大陸暦1977年――09 治療士として友人として3
「そういえばフラウリア……この時間も起きてるのね」
セルナが話題を変えてきた。
「明日休みだから夜更かしをしてたんだ」
「そう……それは邪魔しちゃったわね」
「邪魔?」
「だってあの子、貴女と一緒に過ごしたくて起きてたんでしょう……?」
まさにその通りなのだが、素直に認めることができず黙っているとセルナが小さく笑った。
「あの子、本当に貴女によく懐いているわよね」
「人を子犬みたいに言うな」
「あら、ベリトはそのように見えたことない……?」
「考えたこともない」
「そう。私には貴女といるあの子が時々、嬉しそうに尻尾を振っている子犬に見えるけれど」
パシェの子犬のころみたいに、とセルナは笑う。パシェとは星王家一家が飼っているペットの名前だ。セルナは子犬と言ったが普通の犬ではない。隣国である白狼国の国獣にもなっている狼、白狼との混血だ。白狼国の白王から友好の証として贈られたものらしい。純血ではなく混血が贈られたのは、白狼自体の輸出が禁止されているからだろう。そのパシェを一度、写真で見せられたことがあるが、白狼の血が濃いのか見た目はほぼ狼で毛並みも真っ白だった。
しばらくセルナは声を立てず笑っていたが、やがて息を吐いた。手から伝わる感情がすっと下降する。
「貴女があの子を助けてくれたとき……安堵しながらも申し訳なさでいっぱいだった」吐露するかのようにセルナは言った。「折角、壁近からここに来たのに同じようなことをさせてしまって……私が、貴女に甘えたばかりに……」
怪我や病気になれば、どんなに屈強な肉体を持つ人間だって、どんなに鋼の精神を持つ人間だって、気持ちが落ちるものだ。
それは精神的に強い部類の人間であるこいつだって例外ではない。
セルナは魔法が効かないこともあり、普通の人間よりも死を身近なものとして捉えている。
忌むべきものではなく、いずれ訪れるものとして受け入れている。
だからそのときのために遺書だって用意している。親しい人間に向けた遺書を毎年、書き直しながら残している。それほどの覚悟を持ってこいつは部隊設立からずっと危険な現場に身を置き続けているのだ。
それでもこいつだって死にたいわけじゃない。怪我をしたら気落ちはするし不安にだってなる。それは治療時に触れていてわかる。
だが、こうして胸中を吐き出すようなことを口にするのは始めてのことだった。
歳を取った所為か、なんて内心で苦笑していると、ふいに脳裏に言葉が浮かんだ。
『喜ぶと思いますよ。感謝されるのは結構、嬉しいものですから』
「……そうだな。お前のお陰でまた背負うものが増えた」
私が人の記憶を引き受けたのはフラウリアが初めてではない。
壁近にいたときに一度、世話になった奴の記憶を引き受けたことがある。
大事な人間を殺され、心が壊れそうになっていたそいつの記憶を。
大事な人間に関しての記憶と、それに結びついてしまっていた私の記憶の全てを――。
人の心を壊そうとするほどの記憶を引き受けた私は、その記憶に苛まれ徐々に体調を崩していった。だから引き受けた記憶に関係のある壁近を離れようと考えていたところに丁度、現われたのがセルナだった。
私はセルナの申し出を、治療士になることを引き受けた。そのときに不可抗力とはいえセルナの心を視てしまった私は、それを盾に詰め寄られたこともありこれまでのことと能力の全てを話した。そしてお前のために記憶を視る力や人を殺す力はもちろんのこと、記憶を引き受ける力も二度と使うつもりはないと言った。それを聞いてセルナは最初からそのつもりはないと言っていたし、その言葉はずっと守られていた。
それでもあのとき私を頼ったのは、フラウリアのためだった。
あいつを苦しませない方法としてセルナは悩んだ末に私を頼ることを選んだ。それを表には出さなくともずっと申し訳なく思っていたのだろう。その証拠に私の言葉を受けて、指から伝わるセルナの意識が申し訳なさそうに縮こまる。
「――だが、以前も今回も、それを最後に選んだのは私だ。お前のためにあいつを助けたわけじゃない。あいつを助けると決めたのは私自身だ。そして、そうしてよかったと思っている。あいつを見ていて、あいつと暮らしていて本当に、そう思う。この生活はお前が私を頼らなければなかったものだ。だから――感謝してる」
意識が驚く。
感情の高ぶりが伝わってくる。
セルナの体が小刻みに小さく揺れる。笑っているのだ。
「……まさか私、今日で死ぬんじゃないでしょうね……」
「かもな」
私の冗談にセルナがまた笑う。
痛みで生じる感情を覆い尽くすような喜びが、触れた指から伝わってくる。
それは……不快なものではなかった。
他人の感情だというのに違和感も感じなかった。
フラウリアから伝わる感情のように抵抗なく、私の中に入り込んでくる。
あいつが喜んでいるときと同じように、温かく、感じる。
自分が要因で喜んでいる人の感情というものは同じなのだな――そう私は初めて知った。
やがて縫合が終わるころにセルナは眠りに落ちていた。
気を失ったのではなく、普通に寝た。
こいつは怪我をすると寝る傾向にある。そうやって自然治癒力を高めているのかもしれない。
終わるのを見はからってやってきたデボラが、薬を塗った綿布を患部に当てて包帯を巻く。それからセルナにシーツを掛けて部屋の明かりを消してから二人で部屋を出た。
「今日は泊まっていけ」
通路を歩きながら私は言った。
「そうさせてもらいます。お茶でも入れましょうか?」
「いや、もう寝るからいい。お前もあいつに夜通しつく必要はない」
「わかりました。おやすみなさい」
「あぁ」
デボラと別れ、私は気配を辿って居間に行く。部屋の中に入ると、気配で気づいていたのだろうフラウリアがソファの前で立っていた。
「ルナ様は」こちらに歩み寄りながらフラウリアが訊く。
「大丈夫だ。大した怪我じゃない」
「でも、結構……」
「あいつの場合、内臓さえ傷つけられていなければ回復は早い」
「ルナ様の場合」
「あいつは並のマドリックより格段に自然治癒力が高いんだ。どういう仕組みかは未だにわからんが」
「そうなのですか」
「とんだ夜更かしになったな」
安堵しながらもまだ心配そうにしているフラウリアに私は冗談めかして言ってみた。するとフラウリアがそれに気づいたかのように淡く苦笑する。
「あいつは寝た。私たちも寝よう」
「はい」
うなずいたフラウリアと共に私は居間を出た。




