大陸暦1977年――11 教会長
「リベジウム先生、この度はわたくしの我儘を聞き入れてくださりありがとうございます。そしてわざわざご足労いただいたこと、誠に申し訳ありません」
足を止めないままイルケルスは言った。
「これは言い訳になってしまいますが、当初はリベジウム先生にお手間はかけまいと、わたくしが中央教会に赴かせていただこうと考えておりました。しかし、わたくし以外にも解剖学に興味を持っているものが何人かおりまして。どうにかそのものたちも連れていきたいと考えていたのですが、外国に行くとなるとなかなかに全員の予定が合う日がなく。それでどうしようかと悩んでいたところ先月、イルセルナ殿下にお目に掛かる機会があり、その縁でこちらにリベジウム先生をお呼びできないかとお願いしてしまった次第です」
「見学はお前だけじゃないのか」
そう言うと、横からユイが小さく「ベリト」と名を呼んできた。
教会長なのだから敬語を使え、という意味ではない。中央教会の教会長にも私はこんな感じなのだから、それを今さら言ったところで無駄なことはもうこいつもわかっている。
ユイが気にしてるのはイルケルスがまだ若いからだ。私の態度がこいつを怖がらせてしまうのではないかと心配なのだろう。だからもう少し言葉柔らかく、と言いたいのだろうが、初対面の奴にそんな気遣いができるほど私も器用ではない。
「レシェント殿。大丈夫ですよ。むしろ自然体で接していただけたほうがわたくしは嬉しいです」
イルケルスはユイにそう言うとこちらを見た。先ほどと変わらず上品な微笑みを浮かべている。初対面の奴は大概、私の態度に多少なりとも怯みか不快感を見せるのだが……温室育ちにしてはなかなかに肝が据わっている。
「それでご質問ですが、はい、そうです。わたくしのほかに死検士、癒し手、王宮魔道士、国家治療士が見学を予定しております。イルセルナ殿下にはそのようにお伝えしていたのですが」
……あいつ、人が多いと私が余計に嫌がると思ってわざと黙っていたな。
「星王国とは違い、ここには随分と背信者が多いんだな」
セルナへの苛立ちからつい皮肉で返してしまう。だが、イルケルスはそれを意にも介さず、手を口に添えて楽しそうに笑った。
「なにせ、教会長がこのわたくしですから」
「そんなんでよく、教会長になれたものだ」
「それはわたくしが星教によい変化をもたらすと、星導師がお考えになってくださったからでしょう」
「変化ね。お前は教義に疑問を持っているのか」
「いいえ。教義は星教を星教たらしめているもの――その教えを疑ったことは一度もありません。ですが先の戦争で神がお隠れになり、時代も人も変わりつつある今、教義だけでは救えない魂が増えてきているのも事実です。この先、そのような魂を救うためには新しいことを取り入れることも必要です」
神も教義も信じてはいるが、新しいことを取り入れることには抵抗がない、か。セルナが面白いというからてっきり不良修道女かと思っていたのだが、そうではないらしい。
「リベジウム先生の解剖学と魔法を使わない治療技術は、その一つだとわたくしは考えております。先生のその素晴らしい知識と技術があれば確実に、救える魂が増えることでしょう」
「そうだとしても、私がしていることはお前の信じる教義に反していることになるが、それはいいのか」
各国で人体解剖が禁止されているそもそもの原因は、星教の死生観の存在だ。
輪廻転生を説く星教が、死した肉体に長く魂を留めておくと魂も死に穢され最後には消滅するとしているから、肉体から魂を解放する儀式――星還葬を遅らせる行為は解剖に限らず禁止されている。
私が罪に問われることなく解剖ができているのは、不審死の場合だけ死検士が検死解剖を執り行うことができるのと同じく特例中の特例なのだ。
「よろしいもなにも、それを認めたのは星導師なのではありませんか?」
……そういえばそうだった。
そのことに当時からあまり興味がなかったのと、もう九年も前のことになるので、今の今までそれを忘れていた。
法律では特例として死検士にのみ解剖を認めている。それは大昔の星導師が、死者の無念を晴らし魂の救済をするという名目のもと、検死解剖を認めたからだ。
つまりそれと同じように、私に解剖の認可を下ろす一番てっとり早い方法は星導師に認めさせることだとセルナは考えた。だからあいつはまず星導師に直談判しに行ったのだ。
そのとき星導師は特例を認める代わりにある条件を出してきた。
ユイとのデートだ。
……私だって当時、それをセルナから聞いたときは耳を疑った。思わず『ふざけてんのか』と言ってしまったのも覚えている――というか思い出した。それにセルナが持っていたカップを皿に強く置いて『あの馬鹿、本気だからタチが悪いの!』とキレていたことも。
セルナ曰く、星教の信者が敬ってやまない尊き星導師様は根っからの女たらしらしい。特に美人には目がなく、ユイも初めて会ったときから目をつけられているのだとか。
そのことからセルナは星導師のことをよく思っておらず、そのときもデートをするしないで交渉は難航したらしい。最後はユイの説得もあり、セルナを加えた三人での食事で向こうは妥協したらしいが……本当、なにしてんだ。
「星導師は神の代弁者です。その星導師が善良な魂を救うために、穢れた魂を犠牲にすることをお認めになった。それは教義に反することではありません」
なにも疑うことのない純真な言葉に、流石のユイもイルケルスに見えないところで小さく苦笑を浮かべた。まさかそれが女と食事をした対価として認められたものだとは、このお嬢さんも思いもしないだろう。
「つまり解剖対象の犯罪者には慈悲はないと?」
「リベジウム先生に解剖されることが慈悲だとわたくしは考えております。なにせ穢れた魂である犯罪者が、善良な魂を救える機会が与えられるのですから」
大した屁理屈だ。信仰に対してあれこれ言うつもりはないが、宗教のこういうところはあまり好きにはなれない。まぁ、自分のいいように物事を解釈するのは、宗教に限らずあることではあるが。
なんにせよ、新しいことを取り入れることに抵抗がない以外は、教義に従順な神の僕のようだ。
「それでお前は善良な魂とやらを救うために、解剖学を学びたいのか」
こんな奴をセルナはどこが面白いと感じたのか――そう不思議に思いながら適当に会話を続けていると。
「いいえ」
意外な言葉が返ってきた。
聞き間違いかと思い、私はイルケルスを見る。
イルケルスは前を向いたまましばし無言で歩くと、ある扉の前で立ち止まった。そして扉を開けてから私たちに中に入るよう手で促す。それに従い部屋の中に入ると、最後にイルケルスが入り扉を閉めた。それからこちらへと向き直る。
「イルセルナ殿下がお二人ならば大丈夫だと仰っていましたので、ここは包み隠さずお話しさせていただきます。多くの魂を救うために星教に解剖学を取り入れたいと考えているのは、わたくしが大手を振って解剖学を学ぶための建前です」
にこやかにそう言われて、私は思わず横目でユイを見た。
ユイも驚いているようで、目を瞬かせてイルケルスを見ている。
「実はわたくし、物心ついたころから神が創造せし生物の構造――特に人体に強い興味を持っておりまして。それで幼いころからずっと死検士になりたいと思っていたのですが残念なことに、家族には猛反対されてしまい」
そりゃそうだろう。癒し手――特に神星魔道士の癒し手の家系は神家の中でも地位が高い。その家系の人間、しかも名門オルバ家の人間がわざわざ下の地位である死検士になるなんて、一族が許すはずがない。
「わたくしも両親を悲しませたくはありませんでしたので死検士になることは諦めたのですが、癒し手となり務めを果たしている日々の中でも人体への興味は募るばかりで。そんなおりです。昨年、教会長のお話をいただいたときに、星導師からイルセルナ殿下が見いだされた解剖学者、リベジウム先生のことを伺ったのは」
イルケルスが一歩一歩と近寄ってくる。
「そんな素晴らしいかたがいらっしゃるなんて、わたくしそれまで存じなくて。そのときからリベジウム先生の解剖を是非拝見したいと思っていたのですが、教会長に就任したばかりということもあり昨年はその時間を取ることができず。今年に入り同志が増えてからも、全員でそちらに行くとなるとやはりなかなかに難しく。どうしたものかと悩んでいたところ神がお導きくださったのか、先月イルセルナ殿下にお目にかかる機会に恵まれまして。そのとき包み隠さず想いを打ち明けましたら後日、お優しいイルセルナ殿下がリベジウム先生の解剖記録と解剖図を送ってくださって、もうわたくし感激で」
身振り手振りに話すその様子は先程までの良家のお嬢さんから、まるでおもちゃを目前にした子供のように無邪気なものに変わっていた。
「その内容がまた素晴らしくてわたくし本当に感動いたしまして、ますますリベジウム先生の解剖を拝見したいという思いが強くなり。それであつかましいのも承知の上で、イルセルナ殿下にリベジウム先生をお招きできませんかとお手紙でお願い申し上げましたところ先週に了承のお返事が届き、わたくし嬉しくて飛び上がってしまって。もうその日からというもの、今日という日が楽しみで楽しみで、なかなか夜も寝付けない日々を過ごしておりました」
よく見てみれば確かに目元に薄らクマがあるような気がする。……そんなに? そんなにか?
「そういわけでしてリベジウム先生」
イルケルスがずいっと下から詰め寄ってくる。
「明日は本当に本当に楽しみにしております」
その子供のように輝かせた目に気圧されて、私は思わず「あぁ……」と返してしまう。それにイルケルスは微笑み返すと私から離れた。
「晩餐の用意ができましたらお迎えにあがらせていただきますので、それまではこちらでおくつろぎください」
そう言ったイルケルスは、先ほどとは打って変わって良家のお嬢さんに戻っていた。綺麗な礼をしてから部屋を出て行く。
私は呆然とした気持ちで気配が離れるのを目で追い、それが完全に薄れたところで自然とため息が出た。そして、それを皮切りにして一気に疲労感が押し寄せてくる。
「やっぱり、あいつが面白いという奴にはろくなのがいないな」
そう愚痴を零した私に、ユイは苦笑を浮かべた。




