大陸暦1977年――10 特別の先
ベリト様のお家を出て花屋を右に曲がってすぐのところ、そこが朝にお仕事に行くときにアルバさんと待ち合わせをしている場所だった。
そのいつもの場所で先に待っていたアルバさんが私の姿を認めて軽く手をあげる。
「おはようフラウリア」
「アルバさん。おはようございます」
挨拶を交して二人で歩き出す。
「休みって長いようであっという間だよな」
「そうですね。アルバさんは昨日、なにをされていたんですか?」
「本を読んでのんびりしてた」
「そうですか」
「お前のほうはルナさんとユイ先生が夕食を食べに行ってたんだろ?」
「はい。……あれ、どうして」
「私も夕方にルナさんに誘われたんだけど断ったんだ」
「どうしてですか」
「私が行くのをクロ先生とデボラさんは知ってるんですかって訊いたら『まだ言ってないわ』て言うもんだから、急に人が増えるのは流石に迷惑だろうと思って。ほんとあの人って思い立ったらすぐ行動するところがあってさ。だから今度は相手に伝えたときのみ誘ってくださいって言ったんだ」
「そうなんですか」
「そんなの気にしなくてもいいのにってルナさんは言ってたけど、なんかああいうところ王族っぽいよな。いや、ほかの王族に会ったことはないから決めつけはよくないんだろうけれど」
「それでしたら今度は是非いらしてください」
「クロ先生とデボラさんがよければな」
「デボラさんはもちろんベリト様も大丈夫だと思いますよ。友人を呼ぶのに遠慮することはないって仰ってくださってましたから」
「それなら今度機会があれば行かせてもらうよ。デボラさんの菓子以外の料理も気になるし」
「きっと美味しすぎて驚きますよ」
「それは楽しみだ」
目を細めてアルバさんが笑う。
昨夜はあれだけ楽しい時間が過ごせたのだ。アルバさんが来てくれたらきっとさらに楽しい時間になるだろうな――そう思うと今から心が弾むのを感じた。
「そういえば昨日は夕食のあと、ユイ先生に歌も教えていただきました」
「そうなんだ。んじゃピアノはルナさんが?」
「ルナ様とベリト様です」
「クロ先生、ピアノ弾けるんだ」
「私も昨日、知りました。とてもお上手なんですよ」
「へぇ。まぁ、器用そうではあるし意外ではないかも。それなら家でも歌の練習、出来るな」
「はい。でもまずはきちんと楽譜を読めるようになって、歌を覚えないとですが」
「歌は休憩時間にユイ先生に教えてもらうんだろ?」
「それと当番が一緒のときは夜にでも教えてくださると仰って――」
そう答えてふと思い出した。
修道院にいたころ夜の礼拝堂でルナ様とユイ先生に会ったときのことを。
そして私がルコラ修道院に来てまだそんなに経っていないころ、礼拝堂の防音結界の用途についてアルバさんに尋ねたときのことを。
あのときアルバさんは密会用と答えてすぐに冗談だと言っていたけれど、あれはルナ様とユイ先生のことをほのめかしていたのではないだろうか。冗談というのは嘘でアルバさんはお二人の関係を知っていたのではないだろうか。
「どした?」
言葉途中で固まってしまった私をアルバさんが不思議そうに見てくる。
「あ、いえ……あの、アルバさんはユイ先生とルナ様のご関係については、その」
それを口にするのがなんだか気恥ずかしくて口籠もってしまうと、アルバさんが笑みを漏らした。
「もしかしてやっと気づいたの?」
「やっぱり、ご存じなのですね」
「そりゃ知ってるよ。むしろ知らない子のほうが珍しいんじゃないかな」
「えぇ」
「というのは言い過ぎだけどさ、でも上の子はだいたい気づいてたよ」
「そうなんですか。私、昨夜ベリト様に聞くまで全然、知らなくて」
「お前、鈍いからなあ」
アルバさんが笑う。昨日ベリト様にもそう言われたし、もう流石にその自覚は出てきている。
「それでその、お二人の前では気づいてない振りをしたほうがいいのかと思いまして」
「そこまで気を遣わなくていいと思うけど。あの二人も隠してるわけでもないみたいだし。まぁ、自分からは言わないみたいだけど。だいたいお前に振りなんて無理だろ。顔に出やすいのに」
確かに。
「それでもそうしたければしてもいいと思うし、それでユイ先生に様子が変やらなにやら心配されたら正直に話しちゃっても大丈夫だと思うよ」
……大丈夫。
「アルバさんもそう、なのですか」
「? なにが」
私は少し迷いながらもそれを口にした。
「こんな感じでお二人の話を、しても」
私の言葉にアルバさんは驚くように目を見開くと、継いで苦笑いを浮かべた。
「いつから気づいてた?」
「今年に入ってから、薄々と」
そう。今年アルバさんと修道院で働き始めてから薄々と気づいていた。彼女がユイ先生に向ける気持ちは慕っている以上のものがあるのではないかと。
アルバさんは……ユイ先生のことが好きなのではないかと。
修道院にいたときにも彼女とはほとんど一緒だったのに、そのときに気づかなくて修道院で働き始めてからそう感じ始めたのは、見習いのとき以上に仕事のことでユイ先生とアルバさんと三人でお話する機会が多くなったからだと思う。
「そうか」
「すみません」
「謝ることじゃないだろ」
「でも、やはり気づかない振りをしていたほうがよかったのかと」
「だからお前にそれは無理だって」アルバさんが苦笑する。「いや、でも今回は上手く隠せてたな」
「それは確証がなかったからだと思います」
「なるほどね。まぁ、私としても別にお前に言いたくなかったわけじゃないんだ。でもやっぱ恥ずかしくてさ。ごめん」
「いえ、そんな」
「それでさ、結論から言えば大丈夫だよ」
そう言ってからアルバさんは前を向いた。
「前にさ、ユイ先生に助けられて修道院に入るまで彼女の家で世話になってたって話したろ」
「はい」
「あの家での生活は家族を――妹を失った私には本当に温かいものでさ、それを与えてくれたのはユイさんだけれど、それをよりよいものにしてくれたのはルナさんなんだ。私の特別はユイさんだけれど、ルナさんも同じぐらいには大事なんだよ」
アルバさんが目を伏せる。まるでその温かな記憶を思い出すように。
「だいたい」アルバさんがこちらに向く。「気にしてたら私から話題を振らないし、修道院で働いたりもしていないよ。だから気を遣わなくて大丈夫だから。あぁでもユイ先生には言わないで。流石に彼女に知られると仕事しづらいし」
気恥ずかしそうにアルバさんが頬をかく。
ユイ先生にはってことは。
「ルナ様は」
「知ってるよあの人は。その上でからかってくるんだ。ほんと酷い人だろ?」
言葉とは裏腹にその口調には親しみが込められていた。それだけでもお二人が良い関係を築いているのが伝わり思わず笑みがこぼれる。
「でも、それに気づいたってことはお前も――」
そこでアルバさんは途中で言葉を止めると、笑みを漏らした。
「いや、なんでもない」
首を傾げる私の背をアルバさんが軽く叩く。
「ほら、あんまりのんびり歩いてると遅刻するぞ」
そう言ってアルバさんが走り出した。
「あ、待ってくださいアルバさん」
そんな彼女の後を私も追った。




