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少女と白の心  作者: 連星れん
前編
14/198

大陸暦1975年――04 大きな一歩


「――ということで、今後は私が担当になります。よろしくお願いします」


 頭を下げると、前方から「あぁ」と短い返事が返ってきた。

 週初めのお昼前。修道院での治療学の授業が終わった私は、リベジウム先生の仕事部屋に訪れていた。

 用件はもちろん課題をお届けするためだ。

 今日は私が正式に課題をお届けする担当になってから初めての訪問だった。だからその旨を伝えてから改めて挨拶をしたのだけれど、返ってきた反応は非常に淡白なものだった。おそらく自分が担当になったことは事前にユイ先生から聞いているのだろう。……聞いていなくてもリベジウム先生なら同じ反応をしそうな気がしないでもないけれど。


「それで、どちらに置いておきましょうか?」


 今日リベジウム先生は、奥の作業机らしきものではなく入口から右手奥にある執務机の椅子に座っていた。なので前回のようにこちらに背を向けてはいない。だけど相変わらず何かの作業をされているようで、視線は机に下りたままだった。


「空いている所に置いとけ。今後も聞く必要はない」


 リベジウム先生は視線を上げずにそう答えた。


「わかりました」


 同じ場所のほうが分かりやすいだろうと、前回と同じソファの上に課題を置く。

 そして思う。やはり彼女の声にはどことなく既視感を感じると。

 それだけではない。その声を聞いていると、不思議と心まで安らぐ気がする。

 お世辞にも――たとえばユイ先生のように――柔らかい声音や言葉使いというわけでもないのに、客観的に聞けばとても冷たい感じなのに、私の心はどうしてか彼女の声を完全に信頼しきっている。

 普通、初対面の相手にこんなことは思わない。

 それは初対面に限らず、それなりに付き合いのある相手でもそうだ。

 人を信頼するにはある程度、時間が必要になる。他人への警戒を緩めるのが早いと、孤児仲間によく注意されていた私でさえもすぐに人を、しかも無条件で信頼したりはしない。


 それなのにどうして私の心は、彼女の声を受け入れてしまっているのだろうか。

 もしかして私は彼女とどこかで会ったことがあるのだろうか。

 たとえその記憶が事故で失われてしまったとしても、心がそれを覚えているのだろうか――。


 ……いや、そんなことあるはずがない。


 だって私達が知り合いならば、まずリベジウム先生の方から何かを言ってくるはずだ。

 でも彼女は私を知らないようだった。対応も初対面のそれだった。

 ただ、私を見たとき一瞬、驚くような反応をしたのは気になるけれど、それはおそらく自分の髪色のせいだろう。私の練色に近い白髪は、黒髪と同じく珍しいもののようだから。それを誰かに確認したことはないけれど、日々、自分に向けられる物珍しい視線で私は自然とそのことを自覚していた。


「何だ」


 突然、声を掛けられて私は「え」と声を漏らしていた。

 リベジウム先生は先ほどと変わらず、視線を机の紙面に向けている。


「見てるだろ」


 指摘されて耳が、かっ、と熱くなった。どうやら私は自分でも気づかないうちに、リベジウム先生のことを見据えたまま物思いにふけていたらしい。


「すみません」


 羞恥で思わず俯く。たとえそれが無意識下の行動とはいえ、無言で無遠慮に人を見るのは失礼な行為だ。

 不快に思われただろうかと心配していると、それを見透かしたかのようにリベジウム先生が言った。


「別に怒ってはいない。何か用かと思っただけだ」


 その物言いは吐き捨てるようなものだったけれど、言葉通り怒ってる感じはしなかった。それどころか、その言葉の中にはどことなく気遣いのようなものまで感じられる、気がする。……もしかしたら私の思い込みかもしれないけれど。

 とりあえず気分を害していないことに安堵した私は、返す言葉を考える。

 訊きたいこと自体はたくさんあった。

 リベジウム先生のことはもちろんのこと、修道院のお仕事をされるようになった経緯や、身分を超えたご友人とも言えるルナ様とのこと、そしてどこかでお会いしたことがないのかも一応は確認してみたい。

 でもそれを会って二度目の相手に訊くのは流石にどうかと思う。

 物事には順序が必要で、それは人間関係にも当てはまるということぐらいはまともな教育を受けていない孤児の私でも知っている。

 だから今日のところは色々訊いてみたい衝動は抑えて、差し障りのない話題に留めておこう、そう思った。


「リベジウム先生は課題だけでなく、治療学の教本も作られたんですよね」

「あぁ」

「私は学び始めたばかりですが、とても分かりやすいです」


 それは建前ではなく、本当に思っていることだった。

 私は今、記憶がない五年分の遅れを取り戻すべく、一から治療学の勉強に取り組んでいた。

 その際に使っているのが、リベジウム先生が修道院の見習い向けに作った教本だ。

 彼女の教本は治療学の授業でも採用されているもので、その内容は一般向けに出回っている教本と見比べても余分な解説が少なく非常に取っ付きやすい。

 ただその分、知識を深めるには簡潔すぎるらしく、授業では教本に加えて補足と解説をしているのだとアルバさんが言っていた。


「そうか」


 リベジウム先生は短く応じた。その声音に抑揚はなく、表情にも変化はない。

 こちらに一瞥もくれず、まるで褒められることに興味がないとでもいうようにペンを走らせ続けている。

 会話が続かないことに私は少しばかりの落胆を感じた。でもすぐに意図して自分を励ます。最初はこんなものだと。

 それに先日ユイ先生も言っていた。リベジウム先生は人付きが苦手なのだと。だから彼女にとってこれは普通のことで、決して疎ましく思われて会話が続かないわけではない――……そう思いたい。

 治療学の授業は週に二回ある。今後は週に二回も彼女と会うことができる。

 だから焦らず少しずつ、心を開いて頂けるように頑張ろう。


「では、失礼します。お仕事、頑張って下さい」


 そう、心に決めて踵を返した時、


「おい」


 と、呼び止められた。


 私は少し驚きながらも振り返り「はい」と答える。

 リベジウム先生は机から顔を上げ、こちらを見ていた。

 思わず目が合い、心臓が強く跳ねる。


「お前用に、課題を作るように頼まれた」


 切れ長の目から覗く半円の瞳がこちらを見据えている。……思えばリベジウム先生と正面切って視線を交わすのはこれが初めてだった。先日は彼女に肩越しに見られただけで、目が合ったとは言いがたい状況だったから。

 だからその所為か、心が落ち着かない。

 胸の鼓動もいつもより早い気がする。

 それは彼女の全てを見通すような金色の瞳がそうさせているのだろうか。

 それとも彼女に見つめられているからだろうか――。

 それでもと、どうにか彼女が口にした言葉の意味を考える。そして思い至る。おそらくユイ先生に頼まれたのだと。


「だが、お前は授業に沿っていない。だから課題が作りにくい」


 確かに、と納得して思う。これは……苦情なのだろうかと。でもそれにしては声音に責めているような感じが含まれていないように感じる。


「すみません」


 だとしてもどう答えていいか分からなかった私は、とりあえず謝罪しておくことにした。

 するとリベジウム先生は眉根を寄せると、


「いちいち謝るな。責めているわけじゃない」


 と、視線を逸らしてから言った。

 それは先ほど私が謝った時と同じような反応だった。

 吐き捨てるような物言いの中に、気遣いのようなものが感じられる。

 それはまるで隠しているかのように分かりづらいものだったけれど、二度目だからか私には先ほどよりもはっきりと感じ取ることができた。


 やはりと思う。先ほどのは思い込みではなかったのだと。


 リベジウム先生は確かに私を気遣ってくださっていたのだと。

 それが分かりづらかったのは、おそらく彼女が不器用な人間だからだ。

 素直に感情を表わすことが苦手なのだと思う。 

 だけど、それでも彼女は彼女なりに私を気遣ってくださった。

 私には否がないのだと、不器用ながらもそれを伝えようとしてくださった。

 人を思いやる行為――私はそれがどこから来るものなのか知っている。

 だから確信と一緒に、自然と心が温かくなる。

 私が根拠もなく感じていたことは、間違いではなかった。


 リベジウム先生は私が思ったとおりの、優しい人だ――。


 だけど、責めていないのならば彼女は何のためにこの話題を持ち出したのだろう。

 その答えを求めるようにリベジウム先生を見る。すると彼女は、ちらり、とこちらを見ると、どこか言いづらそうに口を開いた。


「だから、授業が始まる前に課題を集めてここに来い」

 え、と反応してしまう。

「どうせ授業は自習してるんだろ。なら課題を作るついでに教えてやる」


 私は目を見開いた。


 リベジウム先生が、私に、勉強を教えてくださる……?


 その意味を理解しながらも、私はそれを驚きのあまりすぐに事実として飲み込めなかった。だから呆然とリベジウム先生を見てしまう。すると彼女は私からまるで逃げるかのように、つい、と視線を逸らした。


「嫌ならいい」そして淡白にそう言った。

「そんなことありません……!」


 それには私も反射的に反論してしまっていた。

 その声が自分にしては大きなものだったので、私は驚いた。それはリベジウム先生も同じだったらしく、彼女は切れ長の目を見張ってこちらを見ている。

 そんな彼女の反応に、私は何だかしでかした気持ちになった。

 だから次第に耳が熱くなり、羞恥で俯きたくなる。でもその気持ちには耐えた。今は言わなければいけないことがあったから。


「決して嫌ではありません。それどころか、嬉しいです」


 私はリベジウム先生の目を見て、念を押すようにそれを口にした。

 困って言葉が返せなかったのだと思われるのだけは絶対に嫌だったから。


「でも、宜しいのですか?」

「そのほうが効率がいいだけだ」


 リベジウム先生は顔を逸らすと、ぶっきらぼうにそう答えた。

 まるで私のためではない、全ては自分のためだとでも言うように。

 でも、私には分かっている。いや、私だけでなくきっと誰にだって分かる。それが自分の利益だけを考えた言動ではないと。

 だって本当に効率だけを求めるのなら、私に勉強の進行状況を確認したほうが早いはずだ。

 どう考えても、勉強を教えて課題も作ったほうが手間になる。

 だからリベジウム先生は初めから、私のことを考えてそう言ってくださったのだ。

 しかもユイ先生に言われたでもなく、私がお願いしたでもなく、自らの意思で私に時間を割くことを決めてくださった。

 そのことが、私は本当に嬉しかった。


「ありがとうございます。リベジウム先生」


 私が心から感謝を述べると、リベジウム先生は「それはやめろ」と言った。


「私の事はベリトでいい。家名も、先生と呼ばれるのも好きじゃない」

「――はい。ベリト様」


 彼女の希望通りにそう口にした私は、自然と頬が綻んでしまっていた。

 名前で呼ぶことで一気に距離が縮まった気がして嬉しかったからだ。

 そんな私をベリト様は横目で見やったあと、再び机に向かってペンを走らせ始めた。



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