ一度二度しか会ったことがない。言葉も軽くしか交していないのだが、そのときにでもなにか気に障ることでも言ってしまっただろうか――と思っていると、ルナが可笑しそうに笑った。
「違うわよ。お邪魔だからって。若いのに気が利くでしょう?」
そういうことかと苦笑で返す。若い子にそのように気を遣われるのは少々、気恥ずかしい。
居間に入ると心地よい暖気が出迎えてくれた。見ると暖炉に火が入っている。帰宅して誰もいないときには味わえない感覚だ。
今日はおそらく護衛の子が魔法か魔道具で火を入れてくれたのだろうが、ルナ一人でも道具で火を起こすことはできる。
「夕食、すぐに食べる?」
外套を脱いでポールハンガーにかけていると、ルナがそう訊いてきた。
「もう用意してくれたんですか」
「えぇ。三人でね」
「手伝わせたのですか」
「手伝うってきかなかったの。夕食も食べていきなさいって言ったんだけど、それもきかなくて」
ルナが苦笑する。
「だから今度、食事に招いてもいいかしら?」
「えぇ、もちろん」
「それでどうする?」
「少し、後でもいいですか」
「いいわよ」
意志合わせすることなく、二人でソファに並んで座る。
「どうだった?」
するとルナが早速、そう訊いてきた。
彼女が知りたいのは、竜王国での解剖実演のことだ。
「最初は貴女に対して恨みつらみの顔をしていましたが、ベリトは根が真面目ですからね。いざ実演が始まれば丁重に解説もしていましたし、質問にも細かく答えていました。参加者も私が見る限りは満足そうでしたし、よい結果になったのではないでしょうか」
「そう」ルナも満足げに微笑む。
「ただ、イルケルス教会長には大分、参っているようでした」
それにルナが笑う。
「面白い子だったでしょう?」
「そうですね。私も昨年、イルケルス教会長の就任式でご挨拶をさせて頂いただけだったので正直、お人柄には驚きました。貴女のいい同志になりそうですね」
「えぇ。心強いわ」
「貴女のほうはどうでした?」
ルナは昨日、隣国の賓客を迎えての会食だったのだが。
「最悪。全くどこの国にも差別主義者っているわよね。顔や態度には出してないつもりなんだろうけど、私の目の良さを舐めないでほしいわ」
どうやら口振りからして、無能者に差別意識がある貴族だったらしい。
「話、聞きましょうか」
今はもう体質のことで誰にどう言われようがルナは気にしてはいないが、だからといって全く思うところがないわけではない。そういう仕打ちを受けた事実はやはり心に残るもので、それを彼女はいつも吐き出すことで発散していた。
「ありがとう。でも大丈夫。これはもうデボラとフラウリアに愚痴ったから」
デボラはまだしも。
「フラウリアに?」
「そうなの。昨日、貴女がいなくて寂しかったから、フラウリアと一緒に夕食を食べて一緒に寝ちゃったわ」
「そうですか」
「そうですかって、それだけ?」
不満げな顔でルナが見てくる。
「それだけとは」
「自分以外の人と一緒に寝るだなんてーとか、浮気だーとかないの?」
「なに馬鹿なことを言ってるんですか……。それよりも急に押しかけて、デボラは慣れているとしてもフラウリアは困ったのではありませんか?」
「そんなことないわよ。喜んでたもん」
拗ねた子供のように言われて、思わず少し笑ってしまう。
「それにあの子だって寂しがっていたし」
「ベリトがいなくてですか」
「えぇ。ベリトの優しさに甘えて、弱くなったんじゃないかって悩んでた」
「それに貴女はどう、答えたのですか」
「昔は強がっていただけよって。ほら、私もそうだったから。少しは気持ちわかるのよね」
あぁ、そうだったなと、昔のルナを思い出して懐かしくなる。
……ただし。
「あの子は貴女のように、捻くれてはいなかったでしょうが」
「言うじゃない」
ルナが楽しそうに笑う。
「ところで」こちらに向き直ってルナは言った。「寂しかったのはフラウリアだけじゃないんだけど? それに対して貴女はなにも言ってくれないの?」
「なにもって、仕事で海外に出向くのはよくあることではないですか」
それがなくとも、常日頃からお互いに忙しくて会えない日も多いというのに。
「ふーん。そー。ユイはもうそれに慣れちゃってるんだー。私に会えなくても寂しくないんだー」
ルナがまた拗ねるように口を尖らす。
このようにルナが子供のような一面を見せるのは今に始まったことではない。だがどうしたことか、今日はよりいっそう子供っぽい気がする。
「そうよねー。ユイはもう大人だもんねー。一人でもぜーんぜん問題なく寝られるわよねー」
その言葉にふいに、昔の記憶が蘇った。
まだ私たちが見習いだったころ、修道院のお世辞にも広くないベッドで初めて彼女と二人、寝たときのことを。
泣いている――そう、泣いていた私を安心させるように手を握って、寝てくれたときのことを。
「――そんなことないですよ」
拗ねた顔のまま、ルナがこちらを向く。
「昔も今も、貴女がいたほうがよく眠れます」
「……本当に?」
「本当です」
疑うように見ていたルナの顔がみるみる明るくなる。
それから嬉しそうに笑うと手を握ってきた。
全く、と苦笑し、私もそれを握り返す。
あのころに比べて、随分と生傷が増えたその手を。
あのころと変わらず、その暖かな手を。
しばらくなにも話さずそうしていると、ルナがふっと笑みを漏らした。
「あの子もちゃんと、伝えたかしら」
「え」
誰のことだろうとルナを見ると、彼女は微笑んで首を振った。
「ううん。なんでもない」




