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少女と白の心  作者: 連星れん
前編

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大陸暦1975年――02 呼び出し2


 アルバさんに『あとはやっておくから行っておいで』と言われ、私は院長室の前へとやってきていた。

 そして扉を叩こうとして、緊張のあまりその手が止まる。

 修道院長であるユイ先生とは私がここに移って以来、毎日のように顔を合わせている。それは主に身体の治療経過を診ていただくためだけれど、気持ちが不安定だった最初のころはよく話し相手にもなってくださっていたし、眠れない夜には歌ってくださることもあった。ここではアルバさんに次いで、共に過ごした時間が長い人とも言える。

 なのでもうユイ先生とは自然体で接することができるのだけれど、今まで先生と会うのは私の自室ばかりだったのと、このように今まで呼び出されることが一度もなかったこともあり、何だか変に緊張してしまっていた。

 このままでは入るには入れないと、私は扉を叩こうとした手をそのままに、一度、深呼吸をする。そして相手はユイ先生なのだから何も緊張することはないのだと自分に言い聞かせてから、院長室の扉を叩いた。


「フラウリア・ミッセル。参りました」


 名乗った声は緊張からか少し上擦っていた。

 中から「お入りなさい」と柔らかな声が返ってくる。

 その聞き慣れた声音に少しばかり安堵を覚えながら「失礼します」と扉を開けた。

 入室してすぐ目に飛び込んできたのは、初めて見た修道院室の内装ではなく、ここの主であるユイ先生でもなく、意外な人物だった。

 その人物は私を確認すると、いつものように向日葵のような笑顔を浮かべた。


「フラウ!」

「ロネさん?」


 そう、その人物ことロネさんは、私に歩み寄ってくると右腕に抱きついた。

 どうしてここに、と私が疑問を口にする前に「フラウリア」と柔らかな声で名を呼ばれる。正面を向くと、その柔らかい声の主である女性は執務机の前に立っていた。控えめで優しい微笑みを浮かべながらこちらを見ている。


 この女性がユイ先生こと、ルコラ修道院の院長、ユイ・レシェント修道院長だ。


 ユイ先生は今では稀少となりかけている高位治療士、神星しんしょう魔法の使い手だ。

 アルバさん曰く、先生は星教会せいきょうかいでは指折りの癒し手の一人であり、その実力から星教の最高指導者である星導師せいどうし様からは名誉ある色付き称号、青の聖女の称号を与えられているらしい。

 今この色称号を持っている修道女または修道士は世界でも十人もおらず、そのことからもユイ先生が凄い人なのだということが分かる。


「お呼び立てしてすみません」


 ユイ先生は私に向けて、丁重にそう言った。

 私は先生の前まで歩きながら答える。


「いえ。何かご用でしょうか」


 その声は上擦るでもなく、いつもの私のものだった。どうやらロネさんがいてくれたお陰で、変に緊張していた気持ちが完全にほぐれてしまったらしい。


「用件の前に。身体の調子はどうですか?」

「はい。良いです。特に不調も感じられません」


 そうですか、とユイ先生は頷くと「失礼」と私の頬と首筋に触れた。体温と脈を計るためだ。最初は何だか気恥ずかしかったこの行為も、今ではもうすっかり慣れてしまっていた。


「動いても正常を維持できていますね。いいことです」先生が手を離す。「ですがまだ急に体調が変化する可能性はあります。少しでも違和感を覚えたら必ずアルバに言ってください。彼女が私に繋いでくれますから」

「はい。お気遣いありがとうございます」私は頭を下げる。

「で! で! ユイ先生、何のお話しですか!」


 隣にいるロネさんが待ちきれないとばかりに身体を揺らした。おそらく私が来るまで本題はお預けにされていたのだろう。


「少し確認したいことがありまして」


 ユイ先生はそう言うと一拍、開けてから言った。


「ロネ。貴女は今、治療学の課題をリベジウム先生にお届けする担当になっていますね」

「え、はい」


 そう答えたロネさんの声は、先ほどとは明らかに調子が落ちていた。

 その理由は明白だ。そのことが彼女にとって好ましいことではないからだ。

 そんな彼女の様子にユイ先生はわずかに眉をひそめたけれど、話を続けた。


「実は先ほど用がありリベジウム先生を訪ねたのですが、昨日は白い髪の少女が課題を持ってきたと彼女は言っていました。フラウリア、貴女ですね」

「あ、はい」


 私は頷く。どうやらユイ先生は昨日、私とロネさんがお役目を代わったことについて確認をしたいらしい。それ自体は別に不思議なことではないけれど、でもその言い回しにはどこか違和感を覚える。まるでそのことを今日初めて知ったような……。

 

「私がロネさんの代わりにお届けしました。身体のために歩きたかったので。いけませんでしたでしょうか?」

「いけないことはありませんが貴女は病み上がりですし、交代の報告はして頂きたかったです」


 交代の報告はして頂きたかった……?

 その言葉の意味を私はすぐには飲み込めなかった。

 だから何度か瞬きをしながら考える。

 報告をして頂きたかったということは、報告がされていないということだ。

 でもそれはおかしい。だって報告はロネさんが――。

 そこで私は、はっ、とした。

 そうか。ロネさんはユイ先生に交代の報告をしていないのだ。

 昨日、地図を描いていただいたあと、ユイ先生に報告しとくようにと言ったアルバさんにロネさんも返事をしていたので安心していたのだけれど、彼女のことだから悪気はなく普通に忘れてしまっていたのだろう。

 それは仕方のないことだ。誰にだってつい忘れてしまうことはある。だけどそのことをありのままに説明してしまっては、ロネさんが叱られてしまうかもしれない。だからこの場はあえて詳細は言わず、素直に謝罪することにしよう――。

 そう決めた時、右袖を、くい、と引っ張られた。ロネさんだった。


「ごめんフラウー」


 彼女はこちらを見上げながら、泣きそうな顔でそう言った。

 自分のせいで私が怒られると思ったのだろう。


「いえ。ロネさんは悪くありません」私は慌てて彼女に言った。「私が言い出したことですから、私が報告をするべきでした」


 口にして全くその通りだと自分でも思った。

 私が責任持って報告していれば、ロネさんが気に病むことも、彼女にこんな顔をさせることもなかった。これはそのことまで気が回らなかった私のせいだ。

 ユイ先生への返答も忘れ、落ち込むように俯いてしまったロネさんを前に私がそう反省していると、先生が「二人とも」と声を掛けてきた。

 私達はお互いに顔を上げ前を見る。ユイ先生は困ったように小さく苦笑を浮かべていた。


「何も私は報告がなかったことを怒っているわけではありません。ただ――」


 そこで先生は言葉を止めると、少しばかり間を置いてから続けた。


「――そう、本当に確認をしたかっただけなのです。だから罰もありませんし、用件もこれで終わりです。下がっていいですよ」


 それを聞いてロネさんの顔に笑顔が戻った。彼女は私に「よかったね!」と嬉しそうに笑いかけてくる。釣られて私も笑いそうになったけれど、罰がないことを素直に喜んではよくないと思ったので控えめに微笑んでそれに答えた。

 ロネさんは部屋を出ようと私の手を引いた。でも私は「ちょっと待ってください」とそれを制止する。不思議そうにこちらを見る彼女に再度、微笑みかけるとユイ先生に向き直った。

 私には折角のこの機会に思い立ったことがあった。


「あの、ユイ先生」

「はい?」

「今後は私が、リベジウム先生に課題をお届けをしてはいけないでしょうか?」


 それを私が口にした途端、ユイ先生が驚くように目を見開いた。その予期せぬ反応に私も少しばかり驚いてしまう。

 ユイ先生は普段から表情の変化が控えめな人だ。言動も物静かで、いつも優しく小さな微笑みを浮かべている。だからそんな先生の表情を見るのは初めてだった。

 そんなに私が口にした内容が意外なものだったのだろうか。

 それとも私が今日まで何かをしたいというような主張を口にすることがなかったからだろうか。


「何故ですか?」


 ユイ先生は視線を泳がしながら瞬きをしたあと、いつもの表情を浮かべてそう訊いてきた。まるで驚いたことをまぎわらすような仕草だ、と私は不思議に思いながらもそれに答える。


「ロネさんがリベジウム先生を恐れていらっしゃるからです」


 一番の理由はもちろんこれだった。

 私には今後も怖がるロネさんを送り出す自身がなかった。彼女が嫌がっていたらその度に代わりを買って出てしまうだろうし、それはきっとロネさんでなくても同じだろう。それならばいっそ、私がそのお役目を代わったほうが良いのではないかと思ったのだ。

 ――そう。それは確かにロネさんのことを考えて思い立ったことだった。

 でも今の私にはそれとは別にもう一つ、そうしたい理由もあった。

 このことを思い立った時に生まれた別の想いが。

 それはもう一度、彼女に会いたいというものだった。


 彼女に――リベジウム先生にまた会ってみたいと。


 そして確かめたかった。

 どうして私はみんなが思うように、彼女を怖いと感じないのか。

 どうして私は彼女の声に聞き覚えがあり、懐かしさを感じるのか。

 彼女の何が私にそう感じさせ、私の中の何がそう感じるのか。

 それを私は――いや、私の心はどうしてか強く、知りたいと望んでいた――。


「そうなのですか? ロネ」


 ユイ先生は確認するようにロネさんを見る。

 彼女は隠れるように私の腕にしがみつくと、小声で言った。


「うん……はい」

「どのようなところが?」


 続けてそう訊ねる。今回は確認するというよりは、本当に理由が分からなくて知りたいという様子だ。どうやらユイ先生もリベジウム先生に対して負の感情は抱いていないらしい。ユイ先生は大人だからリベジウム先生のような人にも慣れているのかもしれないけれど、それでも何だか私は嬉しい気持ちになった。リベジウム先生を恐れていないのが自分だけではないのだと分かって。

 ロネさんはもじもじと言いづらそうしていたけれど、やがて俯いて零すように言った。


「怒り、ますもん」

「それはロネ、貴女が何かしたからでは」


 言われてロネさんは、ぐっ、と顔を歪めた。これは何だか心当たりがありそうな反応だ。


「でも! みんな怖いって言ってる、ます」


 ロネさんの言葉を受けてユイ先生がこちらを見た。そうなのですか、と目で問いかけてきている。


「私はみなさんかどうかは分かりませんが、ですがリリーさんがそのようなことを仰ってました。それで私は先生のことを怖いとは感じませんでしたので、私が適任なのかと思い申し出ました」


 そうですか、とユイ先生は視線を下げた。そして一時してまたこちらを見る。


「分かりました。ですがこれは私の一存で決められることではありません。少しお時間を下さい。それまではロネ、課題は担当の先生に渡してください」


 それを聞いてロネさんの表情が、ぱっ、と明るくなった。


「もう持っていかなくていいの!?」


 彼女は心底、嬉しそうにそう言った。だからか嬉しさのあまりに敬語を忘れてしまっている。でもユイ先生はそれを咎めることはせず、いつもの控えめな微笑みを浮かべて言った。


「嫌がっているものを無理に行かせるつもりはありません。ただどうか誤解しないで。彼女は少し人付き合いが苦手なだけなのです。言葉も丁重ではないかもしれませんが、決して人に危害を加えるような人ではありません。それだけは心に留めておいてください」


 ロネさんは納得しかねるように眉を寄せたが、それでも最後にはユイ先生の言葉を受け止めて頷いた。

 そんなロネさんの頭をユイ先生は優しく撫でると、思い出したように「それとフラウリア」と言った。


「貴女の治療学の勉強に関してですが、今どのようするか相談しています。それが決まるまでは申し訳ありませんが教本で自習しておいて頂けますか」

「分かりました」

「分からないことがあればアルバに聞いて下さい」


 私は「はい」と頷くと、ロネさんと共に院長室を後にした。



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