大陸暦1977年――02 本屋
カウンターで待っていると、少ししてケンが奥の扉から本を抱えて現れた。それから奥の部屋を何度か行き来して、それらをカウンターに置いていく。
「こちらが新作で、こちらが外国から仕入れたものです」
ケンがカウンターに三つ積み上げられた本の塔をそれぞれ指さす。
その本の塔から一冊、手に取り軽く内容を確認してから横に置く。それを何度か繰り返していると、ケンがカウンターを挟んで少し顔を近づけてきた。そして声を潜めて言う。
「彼女はもしかして――」
「あぁ」
ケンの言わんとしていることが分かった私は、言葉を遮るように肯定した。
こいつが言おうとしたのは一昨年、フラウリアが浚われたときのことだ。私が見つけ出したときのことではない。ルコラ修道院にくる前の、そもそもの発端となった事件だ。
そう。それを知っているということはケンはただの本屋ではない。
本屋は表家業で、本業は情報屋だ。
そしてセルナがもっとも信頼している情報屋でもある。
あの事件のとき、セルナの部隊が早々《はやばや》にフラウリアを探し出せたのも、こいつの情報網によるものが大きい。そう、セルナは言っていた。
「あぁ。そうですか。彼女が」
その意外そうな様子からして、フラウリアがルコラに移っていたことや、快復していたことは知らなかったらしい。
私は言葉を返す前に店内に視線を向けた。フラウリアは店の出入口、カウンターから対角線である店の奥にいる。こちらには背を向けており、少し俯いている。手の位置からして本を立ち読みしているようだ。あいつは集中していたら周りの音が入りにくくなるし、店内には外から商店街の喧騒も漏れ入っているので、小声ならばあいつに聞こえることはないだろう。
「てっきりセルナに聞いているかと思ったが」
私はなるべく声を落として言った。それにケンも合わせる。
「保護できたと律儀に報告に来てくださったアネさんの様子からしてそれ以上、聞くのも野暮かと思いましてね。アネさんもそれ以来、一度も話題には出しませんでしたし」
アネさんというのはセルナのことだ。こいつは星都でも指折りの情報屋ではあるが、先代から情報網を引き継いでまだ数年しか経っておらず、歳は若い。確か私と同じぐらいだったと思う。だから年上でお得意さんであるセルナのことをアネさんと呼んでいるのだ。
「まぁ、悪名高いあいつらに捕まっただけでも、だいたいのことは想像がついていましたが……。でも、そうですか。元気になられたんですねぇ。よかったですねぇ」
しみじみとした様子でケンは言った。
「しかし、その彼女がどうして先生とご一緒に?」
まぁ、アネさん繋がりなのは分かりますが、とケンは付け加える。
「それも知らないのか」
こいつならば、私の家に誰がなんのために出入りしているのか把握していそうなものだが。
「わたしはどこにでも網を張り巡らしてはいますが、それでも知人の私生活だけは極力、侵さないよう気をつけているつもりですよ」
それはつまり、私たちを意図的に監視するようなことはしていないし、もし情報が網にかかっても拾わないという意味だろう。
こいつがそんな気遣いをしているとは、初耳だ。まぁ、それも当然ではある。こいつとこの手の雑談をすること自体、初めてなのだから。
いくら私がセルナ伝いでケンが情報屋と知ってはいても、私自身はただの本屋の客に過ぎない。だからこれまでケンも本屋の店主に徹していたし――セルナの話題は出していたが――こちらからも訊いたことはなかった。
「それならもし、私やセルナの情報を高く買うという奴がいても売らないのか」
「えぇ。絶対に。そこは信頼してください」
戯けたようにケンは言った。その態度だけを見ると全く、信用に置けないが、こいつの言うことに嘘はない。ケンの人間性は一度、視たことがあるのでそれは分かっている。だからこそセルナもこいつを信頼し、ひいきにしているのだ。
「それで、ご質問に答えていただいても?」
「あのあとルコラに移って今年卒院したんだ。それでそのままルコラに配属になったので、院長に頼まれてうちで預かることになった」
「なんと」ケンは声を潜めたままで、また大げさに驚いた。「人嫌いの先生がそれを受け入れるってこたぁ、随分と気に入られているようで」
意味深げな視線を向けられて、私は思わず眉を寄せてしまう。それでも衝動的に言い返すのだけは我慢した。
どうせここでユイに強引に頼まれたとか、修道院に通うのには私の家が一番、利便がいいとか、事実を並べ上げたとしても、ケンの言葉を否定する材料にはなりえない。人嫌いである私が他人の同居を許している時点で、なにを言ったところでなんの説得力もない。
そもそも、それ以前にケンの言うこともあながち、嘘ではない。
だから場の勢いでもそれを否定するのは、なんとなしにフラウリアに悪い気がした。
ケンは返答がないことをさして気にすることなく、話を続けた。
「そしてわざわざお連れになるということは、つまり、頼みがおありで?」
流石、察しがいい。
「あまり一人で出歩かせるつもりはないが、それでも見かけたら気にかけてやってほしい。張り付く必要はない。本当に見かけたら程度だ。可能ならば代金は本代と一緒につけといてくれ」
自宅を出る前に、思い立ってフラウリアを連れてきたのはこのためだった。
もうフラウリアも、助けを求められても独断で行動したり、一人で壁際へ行くような迂闊な真似をすることはないだろうが、何事も用心に越したことはない。
年々、星都の治安が悪くなってきている今、貧民街である壁際でなくとも凶悪事件の発生率は上がっているのだ。市街に住んでいたとしても安全が保障されているわけではないし、普通に生活してても変な輩に目をつけられる可能性だってある。たとえあいつが十分に気をつけていたとしても、強引に誘拐されないとも限らない。
その万が一のときには情報が強い手がかりとなる。
ケンは情報収集のために常に星都中に多くの子蜘蛛を放っている。そいつらにフラウリアを気にかけるように伝えておいてもらえれば、有事には目撃情報が早く集まりやすい。
フラウリアを連れて来たのも、実際にあいつをケンに見てもらうためだ。
以前の事件のときにセルナから特徴は聞いていただろうが――もしかしたら修道院に入る際に撮った証明写真も見せられているかもしれない――そのときから年齢も髪色も変わっているし、実際に見たほうがケンも得られる情報が多いだろう。
「へぇ。これはこれは相当だ」珍しげに目を細めると、ケンはちらりと店内の奥にいるフラウリアを見た。「でもそのお気持ちは分かります。壁区で育ってあのような感じとは、なんとも稀少な存在ですね」
「だからそういう奴の気を引く気質がある」
「なるほど。それで以前も」
「あぁ」
「承りましたよ、先生。お友達にも伝えておきます。それと見守るぐらいでしたら料金はいりません。先生には大きな恩がありますからね」
「その割にはきっちり本の代金は取るんだな」
そう返すと、ケンは大げさに肩をすくめた。
「読書家の先生の本代を無料にしてたら、お店が潰れてしまいますよ」
「どうせここは道楽だろ」
「でも、先生は助かっているでしょう?」
「直接、売りに来てくれたらもっと助かるんだがな」
「そうしたら先生が本当に外に出なくなるから駄目だと、アネさんから言われてますので」
そう言って、ケンは笑みを深めた。
私は息をはいて、残りの本を確認する。その中から二冊、横に避けてから言った。
「これ以外、全部もらう」
「まいど」
それからカウンターを離れてフラウリアの元へと向かう。
近づくとフラウリアは分厚い本を開いて、それを熱心に読んでいた。
「面白いか」
声をかけると、フラウリアは「はい」と頷いてこちらを見た。
「興味深いで――ベリト様」
「それなら買うか」
フラウリアの手から本を取る。その際に表紙に書かれた題名が目に入った。
そこには〈戦後の地質粒子量の変化〉と書かれている。
著者には見覚えがあった。確か高名な地質学者だ。ここには娯楽の本も沢山あるというのに、数ある中からこれを手に取るとは若者らしくないというかなんというか……渋いな。
「そんなつもりでは」
「いいから」
カウンターへと向かう私に、フラウリアが慌てて付いてくる。
「でしたらお給金が入ったら払いますので」
「いらん」
「そういうわけにはいきません」
「じゃあ卒院祝いだ」
「それはもういただきましたから」
特別な祝いごとも二回は使えないらしい。まぁ、それはこいつの性格からして予想がついていたことではあるが、こうなると益々、変哲のない私服を祝いにしたことが悔やまれる。
カウンターの前に辿り着くと、フラウリアが横から見上げてきた。引き下がる気がない強い眼差しに射られながら、こいつが納得するような口実がないか考える。……が、一向になにも思いつかない。
そうなるともうこちらが折れるしかないのだが、できればそうしたくない。
別に意固地なっているわけではない。フラウリアに言いくるめられるのが嫌なわけでもない。なんというか、こいつには金を払わせたくないというか、できるなら買ってやりたいというか……。誰かにそういう気持ちになったことがないので、これがどういう感情の表われなのか自分でもよく分からない。
それでもなにも思いつかない以上、フラウリアを納得させることはできない。
……仕方ない。今回は引き下がるかと思っていると、横から含み笑いが聞こえてきた。ケンだ。
「でしたら、わたしがそちらの本を、お祝いとしてお贈りしましょう」
ケンの言葉にフラウリアが驚く。
「いえ! そんな!」
「その代わり、今後ともごひいきにしてくださいな。ご希望の本がありませんでしたら取り寄せもしておりますので。魔道書でもなんでもね」
ケンはそう言って微笑みを浮かべた。
フラウリアは困った様子で私とケンを交互に見ると、最後には申し訳なさそうにそれを受け入れた。
「ありがとうございます」
大して知らない人間には、こいつも強く出ることができないらしい。
謙遜するフラウリアにケンは再び微笑むと、私が差し出した本を受け取った。そして表紙を見て苦笑を浮かべる。
「お若いのに随分と渋い本を選ばれますねぇ」
全くの同感だ。
「それでは先生の分と一緒に、あとで届けさせますので」
あぁ、と返事をして本屋を後にした。




