大陸暦1977年――06 カフェ3
「そういえば」フラウリアがふとした感じで言った。「ベリト様とお出かけが嬉しすぎて忘れていましたが、今日は仮眠を取られなくて大丈夫なのですか?」
普段ならもうすぐ仮眠を取る時間ではある――が。
「今日セルナは公務で竜王国に行っている。泊まりだそうだ。だから問題ない」
そう。それに加えてフラウリアが休みだったので、今日は端から仮眠を取るつもりはなかった。そうすれば夜もこいつと一緒に寝ることができるし。……いや、別に私が一緒に寝たいのではない。それもフラウリアが喜ぶからだ。寝ながら話をするのがなんか好きらしい。
「そうなんですか。遠くに行かれてるんですね」
「遠くとは言っても、転移魔法ですぐだがな」
各国の王族が公務で他国に出向く場合、基本的に移動には転移魔法が使われる。昔はそれを禁止している国もあったようだが、今はどの国同士も関係が良好でそれを拒む国はない。
「あ、そうですよね」
「そういえばお前、もう転移魔法は使えるのか?」
転移魔法は高位治療魔法と同じく、神星魔法の星属性に属する魔法だ。
扱うための必要素養値は神星魔法では一番高く、高位治療魔法以上に使い手が少ない。
フラウリアが修道院にいたころにもこいつのほかに二人ほど神星魔法の素養者はいたが、こいつ以外に転移魔法を扱えるほどの素養がある奴はいはなかった。
だから転移魔法に関しては、ユイが個人的に教えると以前に言っていた。
「基礎は教えていただきました。あとは実戦するだけなのですが」
「あぁ、許可がいるのか」
各国では首都内での転移魔法の使用、そして他国の首都への直接転移を禁止している。
使用するには今日のセルナのように、事前に各首都の粒子の流れを観測する観測棟に許可を取らなければならない。
「それもありますが、その前に風景を想像できるようにもならないといけないですし」
転移魔法は転移先の風景を明確に思い描くことで魔法が発現する。そこは人体を大して理解していなくても一応は使える治療魔法とは違う。
「だからユイ先生のお仕事に同行して、色んな場所を記憶してから実戦をしてみることになっているのですが……」
「? 気が進まないのか」
「いえ。そういうわけでは。ただこのような大層な魔法、私が覚えても使う機会などあるのかと思いまして」
「ユイは使ってるだろ」
「ユイ先生は色付きですから星教の総本山や、ほかの国の祭事にも出向かれたりしますけど、私はただの修道女ですし」
稀少な高位治療魔法の使い手である時点でただの修道女ではないと思うのだが……まぁ、それでも確かに普通に生活しているぶんには転移魔法を活用する機会はないといえばない。星都内の移動に使うにしても事前に許可を取るのが面倒すぎて気軽にとはいかない。
だが、今は必要なくとも将来はわからない。
去年、フラウリアを私の家に住まわせる話をしたとき、こいつを中央教会に行かせない理由として自分の後継として育てたいとでも言っておけば上も黙るだろうとユイは言っていた。そして実際、そうして納得させたのだろう。
あれはフラウリアの希望を叶えるためにしたことだろうが、私が思うに案外ユイは本気なのではないかと思う。自分の知りうる知識、担っていることなどを全て教えるつもりではあるのではないかと。
その結果、もしフラウリアが色付きにでもなることがあれば、転移魔法は使えたほうが確実に便利ではある。
だとしても、それをフラウリアには言わないほうがいいだろう。
言ったら最後、真面目なこいつのことだ。変に責任を感じたり、意識してしまうに違いない。
今はまだ始まったばかりの修道院の仕事を楽しそうにしているのだ。そんなこいつに将来のもしも話で気持ちをかき乱すことはしたくない。
「私は助かるけど」
「え」フラウリアが意外そうにこちらを見た。
「お前が覚えてくれれば、本屋に連れていってもらえる」
それまでどこか浮かない顔をしていたフラウリアの顔に、みるみる生気が戻っていく。
「それぐらいの距離は歩いてください……!」
そして真剣に怒られてしまった。この場を収めるための冗談、だったんだが……。
それからフラウリアに少しばかり健康について諭されていると、注文の品がやってきた。
それを見てフラウリアが目を輝かす。家でもデボラが甘味を出す度に、こいつは同じ反応をしている。
フラウリアがこちらを見てきたのでうなずくと、手で星十字を切った。それから手を合わせて「いただきます」と言ってからフォークを手に取る。
一口、ケーキを口にいれると顔が見るからに綻んだ。
「おいしいです」
「そうか」
私も一口食べる。流石にこれを商売にしているだけあって、普通に上手い。まぁ、ケーキで不味いのもそれはそれで珍しい気もするが。
「でも、なんだか少し、デボラさんに悪い気がしますね」
「? なんで」
「ええと、なんて言うんでしょうか。デボラさん以外のかたが作られたケーキを食べるのってその、浮気? みたいな感じがして」
その考え方に思わず笑いが漏れる。
「別にケーキに一途でなくてもいいだろ」
「それもそうですが私、ケーキを初めて食べたのがデボラさんが作られたもので、それ以降もデボラさんのケーキ以外を食べたことがなかったので」
「修道院の茶会では出なかったのか?」
「お茶会ではスコーンとかクッキーとかでした」
それもそうか。修道院も流石に見習い全員のケーキを用意する贅沢はできないか。……あぁ、だから家に住まうようになって初めて食後にケーキが出たとき、あんなにも感動していたのか。
「でもデボラさん本当にお料理が上手ですよね。お店に出されるものと同じぐらいにおいしいものを作られるんですから」
「まぁな。なんなら今後、外で食べたもので美味いものがあったらあいつに言ってみろ。あいつ完全に再現するぞ」
「すごい、ですね」
フラウリアが感心する。その点に関しては私も素直に同意する。
何年か前の話だが、セルナにあいつのお勧めレストランにいやいや連れていかれて、そこの料理が美味かったのでそれを何気なくデボラに言ったら数日後、夕食にそれが並んで驚いたことがあった。あいつは進んで外食はしないが、料理研究のためならそれをするらしい。そして実際に食べて店の料理を自分のものにするのだ。今の料理の腕もその積み重ねによって培ったものなのだろう。
とはいえ、あいつにも再現できない店というのは存在する。
中央区にあるルシュワンのチョコレートがそうだ。
ルシュワンは創業何百年にもなる星都の有名菓子店だ。手頃なものから高級なものまで取りそろえており、庶民から王侯貴族まで愛好家が多い。セルナもユイも、かくいう私もそうだ。
だが予約販売限定なのと人気すぎてそうそう買えるものではなく、日常的に食べられるものではない。だから私としてはあそこのを再現してくれるといつでも食べられてありがたいと思ってデボラに言ったことがあるのだが、結果は駄目だった。なんでもあそこのチョコレートは店が独自栽培しているカカオを使用しており、その所為で再現が難しいらしい。ほかのカカオでも試してみたが駄目だったと、そのときデボラは珍しく悔しがっていた。それでもデボラが定期的に予約をしているので一月に一度ぐらいは食べられるが。
そういえばもうすぐその時期になる。フラウリアはルシュワンのチョコレートを食べるのは初めてだろうし、どんな反応をするか見ものだ。
そんなことを思いながら食べ進めていると、フラウリアがじっとこちらを見ているのに気づいた。




