大陸暦1977年――02 お年頃
風呂から戻ると、フラウリアがソファで本を読んでいた。風呂場の扉が開いた音にも気づかず、本に向かっている。
私は部屋の壁掛け時計を見る。今日は食事のあと、購入した本の中に興味深いものがあったのでそれをずっと読んでいた。そのあと寝支度を済ませたフラウリアが来たので少し会話をして、それから風呂に入ったので時刻はもう二十一時前になっていた。
「そろそろ寝なくていいのか」
近づいてそう声をかけると、フラウリアの身体が、びくっと跳ねた。それから本を閉じてそばに立つこちらを見上げる。
「あ、お戻り、だったのですね」
「あぁ」答えてフラウリアが持っている本に目が行く。「それ本屋に貰った小説だな。面白いか」
「え!」
何気なくそう訊くと、なぜかフラウリアは動揺するかのように声を上げた。
……? そんなに変なことを訊いただろうか。
「そう、ですね」フラウリアの視線が横に動く。「どうでしょうか。私、このような本、読んだことなかったですし……」
……なんか、歯切れが悪いな。
「私、そろそろ、寝ますね」
フラウリアはぎこちない動作でソファ横のミニテーブルに読んでいた本を置くと、立ち上がった。
「おやすみなさい。ベリト様」
そう挨拶してそそくさとベッドへと向かう。
「……あぁ」
遅れて返事をした私は、フラウリアがベッドに入ったのを見届けてから、魔灯を消して自室を出た。
そして仕事部屋へと向かいながら、思わず首を傾げる。
……なんか、様子が変だったな。
状況から察するに、読んでいた本になにかありそうな気がするが……。まさかケンのやつ、変な本を与えたんじゃないだろうな。……いや、それはないか。あいつは故意に女子供を困らせてほくそ笑むような人間ではない。そもそもそんな人間ならフラウリアに会わせたりはしない。
それに題名からして普通の小説なのは間違いないだろう。とはいえ私も小説はほとんど読まないので、題名だけで内容を判断するのは早計かもしれないが。
私は一度立ち止まって振り返る。
そしてフラウリアの気配を視ると、息をはいて再び歩き出した。
*
「――ベリト様」
その声を認識した途端、瞼裏に光を感じた。
瞼を開けると、ぼやけた視界に人の顔が入り込んでくる。
……フラウリアだ。フラウリアが心配げに私の顔を覗き込んでいる。
なにかあったのだろうかと思っていると、フラウリアが申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。起こしてしまいまして。でも、座ったまま寝たら、お体が休まらないです。お部屋で休まれてください」
座ったまま……?
視線を巡らして、自分の状況を確認する。
ここは……仕事部屋だ。どうやらソファで座ったまま寝てしまっていたらしい。
「あぁ」
ソファに手をついて背もたれから体を起こす。すると指に硬い感触のものが当たった。
見ると、それは本だった。就寝前にフラウリアが読んでいた小説だ。
裏表紙が上になっていた本を持ち上げると、表紙でそれだと気づいたのかフラウリアがあからさまに動揺を見せた。
「そ、それ」
「あぁ……借りてた」
少し欠伸をしながら私は答えた。
昨夜、どうもフラウリアの様子が気になった私は、おそらく原因であろうこれを夜中に自室から取ってきた。そしてどんなものかと読んでいたら、普段、読まない種類の本の所為か少し退屈を感じて、次第にうとうとしだして、気づけば今というわけだ。
「全部、読まれたの、ですか」
「まぁ、あらかた」
ところどころ読み飛ばしはしたが、物語の大筋を理解するぐらいには読んでいる。
内容を要約すれば身分違いの男女がひょんなことで出会い、周りの目を掻い潜り逢瀬を繰り返し、なんやかんや苦難あって最後には婚姻するというもので、まぁ、なんてことのない、よくありそうな恋愛小説だった。
「そう、ですか。その、どうでしたか」
フラウリアは相変わらず動揺しているというか慌てているというか、落ち着きがない。感想を訊ねたのも、それを誤魔化すため、といったような感じだ。
昨日は様子が変だなぐらいにしか思わなかったが、今改めて様子を観察してみると、どうも恥ずかしがっているらしい。
自分が読んでいるものを読まれたのが、そんなに恥ずかしいものなのだろうか。
特殊な趣味のものとかならともかく、これは本当に普通の恋愛小説だ。内容にしても刺激的な表現はないし、あるとしても口付けぐらい――……。
何気なくそう思って自然と虚空を見た。そして再度、フラウリアを見る。
……もしかして。
「まぁ、お子様には少し刺激的かもな」
そう、からかうように鎌をかけてみると、フラウリアの顔が一気に真っ赤に染まった。
やっぱりそうか。私は内心で苦笑する。
こいつは早くに両親を亡くしたからか、しっかりもので性格も落ち着いているし、変に達観したところもある。以前の修道院の記憶を視る限りでも、全くと言っていいほど思春期的なものはなかったし、なんなら本当に昔から老成していて性格が変わらない。
その所為でつい年齢を忘れがちだが、こいつはまだ今年で十七なのだ。
歳は成人はしているが、それでも今まで過酷な環境で生きてきたのもあって、普通の少女らしい生活も感覚も抱くことがなかった。本来ならこういうことに興味を持って恥ずかしがる年齢ではあるのだろう。
私はソファから立ち上がってから、本を差し出した。
「ほら、折角もらったんだから最後まで読めよ」
フラウリアはそこでやっとからかわれていることに気がついたのか、真っ赤な顔のまま、ふて腐れるように眉を寄せた。
「ベリト様……意地悪です」
そして、こいつにしては少し反抗的な口調でそう言いながらも、両手でそれを受け取る。
そんなフラウリアを見て、なぜか私の口角は上がっていた。




