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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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大陸暦1977年――08 泥土と白い花5


 中央監獄棟からの帰り道、フラウリアはショーンが言っていた画商に寄って欲しいとお願いしてきた。

 ショーンとの最後の会話であいつに良い感情を(いだ)いていなかった私は正直、フラウリアがあの男が描いたものを受け取るのは嫌だった。しかし、だからといってこいつの気持ちを踏みにじることもできず、結局は希望通りに画商に寄った。けれど頃合い悪く、画商は閉まっていた。

 近所の店に聞いたところによると、画商の店主は他国に仕入れに行っているらしかった。数日後には戻るだろうということだったので、別に本人が取りに行く必要もないだろうと後日、デボラに受け取りに行かせることにした。

 それから何事もなく半月が過ぎ、夕方にセルナが訪ねてきた。

 フラウリアが休暇の日、私が仮眠から起きたあとに居間で二人、過ごしていたときのことだった。


「本日、刑が執行されたわ」


 誰の、とはセルナは言わなかったが、それが誰かはもちろん私もフラウリアもわかっている。


「そうですか」


 それを意外にもフラウリアは顔を曇らせることなく受け止めた。それから「自室でお祈りしてきてもいいですか」と言ってきたのでうなずくと、ソファから立ち上がってセルナに礼をしてから居間を出て行った。

 それを目で見送ってからセルナが苦笑する。


「明日の朝刊で知るよりはって思ったんだけれど、休暇のときに悪かったかしらね」

「いや」


 たとえ顔には出ていなくとも、フラウリアの性格からして心を痛めているのは間違いない。だから仕事前に知るよりは、受け止める時間が取れる今日のほうがよかっただろう。


「二人が面会したあと、彼に会いに行ったら丁重にお礼を言われたわ。そのとき訊いてみたの。被写体にした女性はたくさんいただろうに、どうして最後に会うのがあの子だったのって。そしたら彼、私には世話になったし最後だからと全て話してくれたわ」


 そのときのことを思い出すように、セルナは語り始めた。



『父の後を継いでからというもの、私はほとんど根城から出ることがありませんでした。それは命を狙われる心配があるからという理由ではなく、貧困と犯罪が蔓延する壁区(へきく)という場所を私が好いていなかったからです。犯罪を生業(なりわい)とする一家に生まれた人間が、これまでその一端を担ってきた人間がなにを言っているのだと思われるかもしれませんが、そうなのです。生まれつき――そう生まれつきと言ってもいいぐらいに私は物心ついたころから自分の境遇が嫌いでした。それでも私はその境遇を甘んじて受け入れていました。当時は小さな犯罪組織ではありましたが、衣食住に困らないだけの生活はできていましたから。そしてそれを全て捨てられるほどの勇気も気概も、私にはありませんでしたから。

 そんな意気地無しの私でも父が死んだときに一度だけ、真剣に考えました。弟に全てを押しつけて組織を出ることを。しかし、結局はそうせず父の後を継ぎました。それは弟を置いていくことが、どうしてもできなかったからです。

 一つ違いの弟は幼いころから物事を一人では決められない子でした。なにをやるにしても父に意見を求め、父の言うことは間違いないのだと盲信していました。そんな単純で純粋ともいえる弟は組織の大人にも可愛がられ、父が望む通りの人間に成長しました。そう。裏社会の人間らしい人間に。そして父が死ぬと、弟は盲信する相手を父から私に変えました。私はそのように自分を持てない弟を昔から憐れに感じていましたが、家族として愛してもいました。だからこそ弟を置いて行くことができなかったのです。

 そんな一人ではなにも出来なかった弟が私の元を離れる決断をしたのは、非常に感慨深いものがあります。その計画を知ったときには、ひな鳥が巣立ちをした親鳥のような気持ちにさえにもなりました。だから弟を恨む気持ちはありませんし、情報をお教えすることもできません。裏切られようともたった一人の家族ですので。すみません。

 余談が過ぎましたね。

 そんなわけでなるべく外に出たくなかった私は、引きこもりながら組織運営を行ないつつも、現場のことは幹部や弟に指示だけ出して全て任せていました。しかしいくら外が嫌いでも、部屋に籠もりっきりでは流石に息苦しさを感じてきます。だからそれが限界に達したときには護衛を連れて近場で比較的、治安がいい場所を散歩していました。

 しかしあの日は違いました。私はとある目的で護衛が止めるのも聞かず、裏通りに足を向けたのです。そこは孤児のたまり場で、路肩には薄汚れた身なりの孤児が何人も座り込んでいました。孤児たちは目の前を通り過ぎる私に、様々な負の感情を宿した目をこちらに向けてきました。富裕層のようにいい身なりをしていたわけではありませんが、それでも壁区(へきく)にしてはまともな格好をしていたからでしょう。

 私は憐れな孤児たちから目を逸らしたい気持ちを抑えながら、彼ら彼女らを一人一人眺めました。すると同じ目が並ぶその中に、異質な瞳を持つ孤児を見つけたのです。ほかの孤児となんら代わりのない汚れた身なりだというのに、その目には負の感情が微塵も浮かんではいない。ただ私のような人間がどうしてこんなところにいるのだろうと、その純粋な疑問だけを目に宿していました。

 そう。その子こそが、フラウリアです。

 私は彼女を見て、どうしてか泥土に咲く白い花を連想しました。

 たとえその花びらを泥で汚そうとも、花びら自体は決して泥色に染まることのない白い花を――。

 もう殿下もご存じの通り、私は女性の裸婦を描くのを趣味としています。とはいえ流石に昔から女性の裸婦ばかりを描いていたわけではありません。幼いころは家族や組織の人間、そしてあとは想像で色々と描いていました。そんな私を病弱だった母は才能があると褒めてくれましたが、父はそうではありませんでした。絵など組織の跡目には必要のないことだと、よく私を殴りました。それでも私はめげずに父に隠れて絵を描き続けました。絵は私にとって境遇を忘れられる唯一の逃げ道であり、心の拠り所だったからです。

 そんな(ささ)やかな趣味に転機が訪れたのは十二の誕生日のときでした。父が始めて女性を、高級娼婦をあてがってくれたときのことです。もちろん、と言ってしまうと言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、それを私が望んだわけではありません。女好きの父が勝手に私が喜ぶと思ってそうしたのです。そんな単純な父に呆れながらも、父と高級娼婦である女性の面目を潰すわけにもいかなかった私は、仕方なくそれを受け入れました。

 赤裸々なことを申し上げますと、私は思春期であるその年になっても女性に全く興味がありませんでした。それは女性が嫌いだったというわけではなく、性的なことよりも絵のほうが関心事だったからです。なので私はそのとき始めてまともに女性の裸体を見ました。そして、その造形に今までに感じたことのないぐらいに感銘を受けたのです。

 その出来事ですっかり女性の造形美に魅せられた私は、父に頼んで娼婦を呼んでもらっては裸婦ばかりを描くようになりました。違う娼婦が来る度に父に話さないよう口止めをして、ひたすら色んな娼婦の裸婦を描き続けました。最初はそれで私も満足していました。娼婦の容姿も、年齢も、人間性も、身体の特徴も、人それぞれ異なり、それらを絵にするのは楽しいものでしたから。

 ですが人とは贅沢な生きものです。十年近くも娼婦らを描き続けた結果、私は次第に飽きを感じ始めました。なぜなら娼婦はみな、壁区(へきく)の生まれだったからです。たとえ年齢も性格も外見も違えど、人というものは生まれ育った土地に身体が根付いている。その環境に心が染まっている。壁区(へきく)の人間ばかりを描くということは、結局は同じものを描いているのと変わりがない。あるとき私は、そう気づいてしまったのです。

 だから私はそうではない被写体を追い求めていました。一番は生まれも育ちも壁際ではない女性を被写体にすることでしたが、それは裏社会の人間の相手をすることに慣れている娼婦のように簡単にはいきません。たとえどれほど大金を積もうとも、まともな育ちの人間なら犯罪組織の根城まで来ようとは思わない。私のような人間がそのような女性を根城までお招きするには、人身売買を行なっている組織から買うか、自分の組織に浚わせるかの二択しかない。しかしそれは私の気が進まないし、意味もない。たとえ生まれや育ちがまともでも、浚われ売られた女性は必ず身も心も恐怖で染まっている。本来の色を濁らせてしまっている。私はそんな憐れな女性を描きたいわけではない。

 だからあの日、普段は行かない場所を散歩したのです。子供ならばもしかしたら、まだこの地に染まりきっていない人間がいるかもしれないという希望的観測を持って。

 そんなときでした。フラウリアと出会ったのは。

 彼女は、あの場所に染まることなくそこにいました。

 あの場所で生まれ育ったとは思えないぐらいに彼女の存在は白かった。

 まさに私が望んでいた被写体が、そこにはいたのです。

 初めは普通に仕事を持ちかけました。被写体になってくれたらお金でも食事でも住まいでもなんでも与えると。ですが丁重に断られました。流石にそこは彼女も壁区(へきく)の孤児、そんな上手い話はないと警戒したのでしょう。それでも諦め切れなかった私は、彼女の信頼を得るために彼女のことを調べました。それで知ったのは彼女は常日頃から大分、危ない橋を渡っていたことでした。自分になんの見返りもないというのに、孤児の仲間を助けていたのです。それに目を付けて部下に何度か彼女を助けさせました。すると彼女のほうから、助けてもらってばかりでは申し訳ないからなにかお返しがしたいと言ってきたのです。そのことに私は少なからず驚きました。彼女を助けていたのは信頼を得て被写体を引き受けてもらうためであり、そう言わせるためではなかったからです。彼女もよく知らない大人にそんなことを言ってしまうのがどれだけ危険かわからないほど、馬鹿ではない。むしろ幼くもとても賢い子だった。それでも覚悟の上でそう言ってきた。ただ、私に恩を返したいがために。

 そこで私は自分の見る目が間違いではなかったと確信しました。

 そして彼女にそれならば被写体をして欲しいと言いました。それは長い期間を想定していましたので、私はその対価としてなにが欲しいかとも聞きました。それに対して彼女はお返しだから対価はいらないと断ってきましたが、最後には私に押し負け自らの身を守って欲しいと希望してきました。しかしそれは決して自分のためではありませんでした。彼女が危険な目に合う原因のほとんどは、孤児仲間を助けようとしたときであり、彼女は人を助けるためにそれを願ったのです。そうすることで多くの孤児を助けることができると考えて。

 そんな彼女は、必要以上に干渉しないあの辺りの孤児の中では明らかに異質な存在でした。孤児の中には彼女のその在り方はもちろん、まだ成長途中ではありましたが整った容姿にも惹かれているものもいました。そして彼女が成長するにつれて、その花を摘み取ろうとする輩も出てきました。私はそれらから彼女を守ってきましたが、修道院に入るときに手を引きました。

 その結果、あの事件が起こった。

 彼女に惹かれていた孤児の一人の手引きによって。

 彼女の価値もわからない男たちの手によって。

 私は、残念に思いました。

 白い花が穢され、摘み取られてしまったことを。

 そのあと、事件のことを調べているうちに、殿下の手によって彼女が救い出されたことを知りました。ですが、たとえ生きていようとも以前のような彼女ではない、そう思っていました。あの拷問屋のことはよく、知っていましたから。だからもう会うつもりはありませんでした。

 その気持ちが変わったのは、私の組織が殿下に目を付けられていると知ったときです。そうです。私は弟がそれを知る前から、弟が私を囮にする計画をする前からそのことを知っていました。

 それを知ったとき、なぜか私は逃げることも考えず彼女の絵を描こうと思いました。自然とそう思い立ったのです。そして昔の彼女から今の姿を想像して描き始めました。あのような事件が起こらなかった、彼女を想像して。最初はそれだけのつもりでした。自己満足で終わらすつもりでした。ですが絵を描いているうちに最後に一目、会いたいという気持ちが強くなりました。

 あとは殿下の知っての通りです。殿下のお陰で私は彼女に会うことができました。そして会ってよかったと思いました。一目見てわかりましたから。彼女が昔となにも変わっていないことが。変わらずその白い花を咲かせていることが。

 あのような目にあっても彼女が彼女のままでいられているのにはおそらく、ベリト・リベジウム、あの方の異能のお陰なのでしょう』

 


 セルナはおそらく聞いたことそのままを言った。こいつが異常にいいのは視力だけではない。記憶力も人並み以上に優れている。記憶したことをいつまでも覚えている瞬間記憶能力という異能を持つ人間ほどではないが、聞いて印象に残ったことは大抵、そのままいつまでも覚えている。どちらともおそらくマドリックの特性によるものなのだろう。

 それにしても。


「随分と詩的な奴だな」

「ね。正直、私は嫌いじゃないわ。できることなら貴女の解剖画家にもなってもらいたかったのだけれど」

「まさか、持ちかけたのか」


 司法取引を。表向きは死んだことにして、違う人間として生きることを。


「えぇ。でも振られちゃったわ」


 残念、と肩をすくめる。


「承諾していたとしても、私はお断りだ」

「あら、なんで?」

「あいつはフラウリアが浚われたのを知っていて放っておいたんだぞ」


 セルナが驚くように目を見開いた。私が面会の最後にあいつが言っていた言葉を思い出して、つい声を荒げてしまったからだ。


「彼がそう言ったの?」

「あぁ。結局あの男はフラウリア自体はどうでもよくて、被写体としてのあいつを大事にしていただけだ」


 そう言い捨てるように言って私は紅茶を飲む。

 そんな私をセルナはしばらく珍しいものでも見るように見ていたが、やがて苦笑を浮かべて言った。


「ショーンには幼いころから付いていた側近がいてね。その人も一緒に中央監獄棟に収監されていたんだけれど」

「なんの話だ」


 不機嫌な私を気にすることなく、セルナは話を続ける。


「その側近に聞きたいことがあって面会したんだけれど、そのとき言ってたわ。ショーンは私情で一度だけ、組織を動かそうとしたことがあるって」


 それが、なにを意味するかわからないほど私も察しが悪くない。


「流石に反対意見が多くて断念したみたいだけどね」


 ……なにが損はあっても得にはなりえないだ。あの嘘つき野郎が。


「それを先に聞いていたからショーンに訊いてみたの。あの子を口説き落とそうと思ったことはなかったのって。それに彼も最初は『自分は小児性愛者ではありませんから』とはぐらかしていたけれど、最後には観念したのかこう言ったわ」


『白い花に触れるには、私の手は汚れすぎている』


 ……不本意ながらその気持ち、少しわかってしまった。

 私はあいつのように犯罪組織に生まれたわけではないが、この手が汚れていることには間違いない。安楽死にせよ、脅威になる人間にせよ、私はこれまでに何人もの命をこの手で奪ってきた。もしかしたら、未だに自分からフラウリアに触れられないのは、その影響もあるのかもしれない。まさにこの男の、ように。


「それを聞いてね、フラウリアが彼のことを悲しそうな目をしていると感じたのを理解したわ」


 セルナは横に顔を向けると、憐れむように目を細めた。


「最後、私にもそう見えた」



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