大陸暦1977年――06 カフェ1
窓から入ってきた風が、仕事部屋の中を吹き抜けた。
本で押さえられた書類の束の端が、パタパタとはためく。以前の片付いてない部屋の状態だったら、確実に紙と埃が舞い散っていたことだろう。
「心地良い風ですね」
隣の――ソファの窓際側に座っていたフラウリアが、風でなびく横髪を押さえながら言った。
「あぁ」私は同意する。
風が心地良いだなんて、お出かけ日和と同様に以前は考えたこともなかった。だが、今は自然とそう思えている。これもフラウリアが日頃よく窓を開けてそう言っている影響なのかもしれない。
私は風を受けながら目を細めて心地よさそうに窓の外を見ているフラウリアを、横目でなにとなしに眺めた。すると、しばらくして視線に気づいたのかフラウリアがこちらを向く。ふいに目と目が合いつい反射的に目を逸らしてしまうと、そんな私にフラウリアが微笑ましそうに笑いを漏らした。
「……なにか飲むか」
私は気恥ずかしさを紛らわすために言った。
「私が」
ソファから立ち上がりそうになったフラウリアを手で制す。
「いい。休みなんだから座っておけ」
そう。今日フラウリアは休暇だった。
何度目かのかは忘れたが仕事が始まってからはもう、一月あまりは経っている。
仕事が始まった最初こそは慣れない毎日に、流石のフラウリアもいつも浮かべている微笑みの中に疲労を滲ませていた。だが、今ではもう仕事に慣れたのか、いつも通りのこいつに戻っている。
それでも休暇のときぐらいは、少しでも休ましてやりたい気持ちがあった。
「ありがとうございます」
立ち上がった私を見上げて、フラウリアが微笑む。
それを視線で受け止めてから私は仕事部屋を出た。それから厨房へと向かう。
厨房にはデボラがいた。軽快な音を立てて食材を切っている。夕食の仕込みをしているようだ。先ほど時計を見たときは午後二時前だったので仕込みにはまだ早すぎる時間帯なのだが、それでももう始めているということは今日の夕食は仕込みに時間がかかる料理なのだろう。煮込み料理、とかだろうか。
デボラは私に気がつくと――ここに向かっている時点で気づいてはいただろうが――手を止めてこちらを見た。
「お飲み物ですね」こちらが用件を言う前に、デボラは言った。「昨日はダージリンでしたからアールグレイでよろしいですか?」
「……あぁ」
デボラはちょいちょい私が喋らないとか反応が薄いとか小言を口にするが、それはこちらが言う前に全部口にしてしまうこいつの所為もあるんじゃないだろうかと最近、思う。……まぁ、そのほうが手間が省けて楽ではあるのだが。
デボラは紅茶の葉を置いた棚を開けると、そこから缶を取り出した。そして蓋を開けて「あらー」と気の抜けた声をあげる。
「すみません。アールグレイ切らしていました」
「珍しいな」
「いやぁ、ついのついついですねぇ」
……なんかよくわからない言い方をされたが、ようはもの凄く久方振りについ買い忘れてしまったということが言いたいのだろう。
「ダージリンは」
「そちらも少しですねぇ」デボラが別の缶を開けながら言った。
「それならフラウリアはそれで。私は別のでいい」
この家には基本的に私が飲むダージリンとアールグレイ、そして緑茶と珈琲しか常備していない。そして後者二つに関してはフラウリアは好まない。以前に珈琲も飲んだことがないというので試しに一口飲ませたら『まだ自分には早い気がします』とか言っていた。早いの意味はよくわからないが、まぁ緑茶同様、まだ美味く感じないということだろう。
デボラからの返事はすぐにはなかった。なぜか視線を上にあげて、なにかを考えるように虚空を見ている。
今から買ってくるとでも言うのだろうかと思っていると、デボラはこちらを見て意外なことを口にした。
「折角だから、今日は外でお茶をしてきたらいかがですか?」
「なにが折角なんだよ」
「茶葉が丁度切れてしまっていたことと、フラウリア様がお休みなことです」
「いや、だから私は別のでも」
「フラウリア様、ご友人と会ったり私のお買い物に付き合ってくださる以外は休みの日にお家から出られないじゃないですか?」私の言葉を遮って、というか無視してデボラは言った。「ほら? お引きこもりな誰かさんに付き合って」
「別に……私がそうしろと言っているわけではない」
「それはわかっています。でもベリト様もわかっていらっしゃいますよね? フラウリア様は外出がお嫌いなわけではないと」
それは……わかっている。先日もケンに頼んでおいた本が入荷したという連絡があったので――意地でもケンは家まで届ける気はないらしい――それを取りにいくときにフラウリアも連れて行ったら、最初に本屋に行ったときと変わらず楽しそうにしていた。
「あとついでに茶葉も買ってきてくださいな」
さも決定事項のようにデボラはそう言うと、さっさと夕食の仕込みに戻った。
こちらの意見を聞く気はさらさらないらしい。
私はため息をついて、厨房を後にする。
デボラを無視して自分で用意してもよかったのだが、そこまで意地になってそれをする気にはなれなかった。それは少しでも、デボラの言うことが耳に痛かったからだろう。
私は歩きながら少し考えて、二階の自室へと向かった。そこで上着と財布を取ってから、仕事部屋へと戻る。
部屋に入るとフラウリアがこちらを見て、小首を傾げた。私が腕に上着を掛けているからだ。
「茶葉が切れたらしい」
それですぐに状況を理解したフラウリアがソファから立ち上がった。
「それでしたら私が買ってきます」
「いや」
そこで言葉を止めてしまった私を、フラウリアが不思議そうに見る。
「上着を取ってこい」
「え」
「ついでにカフェにも行く。お前も、来い」
なんとなく普通に誘うのが気恥ずかしく感じた私は、ついぶっきらぼうにそう言ってしまった。それでもフラウリアは面を喰らったかのように瞬きをしたあと、嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「はい」




