大陸暦1977年――09 治療士として友人として5
シンの振りに「まぁ」と曖昧に返しているとデボラが居間に入ってきた。手には珈琲と紅茶が乗せられたトレイを持っている。シンには既に紅茶が出されているので私とフラウリアの分だ。それらを私たちの前に置きながらデボラが言った。
「パンはあと十五分ほどで焼き上がりますのでもう少しお待ちくださいね」
「はい」フラウリアが微笑んでうなずく。
「お前も食べていくのか」
私はシンに訊いた。こういうときこいつも食べていくことがある。
「そうしたいのは山々なんだけどさ、今日は新人がルナの容態を気にしてそわそわしてるだろうからあいつの顔を見たらすぐに戻るよ」
「あの新人、随分と気の弱そうな奴だったがどこから引っ張ってきたんだ」
「騎士団だ。ルナの爺ちゃんの推薦でさ」
爺ちゃんとはセルナの母方の父親のことだ。騎士の家系ボルゴ子爵家の当主で星ルーニア騎士団の騎士団長であり、セルナの剣の師でもある。
ボルゴ子爵家は星王国貴族の中では新しい家柄ではあるが、その血筋には古代大戦で活躍した星六英雄の一人で竜王国の星竜騎士団の創設者にして騎士の中の騎士と謳われたフィースの直系が混じっている。いつぞやか最初にセルナに剣を教えたシンがあいつの才能は飛び抜けていたと言っていたが、それはフィースの血筋からきているものなのだろう。魔法の素養と同じく、剣の才能も血で引き継がれることがある。各国に騎士貴族なんてものが存在するのはそのためだ。
「真面目だし歳のわりには腕も立つし、なにより希望してうちに移ってきたからやる気はあるんだけど、お前の言う通り気が弱くてな」
「気が強くて腕がないのも考えものだが、逆もしかりなんじゃないのか」
「まぁそうなんだけど」
「ですが今回のことで、なにかしら変化は起こるのでは」
そう言ったのはそばに立っていたデボラだ。
「実は俺もそれを期待してる。自分の所為で仲間が怪我をすると強くなりたいとか自分を変えたいとか思うもんな。特に若い奴は」
「若いっていいですよねぇ」
「なぁ、俺も血気盛んだった若いころが懐かしいぜ」
「お二人ともまだお若いと思いますけれど……」
しみじみとするシンとデボラに、思わずと言った感じでフラウリアが言った。
「デボラはともかく俺はフラウリアちゃんから見たらおじさんだよ」
「そうなのですか」
「あぁ。今年で三十一だしな」
「え」
「見えないだろ」
「そん、なことは」
どもるフラウリアにシンが笑う。
「気を遣わなくていいぜ。よく言われるし、俺も全然気にしてないし。子供にとっては若く見られる親ってのも悪くないってリリル、あ、リリルってのは嫁なんだけどあいつもそう言ってくれるしな」
「子供さんがいらっしゃるのですか」
「あぁ。あ、そういや丁度、先月に家族写真を撮ったんだ。見るか見るか?」
「はい」
シンは嬉しげに懐から写真を取り出すと、こちらに見せてきた。そこには椅子のそばに立っているシンと、椅子に座っているこいつの嫁、そして嫁に抱かれた小さい子供が写っている。
「わぁ。かわいらしい。娘さんですか?」
「あぁ。レアって言ってな、今年で三歳になるんだ」
「いいお名前ですね」
「だろ? 恩人の名前からもらったんだ」
「そうなんですか。奥様も素敵なかたですね」
「おぉ、なんか嫁を褒められることがないから照れるな」
「こんな素敵なかたなのに」
「部隊のやつらは顔馴染みばかりだからな」
「子供さんが生まれるまではリリルさんも現役で、シンさんと並んでルナ様の双璧だったんですよ」
不思議そうな顔をしていたフラウリアにデボラが補足するように言った。
「ご夫婦でお強いんですね」
「まぁ、伊達に若いころからこれで食ってきてないからな。ルナとユイとも昔からの友達でときどき飯も食いにくるんだぜ。デボラもな。あ、そうだ、今度みんな来るときフラウリアちゃんも来いよ」
「わぁ、よろしいのですか」
「あぁ。人が多いほうがリリルも喜ぶし。お前も」
シンがこちらを見てくる。
「考えとく」
「まじ」
シンがあからさまに驚いた顔をした。
「なんだよ」
「いや、今まで何度誘っても行かんの一点張りだったから」
それはただ単に外に出るのが嫌だったのと、わざわざ人の家まで行って食事を摂るのが面倒くさかったからだ。別にこいつらがどうこうというわけではない。そしてそれは今でも同じだが、フラウリアが行きたがっているのならば私だけが行かないというわけにもいかない。たとえフラウリアだけを行かせたとしてもこいつのことだ。ふとした瞬間に私がいないことを残念に思うのは目に見えているし、家に一人でいる私を気にして心から楽しむこともできない。こいつは、そういう奴だ。私の所為でこいつにそういう気持ちには、させたくない。
「悪いか」
とはいえそれをシンに言えるわけもなく。そしてそんなことを思っている自分にも羞恥を感じてついぶっきらぼうに返してしまった。それにシンは気分を害すどころか、悪ガキのような笑顔を浮かべてくる。
「悪かねえよ。リリルもお前のこと気にしてたし、喜ぶぜ」
……別に私はこいつともこいつの嫁とも大して親しいわけではない。セルナを通して仕事上の付き合いだけだ。だというのにそんな人間を気にかけるなんて本当、セルナの回りにはお人好しが多い。……つくづくそう思う。
そこで扉が叩かれたあと、すぐに扉が開く音がした。ユイだ。
「お、面会交代だな」
シンはソファから立ち上がると、ユイに軽く手をあげながら入れ違いで居間を出て行った。それにデボラも続く。
「ベリト。世話をかけました。フラウリアも」
「いえ。私は全然……」
ソファから立ち上がったフラウリアが気を遣うようにユイを見る。それにユイは微笑みで返すとこちらを見た。
「明日、休暇なので帰りに引取りに来ます」
「あぁ」
「ではよい休日を」
ユイは礼をすると居間を出て行った。それを見送ってからフラウリアがソファに座り直す。
「ルナ様ってよく、怪我をされるのですか?」
それからそんなことを訊いてきた。
「まぁ、昔はそこそこ生傷が絶えなかったが、最近はそうでもないな」
したとしても自分の所為ではないし。
「そうですか」
フラウリアはカップを手にすると紅茶を一口飲んだ。それから手元の紅茶を見つめる。なんだか物憂げな表情だ。
「どうかしたのか」
訊くとフラウリアはこちらを見て小さく苦笑を浮かべた。
「いえ、以前にルナ様をお見送りしたときのことを思い出して」
「あぁ、昨日話してた」
「はい。あのときのユイ先生、ルナ様を心配そうに見送っていました」
そう言うとフラウリアはまた手元の紅茶を見る。
「自分が好きなことを誇りを持ってなされるルナ様はとても素敵だとは思うんですけど、でも回りは、特に親しい人は心配ですよね。ルナ様はマドリックですから尚更に」
それを聞いて昔、セルナが大怪我を負ったときのことを思い出した。
あれは私がここに移り住んでから一年、経ったぐらいのときのことだ。腹を切られたセルナは血管も損傷し普通なら死んでもおかしくない怪我だった。それでも助かったのは正直に言って私の迅速な処置によるものと、あとはあいつの並外れた自然治癒力のお陰だろう。
そのときユイは……泣いていた。
私の前で泣いていたわけではないが治療後、仮眠を取ったあとに会ったら目が赤かった。そして感謝された。自分では助けることができなかったと。私がいてくれてよかったと。
それはユイだけではなかった。シンを含め部隊の人間からもしつこいぐらいに感謝された。それだけでなく後日、セルナが回復したあとあいつの兄――そう星王までもがお忍びで家にやってきて感謝してきた。
感謝されれば誰だって――私だって悪い気はしない。現に壁近にいたときもそうだった。どんな人間でも心から感謝してくれば、少しは良い気持ちにはなる。
だが、あのときの私は良い気分になるどころか後悔を感じていた。
あいつの治療士を引き受けたことを、心から後悔していた。
セルナは人を惹きつける才能――根源色を持っている。
ユイも、シンも、その回りにいる人間たちもその色に魅せられた者たちだ。多くの人間があいつの人間性を好み、繋がりを持っている。
私は治療士としてあいつの命だけを預かったわけではない。
あいつに繋がる多くの人間の想いをこの手に預かってしまったのだ。
それはセルナを助けられているうちはまだいい。だがもし、あいつを助けられないそのときが来たとしたら、私はその多くの想いを受けることになる。責められることはないにしても、多くの悲しみを見させられることになる。……そう、壁近で助けられなかった男の星還葬に参列したときのように。
それに気づいたとき、私は逃げ出したい気持ちになった。
何度も国を出ようと、あいつの前から姿を消そうかと考えた。
……だが、できなかった。
そう考えたところでもう手遅れだったのだ。
私はあいつの心を視たとき、その色に魅せられた。
あいつと関わることを、繋がることを自ら選んでしまった。
そしてその繋がりを断ちきることが出来なかったのは、それが嫌ではなかったからだ。
暇を見つけては家に顔を出し、なにかと絡んでくるあいつをウザく感じながらも、心から疎ましいとは思っていなかったからだ。
それだけでなくセルナの命を救ったことで、この星都には自分よりも腕がある人間がいないこともわかってしまった。星都中のマドリック治療士たちに学んだユイが自分では助けられなかったと言ったからだ。
そもそもセルナが私を治療士にしたのは、それまであいつの治療をしていたユイがそう勧めたからだった。手先が器用ではない自分がマドリック治療士として向いていないこと、そしてセルナがもし大怪我を負ったとき平常心で処置できる自信がないとユイが自覚したからだ。それで何人ものマドリック治療の知識がある治療士に荷が重いという理由で断られ続けて見つけたのが私だった。
そんな私が姿を消したら、全ては元通りになる。
セルナの命はまたユイの手に委ねられることになる。
それでもしあいつを救えないときがきたら、ユイはどうなるだろうか。……決まっている。自分の所為で大事な人間を失った奴がどれほどの心の傷を負うか、そんなこと容易に想像ができる。
それがわかっていながらもう、ここを去ることなどできるわけがなかった。




