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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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112/203

大陸暦1977年――03 生者と死者2


 寝支度を済ませてから居間に行くと、そこにはデボラさんがいた。

 彼女はいつも、夕食の片付けが終わると帰宅されるのだけれど、今日は居間のソファで本を読んでくつろいでいる。

 ソファに歩み寄ると、デボラさんは本を閉じてこちらを見上げてきた。そして手で隣を勧めてくれたので、それに従って私はソファに腰を下ろす。


「なにか、お飲み物をお入れしましょうか?」


 そう言って腰を浮かしかけたデボラさんを「いえ」と手で制止した。


「大丈夫です。お気遣いありがとうございます。それよりも、ベリト様の夕食の準備なら私がやりますので、デボラさんは帰宅なさってください」


 そう。デボラさんが残っているのは、出かけられたベリト様がまだ戻られていないからだ。


(あたた)めるぐらいでしたら私にもできますから」

「いえいえ」デボラさんは、とんでもない、とでもいうような表情で手を振る。「フラウリア様にそんなことをさせるわけにはいきません」

「ですが、お帰りが遅くなったら危ないですし……」

「大丈夫ですよ。家は近いので」


 ご心配ありがとうございます、とデボラさんはにっこりと笑う。

 近い……そういえば。


「デボラさんのお家って、どのあたりなのですか?」

「商店街の近くです」

 近く、ということは商店街の手前か先かなと思っていると、デボラさんが「ユイ先生のお住まいはご存じですか?」と訊いてきた。

「あ、はい。こちらから見て商店街の先、ですよね」


 それは卒院前、アルバさんにアパートの場所を訊いたとき、話の流れで教えてくれたことだった。自分の住むアパートの先に端正な住宅街があって、そこにユイ先生の家もあるのだと。


「私は商店街とユイ先生のお住まいの間に住んでいます」


 それなら、アルバさんと同じ辺りになるのかもしれない。


「正直、私としましては住み込みのほうが楽なんですけれど、それを初顔合わせしたときに言ったらベリト様に嫌がられましてね」

「え、どうしてですか」

「一日中、他人が自分の領域にいるのが嫌なんだそうです」


 なんだかベリト様らしいな……と感じて、ふと思う。

 それだと自分はどうなのだろうか――と。

 私も他人なのだけれど……大丈夫、なのだろうか。

 しかも私はデボラさんみたく、ただ同じ家にいるわけではない。一日のほとんどをベリト様のそばで過ごしている。そのことをベリト様はなにも言ってこないけれど……もしかしたら私に、気を遣っているのだろうか。

 私の仕事が始まるまでの辛抱だ、とか思って――。

 そう、心配になっていると、デボラさんがふふっと笑った。


「でも、フラウリア様は特別みたいですねえ」


 特別――その言葉に素直に喜びそうになって、いやいや、とその気持ちを押しとどめる。


「それは、ベリト様が我慢されているだけかも」

「それはないです」


 いだいている不安を口にすると、デボラさんは即座に否定してきた。

 その確信めいた口調に驚いて、私はデボラさんを見る。


「ベリト様、フラウリア様と一緒にいらっしゃるときは気配が(ゆる)いですから」

「ゆるい?」

「自然体ってことです」

「そういうの、わかるんですか?」

「えぇ、わかりますよ。これでも昔は凄腕の諜報員でしたから」


 自分で言うのもなんですが、とデボラさんが笑う。

 諜報員と聞いて、そういえばと思う。

 そういえば先日、ベリト様に気配を消すことについて指摘されたとき、デボラさんは癖だと答えていた。そのときは軍人さんって常に気配を消さなければならないのかなと疑問に思っていたのだけれど、諜報員ならばなんとなく納得ができる。


「いいですか、フラウリア様」デボラさんが人差し指を立てた。「人が気配を(ゆる)ませるのはね、だいたい一人でくつろいでいるときか、もしくは心を許した相手と一緒にいるときなんです」

「心を許した、相手」

「そうです。心を許した相手、です」強調するように、私の言葉をなぞる。「そして私が知る限り、ベリト様が気配を(ゆる)ませるのはルナ様とユイ先生、そしてフラウリア様ぐらいです」


 ベリト様が私のことを、お付き合いがおそらく長いであろうお二人と同じように感じてくれている――そのことに嬉しさを覚えていると、デボラさんが「とはいっても」と話を続けた。


「そこにもまた、違いはありますが」

「違い、ですか」

「はい。ルナ様とユイ先生、お二人といるときのベリト様の気配はなんと言いますか、気を遣わない相手や信頼が置ける友人と一緒にいるといったようなものなのですが、フラウリア様の場合はまさに言葉通りに心を許されているように見受けられます。あそこまで気配を(ゆる)ませるベリト様は私がここで働かせていただくようになって以来、初めてのことです」


 それってつまり……ベリト様も私のことを、その、特別、と感じてくれているということなのだろうか。


「まぁ、そういうことですからフラウリア様。貴女はなにもお気になさることなく、ベリト様のそばにいてくださいな」


 私がベリト様と一緒にいたいと思っていることを見透かすような物言いに、じわじわとくすぶっていた羞恥が一気に込み上げてきた。

 おそらく顔が真っ赤になっているだろう私を見て、デボラさんがまた楽しそうに、ふふっと笑った。


「ええと」私は恥ずかしさを誤魔化すために、部屋の振り子時計を見て言った。「ベリト様、いつもは何時ぐらいに戻られるのですか?」

「そうですねえ。だいたい二十時ぐらいが多いですかね。なのでそろそろだとは思うのですが」


 今の時間は二十時前だ。


「それなら仕事部屋で待っていてもいいでしょうか」

「いいですよ。ただし防犯のためにカーテンは開けないでくださいね。鍵もベリト様が帰られるまでは開けては駄目ですよ」

「はい」


 居間を出て、玄関手前の仕事部屋に入る。

 室内は暗かった。光源はカーテンの隙間から細く伸びる月明かりの筋のみで、光の当たらない場所はほとんど真っ暗闇になっている。目を凝らして、辛うじて家具や物の輪郭が見えるぐらいだ。

 私は天井に手をかざして魔灯(まとう)を点ける。

 それから明るくなった部屋を見渡して、ここも随分と綺麗になったなと思った。

 一昨年のこの部屋は、どこもかしこも本や紙束でいっぱいだった。そして、積み重なった本の上には(ほこり)も溜まっていた。

 それを最初のころは、なにも思わなかった。

 私が生まれ育った壁区(へきく)は、そんなに清潔な場所ではない。だから少し埃まみれだったり散らかってたりするぐらいで気になるほど、私も繊細ではない。

 でも、修道院の掃除時間で色んな場所を掃除するようになり、綺麗にする楽しさと気持ちよさを知った私は、次第にこの部屋の掃除もしたくなっていた。それでも、人様のお家のことに口を出すのはよくないと我慢していたところに積んでいた本が崩れてきたのが、あの日だ。

 あれで我慢の限界がきて掃除をさせてもらって、そして解剖記録を見つけたのだった。

 私はソファに腰をかける。

 部屋は春期の夜だからか、少し肌寒い。

 自室から羽織るものを持って来ようかと考えて、やめておいた。我慢出来ないほどの寒さではないし、それにデボラさんもそろそろ帰られると言っていたので、体が冷え切るほどに遅くはならないだろう。

 ソファに座ったまま、特に意味なく視線を巡らす。

 (あるじ)がいないせいか、部屋の風景が随分と物寂しく感じる。

 そういえば、ベリト様がいない仕事部屋(ここ)に来るのは今日が初めてだ。

 それも当然だ。修道院にいたときも、こちらに住むようになってからも、私がここに来る理由は部屋ではなくベリト様なのだから。

 でも、そのベリト様も、今日はここにはいない。

 今さらながらそのことを認識し、寂しさが込み上げてくる。



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