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少女と白の心  作者: 連星れん
その後

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大陸暦1977年――01 努力


 昨日と同じく夕食を済ませたあと、私は風呂に入り自室のソファで過ごしていた。

 隣には寝間着に着替えたフラウリアもいる。寝る支度を済ませたあと遠慮がちに訪ねてきたのだ。どうやらまだ広い部屋に一人でいるのが落ち着かないらしい。こいつは何事にも適応力が高いのだが、これは例外のようだ。

 今日は昨日よりも夕食を終えるのが早かったこともあり、フラウリアの就寝時間まで少し時間があった。だから私たちはたわいのない話をしていた。とは言っても喋るのはほとんどフラウリアのほうで、私はたまになにかを訊かれて答えるぐらいだ。その訊かれることも差し障りのない内容であることから、こいつが私に気を遣っていることは自ずと分かった。

 本当はフラウリアも自分のことを話すだけでなく、私に話してほしいことや訊きたいことが沢山あるのだ。私の過去を――全てを知りたいとこいつは思っている。だが、昨夜のことで私が昔のことを話したがっていないと知ったから、自分からそこに触れないようにしている。私が話す気になるまで待つつもりでいる。

 私はそれに応えるべきなのだろうし、そうするつもりでもいる。今さらもうこいつに過去を隠したいとは思っていない。なんなら今すぐにでも話してすっきりしてしまいたい気持ちもある。

 だが、いざ話そうと思うと、どうにも気持ちが二の足を踏んでしまう。なにも人に身の上話をするのはこれが初めてというわけでもないのに、相手がフラウリアとなると変に勇気を必要とする。全てを知られるのが少し怖いと感じてしまう。

 それはきっとこいつが私にとって特別だからなのだろう。

 私は恐れているのだ。過去を知られてフラウリアが私を嫌いになることを――離れてしまうことを。そんなことありえないと分かっているのに、ありもしないことを想像して不安になってしまう。

 なにかを失うことを恐れるなんて、今までになかったことだ。

 私は喋り続けているフラウリアから視線を下ろす。そこにはソファに置かれたフラウリアの手がある。それに手を伸ばしかけて、触れる寸前でその手を引っ込めた。

 以前のように窘める声は聞こえてこない。

 もう私を咎めるものは――父も母も使用人もここにはいない。

 それでも私はその手に触れることができなかった。

 そんな自分に憤りを感じながら視線をあげると、いつの間にか喋るのを止めていたフラウリアと目が合った。

 フラウリアはなにか言いたげな顔をしてこちらを見ている。

 見られていた――そのことに気まずさを感じながら視線を逸らすと、丁度、壁掛け時計が目に入った。時刻は二十一時前を指している。そろそろフラウリアが寝る時間だ。


「私は下に降りる」


 逃げる口実ができたことに内心で安堵しながらソファから立ち上がる。

 今日はセルナが出ている日なので夜には待機しておかなければならない。とはいってもあいつが来たら馬車の音で分かるので待機場所は別に仕事部屋でなくともいいのだが、それはもうなんというか長年の癖みたいなものだった。それがなくとも、今はなんとなしにこの場を離れたい気持ちではある。


「はい。あの、私はもう少しここにいてもいいですか」


 私は怪訝に思った。一人ならば自室でも私の部屋でも同じだと思うのだが……。


「それは構わないが、今日は一緒に寝てやれないぞ」


 それでも断る理由はないのでそう答える。


「わ、分かってます」


 フラウリアは気恥ずかしそうに答えた。

 就寝の挨拶を交わして部屋を出る。それから仕事部屋へ着くと、適当に本を手に取ってソファに座った。買い溜めた本は今日、読み切ってしまったので明日にでも本屋に調達に行かなければならない。外に出ることに少し憂鬱な気分になりながらも本を開く。

 それから一時間ぐらい本を読んでいると、ふと上階の気配が気になった。

 ……気配が動いていない気がする。

 まさかと思い、私は本を置きソファから立ち上がると自室へと向かった。そして自室の扉の前に着いて確信する。

 やはりだ。まだいる。まだ起きているのか。

 中に入ると、部屋を出る前と同じくフラウリアはソファに座っていた。しかしその頭は少し俯いていて、瞳は閉じられている。膝の上に本が開かれていることからするに、本を読んでいて寝落ちしてしまったのだろう。

 私は思わずため息をついた。春先とはいえまだ夜は肌寒いというのに……。


「フラウリア」


 ソファに近づいて呼びかける。声に反応するように眉根がピクリと動いた。


「フラウリア」


 もう一度、呼びかける。すると眉根が寄ったあとに瞼が開いた。それから何度か瞬きをしたあと、瞳がゆっくりと上にあがる。


「……ベリト、さま……?」

「こんなところで寝たら風邪を引くぞ」

「あ……」フラウリアは辺りに視線を巡らせる。「はい、すみません」


 こいつの性格からして、寝落ちするまで本を読むことは考えられない。眠くなったらちゃんと寝床に行くはずだ。つまりは――。


「自分の部屋で寝るのが嫌なのか?」


 図星を指されたかのようにフラウリアは目を見開くと、耳を赤くして俯いた。


「一緒に寝なければどこでも一緒だろ」

「……違います」


 意外にもフラウリアは否定をしてきた。


「ここはベリト様の、その、気配みたいなものが感じられます」


 気配? それはもしかして生活感、と言いたいのだろうか。

 ……まぁ、ここは私が住み始めてからずっと使っている部屋ではある。フラウリアの部屋に比べたら本も物も増えているし、一目見ただけで生活感が感じられるのは分かる気がする。

 しかしフラウリアの部屋は私が来てから誰も住んだことがない。家具はほぼこの部屋と同じものが揃っているとはいえ、こいつの私物が少ない所為でもの寂しい感じはするかもしれない。


「ようはここで寝たいのか?」


 訊くとフラウリアはますます耳を赤くして遠慮がちに頷いた。


「それならそうと、最初からそう言えばいいだろ」

「何度もは、ご迷惑になるかと……」


 一度ならず二度までも、ということか。変なところで遠慮するなこいつは。


「お前が――」


 いいのなら私は別にいい――そう自然と言いかけて私は言葉を止めた。

 意識していないとつい曖昧に答えたり、人の気持ちに投げようとしてしまう。それでもフラウリアは私の本心を察することはできるだろうが、だとしてもこいつにはそうありたくはない。


「迷惑じゃない」


 フラウリアが顔を上げてこちらを見る。


「お前の言うことなすこと、私は、迷惑だと思ったことはない」


 そう。理解できないことはあっても、迷惑だと思ったことは一度もない。


「だから、遠慮するな」

「……それでしたら」フラウリアはそこで一度、言葉を止めると、言った。「ベリト様に触れたいと思ったら触れてもいいのですか?」

「あぁ」

「ベリト様も、そうしてくださいますか?」


 フラウリアが下からじっと見つめてくる。まるで先ほど私が触れようとして触れられなかったことを突きつけてくるかのように。


「それは……難しい」


 私の返事にフラウリアの表情が曇る。


「私はそれを、してはならないことだと躾けられて育った」


 だが、続けて口にした言葉に、フラウリアは意外そうにこちらを見た。


「お家で、ですか」

「あぁ」

「それは、お力が原因で」

「そうだ。それはもう、今では意味のなさないものだが、それでもこれまで私は人に触れないように生きてきたんだ。だから今さらそれを変えるのは難しい」


 再びフラウリアの表情が曇るよりも早く「だが」と私は続ける。


「お前には、そうするよう努力したいとは、思っている」


 治療という名目で触れるとかでなければ、昨日のように勢いでもなければ、私はまだ自分から人に触れることができない。フラウリアでさえもそれができない。

 それは記憶や感情を視てしまうことへの遠慮もあったが、一番は子供のころの躾けが私を抑制している所為だ。人に触れようとして窘められたときのことを、勝手に喋ってはいけないと戒められたときのことを、まだ心は覚えている。

 たとえもうその声が聞こえなくとも、私の心は未だにそれに怯えている。

 それでも心の全てを開いてくれているこいつには、自分の気持ちを誤魔化したくはない。

 伝えたいことはなるべく、言葉にするようにしていきたい。

 触れたいと思ったのならば、そうしていきたい。

 フラウリアは驚くように目を見開いていたが、やがて顔を綻ばせた。


「さぁ、もう寝ろ」


 私は顔を逸らして言った。ここまでなるべくそうしないようにしていたが、限界だった。


「でないと仕事が始まる前に、生活習慣が狂うぞ」

「はい」


 フラウリアがソファから立ち上がる。


「ベリト様」


 呼ばれてフラウリアを見る。

 フラウリアは手を伸ばしかけて、一度、私の顔を見た。それから私の手を軽く握る。


「おやすみなさい」

「……あぁ、おやすみ」


 私の返事をフラウリアは微笑んで受け取ると、ベッドに入った。それを見届けてから魔灯を消して部屋を出る。

 仕事部屋に戻る途中、歩きながら触れられた手を見た。

 初めて手を握ってきた時からずっと、あいつは私に触れたいと思っていた。

 私の力を知ってもなお、その気持ちが変わることはなかった。

 だが、あいつは無闇に私に触れてくることはなかった。

 私に気を遣っていたからだ。

 それはあいつだけでなく私も同じだ。

 私もあいつにずっと、触れたかった。触れたいと思っていたのだ。

 それはあいつが一昨年、風邪を引いたときにはもう気づいていたことだ。

 フラウリアが私を拒絶していないことは分かっていたし、私もあいつを拒絶はしていなかった。私があいつに触れられて嫌がっていないことは、おそらくあいつ自身も気づいていただろう。

 それでもお互いにお互いが遠慮しあって、今までそれができなかった。

 だからこそあいつはとても喜んでいた。

 それを許されて、私がそれを受け入れて。

 先ほど手を握られたとき、その気持ちが伝わってきた。

 そしてそれを視て実感した。やはり言葉にすることは大事なのだと。

 いくら私が力であいつのことを全て視られるにしても、あいつが私のことを理解していたとしても、言葉にしなければ伝わらないことがある。形にならないこともある。

 先ほどフラウリアが触れてきたのも、言葉に出した結果なのだ。

 これからあいつは私に遠慮なく触れてくるだろう。

 だから私も宣言した通り、できるだけそうするように努力したいと思う。

 もう遠慮することはない。あとは、私の気持ち次第だ。

 過去の幻影に怯えることなく、私が勇気を出せばいいことなのだ。

 私は触れられた手に残った温もりを握りしめると、その手をポケットに入れた。



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