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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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154/203

大陸暦1977年――10 ある日の午前


「――でした」


 朗読が終わると、向かいのソファに座っているセルナとデボラが拍手をした。


「すごいじゃないカイ。半年も経たずにここまで文字が読めるようになるなんて」

「そうかな」


 セルナに褒められて、立っていたカイが照れながら隣に座り直す。

 平日の午前十時過ぎの仕事部屋。いつものようにデボラに剣を習いに来ていたカイに私は読み書きを見てやっていた。今させた朗読はその一環だ。

 このように私が子供の読み書きを見る羽目になったのは、セルナの所為に他ならない。

 あれは何ヶ月か前にカイが来たとき、デボラの家事が終わっていなかったときのことだった。それが終わるまで丁度、顔を出していたセルナがカイの相手をしていたのだが、その話の中で読み書きはあまり出来ないといったカイに『それならベリトに教えてもらいなさいよ』と言い出したのが始まりだ。

 それを聞いたときは、なんで私が、と思った。

 私は子供が好きではないし、ご覧の通り子供からも好かれる人間でもない。仕事でも無い限り――いや仕事でも御免だが――子供とはなるべく関わりたくはない。

 しかしカイはフラウリアの友人とも言える子供だ。嫌だと突っぱねてしまえばあいつにどう伝わるかわからないし、それによってあいつが悲しむ可能性もなくはない。それは、困る。なので来年までの辛抱だと仕方なく読み書きを見てやることにしたのだが、どうしたことか今では自主的に課題までも作ってやっている。フラウリアのときもそうだったが、どうやら私はやる気のある人間の勉強を見てやるのはわりと、嫌いではないらしい。


「ベリト姉ちゃんどうだった?」カイが訊いてくる。

「そうだな……危ういところはあったが読み間違いはなかったので九十点と言ったところか。だが何ヶ所か発音がおかしい単語はあった。あとで書き出すから見とけ」

「うん。わかった」


 カイはうなずくと、手に持っている紙を見た。それから確認するように朗読した文章を読み返している。


「それにしても発音まで学ばなければいけないなんて私、初めて知りましたよ」


 デボラが感心するように言った。昔セルナに聞いたところによるとデボラもカイと同じく壁近(へきちか)の出身らしい。壁近(へきちか)では学校に通える家庭は一握りであり、その口振りからしてデボラもカイと同じく学校に通ったことはないのだろう。もしかしたらカイに剣を教えると言い出したのも同郷で思うところがあったからなのかもしれない。


「ねー私も公務で幼年学校の視察に行ったときに知って驚いたわ」

「普通、富裕層や上流階級の人間はそこまで学ばないからな」

「どうして?」カイが首を傾げる。

「そういう人間は両親や家庭教師しかり周囲に教育を受けた人間が多いのもあって、日常会話で自然と発音が身につくからだ。しかし貧民層や平民は経済力によって教育の落差が激しく、訛りがある人間も多い。だから幼年学校の低学年では最低限の正しい発音を教えたりするんだ」


 とはいえ私も学校に通ったことがないので実際に体験したことはないが。それは壁近(へきちか)に住んでいたときに幼年学校に通っていた知人に聞いて知ったことだった。


「それならやっぱり私もおかしなところあります?」デボラが訊いてくる。

「所々な」

「それはお恥ずかしい限りです」

「まぁでもそんな奴はいくらでもいるし意味が伝われば正直、そこまで気にすることでもない。だが修正しやすい子供のうちに学べる機会があるのならば、身に付けておいても損はないだろう。教育を受けた人間と話すときに、発音が綺麗だとやはり受け取られる印象も変わるからな」


 そう言うとなぜかデボラが目を開いた。


「なんだよ」

「いえ、最近ベリト様がお優しいなと思いまして」

「は?」

「だって励ましてくださったのでしょう?」

「客観的な話だ。お前がどうこうという意味ではない」

「またまたベリトったら照れちゃってー」


 ここぞとばかりにセルナが茶々を入れてくる。そしてデボラと二人、楽しげに笑った。……全く、最近こいつらが揃うとすぐに話を変な方向へと持っていこうとするから面倒くさい。


「それで、書くほうはどうなの?」

「ほとんど書けるようになったよ」


 セルナの問いにカイは友達とでも話すような感じで答えた。最初こそはセルナの正体を知ってぎこちない敬語を使っていたカイも、今ではすっかり自然体だ。


「ルナ様に言われた通り練習に日記も書いてる」

「いいじゃない。それなら今度、宿題にお手紙でも書いてきてもらおうかしら」

「いいよ。でも手紙ってどういうことを書けばいいのかな?」

「そうねぇ、書きたいことを好きに書いてもいいと思うけれど、普通は自分の近状や渡す相手に伝えたいことを書いたりするかしら」

「伝えたいこと?」

「えぇ、日頃の感謝とか」

「あとは恋文もありますね」


 デボラの言葉にセルナが笑う。


「そうね、それもあるわね」

「恋文?」カイが首を傾げる。

「好きな子にその想いを伝える手紙よ」

「へぇ。好きですって書くの?」

「それだけでなくどこが好きなのかも伝えなきゃ」

「子供になにを教えてるんだか」


 思わずため息交じりに零すと、デボラが「あら」と意外そうに声を出した。


「ベリト様、恋愛に年は関係ありませんよ」

「そうよーベリト。早い子なんて幼年学校の下の子でも付き合ってるんだから」

「おれの近所の子も八歳だけど付き合ってる子いるよ」


 ませガキが。


「カイも学校に入ったら好きな子ができるかもしれないし、一度ぐらいは練習に書いておくのもいいかもしれないわね。なんならいま好きな子に向けて書いてみてもいいわよ」

「それを見て採点なさるんですか?」


 苦笑するデボラにセルナが笑う。


「もちろん。でないと宿題にならないじゃない」

「んーでもおれ、いま好きな子いないしなぁ」

「少しでも気になるなーて子とかもいないの?」

「うん。どきどきする子はいない」

「あら、表現がかわいらしいこと。でもカイってモテそうですよね」

「ね、それは私も思う。案外、遊んでいる子の中にも貴方のことが好きな子がいたりして」

「え、そんなことないと思うけど」カイが気恥ずかしそうに頬をかく。


 こういう話をされると居づらいのだが……だからといって席を外したら外したでそれをネタにセルナに突かれそうだし……。


「もし好きな子ができてお付き合いすることになったら相手の子を大事にしてあげなきゃ駄目よ」

「それは父ちゃんにも言われてるから大丈夫だよ。好きな女の子には特に優しくしてあげなさいって」

「素敵なお父さまね。きっとモテるんじゃない?」

「うん。そうなんだよ。近所の人も父ちゃんのことを褒めてくれるし、再婚したいって人もいるみたいなんだけど、でも父ちゃん断ってるみたいで」

「どうして?」

「母ちゃんが好きだからだって」


 カイの母親は妹を生んだときに産後の状態が悪くて亡くなったらしい。以前そんなことを話していた。


「そう。お父さまはお母さまのことを忘れられないのね」

「うん。おれとしては父ちゃんに幸せになってほしいんだけど」

「心配しなくとも、今でもお父さまは貴方たちと一緒にいて幸せだと思うわよ」

「そうかな」

「えぇ。きっと。それでもいつか再婚したいと言われたら、祝福してあげなさい」

「もちろん」


 そこで会話が途切れた。それぞれ飲み物を口にしている。

 居心地の悪い会話をちまちま紅茶を飲みながらやり過ごしていた私は、やっと話が終わったことに安堵していると。


「みんなはさ、恋人とかいるの?」


 と、大した間を開けずカイがそう言った。

 いやだからなんでそういう話題ばかり出してくるんだよ。


「私はもう三年はいませんねえ」デボラが言った。


 へぇ、三年……え、三年前にはいたのかこいつ。そういう素振りを見せないから全然気づかなかった。いや、見せられても困るのだが。


「確か市街地の酒屋の息子だったわよね」セルナが言った。「そういえばあれってなんで別れたんだっけ?」

「何度かお仕事を理由にデートのお誘いを断っていたら、仕事は口実でほかにお付き合いをしている殿方がいるのではないかと疑われてしまいまして」

「あららー」


 まるで私が原因だとでも言うようにセルナがこちらを見てくる。

 デボラが仕事を休まないのはこいつの勝手であり、私がそうしろと言っているわけではないのだが。


「ベリト姉ちゃん、女の人なのにね」


 論点はそこではない。


「それからだんだんと口うるさくなり、束縛するような発言も増えてきたのでそれが煩わしくて別れちゃったんです。まぁ私も顔が好みで交際していたので、自業自得ではあるのですが。ということで別れたのはベリト様の所為ではないのでお気になさらず」


 もとより気にしてはいない。


「カイもいくら相手が好きで好きで堪らなくても束縛までしては駄目ですよ? 中にはそれを好む人もいますが、だいたいの人には嫌われて疎ましく思われてしまいますから」

「うん。わかった」


 ……先程から子供になにを教えてるんだか。


「それでルナさまは? 恋人いるの?」


 純粋な好奇心の目が今度はセルナに向く。


「いるわよ」

「へぇ、どんな人?」

「貴方も会ったことある人」

「え、ほんと?」

「えぇ。フラウリアの修道院の院長だから」

「あぁ、あの優しくて綺麗な人」


 一昨年、カイが騙されフラウリアが捕まった事件の数日後、カイは父親と一緒に修道院まで謝罪に行ったらしい。だからカイもユイとは面識があるのだろう。


「あれ? でもあの人、女の人だよね?」

「そうね。でも性別関係なく私は彼女が一番なの」

「そうなんだ。お似合いだね」

「あら、ありがとう」


 カイは子供らしい笑顔を浮かべて子供らしくないことを言うと、今度はこちらに顔を向けてきた。私はそれに気づかない振りをしてカップに口をつける。


「もしかしてベリト姉ちゃんはフラウリア姉ちゃんが一番なの?」


 予想をしていたにしてもそこまで詳細に訊かれると思っていなかった私は、口に含みかけていた紅茶を少し吹いた。


「どうなのベリト」


 子供の純粋さに便乗するように、向かいの大人たちが嫌らしい笑みを浮かべて見てくる。


「――いつまでもくだらんことばかり話してないでさっさと稽古してこい。でないと昼食まで帰れないぞ」


 カイは素直に「うん」とうなずくと立ち上がった。

 それからデボラと一緒に外に出て行く。それを微笑ましそうに見送っていたセルナに私は言った。


「全く、いらん希望を持たせるな」

「なにが?」

「学校に入ったらとかなんとか。特選入学が厳しいことぐらいお前も知っているだろ」

「えぇ。でもあの子なら受かるわ」

「まさか裏口入学でもさせるつもりか」

「それはあの子の思いを侮辱する行為だわ」

「ならなにを根拠に」

「学長のことはよく知っているから」


 そういえばいつぞやか学生で適任そうな奴がいたら、学長から碧梟の眼(あおふくろうのめ)への配属を打診してもらっているとか言っていたな。


「彼とは見る目が似ているの」


 そう言いながらセルナが窓の外を見た。家の前では木剣を手にデボラに挑んでいるカイの姿が見える。最初のころは素人丸出しだったカイの剣技も、今ではなかなかに様になってきている。デボラが言うにカイは体幹と握力が優れているようで、かなり武芸に向いた体質らしい。


「それで無事に卒業したら勧誘でもするつもりか」

「流石にそこまでは考えていないけど。カイは騎士になりたいみたいだし。まぁうちにも騎士の称号を持った子は何人もいるけれど、絵に描いたような騎士の仕事はしないから」


 でも、と再度セルナが窓に目を向ける。


「いつかあの子のほうからうちに来たいと思ってくれたら嬉しいわね」


 セルナは目を細めて笑うと、またこちらを見た。


「そのためにはあの子の正義感をくすぐるような武勇伝を沢山、聞かせておかないとね。うちでもこういう悪い奴を退治しているのよって」

「それを勧誘っていうんじゃないのか」


 私の言葉にセルナは眉をあげると、続いて子供のように悪戯っぽい笑みを浮かべた。



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