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短編集『桜歩道』

皆伝とらねこ

作者: 宮本颯太

 今や全国に店舗を拡大する人気ラーメン店『とらねこ』。

 その総本店は名古屋郊外の街中にひっそりと佇む小さな店で、とても全国展開しているラーメン屋とは思えぬ慎ましやかな雰囲気が漂っていた。


 27歳の()()(しょう)()(ろう)はそんな『とらねこ』の総本店で日々まったりと修行を重ねていた。4年前に入門した時はきっと情け容赦ない怒号やら暴力やらが待っているに違いないと想像し、初っ端から緊迫感に苛まれていたのだが、店主の(また)()(とら)(まる)は物静かな中年の男性で、触ったら気持ち良さそうなムッチリと脂の乗った太鼓腹に調理白衣がよく似合う愛嬌ある風体であった。


 ある日。午前中の営業を終えたとらねこ総本店は、昼休みに入っていた。この時間は店内の座敷で虎丸店長あるいは弟子の作る賄いラーメンを食べるのが暗黙のしきたりとなっている。

 聖太朗は店長と調理白衣を着ながらラーメンを啜るこの時間が毎日の楽しみであった。今、総本店で修行している弟子は聖太朗ただ一人で、他にバイトも雇っていない。最初こそ心細い気もしたが、いつも落ち着いている虎丸店長と一緒だと自ずと何事も器用にこなせるようになっていた。


「なあ聖太朗」

 座敷で向かい合ってラーメンを食べていた虎丸店長がふと箸を止めた。

「はい!」

 といつもの癖で張り上げた声がガランとした店内に無駄に響いた。

「昨日は確か、お前が賄いを作ってくれたな」

「はい!」

 気に入ってもらえなかったのかと不安になったが、虎丸店長は無言で頷き、

「店を持ってみないか?」

 と真顔で言った。いや、この人はいつでも真顔なのだが。

「暖簾分け、許してやってもいいぞ」

 不意を突かれた聖太朗は戸惑ったが、尊敬する虎丸店長から皆伝を受けたことを徐々に理解して嬉しくなった。

「店長……」

 聖太朗も箸を置き、

「ありがとうございます!!」

 と座敷の上に正座して深々と頭を下げた。

「うんうん」と虎丸店長はまた頷き、

「ところで聖太朗、この店が何で『とらねこ』なのか……知ってるか?」

「へ?」予想外の問いかけに聖太朗は目を丸くしながら頭を上げた。

「えっとそれは……店長のお名前から取ったのでは」

「ふふん。実は違う」

 してやったり、と心の中でにやけているのが真顔からでも読み取れた。

「えっ、じゃあ一体……」

「それはな、ああいや、ちょっと立ってもらえるか?」

 唐突に起立を促された聖太朗は再び「はい!」と返事をして座敷の上に立ち上がった。

「ご苦労ご苦労」と虎丸店長もゆっくりと立ち上がり、腕を軽く振ったり肩を小さく回したりした。虎丸店長は身長が180センチちょっとあるので、それだけでも中々迫力ある動きに見えた。


「いいか。絶対に驚くなよ」と珍しく顔を強張らせた虎丸店長。そのあまり気迫に聖太朗は返事をするのも忘れて頷いた。

「よし、行くぞ!」

 カッと目を開いた虎丸店長は手をパンパンと2回叩いた。

「お?」

 そんなに凄んでそれだけ?聖太朗は拍子抜けしたが、次の瞬間には自分の目を疑った。


 何とそこには虎丸店長と同じ背格好のトラネコが立っていたのである。つまり180センチ超の丸々とした、巨大なトラネコである。二足で立ち、ちゃんと調理白衣も着ている。


「うおあ……!」

 反射的に絶叫しそうになった口元を巨大トラネコがそっと肉球で抑えた。

「よせ。弟子を食ったりしないからニャ」

 それは気を遣ってくれているのか脅しているのかよく分からなかったが、聖太朗はトラネコの真っ直ぐな青い目に見つめられて、失神しそうになる意識をどうにか繋ぎ止めて涙目で頷いた。

「まあ、座り直すニャ」

 トラネコは茫然自失の聖太朗の肩を肉球でポンポンしてから、座敷に座り直させた。

「よっこらせっと」トラネコもワンテンポ遅れてゆっくりと、それでいてどしっと座った。

「驚かせてごめんニャ。これが俺の本当の姿ニャんだ」

「えぇ……?」

「実はニャ、暖簾分けを許した弟子の中で特に好きな奴にだけ俺の正体を見せてるんニャ。全国の弟子たちの中でも俺の秘密を教えたのはこれまで4人。つまりお前が5人目ニャ!」

 トラネコは拍手をした。しかし肉球のせいで肝心の音が鳴らなかった。

「さて聖太朗。まだこれを夢か何かだと思ってるかも知れんが、秘密を教えたからには俺の身の上話を聞いてもらうニャ」

 そう言ってトラネコは器用に箸を持ってラーメンをひと啜りしてから水を一杯飲んで、話し始めた。


 ◆


 ――あれはもうどれだけ昔の事か、思い出せないニャ。

 当時、腹を空かせてフラフラだった野良の(普通の)トラネコだった俺を町のラーメン屋のおばちゃんが見かねて、店の中に引き入れてチャーシューを食わせてくれたんニャ。それはもうとてつもなく美味かったニャ。それから俺はそのラーメン屋で可愛がってもらって、色んなお客さんと仲良くなって、そして寿命を全うしたわけニャんだが、どうにもラーメンに対する未練が残ってニャ。俺も腹一杯ラーメンを食べたい。いやそれだけじゃなく、自分でラーメンを作って皆んなを笑顔にしたい。そんな念いが強かったからなのかどうかは分からんが、気づいたらこんな化け猫になっていたんニャ。

 それから俺は人間に化けて、生前のおばちゃんの姿を思い出しながらラーメン作りを練習し続け、弟子を持ち、今はこの日本全国にラーメンの味を届けてるというわけニャんだ!

 俺のラーメンは、おばちゃんのラーメン!優しさと笑顔の味ニャんだ!!


 ◆


 そこまで話して、トラネコは感慨に浸りながらズルズルとラーメンを啜った。

「はあ、おばちゃんにも食べてもらいたかったニャ」

 ぽつりとこぼしたこの呟きに聖太郎はこの化けトラ猫が悪い奴じゃ無いというのが分かった気がした。

「聖太朗。伸びないうちに食べるニャ」

「あ、はい」

 聖太朗も箸を持ち直して、ラーメンを啜る。

 うまい。これがこのトラネコの思い出の味なのかと思うと、何だか胸にじんと来るものを感じた。

「聖太朗。食べながら聞くニャ」

「はい」

「人生ってのは、過ごして行けば本当に夢のような、儚いものニャ。そして天寿を全うすれば魂は澄み渡って、安らかなものニャ。でもニャ、その安らぎも今思い返すと退屈だったニャとも思う。だから俺はこうして化け出てまで、この世にいる。お前はそんニャ俺を気味悪がったかも知れニャいが、俺は今おばちゃんから教わったラーメンをお客さんに食べてもらって、喜んでくれるのが幸せニャんだ。俺は……」

 言葉を詰まらせたトラネコ店長。その奥行きある瞳を、聖太朗は思わず見つめた。

「俺は人生が儚いものニャら、せめて皆んなが……お客さんも弟子も幸せになってる夢を見たいんニャ!」

 屈託の無い輝きのある表情でそう宣言したトラネコ店長の姿に、聖太朗の目から遂に涙が流れた。


「店長、俺……」

 聖太朗は涙を拭って、叫ぶように言った。

「俺、店長の弟子になれて本当に良かった!!」

 愛弟子の言葉にトラネコ店長も目元を肉球で押さえてから、

「うむ!さあ早く食べるニャ。もうすぐ開店時間ニャ」

「――ッハイ!!」

 二人は一気に麺を啜り、スープを飲み干した。

 聖太朗がラーメンの(どんぶり)を置くと、トラネコ店長は虎丸店長の姿になっていた。


 そっと差し伸べられた大きな手が握手を求めている。

 ガッチリと結んだ手は見た目こそ人間のそれであったが、ふわりと優しい肉球の感触がした。

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