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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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132/203

大陸暦1977年――08 泥土と白い花2


「――というわけで、その理由も、フラウリアとの関係についてもなにも話してくれなかったわ」


 夕方、仮眠から目覚めて仕事部屋で珈琲を飲んでいたところ、セルナがやって来た。そしていつもの無駄話もそこそこに昨日、中央監獄棟に行ったときのことを話してきたのが今だ。


「ベリトはあの子を助けたとき、全てを視たのでしょう? ショーンって男の記憶に覚えはある?」

「……ある」

「それは良いもの? 悪いもの?」

「なんとも言えん」

「それならあの子には話さないほうがいいかしら」

「いや……話すのは構わない。それでどうするかは本人に判断させればいい」

「そう。貴女がそう言うのならばそうするわ」


 セルナは紅茶を飲むと、一息ついてから言った。


「今日、フラウリアは日勤?」

「あぁ。残業がなければそろそろ――」


 帰ると言いかけて外に気配を感じた。噂をすればだ。それにセルナも気づいて出入口を見る。


「お帰り。フラウリア」


 仕事部屋の扉が開いてすぐ、セルナが言葉で出迎えた。

 セルナがいることに気づいていなかったのだろう、フラウリアは驚きながらも微笑んで答える。


「ただいま戻りました」


 そして出入口の扉を閉めてから、気を遣うように私たちを見た。


「お仕事のお話中でしたか?」


 そのようにフラウリアが思ったのは、以前この時間帯にセルナが来たときがそうだったからだろう。


「ううん。今日は貴女の帰りを待っていたの」

「私のですか」

「そう。話があって」


 セルナに座るよう手で促され、フラウリアが私の隣に腰を下ろす。


「なんのお話でしょうか」


 セルナは組んでいた足を正すと、いつもの明るい顔を控えめにした。それでなにかを感じ取ったのだろう、フラウリアの顔にも少しばかり緊張が走る。


「フラウリア。ショーンって名前に覚えはある?」


 その名前が出た途端、フラウリアは目を見開いた。


「――あるのね」

「……はい。あります。でも、どうしてルナ様が彼の名前を――」


 そこまで言ってフラウリアは、はっとした。

 それから思わずと言った感じで「まさか」と漏らす。


「えぇ。彼は今、中央監獄棟に収監されているわ」


 それを聞いて、フラウリアの顔には痛ましさが浮かんだ。

 星都(せいと)に五つある監獄棟の本部である中央監獄棟に収監されるのは、外で捕えられた犯罪者と重要犯罪人だけだ。そして重要犯罪人のほとんどが死刑囚となる。それはフラウリアも学んで知っているのだろう。そしてそのショーンという男が、重要犯罪人に当てはまる人物であることも。


「彼がどういう人間かは知っていたのね」

「……はい。彼は自分が何者なのかを一度も口にしたことはありませんでしたが、私は彼が犯罪組織の一番偉い人だということには気づいていました。すみません」


 それが罪だとでも言うようにフラウリアは顔を沈ませた。そんなこいつを見て、セルナは苦笑する。


「フラウリア。別に私は貴女を断罪しにここに来たわけじゃないわ」

「え……それでしたら、どうして」

「彼がね、貴女に会いたがっているの」

「私に……?」

「そう。死刑囚に与えられる神の慈悲を行使してね。だけどどうして貴女なのか、そして貴女とはどのような関係なのかは教えてくれなかった。おそらくだけど、貴女に配慮したのだと思う」


 それが、フラウリアにとって人に知られたくないことかもしれないから。


「もちろん無理に彼との関係性を話さなくてもいいし、彼に会う必要もない。そして事情を話さなくても彼に会えないわけでもない。どうするかは貴女の自由よ。ただし後者の場合は厳重な警備の中で彼と面会してもらうことにはなる。彼が貴女にとってどのような人間かわからない以上、こちらとしては貴女の身が心配だから」


 セルナの言葉を聞いて、フラウリアは目を伏せた。そしてしばしの沈黙のあと、やがて意を決したように視線を上げた。


「お話しします」


 それから一呼吸すると、話し始めた。


「ショーンさんは修道院に入る前、私が孤児のときにお世話になっていたかたです」

「お世話に」


 セルナが慎重に言葉をなぞる。相手が犯罪組織の首領である以上、その世話がいい意味であるとは限らないからだ。


「はい。最初は報酬を弾むから仕事をしないかと持ちかけられました。そしてそれを私はお断りしました。壁区(へきく)には彼のように孤児に仕事を持ちかける大人がいて、そのほとんどがまともではない仕事ばかりだったからです。ショーンさんはそういうのを持ちかけてくる人たちよりもお若くて身なりが綺麗な人でしたが、それでも仕事がまともである保障はどこにもありません。だから私はお断りしました。そのときショーンさんはすぐに引き下がり帰られましたが、彼とはそれっきりにはなりませんでした。その何日か後に、彼が私を助けてくれたからです。人さらいから、乱暴な大人から、それから何度も助けてくれました。そしてどうしてか、彼は私になにも見返りを求めませんでした。もしかしたらそれは仕事を引き受けてもらうためのはかりごとだったのかもしれませんが、たとえそうだとしても助けてもらってばかりでは申し訳なくて……だから私から言ったんです。なにかお返しがしたいと。するとショーンさんは絵の、被写体になって欲しいと言いました」

「被写体」

「はい……その、裸婦の」

「裸婦」

「趣味、なのだそうです」

「子供の裸を描くのが?」


 そう言ったセルナの眉には少しばかり嫌悪感が表われていた。それにフラウリアは気づいていないようだったが、それでもその誤解を解くように言った。


「絵を見せていただいたことがありますが、年齢は関係ないようでした」

「――そう」

「私がそれを、了承するとショーンさんは私が被写体をする対価としてなにが欲しいかと訊いてきました。それではお返しの意味がないと私はお断りしたのですが、長い期間になるだろうからお返しだけでは私のほうが割に合わないと言われて……それならばと私はこれまで何度か助けていただいたように、身の安全を守ってほしいとお願いしました。そのときはまだ彼のことをよく知らなかったけれど、普通の人間でないことはなんとなくわかっていました。それでも私は、生きるために彼の真っ当ではないかもしれない力に頼ることを、選びました。そして彼はその約束を守ってくださいました。修道院に入るので被写体を辞めさせてほしいと伝えに言ったそのときまで、ずっと。彼との関係はそれが全てです」

「それならほかにはなにも、されていないのね?」


 気遣うように訊くセルナに、フラウリアは真剣な表情でうなずいた。


「はい。彼には酷いことをされたどころか、触れられたことも一度もありません。とても丁重に扱ってくださいました」


 それを聞いてセルナは小さく息を吐いた。安心したのだろう。


「それで、会うの?」

「お会いします」


 フラウリアは迷うことなくそう言った。


「それがあのかたの」そこで一度、口を閉じると続けて言った。「最後の願いだと仰るのならば」

「わかった」セルナが微笑んでうなずく。「日程はまた連絡するわ。ごめん。もう少しベリトと話したいことがあるから」

「はい」


 フラウリアは立ち上がり礼をすると、自宅側の扉から出て行った。

 気配が離れるのを確認してから、セルナが口を開く。


「あの子が嘘を言うとは思わないけれど、本当?」

「あぁ。でなければ(はた)から話すことを許してはいない」

「それもそうか」セルナが苦笑する。


 それでも良いことか悪いことかを判断しかねていたのは、あいつがその男の被写体になり、そして守られてきたことを『後悔はしていなくとも生きるためにしてきた良くないこと』と今でも強く思っているからだ。


「それなら次に彼に会ったときに鼻骨をへし折らなくて済みそうね」


 セルナは冗談めかしてそう言ったが、こいつなら本当にやりかねない。だがそれで済ませられるところ、認めたくはないがこいつは大人だと思う。私だったらもしあの男にフラウリアがなにかされていたら、迷わず殺している。


「でも、これで納得がいったわ。あの子がどうしてあの歳まで無事でいられたのか」


 そう。フラウリアが良くない輩を惹きつける根源色(こんげんしょく)を持ちながらも貧民街で無事でいられたのは、あのショーンとかいう男が守ってきたからだ。でなければもっと早く……いや、こういう想像はよくない。あの記憶を呼び起こしてしまう。

 私は気を紛らわすために珈琲を飲んだ。残った珈琲はすでに温くなっている。私は無糖も砂糖入りもどちらも好きだが、温くなった甘い珈琲ほど嫌いなものはない。それでも意識がそちらに向くのでそれを飲み干していると、セルナが「ベリトはさ」と言った。


「記憶の中の彼を視て、どう感じた?」

「どうって……まともに視たのはあのときだけだしな」

「でも、フラウリアが話したことは覚えていたのでしょう?」

「おおまかにな。だがその男の印象や顔まではハッキリとは覚えていない。そもそも記憶というものは基本、古いものになるにつれて鮮明には視えずらいんだ」

「確かに。歳を重ねるごとに昔の記憶って朧気になるものね」

「あぁ。まぁでもフラウリアの扱いからするに、変わり者ではあるだろ。それとも犯罪組織の首領ってのはみんなああなのか?」

「まさか。これまで何人もの首領を見てきたけれど、彼みたいなタイプは初めて」

「なにが違うんだ」

「全部よ。でも一番は目かしら」

「目?」

「えぇ。これまで見た首領は組織の大小関係なく、誰もが強い意志をその目に宿していた。欲望や暴力に満ちた裏社会で生きる人間の証とでもいうべき暗い光がそこにはあった。でも彼の目には一切それがなかった。捕えたときから死刑囚になった今でも、彼の目には変わらず虚ろがある。生きることへの欲求も、死への恐怖も、なにも映ってはいない。まるで最初から死人のように」


 死人ね……私は視た記憶からその男の顔を思い出そうとしてみる。が、やはりぼやけていて目などの判別はできない。

 でもね、とセルナが話を続けた。


「それでもフラウリアの名前を出したときだけは違った。あの子の話のときだけ、彼の目にはわずかに光が灯っていた」

「……どうせ、それがどうしてか気になるんだろ」

「えぇ。ベリトは気にならない? 彼にとってフラウリアがどういう存在なのか。それとも、もう知ってたりする?」

「知らん。記憶では相手の気持ちまではわからん。……あぁ、だが」

「だが?」

「フラウリアはあの男の目にこう感じていたな。どうしてそんなに悲しい目をしているのだろうと」


 そう。それだけはハッキリと覚えている。


「悲しい目、ね。私はそうは感じなかったけれど。まだ彼のことをよく知らないからかしら」


 セルナはそう言うと、残った紅茶を飲み干してから立ち上がった。


「ごちそうさま。そろそろ戻るわ」

「あぁ。……待て」


 出入口に向かったセルナが振り返る。


「なに?」

「面会には私も行くからな」

「最初からそのつもりよ。フラウリアの護衛さん」


 セルナはそう言って片目をつぶると、ひらひらと手を振って仕事部屋を出て行った。



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