大陸暦1977年――03 単純
「……なんかご機嫌だな」
「はい。ご機嫌です」
ベリト様が夕食を食べてお風呂を済まされたあと、私たちはいつものように――というほどまだ日にちは経っていないけれど――彼女の自室のソファで過ごしていた。
そしてこれでもかとにこにこしてしまっている私に、ベリト様は少し戸惑うように先ほどの言葉を口にした。
私がご機嫌なのはもちろん、ベリト様のせいだ。
今日はこれまで見たことがなかった彼女を見ることができたし、お気持ちも知ることができた。
それに思えばベリト様が手を握り返してくれたのは初めてなのだ。
そんなの、ご機嫌にならないわけがない。
私は緩んだ顔のまま、ベリト様の横顔を見る。
お風呂に入ったベリト様は、いつもの様子に戻っていた。
今日のベリト様は見惚れるぐらいに素敵だったけれど、また見られたらいいなと思ってはいるけれど、それでもやはりいつも通りの彼女が一番、安心する。
そして今、私はまた性懲りもなくベリト様の手を握っていた。
それを彼女も、控え目に握り返してくれている。
それもまた、私をご機嫌にしている要因の一つだった。
こんなに心躍らしていると、ベリト様はうるさいだろうか。
そう思ってふと、疑問に思う。
「そういえば」
ベリト様がこちらを見る。
「感情ってどのように視えるのですか?」
「色だ」
「心と同じですね」
そう口にしてから、ベリト様のお力のことは本人からではなくルナ様から聞いたのだと思いだした。
それを言ってもよかっただろうか、知っていることを訝しがられるだろうか、と心配になっていると、ベリト様は特に気にされる様子もなく「あぁ」とうなずいた。
もしかしたら私に話したことを、ルナ様から聞いていたのかもしれない。もしくは私からあのときの記憶を視たのだろうか。
なんにせよ、このまま話を続けて大丈夫そうだなと安心する。
「ええと、それだと怒ってたら……赤色とかに視えるのですか」
なにから影響されたかはわからないけれど、不思議と怒りは赤、悲しみは青、って印象があった。
「簡単に言えば。だがそう単純なものではない。心と同じく、人の感情も複雑だ。怒り一つとって見ても、そこには様々な感情が入り交じっている。だから大概、色も一色ではなく、どんな色かも一言では説明が難しい」
いろんな色が混じりあった感じなのかな。私はそれを想像してみる――してみて、なんだかそれだけでも頭の中がぐるぐると回る気がした。
ベリト様はこの想像のようなものを、触れた相手から視させられている感じなのだろうか。もしそうだとしたら……。
「触れていると、その、うるさいですか?」
その表現が適切かがわからないので、自信なく訊いてしまう。
「……いや」ベリト様の視線が私から逸れる。「お前は、わかりやすいから」
「わかりやすい?」
「こういうとき、お前が感じている感情は単純だということだ」
「嫌ではないですか」
「ない。むしろ――」
そこでベリト様は口をつぐんだ。
「? なんですか?」
「なんでもない」
その言い方がぶっきらぼうなことからして、どうやら言葉途中で口をつぐんだのは、それを言うのが気恥ずかしかったから、らしい。
「なんでもなくありません。きちんと口で言ってくださらないとわかりません」
先ほど、自分のことを真正面から訊く勇気がないだなんて思っていたのが嘘のように、私はベリト様に詰め寄っていた。
やはり私は切っ掛けがあったり、一度、走り出したりすると突っ切れる性格らしい。
私に詰め寄られたベリト様は、気圧されるように顔を引きながら眉を寄せる。
「わかってるだろ」
「いいえ」私は悪戯っぽく微笑んでみた。「ベリト様と違って私は視ることができませんから」
本当は、わかっている。
ベリト様がそれを口にするのを恥ずかしがる時点で、想像がついている。
でも、私は意地悪をしてみた。
先日、小説のことでいじられたお返しとばかりに。
ベリト様は顔をひくひくと痙攣させながら私を見ていたけれど、やがてそっぽを向いた。
そして諦めたかのように、投げやりに言う。
「お前と、一緒だ」
私と一緒――その言葉に思わず頬が緩んでしまう。
ベリト様がそう感じてくれているのが知れて、嬉しくて、胸が幸せで一杯になる。
そんな私をベリト様はちらりと見ると、そのまま繋がれた手に視線を落として。
「……やはり単純だ」
と零すように言った。




