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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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大陸暦1977年――10 フラウリアの休日1


 瞼を開けるとおぼろげな視界にまず、白色が入り込んできた。続いてその中に黒色が滲むように浮き上がってくる。寝るときにはなかった色が確認できて、安心を覚える。

 頭を起こすために何度か瞬きをする。すると次第に視界が鮮明になってきて、白色がシーツと枕と横顔に、そして黒色が髪へと変わった。

 ベリト様だ。

 仰向けに寝ている彼女の瞼はまだ閉じられている。

 この光景は私がここに住まわせてもらうようになってからほぼ、毎日のように見ることができている。それは初日からずっと、ベリト様の部屋で眠らせてもらっているからだ。

 今ではもうこれが当り前になっていて、今さら自室で寝るなんて考えられない――正直に言ってしまえば嫌だ――けれど、最初はこんなつもりではなかった。ただ初日の夜、慣れない広い部屋で一人、強い風で窓枠が揺れる音を聞いていたら心細くなって、だから眠くなるまでベリト様のお部屋に居させてもらえないかと思っただけだった。でもベリト様は優しいからここで寝てもいいと言ってくれて、自分はソファで寝ると言うものだから、それでつい一緒に寝るのは駄目なのかと口走ってしまったのだ。そしてそれを切っ掛けとして、今でもこうしてここで寝させてもらっている。

 今思い返してみてもあのときの私は大胆というか図々しいというか、本当にどうかしていたと思う。でも結果的にあのときの自分に感謝している。だってこうしてベリト様と一緒に眠ることが出来ているのだから。

 とはいえ、普段はベリト様もルナ様の治療士として朝まで起きているので、私一人で就寝することが多い。だから二人で寝たいのならばここで眠る意味はないのだけれど、たとえベリト様がいなくてもここには彼女が生活している痕跡がある。彼女の香りが、残っている。それがなんだかとても安心する。……こんなこと、なんだか変態さんみたいでベリト様だけでなく誰にも絶対に言えないけれど。だから二日目の夜に『一緒に寝なければどこでも一緒だろ』と言われたときも、ここはベリト様の気配みたいなものがするからなんて誤魔化してしまったのだった。

 ベリト様を起こさないようにゆっくりと上体を起こす。それからまた彼女を見る。仰向けで寝ているその姿勢はとてもいい。起きているときも常に姿勢がいいベリト様だけれど、寝ているときも同じだなんてなんだか彼女らしいなと思う。

 穏やかな寝顔に私は一人で頬を緩ませながら静かにベッドを抜け出すと、ベリト様にシーツをかけ直してから部屋を出た。それから隣の自室に入り身支度をする。

 洗面場で洗顔と歯みがきをして髪を整えてから、クローゼットから私服を取り出す。そしてそれをベッドの上に置き、机前で着替えながらいつものように机の上を見た。

 机の上には本のほかに、小さな蛙の置物が三つと写真立てが三つ飾られている。

 蛙の置物は夜市(よるいち)の輪投げの景品だ。一匹は一昨年にベリト様と行ったときにもらった子、もう一匹は同じく一昨年にアルバさんたちと行ったときに、そして最後の一匹は去年アルバさんたちと行ったときにもらった子だ。本当は去年もベリト様をお誘いしたかったのだけれど、流石にあの人混みに彼女を誘うのは気が引けて我慢した。今年もルナ様とデボラさんが屋台で色々と買ってきてくださってお家で食べたので行けてはいない。もちろんそれはそれでとても楽しかったのだけれど、でもまたいつかベリト様と一緒にお祭りに行きたいなとは思う。

 写真は卒院式で卒院生と先生がたと一緒に撮ったものと、お仕事が始まる前にルナ様の写撮(しゃさつ)魔道具で撮ってもらったものだ。その一つには私とベリト様とルナ様とユイ先生が映っていて、もう一つには私とベリト様が二人で映っている。このときベリト様はルナ様とユイ先生に『なんでお前らと撮らなきゃいけないんだ』と言っていたけれど、私は家族写真みたいでとても気に入っている。どれも私の宝物だ。

 写真はここに飾っているもの以外にも、お誕生日を祝っていただいたときのものや、アルバさんやロネさんやリリーさんが遊びに来たときのものなどもある。それはデボラさんが事前にルナ様から写撮(しゃさつ)魔道具を借りて撮ってくださったものだ。もちろんそれも飾りたいのだけれど、今は写真立てが足りないので大事に収めている。

 だから最近はお給金が入る度に一つずつ写真立てを買うようにしていて、それが楽しみの一つになっている。この三つの写真立てもそうして買ったものだ。こうして思い出を目で見られる形で残せるなんて、写真ってとても素敵なものだなと思う。

 そして――私は机の上に視線を上げる。壁にはショーンさんが描いてくださった私の自画像を飾っている。とても素敵な絵だとは思うのだけれど正直に言えば、美化して描いてくださっているので見るのは少し恥ずかしい。それでも彼が最後に残してくれたものだから、いつも見えるところに飾っておきたかった。

 私は絵から写真と改めて眺める。この絵を描いてくださった人も、この写真に写っている人たちも、色んな形で自分を助け支えてくれた人たちだ。私が今ここで平穏に暮らせるようになったのは、優しいこの人たちのお陰なのだ。だから私はその感謝の気持ちを忘れないようにと毎朝、必ずここを見るようにしていた。

 着替え終わると、髪を一つにまとめてエプロンを持ってから部屋を出た。

 このお家は広い。裏庭付きの二階建てで、小さなお屋敷ぐらいの大きさはある。住み始めた当初は気持ちが落ち着かなかったけれど慣れとは凄いもので今では大分、居心地がよく感じてしまっている。こんな立派なお家に私なんかが住んでしまっていいのかなと思いつつも、ベリト様との生活が楽しいから否定もできない。

 このお家は元々、前の家主が亡くなってから長らく国の所有物になっていたらしい。それをベリト様が壁近(へきちか)からこちらに移り住まれたときにルナ様が彼女に贈ったのだとか。その話をベリト様から聞いたときは当然、驚いた。でも驚きながらもなんだかルナ様らしいとも思ってしまった。彼女が王族だからという意味ではなく、らしいなと。上手く説明はできないけれど。

 小走りに厨房に行くと先客がいた。彼女はパン生地をこねていた手を止めてこちらを見る。


「おはようございます。フラウリア様」


 それから微笑んでそう言った。


「おはようございます。デボラさん」


 デボラさんはこのお家の使用人さんだ。前職はルナ様の部隊に所属していた軍人さんなのだけれど料理は昔から趣味だったらしく、今やその腕はルナ様曰く、お城の宮殿調理士に勝るとも劣らないほどなのだとか。王族であるルナ様にそこまで言わせる食事を毎日、食べさせてもらっているのだから私は本当に幸せものだなと思う。

 このお家の使用人さんはデボラさん一人で、彼女は料理だけでなく家事全般から家計の全てを担っている。朝から夜までここで働いている。それでもベリト様が一日中、他人が自分の領域にいるのが嫌という理由で住み込みではない。とはいえ最近はここに泊まることもあったりするけれど。


「手伝います」エプロンをつけながら私は言った。

「ありがとうございます。では、今日はスープをお願いしてもいいですか」

「はい。頑張ります」


 私の言葉にデボラさんがにっこりと笑い返してくれる。

 食事作りを手伝わせてもらえるようになったのはつい最近のことだ。

 以前までは『主人の同居人にそんなことをさせるわけにはいきません』と言われていて、お願いしても食器の用意や片付けなど簡単な手伝いぐらいしかさせてもらえなかった。

 それに関しては私も仕方がないと思うところがあった。こちらに住まわせていただく以上、ここの決まりに従うべきだし、なにより料理に関して私は素人だ。手伝うにしても教えてもらったりと指示が必要になるので足手まといになってしまう。だから全てしてもらって申し訳ないなと思いながらも、デボラさんの言うことを受け入れてはいた。

 だけどデボラさんにお料理の話を聞いているうちに自分でも作れるようになりたい、作ってベリト様に食べてもらいたいという気持ちが強くなった。それをデボラさんに伝えたら『そういうことなら喜んでお教えしましょう』とこうして食事作りを手伝わせてくれるようになったのだ。

 食材はデボラさんが用意してくれていたので、彼女の横で野菜の皮を剥く。剥きながらデボラさんがパン生地をちぎって手際よく形にしていくのをちらりと見る。この通り食卓に並ぶパンは全て彼女の手作りだ。形も売り物みたいに綺麗で、味もとても美味しい。てっきり朝早くにパン屋さんで買ってきているのかなと思っていた私は、手作りだと知ったときには驚いた。


「大分、手つきが様になってこられましたねえ」


 手を止めないまま、デボラさんがこちらを見て言った。


「そうでしょうか」

「えぇ。上達が早くて教え甲斐があります」


 そう言われると少し照れてしまう。

 料理は修道院で何度かしたことがあるぐらいだ。見習いは卒院前になると一人暮らしに向けて料理を習う。それはルコラ修道院に孤児が多く、まともに料理をしたことがない子ばかりだかららしい。私も例に洩れずそうで、同学年で手つきが慣れていたのはアルバさんとリリーさんぐらいだった。お二人とも修道院に入る前に料理の経験があると言っていた。

 私は野菜の下ごしらえをし、それらを炒めてから鍋で煮込む。そしてこまめにアクを取ってから味付けをする。そのあと弱火で煮込み、小皿で味見をしてからデボラさんを呼んだ。


「味を見てもらえますか」

「はい」


 石窯の前にいたデボラさんはこちらにやってくると、私から小皿を受け取って口をつけた。


「そうですねえ。あとほんの少し、お塩を足したら美味しくなりますよ」


 助言通りにお塩を足してから、渡された小皿で味見する。


「本当ですね。流石デボラさんです」

「いえいえ。もっと褒めてくださってもいいですよ」


 ベリト様は褒めてくださいませんから、とデボラさんが笑う。


「でもベリト様もデボラさんのこと凄いって思っていますよ」

「本当ですか?」

「はい。以前に初めてカフェに行ったとき、ベリト様がデボラさんがなんでも作れるって仰ってて、それを私が凄いですねって言ったら同意されていましたから」

「あらあら、フラウリア様の前では随分と素直だこと」

「それになにも言わないということは、お料理に文句のつけようがないということだとも思います」

「と思うじゃないですか」


 含みのある言い方に私は首を傾げてしまう。


「実は私、一度だけ調味料を間違えたことがあるんです」

「調味料を」

「はい。あれは確かここに勤めさせていただいてから二年ぐらい経ったころでしょうか。いつも以上にベリト様がしかめっつらで夕食を食べてらして、あらあら今日は機嫌でも悪いのかしらと思っていたらなんとお塩と砂糖を間違えていたんですよ」

「作られたときに気づかれなかったのですか」


 いつも味見されるのに。


「お恥ずかしい話なのですがあのころの私は部隊でも料理が上手と散々、褒められていたこともあり自分の腕に自信がありましてね。だから作り慣れた料理は味見をしておらず、その所為で容器に砂糖とお塩を逆に補充していたことに気づかなかったんです。いやあさぞかし甘かったでしょうねえ」

「それでベリト様はなんと」

「なにも」

「なにも、ですか?」

「はい。しかめっつらのまま全部、食べておられました。普段から美味しいとも言わないかたですけど、不味いとも言わないところがお優しいですよね」


 思わず頬が上がる。私以外の人がベリト様を優しいと思ってくれるのは凄く嬉しい。


「あら、嬉しそうなお顔をされて。フラウリア様は本当にベリト様がお好きなんですねえ」


 その通りではあるのだけれど、人からそう言われてしまうと流石に恥ずかしい。


「まぁ、それでもそれが何日も続いていたら流石に怒っていたかもしれませんが。あれでしたらどれぐらいで我慢の限界が来られるか試してみます?」


 ベリト様の料理だけ砂糖を多めに入れて、とデボラさんが調味料を入れる仕草をする。


「だ、駄目ですよそんなこと」


 慌てるとデボラさんが笑った。


「冗談ですよ冗談。さぁ、そろそろ起こされないと。フラウリア様の朝食が遅くなってしまいますよ」

「はい」


 私はエプロンを外して畳んで置くと、厨房を出た。



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