大陸暦1977年――11 憂鬱な日
空に向けて大きく息を吐くと、それが白く変わった。
その白い息が消えてなくなる様子を、ベンチに座ったまま眺める。
昼食後の昼休憩、修道院の外庭には今、誰もいない。冬期まっただ中となれば、元気いっぱいの下の見習いの子たちも、暖められた部屋で過ごすことが多い。
今日は風はないけれど、空気が冷たいことには変わりない。口から放たれた息はすぐに白へと変わっていく。それでも、その寒さが気にならないぐらいに私の気持ちは違うことに捕われていた。
「フラウリア」
しばらく息が白くなっては消える様をぼんやり眺めていると、名を呼ばれた。
その聴き慣れた声に、私は視線を空から声がした建物へと向ける。
「アルバさん」
「こんなところにいたのか」
アルバさんはそう言いながら歩み寄ってくると、私の隣に腰を下ろした。
「食器を片付けたあと、見当たらなかったから」
「あ、すみません」
私ったらアルバさんに声もかけずに、ふらふらとここに来てしまっていた。突然、姿が見えなくなったら、彼女だって心配するのに。
そんなことにも気が回らなくなっている自分が情けなくて、ため息が出る。
「なんかあったのか?」
「あ、いえ、今のは」自分に対してのため息で。
「今じゃなくても今日、元気がない感じがするから」
「そんなことは。元気いっぱいですよ」
両手で握り拳を作って笑ってみせる。するとアルバさんはそんな私を見て優しく苦笑した。……これは、空元気だと見抜かれている。
「そんなに、元気がなさそうに見えます……?」
「まぁ、時折な。見習いの相手をしているときはそんなことないけど」
それはきっと、気持ちが全部そちらに向いているからだと思う。見習いの子たちと話すのは楽しいし、元気がもらえるから。
でも、少しでも頭に余裕ができてしまうと、どうしてもそこに気持ちが戻ってしまう。
「よかったら話、聞くけど」
こういうとき、アルバさんはいつもそう言ってくれる。
私が見習いの子のことで悩んでいても、お仕事のことで落ち込んでいても、いつもこうして寄り添ってくれる。
彼女は本当に優しく、そしてその優しさには心が温かくなる。
でも……。
「そんな、深刻なことでは」
いや、私にとっては深刻であるのだけれど、客観的に見ればそうでないことぐらい私にもわかっている。お仕事のことや、見習いの子のことならともかく、今回ばかりは彼女に相談するのは申し訳ない。
だけどアルバさんは「いいから」と優しく促してくれる。
「……ほんと、大したことないですよ……?」
「うん」
微笑んで待ってくれるアルバさんに、私は迷いながらもそれを口にした。
「今日、お家に帰ってもベリト様はおられないんだなと思ったら、それを思い出す度に気分が落ち込んで」
それを聞いたアルバさんは何度か瞬きをすると、ふっと笑みを洩らした。それから小さく音を立てて笑う。
「だから大したことないって言ったのに」
思わず拗ねるように眉を寄せてしまうと、アルバさんが笑いながら「悪い悪い」と言った。
「そんなことでとか思ったわけじゃないんだ。ただ、それで悩むお前がかわいいなと思って」
「か――」
外気で冷えた顔が一気に熱くなる。アルバさんはそういうことをさらっと口にするから、驚いてしまう。そういうところは少し、ルナ様と似ている気がする。
「そうかそうか。フラウリアはクロ先生がいなくて元気がなかったのか」
その通りだからなにも反論ができない。
恥ずかしさで体が火照るのを感じながら手元を見ていると、ふとその気持ちがすっと落ち込んだ。
「……わかってるんです。そんなことで気持ちを浮き沈みさせるのはよくないなって」
「そんなことはないさ」
間髪入れず、アルバさんが否定した。
手元から横を見ると、それと入れ違うように彼女が前を向く。
「自分を待ってくれている人がいるっていうのは、誰でも嬉しいもんだ。それだけで活力が湧いてくるし、仕事も頑張ろうって気になる」
そう言って彼女は目を細めた。その表情は昨夜、デボラさんが見せたものとどことなく似ている。……おそらく、昔を思い出しているのだろうと思った。アルバさんの、妹さんが生きていたころのことを。
そんな彼女にどう声をかけていいかわからず、その横顔を見続けていると、先にアルバさんがこちらに向いた。
「それにぶっちゃけると、私も顔が見られないの寂しいしな」
それから照れくさそうに、そう白状する。
アルバさんが言ってるのはもちろんユイ先生のことだ。ユイ先生も中央教会での施しが終わってからそのまま、ベリト様と竜王国に行かれたので、ここには昨日の朝からいない。
「気持ちもちょっと、落ちてる気がするし」
そうか。私がお仕事のあとにベリト様に会えるのを楽しみにしているように、アルバさんもユイ先生に会えるのを楽しみにお仕事に来てるんだ。
そういう気持ちになるのは自分だけじゃないんだ――。
それがわかり、少し安心する。
「まぁでも、二人とも明日には帰ってくるんだから、元気出して頑張ろうよ」
「――そうですね」
「さ」アルバさんは立ち上がると手を差し出してきた。「ここにいすぎたら風邪引いちまう。休憩が終わるまで中で体を温めよう」
「はい」
その手を取って私も立ち上がる。
アルバさんのお陰で元気が出た私は、午後を乗り切り十八時前に帰宅した。
送ってくれたアルバさんを見送ってる最中、デボラさんが仕事部屋からお出迎えしてくれたので、どちらかと悩むこともなく仕事部屋からお家に入る。
「すぐにお夕食で大丈夫ですか?」
廊下を歩きながらデボラさんが訊いてきた。
「はい。お願いします」
「それと、今日はお客様がいらしていますので、夕食はそのかたとご一緒になります」
「え、お客様?」
「はい」
「どなた、ですか?」
ベリト様もいないのに、いったい誰だろうと不思議に思いながら訊く。
それにデボラさんは微笑むだけで、見ればわかるとでも言うように居間の扉を手で指した。
私は気配を視ることも忘れて、促されるまま扉を開ける。
居間のソファには、紅茶を飲みながらくつろいでいる女性の姿があった。
もちろんその人が誰だかは、私は知っている。
「――ルナ様」
ルナ様は口許からカップを下ろすと、こちらを見てにっこりと笑った。
「お帰りフラウリア」




