大陸暦1977年――11 同じ気持ち
明るいうちにお仕事が終わった今日は、アルバさんと花屋の前で別れた。
彼女の後ろ姿を見送って、店じまいをしている花屋の親子に軽く挨拶をしてから花屋の手前の道に入る。
お家に向かう私の足取りは軽い。速度も自然と早くなる。だって彼女が帰っているのはもうわかっているから。お昼前から修道院に来られたユイ先生にそれを聞いたから。
角を右に曲がり、お家が見えたところで私は気配を視た。いつもの見慣れた気配が仕事部屋にはある。それに頬があがるのを感じながら、なるべく平常を装って扉を開けた。
「お帰り」
ソファに座って本を読んでいたベリト様がこちらを見て言った。
二日ぶりに聞いたその声に、感動を覚える。
「ただいま戻りました」
私は扉を閉めて、いそいそとベリト様の隣に座った。二日間の空白を埋めるかのように気持ちいつもより近めで。そんな私を目で追っていた彼女に私は言った。
「ベリト様もお帰りなさい」
それにベリト様は少し眉をあげると、次いで目を細めた。
「ただいま」
私は微笑み返して、前を向く。それからなにを話そうか、なにを訊こうかと胸を踊らせながら考える。
ここはやはり、お仕事どうでしたか、とか訊くべきだろうか。
それとも、いつも通りの雑談から入るべきか。
もしくは昨夜ルナ様に助言をいただいた通り、ベリト様がいなくて寂しかったと伝えるべきだろうか。でも、それを言うのはなかなかに勇気がいる。
どうしようかと、ぐるぐると思考を巡らせていた私の視界に、箱が映った。
見ると、ベリト様が手に箱を持ってこちらに差し出している。
「土産」
「え」
状況が読み込めていない私に、彼女は受け取るようにと箱を持った手を動かす。
「ありがとうございます」
私はそれを両手で受け取ると、こちらを見ているベリト様を横目で確認しながら箱の蓋を取った。
箱の中には彫刻の置物が入っていた。折りたたまれた翼を持つ生物の彫刻が。
「……これ、もしかして飛竜ですか?」
「あぁ」
慎重に箱から置物を取り出して、箱を横にのけてから手の上に置いた。手のひらにずしりと重みを感じる。置物はなんとか片手で持てる大きさだ。四角い台座の上に鎮座する飛竜は体を丸めている。おそらく羽休めをしているのだろう。造形は現実的で細部の彫り込みも凄いのだけれど、猫や犬のように体を丸めているその姿はなんだか可愛らしく見えた。
「私、外国のお土産をいただいたの初めてで凄く嬉しいです。ありがとうございます」
飛竜を見られたことはもちろん、これを私のためにベリト様が選んでくれたことが、本当に嬉しかった。
ベリト様は少し視線を泳がせると前を向いて「そうか」と素っ気なく答えた。
どうやら照れているらしい。そんな彼女を微笑ましく思いながら再度、手の上の飛竜を見る。全体の色は銀色なのだけれど、光の当たり具合によっては緑がかっても見える。それがなんだか不思議で凄く綺麗だ。
「なにか名前のある石なんですか?」
「魔鉱石だ」
「魔鉱石って確か、魔道具や武器を作る素材になる粒子が含まれた鉱石ですよね」
「そうだ。その中でも風粒子が多く含まれている風鉱石らしい」
「そうなんですか」
魔鉱石のことは詳しくないけれど、安いものでないことぐらいは私も知っている。粒子の濃度によってはかなり高額になることも。これがどれぐらいの濃度のものかはわからないけれど、風粒子が多く含まれているということは決して安くはないはずだ。
こんな高価なものをもらってしまっていいのだろうか、と心配になってしまう。でも、ベリト様は私が喜ぶと思ってこれを選んでくれたはずだ。そのお気持ちに水を差すようなことはしたくない。
それに以前、ベリト様も『遠慮するなとは言わんが、好意を返されても相手は困るものだ』と言っていた。だからここは余計なことは考えず、素直に喜ぼう。そしていつか外国に行くことがあったら必ずお土産を買おう――そう私は心に誓った。
「留守の間、変わりなかったか」
はい、と反射的に答えそうになって、ふいにルナ様の言葉が浮かんだ。
――どんな気持ちでも伝えることはとても大事よ。
……この流れなら、言えるだろうか。
「ありました」
「あったのか」
「はい」
「なにが」
そう言ったベリト様はいささか戸惑っているようだった。まさか私がある、と答えるとは思いもしていなかったのだろう。
「昨日、ルナ様が夕方からいらしてお泊まりされました」
「あぁ、そのことか。それならデボラに聞いた。災難だったな」
「そんなことは。ルナ様は私が一人で寂しがっているのではないかと心配して来てくださって」
「それはあいつのほうだろ」ベリト様が鼻で笑う。
「私もです」
視線を下げていたベリト様がこちらを見てくる。
「私も、ベリト様がおられなくて、寂しかったです」
勇気を振り絞って私はそれを口にした。
それに対してのベリト様の反応は、なかった。
特に表情が変わることなく、瞬きをしながら私を見ている。
けれどやがて私から視線を外すと、顔を正面に戻した。
「そうか」
「はい」
ベリト様は机に置かれたカップに手を伸ばすと、珈琲を一口飲んだ。
そして私の返事を最後にして、沈黙が流れる。
室内には、ぱちぱちと暖炉の薪がはじける音だけがしている。
……もしかして、呆れているのだろうか。寂しいだなんて子供でもあるまいしと。
でもベリト様は優しいからそれを口に出せなくて、だからこそのこの沈黙なのだろうか。
依然と静かに珈琲を飲み続けるベリト様の様子に、伝えないほうがよかったかもと後悔しかけていると「私も」と呟くような声が聞こえた。
私は俯いていた顔を上げて、横を見る。
「お前がいなくて、変な感じだった」
前を向いたままそう言ったベリト様の表情は、先ほどと同じものだった。でも、横に結ばれたその口許には、言ったことに対しての気恥ずかしさが浮かんでいる。
そんな彼女に、私はこれでもかというぐらいに頬が緩んでいた。




