大陸暦1977年――02 外出
遅い朝食を一人で済ましたあと、食後の休憩もそこそこに自室で外套を着て居間にやって来た。
居間には、朝に規則正しく起床して、先に朝食を済ませたフラウリアがいる。フラウリアは扉の開閉の音には気づいていないようで、こちらに背を向ける形でソファの背もたれにも寄りかからずに姿勢良く新聞を読んでいた。こいつはなにかに集中しているとき、周りの音が耳に入りにくくなる。それは勉強を教えていたときに気づいたことだった。
なんだか肩が凝りそうな読み方だなと思いながら近づくと、視界に入ったことで流石に気がついたのかフラウリアがこちらを向いて微笑んだ。
「ベリト様。お食事、終わられたのですね」
「あぁ」
フラウリアは新聞を折りたたんで机に置くと、座ったままこちらに体を向けた。そして私の顔を見てから視線を下げる。
「お出かけ、されるのですか?」
半信半疑そうにそう訊いてきた。
それは外套を着ているのだから外出なのは間違いないだろうが、それでも私が自ら進んで外に出るのが半ば信じられない、といった様子だった。口に出したことはないが、私が度がつくぐらいに出不精なことはこいつも気づいているらしい。
「あぁ」
続けて『少し出てくる』と言おうとして、言葉を止めた。ふと思い立ったことがあったからだ。
「お前も来い」
「え」
「本屋へ行く」
玄関から外に出て、私は反射的に目を細めた。
景色の明るさに目の奥が締まる感覚を覚えながら、外に出たのはいつ振りだろうかと考える。一月……いや、一月半か? 思い出せない。それぐらいに前だったような気がする。
「今日はお出かけ日和ですね」
隣で青空を見上げていたフラウリアが、こちらを向いて微笑んだ。
「あぁ」
フラウリアの笑顔に釣られるように何気なく肯定して思う。そういえば生まれてこのかた、天気のいい日をお出かけ日和だなんて感じたことがなかったなと。それは外に出ること自体が億劫な身としては、出かけるときに晴れていようが雨が降っていようが気持ちに大差がなかったからだろうが……だが、フラウリアがそう言うと、不思議とそうだなと思えるような気がした。まぁ、だとしても出かけるのが憂鬱なことには変わらないが、それでも今日はいつもより気持ちが軽い気はする。それもこいつがいる影響なのかもしれない。
歩き出すとフラウリアが隣に並んで付いてくる。その顔はいつも以上に綻んでいて、見るからに鼻歌でも歌い出しそうなぐらいに上機嫌だ。
「出かけるのがそんなに嬉しいのか」
思わずそう訊くと、フラウリアはこちらを見上げて上機嫌な顔そのままに頷いた。
「はい。ベリト様と一緒にお出かけするのは、ナナさんの治療経過を診に行って以来ですから」
あれはフラウリアが浚われて怪我した翌日のことだったから……もう一年以上前のことになるのか。となるとこいつとの付き合いも、もう一年半近くになるということになる。なんだか……早いものだなと思う。以前は一日一日が長く感じていたというのに、ここ近年は本当に時の流れが早かった。それはほとんど代わり映えのない日々にフラウリアという異物が入り込んだからなのだろうか。それともフラウリアの存在自体がそう感じさせているのか――。
そうぼんやり考えていて、ふと気づく。
そういやこいつ、先ほど『ベリト様と一緒にお出かけするのは』と言っていなかったか。なんかその言い方だと出かけること自体より、私と出かけることが嬉しいという意味になるような気がするのだが……。
歩きながら横目を向ける。フラウリアは正面を向いて相も変わらず締まりのない笑顔を浮かべている。
この表情の原因が自分だと思うと、なんともむず痒い気持ちになった。
行きつけの本屋は近所の商店街から一本、入った筋にある。自宅から歩いてだいたい二十分程度の距離だ。だが、今日はフラウリアの歩幅に合わせていたのと、こいつが道すがら商店街を話題にちょいちょい私に話しかけてきたり、立ち止まったりしていたのもあって、いつもの倍近くの時間がかかっていた。
そのことに本屋の陳列窓から店内の時計が見えたときまで気づかなかったところからするに、やはりこいつといると体感時間が短く感じるのかもしれない。
「いらっしゃ――おや、先生」
店内に入ると、店の奥にいた男がこちらを向いた。
そいつは手に持っていたハタキを置いて、小走りにこちらにやって来る。
「そろそろ来られるころかと思っていましたよ」
細身で小柄でさらには猫背な男はそう言うと、首を横に少し傾げて私の後ろにいるフラウリアを見た。
「おや? お連れさまですか」
「あぁ」私は少し横に退く。
「そりゃ珍しい。いんや初めてだ。驚きだ」
男はいかにも驚いたとでも言うように両手のひらを上げて見せた。その飄々とした口調とわざとらしい仕草は、なんとなく道化師を彷彿とさせる。
「お嬢さん、お名前はなんておっしゃるのかな?」
「フラウリア・ミッセルと申します」
少し緊張の面持ちでフラウリアは名乗った。
男はそれを聞いてわずかに眉をあげるが、それは一瞬のことですぐに微笑みを浮かべる。
「フラウリアさんですか。わたしはケン・ペンパーです。しがない本屋の店主です。どうぞよしなに」
「はい。よろしくおねがいします」
フラウリアが丁重に礼をする。
「これはこれはご丁寧に」
それに応えるようにケンも頭を下げた。
「なにか入ったか」
二人の顔合わせが済んだところで私は訊いた。
「えぇ。先生がご興味をもちそうなものが何点か。いつものようにまとめておりますよ。お持ちします」
そう言ってケンはカウンター奥の扉へと消えて行った。
私は室内に目を向ける。そこそこ広い店内には今、客は一人もいない。ここの客は午後から来ることが多いらしく、午前中はいつもこんな感じなのだとケンに聞いたことがある。だからここに来るのはいつも午前中にしていた。
フラウリアは物珍しそうに店内を見ている。私が知る限りではこいつが本屋に来たのは今日が初めだ。
「好きに見てろ」
そう言うと、フラウリアは「はい」と頷いて店の奥へと歩いて行った。




