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少女と白の心  作者: 連星れん
前編
15/198

大陸暦1975年――05 魔法の勉強


「基本的に魔法は素養があり、紋語を正しく発音できさえすれば発現が可能だ」


 開け放たれたカーテンから差し込む陽光を肌に感じながら、その声に聞き入る。


「だが魔法をもっとも効果的に発現させるためには想像力と、紋語の意味を理解することが必要になる。紋語の意味を理解した上で唱紋しょうもんし、更にそれを唱えている最中に発現させたいものを頭の中で明確に思い浮かべてこそ、魔法は本来の効力で発現するんだ」


 女性にしては少し低めの、落ち着いた声音。

 聞く人によっては、いや、おそらくほとんどの人が冷ややかだと感じるような抑揚が抑えられた口調。


 だけど、私にとってそれは光だった。


 今まさにカーテンから差し込んでこの身に浴びている陽光のように、その声を聞いていると心地良く感じてしまう。日だまりにいるように心が温かくなってしまう。


「紋語の意味を理解するのは簡単だ。意味を調べて暗記すればいい。問題は想像力のほうだ。想像は誰でも出来る行為だが、一つのことを現実的に明確に思い浮かべるのは存外に難しい。だからそれを鍛えるのには実際に目の当たりにするのが一番いい。視覚情報は想像を固めるのにもっとも有効な手段だ。攻撃魔法の場合は熟練者の魔法を見るのがいいだろう。そして治療魔法の場合は治す対象だ。すなわち人体だ。人体構造を詳細に理解することで――」


 どうして私はこんなにもベリト様の声に、安心を覚えてしまうのだろう。

 どうして――。


「――フラウリア」

「はい……!」


 名前を呼ばれた私は反射的に返事をした。

 目の前には、人ひとり分の間隔を開けて置かれている椅子に座ったベリト様の姿がある。

 彼女は足と腕を組んだ姿勢で、半眼をこちらへと向けていた。


「聞いているのか」

「はい。聞いていました。ですが他の事も考えていました。すみません」


 正直にそう答えると、ベリト様はわずかに眉を寄せた。


「……器用だな」

「そう、ですね。器用ですね」


 自分のことなのに他人事のように言ってしまった私に、ベリト様は寄せていた眉を深めた。

 それは怒っているというよりは、どう対応するか困っているという感じだった。

 そんな彼女を見るのは初めてで、私はつい頬が緩んでしまう。


「なんで笑う」


 するとすかさず指摘された。


「何だか、楽しくて」


 それは問いかけへの返事でもあり、今私が感じてる気持ちそのものでもあった。

 ベリト様に勉強を教えて頂けるようになってから今日が初日。

 時間は室内の時計によると、始まってからまだ三十分程しか経っていない。

 その間、ベリト様は魔法に関して淡々と話し続けていた。

 雰囲気も和やかというわけでもなく、傍から見たら緊張感のある授業風景だろうと思う。

 でも、場の雰囲気に反して、私の心は弾んでいた。

 彼女の声に安心感を覚えながらも、心は落ち着きなく跳ね回っていた。


 嬉しいのだ。こうしてベリト様と一緒に過ごせることが。


 普段ならきっと見ることができない彼女の表情を見ることができるのが。

 それらを全部ひっくるめて、私は返答したのだった。


「笑うような話をしたつもりはないが」


 ベリト様は理解できないという様子で、真面目にそう返してきた。

 話の内容は関係ないのだけれど、でも、だからといって『貴女と過ごすことが楽しいんです』と事実を伝える勇気もない。それは流石に恥ずかしくて私が耐えられない。


「そうですね。すみません」


 だから私は謝ってこの話題を終わらせることにした。

 だけどそう口にしつつも、困ったことに頬は緩んだままだった。

 ベリト様は私から視線を外してため息をつくと、続けて言った。


「それで、理解はしたのか」


 言われて私はベリト様が話されていた内容を頭の中でまとめる。


「はい。治療魔法をもっとも効果的に発現させるには、紋語の意味と身体の構造を理解するのが大事、ということですね」

「そうだ。そのことにより随分と精度や魔力消費が変わる」

「変わる、というのは減るということですか?」

「あぁ。魔法というものは精度や魔力量を度外視すれば、先ほど話した通りの条件下で発現させることは可能だ。だがその場合、発現に必要な魔力量は必ず最大値となる」

「つまり」私は言った。「状況に応じて魔法の規模を変化させるには紋語の理解と想像力が必要であり、治療魔法の場合は負傷した箇所の正常な状態を明確に思い浮かべることにより、その箇所を治すためだけの魔力だけで抑えられる、ということですか?」


 ベリト様は切れ長の目をわずかに開いた。


「そうだ。理解が早いな」

「え、あ、ありがとうございます」


 ふいに褒められて慌ててしまう。


「まぁ、お前が扱うことになる神星しんしょう魔法の高位治療魔法は何も考えず唱紋しょうもんするだけでも、重傷者を助けられるぐらいには強力なものだ。だがその分、魔力消費は多く、そう連発できるものではない。お前も修道女になれば、そのうち信者を診たり施しをさせられるようになる。だから魔力の節約のためにも人体の構造は知っておいたほうがいい」

「その方が多くの人を助けられるということですね」


 そう言うと、ベリト様はいかにも違うとでも言うかのように顔をしかめた。


「無駄な魔力を使わずに済むという意味だ。魔力の枯渇は身体に負担がかかる」


 ……それはもしかして遠回しに、私の身体を気遣ってくれているのだろうか。


「枯渇するとどうなるのですか?」

「倦怠感や食欲不振で済む奴もいれば、高熱が出たり吐いたり症状は様々だ。それが魔力が回復するまでの数日続く。一度、枯渇したら魔力の回復速度も遅くなる」


 だから気をつけろ、と暗に言われている気がした。

 だから私も「気をつけます」と答える。するとベリト様は小さく頷いた。


「というわけだ」


 話を締めくくるようにベリト様は言った。

 そこで思い出す。ここまでの一連の話の流れは、私が『魔法の発現には素養と紋語の唱紋のみでも可能と書かれているのに、どうして人体図を覚えるのですか』と質問したことで始まったのだったと。


「だからまぁ、気持ち悪くても覚えろ」


 どうやらベリト様には、人体図が気持ち悪くて覚えたくないからこの質問をしたと思われたらしい。そういうつもりではなかったのだけれど、と私は勉強の間お借りしているベリト様の執務机に開かれた教本を見た。

 今開いているページには、人の胴体が開かれた状態で描かれている。

 確かに見ていて気分の良いものではないのかもしれないけれど、気持ちが悪いとまでは思わない。絵自体はそこまで現実的ではないし、それに昔、野垂れ死んでしまった人が野犬などに食べられた痛ましい遺体なども見かけたことがある。

 それに比べたら、描かれた臓物は可愛いものだった。


「この絵も、ベリト様が描かれたのですか?」


 なにげなく尋ねると、ベリト様は眉を寄せて「あぁ」と不機嫌そうに答えた。


「どうせ、下手だと思ってるんだろ」

「……え! 違います」


 私は慌てて首を振る。

 確かに教本の絵は少しばかり抽象的で現実味に欠けるとは思うけれど……ロネさんの絵に比べたらあれだけれど……でも、決して下手だとは思っていない。……うん。

 だけどこのままではそのように受け取られてしまいそうなので、何か他の理由を探すことにした。他の……そうだ。


「私はただ、解剖が禁止されているのに何を参考に描かれたのかと気になっただけで」


 今や人体解剖はどの国の法律でも禁止されている。

 それは世界的な宗教である星教せいきょうの死生観による影響が大きい。

 この世界では人が亡くなると、星教の星還士しょうかんしによって星還葬しょうかんそう――遺体を火魔法で火葬――される。

 そうすると肉体から解放された魂は流星群りゅうしょうぐん――大地から光が立ち上る現象――により空へと昇って星となり、いずれ新たな命として生まれ変わると星教せいきょうは説いている。

 そして星還葬しょうかんそうは基本、当日または翌日に執り行われるのが決まりだ。

 それは死した肉体に長く魂を留めておくと、魂も死に穢されてしまい最後には消滅すると言われているからだ。

 だから星教せいきょうにとって星還葬しょうかんそうを行わないのは死者の来世を殺す行為であり、冒涜だ。

 そのことから星還葬しょうかんそうを遅らせる行為である解剖は、原則として禁止されているのだ。


「よく知ってるな」ベリト様が言った。

「最近、星教せいきょうの歴史書で学びました」

「ならそれにも書かれていただろう。例外もあると」


 確かに私が読んだ歴史書には例外として、不審死の場合は国からの要請により、星教会の定められた場所で、然るべき人間が検死解剖を執り行うことが可能だと書かれていた。


「はい」私は頷く。

「そういう記録は残ってる。それを、参考にした」


 そう言ったベリト様の声音はいつも通りであったけれど、最後は少しばかり歯切れが悪かった。


「そうなんですね」


 それでも気になるほどではなかったので、私は素直に頷く。

 そこで会話が途切れた。授業が再開かなと、私はベリト様に向けていた身体を執務机へと戻す。そして教本を手にしようとした時、ベリト様がいる左側から、ガタリ、と椅子の足が床と接触した音がした。

 見るとベリト様が側に立っていた。彼女は私の目の前の教本に手を伸ばすと、ページをめくり始める。その様子を見守っていると、彼女のページのめくりかたが何だかやりづらそうなのに気づいた。


 ……もしかして。


 私はある事に思い至り、身を引くように椅子の背もたれに背を付けた。

 すると思った通りベリト様は腕の位置を変えて、円滑にページをめくりだす。

 やはり――彼女は私に接触しないように気をつけていたのだ。


『リベジウム先生には触れないように気をつけて下さい』


 ユイ先生との約束ごとが脳裏に蘇る。

 それがどういう意味を持つのか、ユイ先生に訊けなかった私はあの後、自分なりに考えてみた。……でも、いくら考えても思いつくのはそのままの意味である、ベリト様が人に触れられたくないからだろう、ということだけだった。

 もちろんそれすらも想像ではあったけれど、今の不自然な避け方からするに、そこは間違っていないように思う。

 それが分かったからといって何かが変わるわけでもないけれど、今後もベリト様に会うために約束も守るつもりだけれど、それでも、やはり気になりはする。

 どうしてベリト様は人に触れられたくないのだろう、と。


「今日はここを説明できるぐらいに覚えてみろ」


 ベリト様は開いたページを指し示す。


「説明、ですか」

「そうだ。そして後から実際に説明してもらう。その方が記憶の定着が早い」

「分かりました」


 ベリト様は座っていた椅子に戻っていった。私は教本へと向かう。

 そして頑張ろうと意気込んでから教本を読み進めていると、


「お前は」


 ふいにベリト様がぽつりと呟くように言った。

 見ると彼女は腕と足を組んだ姿勢で目を伏せている。


「魔法を学んでどうする」


 魔法を学ぶ目的――それはもちろん、決まっている。


「人を助けたいです」


 修道院に入るとき、私は自分に誓った。

 神に与えられたこの力を、誰かを助けるために使うと。

 それは今でも変わらない。

 これまで学んだ記憶が失われても、この誓いだけは私の中に残ってくれていたから。


「特に色んな事情で治療院に行けない、教会の施しを受けられない人達を助けてあげたいです」


 付け加えるように言うと、間髪入れずベリト様が言った。


「一人では行くな」


 その声には、いつもの彼女らしさというか、鋭さみたいなものが感じられなかった。

 そのことを不思議に思っていると、続けてベリト様は言った。


「治安がよくない」


 そういうこと――心配してくださっているのだと分かり、頬が緩む。

 ベリト様は分かっているのだ。

 私が本当に助けたいと思っているのは、壁区へきく壁近へきちかに住む人達だということを。

 壁区は星都せいとの貧民街であることから、ベリト様の言う通り治安がよくない。

 犯罪は日常的に起こるし、後ろ暗い犯罪組織がいくつも潜伏している。

 そのことは壁区へきくに住んでいた私がよく知っている。

 貧しいが故に治療士にもかかれず、怪我や病気で亡くなる人が少なくないことも。

 だからこそ私はそんな人達に手を差し伸べたい。

 満足に治療士にかかれない人を助けてあげたいと、強く思うのだ。


「はい。気をつけます」


 頷き思う。やはりベリト様は優しい人だなと。

 返事を受けて彼女は伏せていた目を閉じると、立ち上がった。


「外にいる。覚えたら呼べ」


 そして入口に向かう。その手にはポケットから取り出したのか小さな長細い筒。

 それがなにかは私も知っていた。でもベリト様がそれを嗜むとは知らなかった。


「タバコ、お体に悪いですよ」


 それは昔、路上に住んでいる物知りなお爺さんが教えてくれたことだった。

 タバコは吸うのも、タバコから出る煙を吸うのも身体に良くないのだと。だから吸っている時には近づくな、とよく言われたのを覚えている。

 ベリト様は治療士なので、私に指摘されなくても知っているだろうけれど、でも知っているのならどうして吸うのだろうという意味合いも込めて私はそう言った。

 ベリト様は扉の前で立ち止まると、


「だから吸ってんだよ」


 と背中でそれだけ言って、部屋を出て行った。

 ……身体に悪いから吸っている?

 それは、私の疑問に答えたようで、更に疑問を深めるような返しだった。



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