勇者です。魔王倒したら邪神(かわいい)が来ました。
“四天を下し、魔の王への道を切り開け”
“魔の王を砕き、六神を覚醒へと誘え”
“六神が滅びし時、世界は真なる姿を取り戻す”
◇◆◇◆◇
どうも。勇者です。
名前をユノー。初代勇者、17歳です。
一年前に魔王を倒してからは、故郷を離れて北方にある田舎で自由気ままな一人暮らし中。気候や文化の違いなどはありますが、頑張っています。
今は冬を越すための薪割りをしている最中。
一年を通してずっと温暖なところに住んでいた身としては、冬というのが楽しみで仕方ありません。
木を置いて、斧で割る。
木を置いて、斧で割る。
木を置いて、斧で割る。
今日はすることもないので無心でそうしていると、表にある玄関が叩かれる音が聞こえる。
「はいはーい。今行きますね」
近所|(畑をいくつも跨いでいる)の誰かだろうか。
また野菜を持ってきて下さったのかと思い、訪問者の確認もせずに扉を開ける。
すると、そこには初めて会う一人の美少女が立っていた。
「あ、あ。その、こ、こんにちは。ここが勇者さんのお宅で合っていますか?」
長い銀髪に深紅の瞳。小柄な背丈に小動物のようなおどおどした様子。胸は大きすぎず小さすぎず手に収まりそうなサイズ。
黒と白のゴシックドレスに薔薇と羽根のついたつばの広い帽子を被っていた。
正直めっちゃタイプだ。完全ストライクゾーン。超可愛い。マジ可愛い。やばい。天使。結婚したい。家庭を築きたい。
勇者として何年も旅をして、何度もハニートラップを仕掛けられ、女性にはかなり慣れたつもりだったが、この人は違った。
これが俗に言う一目惚れというやつだろうか。
ぽっとあがってしまいそうになるのを深呼吸することで落ち着いて、まずは要件を尋ねる。
「あー。はい。そうですけど……アレキサンダー王の遣いの方ですか?」
魔王を倒して以来、この場所に僕が住んでいることを知っているのは、ここを紹介してくれた故郷の王様の一人のみ。
三年間旅を共にした仲間にも、旅の途中で出会った知人にも、旅立ちの時に分かれた幼なじみにも、この場所のことは知られていないはず。
なので、彼女は王様の遣いだろうと思ったのだが……否定するように首を振られた。
「私は……私は、その――」
少女が周りを気にするようにして言葉を言い淀む。
何か言いづらい話だろうか。事情は知らないが様子からそう察する。
「外では何ですし、中でお伺いします。どうぞ」
扉を奥まで開けて少女を招く。
彼女は一変して嬉しそうに後をついてきた。
◇◆◇◆
突然訪れた謎の少女にお茶を出して席に座る。
お出ししたのはいつも飲んでいる紅茶とは違う。昔、女僧侶に貰った茶葉を使ったものだ。確か『玉露』とか言ったかな。『めっちゃ高いからチビチビ飲んで!』と言われたので、今まで大切に保管し、一度も飲んだことがないものだ。なんか見たことのない緑色のお茶だったけど大丈夫だよね、コレ。
「それでどういったご用件でしょう?」
僕は単刀直入に少女の要件を尋ねる。
彼女は少し緊張したように手をすり合わせてから、小さな声で―――
「じゃしん、です」
―――そう言った。
「え?」
聞き間違いだろうか。彼女から邪神と聞こえた気がして、素っ頓狂な声が出てしまう。
すると彼女はテーブルに手をついて、僕にぐいっと顔を寄せてきた。
「私、邪神です! だから私を殺してください。勇者様!」
「じゃ、邪神?」
この子はあれか。黒魔術師に多い頭がちょっとアレなタイプの人なのか。
そう思っていると、それを見透かされたのか少女の目が少し細くなる。
「勇者様、私がおかしい人って思っていますか?」
「え!? い、いや、そんなことは思ってないよ! 本当。うん。少しも思ってないけど、ベッドで少し横になって休むかい?」
「やっぱり頭のおかしい子って思っているじゃないですか! そ、それにベッドなんて、えっちです! 破廉恥です! 母様が初対面でベッドに誘ってくる男はケダモノ以下って言っていました!」
「えぇ!? な、なんかごめん。そんなつもりじゃ……」
あらぬ誤解が生まれて焦る。
たった一言の失言で変態認定されてしまった。
「私、悲しいです。私を殺してくれる勇者様が、こんな変態さんだなんて」
少女が顔を手で覆って泣き出す。小さな嗚咽が聞こえるたびに、僕は申し訳なさでいっぱいになっていくが、おどおどしているうちにふと違和感に気づく。
「……もしかして、ウソ泣き?」
少女の肩がピクリと反応して、一瞬止まる。
「えーんえーん」
あからさまなウソ泣きにため息をもらすと、指の隙間から目が見えて下をちょっぴり出していた。
大人しそうな子だと思っていたけど、意外と小悪魔なのかな。
「えへへ。ごめんなさい。勇者様の反応がいいのでイタズラしちゃいました」
「もう、心臓に悪いからやめてくれよ。家の中から女の子の泣き声が聞こえるなんて、ご近所さんが通りかかったらどう思われることか……」
「世界を救った勇者様でもご近所付き合いに頭を悩ませるのですか?」
「そうだよ。今も、昔も、僕は人の笑顔は好きだけど、人付き合いはそこまで得意じゃないんだ」
椅子に深く腰を下ろすと、少女が不思議そうな目で僕を見てくる。
「……なんだか、勇者様って想像していたよりも完璧じゃないですね」
「実物がこんなのでガッカリかい?」
「いいえ。私はそんな勇者様の方が好きですよ。世界のために当然と思って斬られるよりも、一人の可哀そうな女の子と思って斬られたいですから」
少女が無理やりしたようなぎこちない笑みをする。
「ん? あ、まだ邪神がどうって設定が続いている感じ?」
「だーかーらー、設定じゃないですぅ。本当に私が邪神です」
「そんなわけがない。だって邪神は――」
「――邪神は魔王が死なないと覚醒しない。ですよね」
「! どうしてそれを……!」
僕は自分の言おうとしたことが、勇者にのみ知らされる“世界の託宣”が、目の前の少女の口から出たことに驚く。
「私は邪神です。でも、まだ力のない未完成の邪神です。本来、私がこうすることは禁則事項とされていますが、一年経っても覚醒できないイレギュラーな事態のため参りました。……勇者様、私が覚醒できない理由を教えてくれませんか?」
少女は嬉しいような怖いような、期待と不安が入り混じった表情をしていた。
◇◆◇◆◇
勇者。と、ひとくちに言っても歴代の勇者が皆、同じというわけではない。
とりわけ今代の勇者はとことん馬鹿だった。
何度も繰り返される魔王とその眷属たちとの戦争。
勇者とはその戦場で誰よりも先陣に立ち、猛威を振るい、人間すべてに光を示す者のことだ。
だが、今代の馬鹿な勇者は違った。
あろうことか最前線での己に与えられた役割を放置し、人間軍も、仲間たちも全てを置いて、魔王城にたった一人で乗り込んでいったのだ。
結果的に魔王は倒されて人類は大きく勝利に近づいたが、勇者のいなくなった前線は半壊。人類も相応の損失を受けてしまった。
◇◆◇◆◇
「それが公表されていることの顛末。あとは頭を失って統率が取れていない魔族を追い詰めるだけ……」
「でも、それは嘘です。魔王は絶対に生きています。魔王は勇者様との戦いでどうなったのですか?」
表向きには倒されたことになっている魔王。
だが、少女は倒されていないことを確信しているらしく、僕の目をじっと覗き込んでくる。
これは適当に誤魔化すことも難しいだろう。仕方ないので、僕は上に着た服を脱ぎ始める。
「え!? え!? ど、ど、ど、どうして脱いで!? ―――あっ」
驚きつつもちゃっかり指の隙間から覗いていた少女が、僕の腹に刻まれたモノを見て目を見開く。
「魔王はここ。僕は噂通りの馬鹿な勇者だけど、―――封印魔法だけは得意なんだ」
僕の腹には刻印呪縛の魔法が刻まれている。
当然これをしたのは僕自身であり、中には魔王が眠っている。
少女はそれを見ると、今度こそ本当に、止めどなく涙を流し出した。
◇◆◇◆◇
ちーん。
構えた鼻かみに少女が勢いよく流していたものを出す。
摘まんだ上からでもねっちょりした感覚がわかるそれを机の端において、次は服の袖で涙も拭いてあげる。
「ぐすっ。ごめん、なさい。取り乱しました」
「気にしないで大丈夫。いっぱい泣いて少しは落ち着けた?」
「はい。もう大丈夫です」
「そうかい?」
僕は念のため少女の目を覗き込んで本当かどうかを確認する。
だが、泣いたばかりで恥ずかしかったのだろう。ふいっと目を逸らされて、顔を伏せられてしまった。
相手は女の子だし、無理やり目を見るのは配慮が足りなかったか。
そういえば女僧侶と女魔法使いには女の子との距離感には気をつけろと口酸っぱく言われていたな。
懐かしい過去を思い出して反省しつつ、少女の隣から元の席に戻る。
「それじゃあいくつか聞きたいことがあるけど、いいかな?」
「はい。禁則事項に触れない範囲でならお答えできます」
「じゃあまず、愚問かもしれないけど、一応確認で。……君は本当に魔王が死んだときに覚醒するという六神の一柱、邪神かい?」
「はい。私が世界に……世界に、“混乱”を振り撒く“邪神”です。間違いありません」
答える少女の声は少し震えていた。
僕はそれに気づかないフリをして、質問を続ける。
「うん。それで、僕のところに来た目的は?」
「お話した通り、覚醒できないというイレギュラーになったため事態の確認に参りました」
「なら、その原因を確認したことで君はどうする? 例えば、僕の封印を解いて、今度こそ覚醒するのかい?」
「いえ。そんなことはしませんし、それに……できません。魔王は私の攻撃では傷つかないです」
「ん? 傷つかない……? 魔王より上位の存在なのに、どうして?」
「それは――ッ!? ごめん、なさい。それは、禁則事項です。お話できません」
少女が頭痛にでもあったかのように顔をしかめて、頭を押さえる。
「禁則事項……禁則事項っていうのは、僕に進む道を教えてくれる“世界の託宣”みたいに、頭に直接語り掛けてくるもの?」
「そう、です」
「そうか、君もこの世界の奴隷か……」
「え? なんて言いました?」
「いや、なんでもないよ」
笑って誤魔化す。
どうやら彼女は違うらしい。
「よし、君を質問攻めにして苦しめるのは申し訳ないし、これで最後にしよう。君は、人類の味方かい? それとも、敵かい?」
何よりも重要なことを、勇者として聞かなければいけないことを、口にする。
答えが『味方』にしろ『敵』にしろ、勇者という僕が彼女にすることは一つだが、まぁ、心持ちの問題だ。
あー。マジでもったいねぇー。めっちゃタイプなのに。一目惚れなんて初めてなのに。出会ったばっかだけど超絶好きなのに。この心臓の高鳴り。僕、この後一生後悔するんだろうなぁ。なぁーんでこんな可愛い子が、邪神なんてひっどい役割なのかなぁ。ほんっとうに、クソみたいな世界だ。最後にってお願いしたら、おっぱいとか揉ませてくれるかな。ちょっとえっちなことぐらい許されないかな。……許されないよなぁ。……ちくしょう。
せめて最後は、痛みも、苦しみも、悲しみもなく、殺してあげよう。
僕は一瞬の間に覚悟を決めて、目線を上げる。
彼女の目はとても優しく、そして力強かった。
「私は……私は、味方でいたいと思っています。でも、いつかそれが、私の意志とは関係なく出来なくなるから、きっと誰かを傷つけるから、だから私はここに来ました」
「そうか。……君は、すごいな。僕が言えた立場ではないけど、その選択に後悔はしていないのかい? もしも、自分も普通の女の子だったら。と、考えたことはなかったのかい?」
心優しい少女が背負ってしまった重荷と、それでもなお、取り返しがつかなくなる前に自身の役割を遂行しようという意思の強さが気になった。
だって僕だったら死ぬために死地へ赴くことはできない。全力で生き足掻くはず。
そう思ってもう一度少女の目を見ると、今度は聞いたことのない言葉でも耳にしたような驚いた様子だった。
「普通の、女の子、ですか?」
「うん。僕も勇者になった時よく思ったんだ。なんで僕が勇者なんだろう。僕はそれまで通り普通で良かったのにって。君はない?」
「―――私は、ありません。私はずっと私だったので。普通に生きられるとは考えたこともなかったし、周りもどこか浮いた私と距離をとっていましたから」
少女はそこで言葉を区切り、少し考えるようにして頬に手を当てる。
「でも……そうですね。もしも、私が普通だったら、世界とか、役割とか、そんなの関係ない、普通の女の子だったら―――」
彼女は夢見る少年のように、恋する少女のように、頬を紅潮させて言葉を紡いでいく。
「―――勇者様みたいな人と、恋をしてみたいです。勇者様はその、あの、私のタイプ、なので。……甘酸っぱくてほろ苦い、どこにでもあるような、でも、私だけの恋。そんな恋ができたら、きっと――あっ?」
少女の頬に一筋の涙が伝った。
僕はその涙に目を見開くが、それ以上に少女自身も意外だったらしく、大きく目を見開いた。
「あれ? なんで私、泣いているの? 涙なんて、ほとんど、流したことないのに……今日は、おかしい、なぁ。なんで、なんで、なんで……」
少女の涙は止まらない。それどころか勢いは増し、押さえた手のひらから零れていく。
僕は傍に寄るが、どうしていいのか分からない。
こんな時、よく馬鹿話をしてくれた男戦士はなんて言っていたっけか。必死に記憶を辿って思い出す。
そうだ。確か女が泣いているときは、『力強く抱け』だったか。
僕は本当にそんなことをしていいのか迷ったが、ゆっくりと手を回す。
だが、いざぎゅっと力を入れようとしたとき、少女が顔を上げた。
そして、今にも死にそうな目をして、
「――勇者様、私、このまま、死にたくない、です」
生きたいと言った。
僕は力強く少女を抱きしめた。
◇◆◇◆◇
どうも。勇者です。
昨日、寂しい一人暮らしの我が家に同居人が出来ました。
同居人は長い美しい銀髪に深紅の吸いこまれるような瞳を持った少女、名前をソフィーティア・ロット・ローズ。
僕が滅ぼすべき存在、邪神……の依り代になった子です。
「~♪ ~♬ ~♩」
今は何やらご機嫌なのか鼻歌を口ずさみつつ朝食を作ってくれています。
僕は男の一人暮らしらしく朝は抜き、昼・夜でガッツリ食べていたのでとてもありがたいです。
「お待たせしました。ユノー」
作り終わったらしく、食卓には皿の上に焼き立てのパン、ベーコン、スクランブエッグが。そして、小さいお椀には簡単な野菜のスープが並ぶ。
「イタダキマス」
「? ユノー、それは?」
手を合わせて『イタダキマス』と言った僕を対面に座ったソフィーティアが不思議そうに見てくる。
「これは異世界で食事の時にする挨拶らしいよ」
「異世界?」
「うん。パーティメンバーだった女僧侶が別の世界からきた漂流者でね。彼女はよく調理担当だったんだけど、その時にそういう挨拶があるって教わったんだ。食材に感謝するって意味らしい」
「なるほど。……イタダキ、マス――?」
ソフィーティアが作法と発音が合っているか少し心配そうにして『イタダキマス』をする。
僕はその様子が少し可笑しくて、くすっと笑ってしまった。
「な、なにか違いましたか?」
「いや、なんか可愛くて」
僕がそう言うと、彼女はからかわれたと思ったのか、いじけたような視線を向けてくる。
僕はそんな彼女もとても可愛らしいと思った。
◇◆◇◆◇
さて、ソフィーティアと暮らす、名目上は保護するといっても、彼女が危険な邪神である以上個人でこの事実を留めておくわけにはいかない。
然るべきところ、僕の事情を把握しているアレキサンダー王には話を通すべきだろう。
僕は皿洗いをするソフィーティアを横目で見ながら、机に紙を広げてペンを走らせる。
魔王の封印は変わらず安定していること。
邪神が訪ねてきたこと。
それを保護したこと。
今まで魔物かと思われていた六神が実は人間の中に紛れていたこと。
念のためソフィーティア・ロット・ローズの身元を確認して欲しいこと。
六神と思われる人間を探してほしいこと。
ソフィーティアは恐らく僕と王が探している存在ではないこと。
ソフィーティアの朝食は王城のものより美味しいこと。
そして、僕は例え誰を敵に回しても、命懸けでソフィーティア・ロット・ローズを守ると決めたこと。
文章を書くのは得意ではないが、伝えるべきことはすべて書いた。
紙を折りたたんで封筒に入れ、火魔法で蝋を溶かす。
そこでちょうど洗い物が終わったのか、紅茶を二つ持ってソフィーティアが隣に座る。
彼女は淹れたての紅茶を一口飲んだ後、ちょっと拗ねたように唇を尖らせた。
「どなたへの手紙ですか? 女の人ですか?」
ふむ。これは嫉妬されているという認識でよいだろうか。
口角が上がるのを我慢しきれず、『王様宛てだよ』と答える。
すると彼女は不快そうな、不満そうな、あからさまに嫌な顔をした。
「王って、あのベルギス王ですか?」
「ベルギス……? あぁ、この国の王様か」
ベルギス三世。ここ、キサナ王国の現国王だ。ド田舎なのでたまーに風の噂が来るぐらいだが、あまりいい話は聞かない。
アレキサンダー王はただの小物と評価していたな。
反応を見るにソフィーティアはこの国の出身らしい。
「違うよ。宛先はメルキュモ王国のアレキサンダー王。僕をこの地に逃がしてくれた人さ」
「メルキュモ……!」
僕が答えると今度は一転、ソフィーティアは目を輝かせる。
「ユノーはメルキュモの王都に行ったことがありますか?」
「うん。王様に会いに行ったときに何回か」
「おー! そ、それで、どうなんですか! 世界一と言われる王都はやっぱり他とは違いますか!?」
「え!? あ、う、うん。スゴイヨ、スゴイカラ」
ずいっと鼻と鼻がくっつきそうなぐらい詰め寄ってきたソフィーティアを一度押し戻す。
いきなりでビックリした。
僕は一度咳払いをしてから淹れてくれた紅茶を口にして、最強国家の世界最大王都を思い出す。
「メルキュモの王都アルスはとにかく人が多いんだ。もう、それこそ自分が今まで都会って思っていたところは別にそこまででもないんじゃないかって思うぐらいに。とにかく視界の中は人、人、人。種族や人種、様々な人で埋め尽くされている。一歩よろめけば必ず人にぶつかるし、常に数メートル先すら見えない」
「エルフやドワーフといった種族も見られますか?」
「うん。普段からたまに見かけるし、何かしらイベントがあったりすると、更にたくさん増えるよ」
「すごいです! すごいです!」
「今度、行ってみる?」
「いいんですか!?」
「多分来いって言われるだろうから。まぁそのためにもそろそろ手紙を出してくるよ」
溶かしておいた蝋で封蝋して、手紙が出来上がる。
王様から勇者用にと渡された、盾に二本の剣が交差している刻印だ。
「あ、止めちゃってごめんなさい」
手を離した彼女に気にしないでと言っておき、魔力を高める。
「狭間の生成」
詠唱と共に空間を切るように手を動かすと、そこには十メートルほどの空間があり、中には様々な高価な物品やマジックアイテムがごった返していた。
本来は敵を閉じ込めるための中級封印魔法だが、僕はこれをアイテムを安全に収める蔵として使っている。
蔵の中に手だけ突っ込んで目的のものを探す。
「えーと、どれだっけ? これは……悪魔の召喚笛、こっちは影魔の祓い笛、これは~グリフォンの呼び笛か」
蔵から似たようなアイテムをポイポイ外に投げる。
そういえば昔これをしたら女僧侶に『青い二足歩行の狸みたいね』と言われた。あれはどういう意味だったのだろう。異世界にはそんな生物がいるのだろうか。
そんなことを思い出しつつ、目的の羊の捻じれた角のような笛を取り出す。
「ユノー、それは?」
「銀梟の呼び笛。手紙とかちょっとした荷物を運んでくれる梟を幻獣界から呼べる笛だよ。普通に送ったら三か月はかかるけど、梟ならその半分ぐらいで届けてくれるんだ」
僕は窓に近づいて最近少し冷たくなった外の空気を家の中に取り込む。
そして、呼び笛を一吹き。
少し待つと銀の毛並みを持った五十センチぐらいの梟が現れる。
足にはツル草で出来た軽そうな籠を持っており、そこに手紙を入れる。
「これをメルキュモのアレキサンダー王によろしく」
宛先を伝えると賢い梟は一度短く鳴いた。
そこでふと、後ろから強い視線を感じる。
振り向くとソフィーティアが銀梟をじっと見つめていた。
「……触る?」
「はい!」
ソフィーティアは笑顔で頷くと椅子を立ち上がり、その瞬間、それに驚いたのか銀梟は飛び立ってしまった。
「あっ」
ソフィーティアが残念そうにそれを見送る。
「ま、まぁそんなこともあるよ」
少し微妙な空気になってしまったので、僕はとりあえず励ましの声をかけておく。
だが、ソフィーティアの表情は暗いままだ。
「私、昔からどんな動物にも嫌われちゃうんです。家の犬には嚙まれるし、外の野良猫を撫でようとしたら威嚇されるし、ドラゴンの幼体にはブレスを吐かれるし。多分本能で私が危険って分かっているんだと思います」
「……そっか」
僕自身が動物にとても懐かれる側のため、こういう時なんて言えばいいか分からない。
神話にある幻獣界の王、幻獣神レオでも連れてくるべきか。
いや、そうじゃない。そんなことをしてもどうにもならない。
僕は今、彼女を元気づけなければならない。
なら、もっと簡単な方法があるじゃないか。
「コホン。ねぇ、ソフィーティア。ちょっと遠くの街にお出かけをしないかい?」
「お出かけ、ですか?」
「うん。デートとも言う。どう?」
「で!? は、はぃ。したい、です」
「よし、じゃあ行こうか。すぐに支度をするよ」
顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうにしながらも、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
僕もとても嬉しい気持ちになって準備を始めた。
◇◆◇◆◇
移動にはグリフォンを使おうかと思ったが、それはやめた。
彼女は動物に嫌われる体質らしいし、もしも空の覇者たるグリフォンまで逃げだしたら本格的にフォローが出来なくなる。
移動に半日費やすことになるが、歩きしかない。
南部の魔族の支配域が近い場所では少人数で出歩くなんて自殺行為に等しいが、この北部の地でなら問題はない。多少魔物がやってきても僕一人で何とかなる。
馬車や人の往来によって踏みつぶされてできた道なき道を二人で歩いていく。
「はぁー」
ソフィーティアが指先に息を当てて手を擦る。
まだ息が白くなるほどの寒さではないが、その指先は少し赤くなっていた。
「寒かった?」
彼女には僕の予備の上着を貸しているが、たまに吹く北風は上着では防げない顔や手先を容赦なく襲ってくる。
「そうですね。ちょっとだけ寒いです」
「手袋も出すよ」
太陽も出ており必要ないと思っていたが、ソフィーティアが寒いというなら仕方ない。
狭間の生成を使おうとするが、その前に彼女に止められた。
「? いいの?」
「はい。そこまで寒くはないですし、それに……」
ソフィーティアが恥ずかしそうに手を差し出す。
「ユノーの手を、その、握っていたいです。ダメ、ですか?」
「! ダメなわけない。握ろっか」
僕はポケットに突っ込んでいた手を抜いてソフィーティアの手に重ねる。ぎゅっと握りこむと向こうからも同じぐらいの力で握り返された。
ソフィーティアの手は剣だこで硬くなった僕の手と違って細くて華奢だ。
そしてとても冷たくて、手を合わせるとお互いの体温が混ざり合って一定になっていくのを感じる。
そのことがどこか恥ずかしく、それでいて嬉しかった。
僕は思わず笑ってしまう。
「どうしました?」
「いや、こうやって好きな女の子の手を握っていられるのが、こんなにも嬉しいことだとしらなかった。君の手はちょっと冷たくて心地いい。ずっと握っていたいな」
僕がそう言うとソフィーティアが手に込める力を少し強めた。
振り向くと耳と頬がリンゴのように真っ赤に染まっていた。
「ゆ、ユノー。今、私のことをすっ、好きって言いましたか?」
「うん? そうだけど……?」
「あ、あの、その、ええっと、本当ですか?」
「もちろん。嘘偽りなく、本当だよ」
どこかたどたどしいソフィーティアに恥ずかしながらも自信をもって答える。すると、彼女はえへへと嬉しそうに笑った。可愛い。
「何ならこの二日で見つけたソフィーティアのいいところを一つずつ言っていこうか? まず一つ目に笑顔がとっても可愛いところ。二つ目に料理がとっても美味しいところ。三つ目に――」
「や、やめてください。恥ずかしいですっ!」
「そう? まだ言い始めたばかりなんだけど……」
「ユノーはよくそんな涼しい顔で恥ずかしいことを言えますね!」
彼女は怒って睨んでくるが、その声は喜びを隠しきれていない。
最初は小悪魔っぽい印象を抱いていたが、意外とピュアなのか。ちょっと攻めてみる。
「君のいいところを言うのは恥ずかしいことかい? 僕は全然言い足りないな」
「~ッ! もういいです! 分かりましたからっ! 私の話より、ユノーの話をしましょう!」
「僕の? あまり面白い話はないよ?」
「それでもいいです。私はユノーのことがもっと知りたいです」
「交換でソフィーティアのことをいっぱい聞けるならいいよ」
僕が提案すると、ソフィーティアは少し悩むように頬に手を当てる。
「うっ……。わ、わかりました。ならまず、ユノーの好きな食べ物から教えてください」
「好物か。好物……もう何年も食べてないけど、母さんの作ってくれたオムレツかな」
「オムレツ、ですか?」
「まぁ、ぱっとしないよね。よく食べるし。でも、何故か自分で作るものとはちょっと違うんだ。ソフィーティアは?」
「私ははちみつです。とっても甘くてトロトロで、料理長に内緒で母様と一緒にこっそり舐めたりしていました」
「はちみつかぁ。昔何かのパーティーで食べたけど、確かにあれは甘くて美味しかった」
一番印象に残っているのはビュッフェ形式のデザートにあってパーティメンバーと取り合いになった時だ。みんなして焼き菓子に滅茶苦茶かけた覚えがある。
まぁ後で弓兵にがっつきすぎだと怒られたけど。
そういえば弓兵の爺さん、結構いい歳だけどまだ元気だろうか。前線にいるという話は聞かないし、隠居生活でもしているのかな。
「ユノー? どうしましたか?」
別のことを考えているのが伝わってしまったか。ソフィーティアが顔を覗き込んでくる。
「ごめん、なんでもないよ。……そういえばソフィーティアははちみつの巣って知ってる?」
「巣ですか?」
「うん。はちみつって実は巣も食べられるんだ」
「え! そうなんですか!? どんな味でした?」
「ちょっと不思議なぐにょってした食感と、砂糖をそのまま食べているみたいな濃厚な甘さだったよ」
「それは一度食べてみたいです」
「今度、手に入ったら食べよっか」
「はい!」
僕たちはそんなたわいもない話をしつつ、道を歩いた。
◇◆◇◆◇
「―――でさ、男戦士と女僧侶は酒癖が悪くって毎回僕に絡んでくるの。男戦士は笑い上戸で女僧侶は泣き上戸。どっちかを引っぺがそうとするとどっちかが更にうるさくなるし。なのに弓兵はずっと見ているだけで助けてくれないし。だから、勇者パーティで飲むときは毎回大変なんだ」
「ふふっ。でも、とても賑やかで楽しそうです」
「まぁ、それはそうだけど……体験したら同じことは言えないよ」
みんなで盛り上がるのは好きだが、あれはなかなか体力を使う。
初の魔王軍四天王を討ち取った時など三日三晩で宴会をしたが、四天王を討ち取った時よりも体力を使った気さえする。
「そういえばソフィーティアはお酒を飲まないの?」
「私はあまり嗜みません。飲んでも酒精が弱いものを少しだけです」
「ふーん、苦手なんだ」
「いえ、苦手というわけではなく、母様に止められているのです」
「止められている?」
「その、お恥ずかしい話、私はお酒を飲むと人が変わったようになる、そうです……」
ソフィーティアが目を逸らしながら恥ずかしそうに答える。
そうか。ソフィーティアも酒がダメなタイプか。でも、一回はどうなるのか見てみたいな。
男戦士みたいに笑い上戸なら、ずっと笑顔のソフィーティアを見ていられる。
女僧侶みたいに泣き上戸なら、ずっと涙目のソフィーティアを見ていられる。
あれ? これ、どっちにしろ酔わせた方が貴重なソフィーティアを見られてお得なのでは? よし、今度やろう。
「? ユノー?」
密かに野望を抱いてニヤニヤしていると、ソフィーティアに怪訝な顔をされた。
いけないいけない。計画が露呈してしまう。これは超々重要極秘計画だ。来たる時まで勘付かれないようにしなくては。
「何でもないよ」
僕は適当にそう言って笑い、
「――ん?」
空を見上げる。
「どうしました?」
話の最中、唐突に空を見上げた僕をソフィーティアが不思議そうに見てくる。
「何か、来る。―――ッ!」
「きゃっ!」
一瞬捉えた光にソフィーティアの体を抱いて後ろへ跳ぶ。
直後、僕たちのいた場所に空から炎の柱が降り注いだ。
「――え? えぇ!? な、なにが!?」
「この威力ッ! 下がってソフィーティア」
僕はソフィーティアを降ろしてすぐに狭間の生成を詠唱。そこから二振りの剣を取り出す。
片方はシンプルなデザインの清涼さを感じさせる長剣。銘を『インテツ』。
もう片方は豪奢で煌びやかな反りのある短剣の魔剣。銘を『凰牙皇剣』。
上着を脱ぎ捨てて、短剣は腰の後ろにつけてある鞘の中へ。
長剣を中段で構えると、ちょうど空から襲撃者が降り立って姿が露になる。
現れたのは空を高速で飛翔し、口からはブレスを吐き出し、膨大な生命力と魔力を有し、強靭な牙と爪ですべてを蹂躙する魔物の王。
漆黒の鱗で全身を覆った40mほどのドラゴンだ。
「ド、ドラゴン!?」
「!?」
襲撃者の正体。そして、通常のものより一回りも二回りも巨大な個体にソフィーティアが驚く。
僕も同じく驚くが、それとは別の混乱もあった。
「そんな、馬鹿な……! 何故コイツがここにいる!?」
僕はこのドラゴンを見たことも、まして戦ったこともないが、その存在をよく知っている。
目の前のコレは、おとぎ話にも登場する生きる伝説。創世から在るとされる最古の生命体。七色七体の古龍種、『緋・蒼・黈・翠・紫・皚・緇』の中でも最も危険である“狂乱”の『緇』を冠すエンシェント・ドラゴンなのだから。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
本来ここにはいない。いるはずのない存在に思考が止まるが、緇はこちらのことなどお構いなしにブレスの構えに入る。
「ッ! 開け、虚空門!」
目の前に巨大な魔方陣を展開した直後、今度は近距離から緇の全力である“死滅”のブレスが放たれる。
ブレスは魔方陣にぶち当たると、一瞬大きく揺れて吸い込まれるように吸収されていく。
そして、
「解放ッ!」
遠方の山が跡形もなく消し飛び、数瞬遅れて吹きすさんだ爆風が僕の前髪を揺らした。
数々の記録で見た通り地形を変えるほどの一撃。とんでもない威力だ。
これは飛ばす場所も慎重に選ばなければ。
いや、それより、どうやってこの状況を切り抜ける。
一人なら逃げることは簡単だ。仲間がいれば倒せるだろう。だが、伝説の存在を前に人ひとりを庇いながらどうこうするなど不可能。
腹に抱えているやつのせいで長時間の戦闘も不可能。
出鱈目な敵だ。無茶苦茶な状況だ。
でも、やるしかない。
「ソフィーティア。動ける?」
「む、無理です。足が……」
一瞬後ろを振り向くとソフィーティアがへたり込んでいた。
無理もない。目の前の存在の威圧感は魔王レベルのもの。失禁や気絶をしていないだけ凄いことだ。
「百一秒の光輪神殿」
このまま戦い始めてはソフィーティアを巻き込みかねないので、彼女を中心に外界からの影響をすべて無効化する光輪、空間封印魔法を展開する。
後百一秒。
彼女の周りを回る光輪が止まるまでに勝負をつける。
「絶対にそこから出ないでね」
「ユノー!」
後ろから僕を心配する泣きそうな声が聞こえる。
僕は一瞬だけ彼女に笑いかけて、
「大丈夫。任せて―――」
インテツを上段へ。
そして、足を前に。彼我の距離を一瞬で詰めて、その顎に目掛けて剣を振るう。
「―――<星>流星剣」
受け継いだ。否、奪った技は最速の剣。
流星の如き速さと重さを乗せた一撃は、躱そうとした緇の鱗を僅かに斬り飛ばして傷を与える。
だが、カウンターに鋭い爪が薙ぎ払われる。
ドラゴンの強靭な筋力をもって放たれる暴力的な一撃。剣を振りきった僕にそれを躱す余裕はない。
だが、
「<盾>不浄金剛盾」
突き出した手の先、地面から透き通ったダイヤモンドが飛び出す。
盾はひび割れつつも緇の攻撃を完全に止め、僕はその隙に更にもう一撃を。剣を構え直していては遅い。左拳を空のまま振り上げ、
「<力>破壊の剛腕ッ!」
巨人の拳のように左手を巨大化。圧倒的質量の拳で地面ごと緇の横っ面をぶん殴る。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
「よしっ」
巨大化から戻っていく左手に確かな手ごたえを感じる。
今の一撃でバラバラの肉片にならなかったのは流石古龍種といったところだが、ダメージは免れていないようだ。
更なる追撃も成功するかと思われたが、緇は頭を揺らしながらも飛び立って闇を放ってきた。
狙いのつけられていないそれらをバックステップで避けて剣を構え直す。
切っ先の先、緇はいくつもの闇のエネルギーを槍のように鋭い形へと変化させていた。
「AAA!!!」
咆哮と共に撃ちだされたそれらを見極めて躱し、避けきれないものをインテツで斬り落とし、捌ききれないものを封印魔法で止める。
いける。
この調子なら簡単に撃退まで追い込める。僕はそう確信して魔法を返そうとし、―――後ろに引っ張られたかのように体が動かなかった。
「ッ!?」
突然の拘束。
いつどうやってされたのかも分からないものに驚いて振り返ると、先ほど避けた槍状の闇のエネルギーがまるで杭のように地面に深く刺さり、そこから僕の体とを細い闇の糸で結んでいた。
「しまった!」
攻撃と拘束の二重技。
僕が全てを捌いたと油断させたということは―――くる。本命の攻撃が。
「くっ!? <絶影>影移し!」
咄嗟に自分の影を走らせて、その陰へ転移。
直後、“死滅”のブレスが僕のギリギリ横を通って地面を抉っていった。
衝撃波に転がりつつもすぐに態勢を立て直して、牽制に部位封印魔法の鎖を飛ばす。
だが、それはあっさりと躱されて、緇は僕から更に距離を取って魔力を高める。
逃げようとしている。……わけではなさそう。あれは突撃の威力を上げようとしているのか。
ドラゴニックバーン。そう呼ばれる魔力を纏ったただの突進だ。だが、ドラゴンの、まして古龍種の突進は誰にも防げない。
対処法は二つ。避けるか、最高速になる前に撃ち落とす。
避けていてもいたずらに時間を奪われるだけ。僕の選択は当然後者。次で終わらせる。
「<大砲>射殺す牙」
魔方陣から緇と同等の大きさの巨大な砲身が飛び出して緇をターゲット。それと同時に緇も加速を始めた。
最高速にはさせない。その前に落とす。
僕は砲身へ回せる魔力を全て渡してロックオン。光り輝く砲身の引き金を引く。
「ファイアァァ!」
砲身から光が溢れて飛び出す。
狙いは正確、威力も十分。ただ真っ直ぐに光は緇へ突き進む。
だが、あちらもまだ最高速にはなっていない。それはつまり速度に体が引っ張られていないということでもある。
緇は僅かに体を逸らして避けようとし、
「嚙み砕けッ!」
直前で光が無数の牙のようにばらけて緇をのみ込む。
最高速ではないにしろ、既に音速に近づいていた緇はそれを避けることが出来ず大爆発に巻き込まれる。
一瞬遅れて爆風が吹き荒れ、黒煙の中から傷と火傷だらけになった緇が現れた。
間違いなく相当のダメージが入っている。だが、頭や心臓などの弱点は鎧のように硬い鱗を貫くには至らなかったか。完全な致命傷にはなっていない。
後はやつが引くか引かないか。
既に余力のない僕はせめて威圧感のある視線だけを虚勢で飛ばし、―――
「GRUUU」
―――緇が羽ばたく。
再び突撃する用意でもない。ここから逃げるように離れていく。
「―――っあぁぁ。なんとかなったー!」
僕はそれを見届けると抵抗なく真後ろへと倒れる。
体が泥のように重かった。
◇◆◇◆◇
「――ッ! ――ノー! ユノー!」
「ん、んぅ……?」
目を覚ますとソフィーティアの顔がとても近い位置にあった。
「ユノー!? ユノー! よかった。ほんとうに、よかった。生き、てる!」
彼女の体温を強く感じる。どうやら覆い被さって抱き着いているらしい。あったかいな。
僕はずっとそうされていたい気持ちになりながらも、上体を起こして辺りを見渡す。周りの平原は緇との戦闘で荒れていた。
「あぁ、そっか。緇が……僕はどれぐらい寝てた?」
「ほんの、三分ほどっ、です」
良かった。別に数時間も寝込んでいたわけではないらしい。
そのことに安心して改めてソフィーティアの方を向くと、彼女の目は赤く腫れていた。
「泣いていたの?」
僕がそう聞くと彼女は服の袖で目元を隠してしまう。
「だってユノーが死んじゃうかもって思って」
「僕ってそんなに弱そうかなぁ」
「い、いや、そういう意味じゃ……!」
「ふふっ。じょーだん」
「! ユノー!」
僕の軽口にソフィーティアは怒ろうとして目元から手が動かせないことに気付く。
どうするのだろうと思っていると、ソフィーティアはそのままの姿勢で倒れて僕の胸に頭をコツンとぶつけてきた。
「……しんぱい、したんです」
小声で、ひっそりと、ソフィーティアが呟く。
いろんな戦いでいろんな人にかけられた言葉だが、その言葉はとても心に響いた。
「うん。心配させてごめ――」
僕は今度こそ真面目にこたえようとして、唇を人差し指で押さえられる。
「謝らないでください。私は足を引っ張った。……いえ、それよりも悪い。何もしなかったんです。魔法だって少しは使えるのに。……だから、謝らないでください」
「……」
「……でも、冗談を言われたのは怒っています。だから、ぎゅっとしてください。ユノーを、もっとたくさん、感じさせてください」
ソフィーティアが僅かに上擦った声でそう言ってくる。
顔は見えないが、お互いの頬が赤くなるのを感じた。
僕は無言でソフィーティアを抱きしめる。
彼女も無抵抗でされるがままだ。『あれ? 押したら倒せそうじゃない?』心の中の悪魔がそう囁いたのが聞こえた。
「あの、ソフィーティア。いつまでこうしていれば?」
「ずっとです」
「ずっとって……嬉しいなぁ」
思わずにやけてしまうと、赤くなったソフィーティアが顔を上げて頬を膨らましていた。
「ニヤニヤダメです! 冗談を言った罰なんですから」
「はい。ごめんなさい。それで、どうしたらこれを終えてくれますか?」
本当はずっとこうしていたいが、聞いてみる。
「……ソフィ」
「え?」
「そう呼んでください」
「いいの?」
「ダメなんて言いません。ユノーだけのトクベツです」
ソフィーティア。ソフィがぷいっと目を逸らす。
トクベツ。僕だけの特別。―――こんなにも嬉しい特別は生まれて初めてだ。
「ソフィ」
「は、はい」
「ソフィ。……ソフィ。ソフィ―――」
僕は嬉しくなって何度も彼女の愛称を呼ぶ。
呼び続けていると、口をふさがれた。
「も、もういいです! 今はいいです!」
耳まで真っ赤にしたソフィはとても可愛らしくて愛しかった。
◇◆◇◆◇
十分な休憩をした僕たちは再び歩き始める。
街への到着は日が落ちてからになりそうだが仕方ない。灯りは魔法のランプがあるのでいつでも取り出せるようにしておく。
お互いが更に近づいて腕を組んで歩きつつ、僕は頭を悩ませていた。
「ユノー、深刻そうな顔でどうしました?」
「いや、さっきのドラゴン、緇についておかしいなって」
「おかしい?」
「うん。あいつは七色七体の古龍種の中でも魔族側につくことが多かった最強の色。巣も魔族たちの領域の更に奥地にある。この辺りをふらついているようなやつじゃないんだ」
今回の世界は今までのものとは違うものになっているはずだが、それでも僕が関わりのないところでズレすぎている。おかしなことだ。何かきな臭いものを感じる。
まさか、傍観主義だと思っていた存在が直接的に動いてきたのか。
僕が深刻な顔になると、ソフィが心配そうな目で見てくる。
「で、でも、ユノーなら大丈夫ですよね。さっきだってとても強かったですし。……私、ユノーがあんなに強いと思いませんでした。ユノーは“封印”じゃなくて“最強”です!」
「あはは。ソフィにそう言ってもらえると必死に頑張った甲斐があったかな。……それでも、やっぱり僕は“封印”の勇者だよ。“最強”って称号は僕に相応しくない」
だって僕は―――
「―――僕の力は全部奪ったものだから」
「奪った?」
「うん。ソフィには話そうか。この世界がどういう世界なのか。僕は殺さなきゃいけないやつがいることも」
「怖い、お話ですか?」
「……そうかも。聞きたくない?」
「いえ。聞かせてください。世界の話ならきっと私にも関りがあることだと思うから」
ソフィの声は強い意志を感じさせるものだった。
だが、それに比例して腕に込めた力もちょっとだけ増していた。
「そっか。なら話そう。信じられないかもしれないけど」
「ユノーの話なら信じます」
「そう? ならまず結論から。この世界はもう何度も輪廻しているんだ」
「りんね……って何ですか?」
「まわること。繰り返すって意味」
僕は目の前の空間に指で丸を描いてそれを何度もぐるぐるさせる。
だが、アレキサンダー王と違ってソフィには一発で伝わらなかったらしい。不思議そうに目線が指を追っている。
「? どういうことでしょう?」
「ソフィはさ、僕が何代目の勇者か知っている?」
「もちろんです。初代勇者“封印”のユノー。一代目です」
「正解。僕は初代勇者だ。だけど、百人目の勇者でもある。……あ、謎かけとかじゃないよ。僕は本当に百人目、百代目の初代勇者なんだ」
僕がそう言うとソフィは混乱してしまったのか頭を押さえてしまう。湯気が出ているように見える。
「ユノーが一人で、百人? え。え?」
「ごめんごめん。ちょっと別の言い方をしようか。……そうだね。簡単に言えばこの世界はやり直しているのさ」
「やり直す? 何をですか?」
「試練を超えることを。この世界は試練に滅ぼされるたび、試練に滅ぼされるたび、勇者を変えて試練を超えようとしている。……僕は一度死にかけて女僧侶に命を貰った時、僕の中にあった記憶の“封印”に触れてその事実を知った」
女僧侶の記憶にあった異世界の言葉に直すなら、ここはまるでゲームみたいな世界。セーブ&リセットが繰り返される中で偶然世界の真実に触れた僕は主人公なんてものではなく、ただのバグだ。
「だから僕はこの輪廻をしているやつを、九十九代の勇者とその世界をなかったことにしたやつを許さない。彼らの無念は僕が晴らす。この世界をゲームとして楽しんでいる傍観者を必ず殺す」
「……そんな、こと」
「ま、ってゆー感じ。怖い話でごめんね」
「いえ、そんな。ユノーにそんな目的があったなんて」
「まぁ傍から見たらただ隠居しているだけだしね。ソフィもそう思ってた?」
「え、えっと、その……はい」
ソフィは正直だった。
言葉が鋭利な刃物となって胸に刺さる。
「うん。まぁ、だよね。これでも魔王の封印処理を進めつつ、戦えないながらも色々研究と実験をしているんだ」
「何についてしているんですか?」
「効率化と継承について。ま、一年間ずっとやってきたけど、それはもう必要ないかな」
「効率化と、継承……? 一年もやったのに投げ出すんですか?」
内容については分かっていないようだが、僕が一年を棒に振ることについてソフィが疑問を浮かべる。
困り眉になったソフィも可愛いな。
「それはソフィを―――いや、違うな。僕が……歴代最弱だった僕が、本気で『生きたい』って思えたから。かな」
「?」
「まぁ、詳しいことは内緒。僕は弱いながらも逃げずに戦うよ」
「ユノーは弱くないです! きっとどんな勇者様より最強です!」
「そうかな。……そうだといいな」
そして、そうなりたいな。
僕は歴代勇者の寄せ集め。記録を覗いて劣化した技術を使うだけの偽物だけど、彼女が僕を“最強”と言ってくれる限りは彼女の横に立つ男としてそう在りたい。
◇◆◇◆◇
翌日。
夕方にギリギリでチェックインを済ませた宿屋から街中へ出る。
ここは『トゥグリット』という名前の大きめの街。人口は約二万人おり、獣人、亜人、人間が多く行きかっている。
お互い昨日の疲れもあってかぐっすり寝たため、既に時刻は昼前まで回っており、太陽の位置は高かった。
「まずは、どこかでお腹を満たそうか」
「えへへ。そうですね。お腹が空いちゃいました」
二人で特に行く当てもなく通りを歩いていく。
だが、流石に時間が悪いか。どの店も多くの人で賑わっていた。
「なかなかないし、ちょっと裏の方も行ってみようか」
「はい」
僕たちは人の多い通りから一本逸れて進んでいく。
中には怪しげな店や危険な薬物を売っていそうな店、えっちな店もちらほらと見かけるが、概ね普通の家屋ばかりなのであまり気にせず二人で話しながら歩く。
すると、角を曲がったところで三毛猫の看板が下げられた酒場を見つけた。隠れた名店風の趣を感じる。
横のソフィを見ると彼女もここにしようと思ったのか頷いてくれた。
扉を押して中に入ると、酒場にしては落ち着いた店内が広がっている。
「いらっしゃいませにゃー。二名様ですかにゃ?」
ウエイトレスの格好をした活発そうな茶髪の少女が僕たちを出迎える。
その頭の上には可愛い猫耳もあった。獣人のようだ。
「はい。二人です」
指でも人数を伝えると、何故か少女にじっと見られる。
僕の顔に何かついているだろうか。試しに顔を触るが何もない。
僕は少し困ると、少女は何かに納得がいったのか一度頷く。
「カウンターでもよろしいですかにゃ?」
テーブルはまだたくさん空いているのに何故かカウンターを勧められた。しかし、別に断る理由もないので頷いておく。予約の席という可能性もあるしな。
少女の案内でカウンター席に座る。
三つ隣の席には大きな本を開いたまま頭の上に乗せた人物が机に突っ伏していた。
とんがり帽子が横にあることとローブ姿から魔法使いなのだろうが、お酒に酔って寝てしまったのだろうか。
「今日のオススメはブラックボアの焼きたてステーキと氷魔法で冷やしたエールだにゃ。アツアツとヒエヒエが相性べりーぐっとにゃ」
「おー。冷えたエール。じゃあ僕はそれで」
「私もそれにします」
「合点承知にゃ! すぐに準備いたしますにゃ!」
少女が注文を受けて厨房に入っていく。
なんとなくその後ろ姿を、正確にはぴょこぴょこ動く耳を見ていた僕は、ソフィに頬を引っ張られた。
「とーしたの?」
「ユノー、これは私とのデ、デートです。だから、私だけを見てくれないと嫌です」
少し頬を染めたソフィが拗ねたように口を尖らせる。
猫の獣人を見たのは久しぶりだったので、なんとなく目で追ってしまったが、これはソフィに失礼なことをしてしまった。
「ひょめん」
「いいですよ」
「ありがとう」
どうやらそれほど強くは怒っていないのか、一言謝るとすぐに開放してくれた。
―――嫉妬深いソフィもいいな。ソフィになら地下室に監禁されて一生飼われていてもいい。
頭の悪いことを考えていると、ソフィが話を振ってくる。
「ユノーは猫耳が好きなんですか?」
「え? なんで?」
「だって、その、ずっと見てましたし」
そんな見ていただろうか。自分ではそれほど見ていたつもりはないのだが……そう言われると確かに好きなのかもしれない。
ハニートラップの猫耳お姉さんには引っ掛かりそうになったことがあるし。
「そう、かも?」
あまりハッキリ言ってもまた不快にさせてしまうかもしれないので、若干濁して答える。
すると、ソフィはそれを見抜いたのか見抜いてないのか目を逸らしてしまった。
何となくいたたまれない空気に目線を下げると、突然ソフィが横に傾いて僕の耳に甘噛みしてきた。
そして、
「大好きだにゃん」
耳元でそんなことを囁かれた。
「うぉっふ」
僕は突然の囁きに変な声を出して椅子から倒れそうになる。
ギリギリで止まるとソフィはソフィでとても恥ずかしそうにしていた。
「今日、一日の間私だけを見ていてくれるなら、猫耳も付けます」
「マジィ!?」
思わず大声を出してしまう。だが、これは仕方ないだろう。
よし。やろう。やるしかない。
元々ソフィから目移りするつもりなんてないが、今ならどんなおっぱいが来ても目を奪われない確信がある。
僕が絶好調になると同時にタイミングよく酒がくる。
目の前のカウンターにどかっと大きな音を立てて木のジョッキが置かれた。隣の人が起きてしまいそうだ。
「お久しぶりです。勇者。元気そうで何よりです」
「え?」
またしても突然かけられた声に振り向くと、そこには僕のよく見知った顔があった。
顔全体に斜めに入った傷跡、年季の入った短い白髪、衰えを知らない引き締まった肉体と優しげな瞳。
僕とたくさんの苦楽を共にした仲間―――
「弓兵……!」
「私だけではありませんぞ」
彼はそう言い、机をトントンと叩く。
その音で三つ隣に座っていた人物が目を覚まし、頭に乗せていた本がズレ落ちる。
本がズレ落ちて現れたのは、薄い青髪と青目をした美少女だった。当然、僕は彼女も知っている。
「んー。あ~勇者じゃーん。おひさー」
そこにはいつも通りのんびりとした様子の女魔法使い、ネムがいた。
◇◆◇◆◇
一年ぶりに再会した仲間は変わりなく元気そうだった。
「二人はどうしてここに?」
勇者パーティは全員、戦えない僕の代わりにアレキサンダー王の厳命で前線にいるはず。
こんな前線からかけ離れた街にいるのはおかしかった。休暇にしては遠い地だし、ザールが酒場のマスターをしているのも疑問だ。
「はぁ。まずは言うべきことが他にもあると思いますが……。いえ、いいでしょう。差し迫った事態ですし、こちらが先に説明します」
彼は頭痛でもあるのか、頭を押さえて話始める。
「最近前線に魔王軍四天王の一人、“腐敗”のケルベラが現れなくなりました。それに対し王は私に調査を依頼。私なりに足取りを辿ってここまで来ました。今は酒場のマスターとして潜入任務中です」
「なるほどな」
「私は~暇だったからー、おじいちゃんについてきた~」
「そうか。前線には余裕があるんだな」
二人がいなくても問題ないとアレキサンダー王が判断したなら大丈夫だろう。
いや、むしろこちらの事態を重く見たと考えるべきか。
「魔王がいないからぁ、士気が低くてー結構らく~。特にぃ女騎士がーゴリラみたいに暴れてるよ~」
「他の三人は? 姉の方と女僧侶と男戦士はどうだ?」
「三人ともよく頑張ってくれていますよ。特に女僧侶のおかげで死傷者はぐっと減っています。休戦協定へ持ち込むのも時間の問題でしょう」
「そっか。みんな無事か。ならよかった」
前線の様子は王様から定期的に送られてくるが、仲間の口から聞けるとやはり安心する。
「まぁ我々の話はこれぐらいでいいでしょう。勇者、そちらの女性は?」
ザールが居心地悪そうにしているソフィの方を見る。
あまりに突然で、久しぶりで、デート中なことを忘れて除け者にしてしまっていた。
僕は彼女に一言謝り、二人に紹介する。
「彼女はソフィ、ソフィーティア。その、あの、あれだ。僕の……愛しの人」
僕がそう言うとソフィは顔を真っ赤にし、ザールは驚いたように口を開け、ネムはあくびをした。
「ユノーっ。恥ずかしいですっ」
「それは、その……本当ですか? 冗談ではなく?」
「冗談に聞こえた?」
「いえ。全く。あなたの声はいたって真剣でした」
「なら、そういうこと」
「そうですか。……ハハッ。それは、よかった。本当にッ、よかったッ」
何故か分からないが、ザールが涙を流し出す。
「ちょ、え!? なんで泣いてんの!?」
「当然ですっ。こんなに喜ばしいこと、なのですからっ」
「どういうこと!? 別にまだ子どもとかできてないよ!? たくさん欲しいけど、十人ぐらい欲しいけど、まだだぞ!?」
「こ、こど―――!?」
情緒が分からないザールに叫ぶと、ソフィが机に突っ伏してしまった。僅かに覗く耳はリンゴのように真っ赤で可愛い。
それに比べて爺さんの涙はありがたみがない。ハンカチを渡してすぐに拭かせる。
「歳というのは涙もろくて敵いませんな。……ソフィーティアさん。いえ、ソフィーティア様。少々勇者をお借りしてもよいでしょうか?」
「は、はいぃ」
「勇者、こちらへ」
茹でだこのようなソフィを置いて、何やら嬉しそうなザールに店の奥へ引っ張られる。
そして、階段を上って鍵のかかった物置のような部屋に連れてこられた。
わざわざ二人で何の話だろう。そう思っていると、魔法のランプに灯りを付けたザールが振り返る。
「勇者。まずは祝辞を。おめでとうございます。あなたに愛する人が出来たこと、人並みの“幸福”と“当然”を得られたことを祝わせてください」
「爺さん、大げさすぎ」
「大げさなんてことはありません。今がデート中でなければ大いに盛り上がりたいところです」
「それは困る。初デートをほっぽいてソフィに失望されたくない」
「おや、初デートでしたか。それは失礼しました。あまり時間をとってはいけませんね」
ザールは少し茶化すようにそう言って、今度は真剣な表情になる。
「では次に謝罪を。私は、いえ、私たちは、結局あなたを孤独にしてしまった。……強すぎる力を持つあなたを、受け入れたつもりで受け入れきれなかった。だからあの時、あの夜、私たちの仲が決裂する前に、あなたは何も言わずに私たちを置いていったのでしょう?」
「……」
「寂しい思いをさせてしまいました。本当に申し訳ありません」
ザールの声には後悔がにじみ出ていた。
「……気にすんなって爺さん。僕はみんなで旅をできて楽しかったし。爺さんにはたくさんエロイことも教えてもらったし。おっぱいとか尻とか鎖骨とか。ぱふぱふの見極めだけはまだだったけど」
「ぱふぱふは私が唯一勇者に勝てるところですからね」
ザールが自信もって胸を張る。
その誇らしげな姿が、男戦士も交えた三人で夜中までバカ騒ぎしていた頃を思い出す。
ザールも同じだったのか、二人で高らかに笑った。
「勇者は変わりませんな」
「爺さんも」
「そう言っていただけると幸いです。さ、あまりレディを待たせてはいけません。そろそろ戻りましょうか」
僕は頷いて扉に手をかけようとして、
「――おっといけません。一つ忘れていました」
その手を止める。
「どうした爺さん?」
僕が聞くとザールは部屋にあった木箱をいくつかどけて、奥から布で包まれた何かを取り出す。
「勇者、あなたにこれを返しておきます」
「……これは!」
布を解くと僕のかつての相棒、淡く輝く透き通った刀身の長剣『聖剣デュランダル』があった。
「輝きが戻ってる」
勇者の象徴であるこの剣は魔王との戦いで聖なる力を失い、完全に錆びていたはず。
アレキサンダー王にはこれはもう役目を終えたと言って返したのに、どうしてここにあるのだろう。
「どうして、これが?」
僕が聞くと、ザールは思い出すように話し始める。
「あなたが消えて数日後、アレキサンダー王は魔王消滅を宣言すると同時に、私たち勇者パーティにその錆びた剣を渡してきました。これはもう何の力もないものだから、お前たちの好きにしてよい、と」
アレキサンダー王、錆びたとはいえ元国宝なのによく渡したな。気を使ってくれたのかな。
「私たちは悩みました。この剣は勇者そのもの、この剣を持つ者が勇者であるからです。私たちの多くはその剣を破壊すべきだと考えました。後の世に“勇者”という重荷に縛られた孤独な者を作るべきではないと思ったからです。ですが、女僧侶だけはそれに反対し、毎日毎日聖なる力で剣を浄化しました」
「それで、こうなったと?」
僕が剣の柄をコツンと叩くと、ザールは頷いた。
「なるほど。変なところで頑固な女僧侶らしいな。……でも、王様に返さなかったのはなんで?」
「女の勘、だそうです。私が持っていた方が必要な時に必要な場所で勇者に渡る。きっと、絶対、たぶん、間違いない、メイビー。と言っていました」
「ハハッ何それ。適当すぎるし、どっちだよ」
「そうですね。本当に彼女は不思議な人だ。……正直、私は受け取るときに迷いました。もしも言葉通りに勇者と再会できても、これを渡してしまったらあなたは再び勇者になる。ひっそりと人として生きていても、また孤独になってしまうのではないか、と。……ですが、今のあなたにはあなたが選び、あなたを選び、あなたを愛してくれる人がいる。だから、返します。勇者にしか扱えないこの剣は、あなたが大切な人を守るために、勇者としてではなく人として振るいなさい」
ザールは僕が初めて剣を握った日のように、優しい目で僕に剣の使い方を教えてくれた。
「あぁ。分かったよ」
僕は力強く頷き、デュランダルを受け取った。
◇◆◇◆◇
名残惜しくはあるが再会の祝杯はまたにして、初デートの続きをする。
店を出て通りに戻ると昼を過ぎたからか、人通りは心なしか減ったように見える。
「折角のデートなのに爺さんたちと話しちゃってごめんね」
「いえ、私もユノーのことをいっぱい知れて嬉しかったです。特にネムさんが教えてくれたあの話は、ふふっ。ユノーが可愛くって」
「え? なんの話?」
「秘密です。ユノーには教えませ~ん」
とても嬉しそうにソフィが笑う。
ネムのやつ、一体何の話をしたんだ。気になる。
僕は自分がやらかしたことを思い出していると、その間に一つ目の目的地である陶器屋に来る。
店内に入ると形や大きさ、様々なものが色とりどり並べられていた。
そう、このデートの目的の半分は、ソフィの私物を揃えるということでもある。
会計は僕が全て受け持つので、ソフィには自由に選んでほしいと伝えている。何故か彼女は申し訳なさそうだった。別に気にすることではないのに。
早速ソフィが一つ食器に近づき、目を輝かせた。
「ユノー! これ、花弁が描かれていてとっても可愛いです」
「よし、じゃあ買おうか」
ソフィが欲しいと言ったので、手に取ろうとすると止められる。
「ダメですユノー! そんな考えなしに買おうとしては。しっかり他のものも見て、値段も見て、適切な量を買わなくては」
「えっ?」
「『えっ』ってなんですか? ユノーは私が欲しいと言ったものを全部買う気ですか!?」
「もちろんそうだよ」
「ダメ! めっですよ!」
「……はぁい」
しっかりこの店丸ごと買えるぐらいはお金も持ってきたのに、怒られてしまった。
少ししょんぼりしていると、ソフィが何とも言えない表情になる。
「も、もう! そんな悲しそうな顔をしないでください。分かりました。折角初めに目を付けたものですし、買いましょう!」
支払いは僕という引け目がありながらも、ソフィは嬉しそうに花弁の描かれた大きめの皿を手に取る。
その笑顔だけで僕は厚切りパン三枚はいける。
「そうだ。ユノーも選んでください」
「ソフィが使うものだよ?」
「一緒に選ばないと一緒に来た意味がないじゃないですか」
そう言われたら確かにそうだ。
女の子と二人っきりで買い物なんてしたことがないので分からなかった。
だが、何を選べばソフィは喜んでくれるだろう。ここで変なものを選んでソフィにセンスがないと思われたくない。慎重にいかねば。
値段が高いもの……ダメだな。きっと遠慮される。
たくさん色を使った派手なものは……なんだか、ソフィにしっくりこない。
頭を悩ませつつ、一つ一つの商品を手に取って見ていく。
僕がそうしていると、ソフィは隣でクスッと笑った。
「どうしたの?」
何かおかしなことをしてしまっただろうか。
僕は顔には出さないようにしつつ心配になる。
「だってユノー、一枚一枚必死に見てるから」
必死すぎてキモイ。という意味だろうか。
「悩みすぎかな?」
やんわりと遠回しに聞いてみると、ソフィは否定するように首を振った。
「ううん。私のために本気で悩んでくれて嬉しい」
えへへ。と、ソフィは優しく笑う。
僕はそれを見て、一枚の保留にしておいた皿を手に取る。
薄い桃色をした柔らかい印象を受けるものだ。
「これにするよ」
皿を手にすると、ソフィの手にはいつの間にかマグカップが二つ握られていた。
僕が悩んでいた間に持ってきたのだろう。マグカップは似たようなハートが描かれたデザインで、ペアで売られていたことが分かる。
「ユノー。これもいいですか? 二つセットで一緒に使いたいです」
僕はもちろんその二つを購入した。
◇◆◇◆◇
陶器屋を出たあと更に生活に必要な小物の類を購入し、今度は大きめの家具だ。
といっても買うものは机と椅子、寝具ぐらい。まずは寝具を購入することにして店に向かう。
道の途中にはいろいろな露店もあるので、適当に買い食いしながら歩いている。
僕は元が平民の出身なので気にしないが、ソフィはやはり高貴な出なのだろう。歩きながら食べることを慣れていないようだった。
口元を隠して棒についた飴を舐めている。
僕もセンベイという塩味のクッキーを齧りつつソフィに話しかける。
「食べ歩きは慣れない?」
「そうですね。新鮮ではありますけどイケナイことをしているみたいでちょっと恥ずかしいです」
「そっか。……僕のも少し食べる?」
僕はセンベイを一口大に割ってソフィに差し出す。
「では、いただきます」
はむっとソフィの口がセンベイを持った僕の指ごと食べる。
「おっ」
普通に手渡ししようと思っていたので、ちょっとビックリしてしまう。無意識なのだろうが、心臓に悪い。ソフィは僕をドキドキ死させるつもりか。
「少し硬くて、塩の味が強いです。不思議なクッキーですね」
ソフィがセンベイの感想を言うが、僕はコクコクと頷くことしかできない。
一度落ち着くためにも僕は適当に辺りを見渡して、何か別の話題を探してみる。
視線の先にはいろいろあったが、その中でも魔法の粉屋が目に付いた。
「ソフィ、あそこ寄っていかない?」
「はい」
僕はちょっと早足になって魔法の粉屋へ入る。
店内には陶器屋よりも更に色とりどりの魔法の粉が瓶詰めで棚に並べられており、それぞれの瓶には魔法の効果と値段が書いてある。
いくつか近づいて効果を見てみると『風邪のとき楽になる粉』『暗闇の中でも明かりになる粉』『涙腺が緩くなる粉』『探し物を思い出せる粉』『体重が増える粉』『幸せな夢をみられる粉』など、いくつもあった。
くだらないものから実用的なものまで、何種類もある。
魔法の粉屋は一度も入ったことがなかったが、こんなにいろいろあったのか。ついつい物珍しくて見てしまう。
ソフィも同じらしく興味深そうに瓶を見ていた。
だが、彼女は一つの瓶の前で立ち止まる。
「あっ」
「どうしたの?」
何か面白い魔法の粉でも見つけたのか。
そう思って聞くと、ソフィは焦ったように手をブンブンと振った。
「いえ、その、何でもないです。それよりそろそろ行きましょう」
「え? あ、うん」
入店した時とは逆に今度はソフィが早足で店を出ていく。
僕も後を追いかけようとして、『心配なことを少しだけ忘れられる粉』というのが目に入った。
ソフィが最後に見ていた魔法の粉だった。
◇◆◇◆◇
「ふかふかです!」
ソフィがサンプルのベッドに腰かけて軽く叩く。
「これは……へー。鳥の羽根を使ってるんだって」
「羽根ですか?」
「うん。柔らかくていいね」
僕も隣に座って横になってみる。
結構気持ちいいかも。眠たくなってくる。
「どう? 僕はこれ結構いいと思うけど」
「そうですね。候補の一つにします。他も見ていいですか?」
「うん。枕との相性とかもあるだろうしね。あ、ちょっと離れてもいいかな?」
「どうしました、ユノー?」
「トイレ」
「あっ。わ、わかりました。わざわざ聞いてごめんなさい」
何も隠さず言うとソフィが赤くなってしまった。
「ゆっくり見てていいから」
僕はそれだけ伝えてその場を離れると、こっそり店の扉を開けて外へ出ていく。
トイレに行くというのは嘘で本当の目的地は魔法の粉屋だ。
少し早歩きで移動し、三分ほどで先ほどの店に戻る。
「すみません。魔法の粉をいいですか?」
「はい。どちらでしょう?」
粉を補充していた女性の店員が作業を止める。
「えっと、『幸せな夢をみられる粉』と『心配なことを少しだけ忘れられる粉』、後何か面白い効果の粉ってありますか?」
「面白い、ですか……」
僕が聞くと店員は粉をスプーンで取り出しつつ、いくつかの瓶に目を泳がす。
「そうですね~。では、『声がとても高くなる粉』などはどうでしょう? 人気の粉で面白いですよ」
「ならそれもお願いします」
「はい。それでは包ませていただきます」
「あ、贈り物用のってありますか?」
「ございますよ」
「じゃあそれで―――ッ!」
僕が袋の変更を頼もうとした瞬間、大地が激しく揺れて耳を劈くような大きな爆発音が響き渡る。
「きゃ!? な、なに!?」
「地震だ!」
「瓶が倒れるぞッ!」
店内が騒がしくなって落ちた瓶から魔法の粉が床に散らばる。
「ソフィ!!」
僕は何かを考える間もなく店を飛び出していた。
◇◆◇◆◇
逃げる人の波に逆らって僕は寝具屋へたどり着く。
寝具屋は爆心地に程近く、爆風の影響か建物の半分は倒壊していた。
「ソフィ! ソフィ! 無事なら返事してッ!」
大声で叫ぶが返事はない。
入れ違いで逃げたのか。それともまさか、まさか瓦礫の下敷きに……。
嫌な予感に頭を振って否定し、奥の方も探しに行く。
「ソフィいないの!? ソフィ! ッ!? ソフィ!?」
建物の倒壊したところ、下半身が瓦礫に埋もれたソフィを見つけた。
「ソフィ! 大丈夫!? 返事して!」
「ぅ……」
大きな声をかけると少し反応があった。頭から血を流しているが、まだ息はある。
死にかけているが、僕なら助けられる。
「<癒し>聖者の慈愛、<生命>獅子の脈動、<不死鳥>再生の火」
僕はすぐに勇者の力を使用して、温かな光と炎でソフィを包み込む。
瓦礫を慎重に退かして下半身の回復も始まると、ソフィの呼吸も落ち着いてきた。
「よし、離れなきゃ」
とりあえず何とか一命はとりとめたので、次はソフィを安全な所へ運ばなくてはいけない。
だが、ソフィを背中に担ぎ店を出た瞬間、道を妨害するように植物の蔦が地面から生えて襲ってきた。
僕は背中に気を付けてそれを回避。即座に無詠唱で鎖を飛ばして蔦を封じる。
「―――まさかァこんナところデ会うトはナ。勇者ァ」
そこには目が激しく充血し、皮膚はただれおち、髪からは色が抜け落ち、痛々しいまでに全身が毒に浸された一人の魔族がいた。
掠れたような声から辛うじて男性だということが分かる魔族は、酔ったようにふらついて怪しい花のついた杖を向けてくる。
「……ケルベラ」
魔王軍四天王の一人、植物と毒と虫を扱う“腐敗”のケルベラ。そして、“復讐者”。
僕がその名を呼ぶと、彼は強烈な殺気と共に睨んできた。
「勇者ァよくモ俺を封印してくレたな。俺ハこの痛みヲ、オマエから受ケたコの苦痛を、絶対にニ許さナい。この痛ミは何倍にもシてお前に返シてやル。人間ニ返してやル。人間ハ全テ死ね。―――シね、死ね、しね、しネ、死ねェェェ!!!」
ケルベラが怨嗟のように叫ぶと、地響きが起きて街を囲むように蕾をつけた巨大な蔦が現れる。
「ッ! これは!?」
街を囲むほどの大魔法なのに直前まで感知できなかった。
僕がそのことに驚くと、ケルベラからネタばらしがされる。
「種子ダよ勇者。アの日の人間みタいに、逃げらレないヨうに囲ッて、寄っテたカって、蹂躙すルんだ。アハハハハハ!」
ケルベラは歪に笑い、杖を掲げる。
それと同時に蕾はゆっくりと開いて中の花を覗かせる。
「まさか、やめろケルベラッ!」
僕の制止で止まるはずもなく、ケルベラが杖を振り下ろす。
花弁から光が溢れて熱線が街中を焼き払う。―――その直前、氷塊が空から降り注いで蔦を押し潰した。
「ナに」
ケルベラが驚きの声を上げるとともに真上から一人の人物が下りてくる。
「とーう、しゅたっ。止めたよー勇者~。ぶいぶい~」
「! ナイス、ネム。よくやってくれた」
「ふふーん。頑張ってー魔力を隠しても~完全に絶つのは無理無理ー。種子の位置は~しっかり把握済みーです」
「クそが! ……フん、まァいイ。初手ハ上手く凌いだツもりだロうが、蔦で街ノ包囲は出来タ。後ハ俺がプチぷチと一ツ一つ殺シてやル」
段取りが狂わされたケルベラが樹木の鎧を纏って街の奥を睨みつける。
僕とネムはその間に立ち、
「行かせない」
「たおすよ~」
ケルベラに啖呵を切った。
◇◆◇◆◇
「行ケ毒虫ドも」
ケルベラが使役魔法を使い、毒に侵されたアブを突撃させてくる。
「ファイアウォール」
それに対してネムが炎の壁を作り出して妨害。ケルベラの視界を奪いつつ、虫たちを焼き払う。
「勇者~」
「分かってる」
ネムとのアイコンタクトで彼がいることを確認。
ソフィを背中から降ろして地面に横たわらせる。
「爺さん安全なとこまで頼んだよ。タイミングは、剣を掲げたとき」
僕は地面にできた不自然な影に向かってそう言うと、ソフィが影に沈みこんでいなくなる。
影魔法の使い手であるザールが回収したのだ。
これでまず一つ、心配事がなくなった。
炎の壁が消える前にもう一つをネムに伝えておく。
「ネム、説明は省くが僕は今全力が出せない。封印魔法も高位のものでは君より時間がかかる。だから、後衛は完全に任せたい。僕は前衛でいく」
「! ほんとー?」
「うん、ごめん」
「ううん。いつも~前衛と中衛と後衛をしていた勇者にー、後衛を任せられるなんて~嬉しー。カバーは任せて」
「うん、よろしく。ケルベラの注意点は覚えてる?」
「絶対に~触らなーい」
「よし、じゃあ、やろうか!」
狭間の生成からインテツと凰牙皇剣を取り出して二刀流になる。
聖剣デュランダルは常時様々な加護をもたらすが、その分魔力の消費も大きい。
今の僕にはデュランダルより歴代勇者の模倣技の方が向いている。
そして、炎の壁が取り払われて再びケルベラへの道ができる。
もちろん相手も何もしないで待っていたわけではない。
視界が明けた瞬間、毒魔法の矢が複数本前方から、毒虫たちが建物の間を通って全方位から迫りくる。
「<刀>燕堕とし」
「マジック・ハック」
僕は飛んでくる矢を一呼吸一振りで斬り、ネムは虫たちの制御をケルベラから奪い取る。
「突っ込む」
「んー。援護する。イグニス・バースト」
走り始めると同時にネムの炎と奪い取った虫たちが先行してケルベラに仕掛ける。
「樹木巨兵」
だが、それらの攻撃は地面から大木の騎士が現れて大盾に防がれてしまう。
人形はそのまま反対の手に持った剣で僕を殴るように斬りつけてくる。技術も何もない。重さと力任せの一撃だ。
故に僕も力には力で返す。
「<力>怪力」
振り下ろされた剣をインテツで力任せに弾き返し、態勢が崩れたところに凰牙皇剣を突き刺す。
直後、意識を失ったように巨兵が倒れた。
凰牙皇剣の魔剣の力、魔法解除によるものだ。
倒れた巨兵を越えてケルベラに走る。
ケルベラは全身が“極毒”という触れれば即死の毒に守られているが、代償として常に全身が激痛に苛まれているため近接戦闘が得意ではない。
つまり近づいても攻撃に当たりさえしなければ、歴代勇者の剣技でこちらが押し切れる。
ケルベラも当然理解しているのか、壁のように毒虫をばら撒いて距離を取ろうとする。
今は僕とネムとの間に倒れた巨兵がいるため、射線が通っておらず制御を奪うこともできない。
僕は対処のために一瞬足を止め、
「<獣>スッー―――アアアアアアアアアアアアアアアアア」
声で全ての虫を殺す。
本来なら人間でも気絶ぐらいまではもっていける獣の勇者の『王者の咆哮』。しかし、僕の模倣では魔力が拡散してケルベラを気絶させるまではできなかった。杖を落として頭を押さえているが、まだ意識を保っている。
僕は止めた足を動かしてケルベラへ接近。巨兵の上に飛び乗ったネムも魔法で援護してくる。
「ぐっ! がっ!? くっ、そがッ! 樹操作!」
「<星>流星剣」
ネムの魔法が樹木の鎧に直撃しつつも、僕の流星剣は木に足を浮かされて空振りになる。
一歩、二歩下がったケルベラはそのまま転がるように後ろに倒れて次の魔法を行使する。
「毒霧ッ!」
呪文を唱えて手を広げた瞬間、ケルベラから紫色の霧が広がって辺り一帯を飲み込んでしまう。
「狭間の生成」
僕も即座に呪文を唱え、空間の中からポイズンレジストポーションを取りだして一気に飲み干す。
ケルベラの極毒はアウトだが、普通の毒ならこれで後十分はもつ。
そう考えた途端、インテツの刀身がドロドロに溶け始めた。
「! なるほど、そういうことか」
僕はさっさとインテツの柄を手放し、凰牙皇剣を利き手の右に持ち変える。
恐らくこれは金属劣化の毒。視界を奪うと共に鎧による防御力をダウン、あわよくば剣もなくして攻撃力もダウンさせるものだろう。
歴代勇者の記憶でもこの毒で壊滅に追い込まれたものがある。
「ネム、僕はいいから自分の守りを優先!」
「りょー」
幸い凰牙皇剣だけは金属でも魔法解除の能力があるため影響は受けていない。
あたりに意識を集中し、ケルベラの気配を探る。
「そうやって隠れて奇襲しなければ、お前は怖くてたまらないのか!?」
試しに軽く挑発をしてみるが、返事はない。まぁ当然だろう。
なので、今度は確実に反応する話題を振ってみる。
「死ぬのは怖いか! だが、お前に見捨てられた妹はもっと怖かっただろうな!」
「ナに? いモうとトは何ノことダ?」
左前方から声がする。
僕はそちらに剣を向けつつ続きを話す。
「僕は知っているぞ! あんたがその体になった理由も、人間を恨み続けている理由も! あんたは何のために戦っている! まだ覚えているか!?」
「決マっテいる。こノ痛みガ人間に植エ付けラれたカらだ」
「違うッ! その痛みは、その毒は、あんたが恨みを忘れないために得たものだ!」
僕は歴代勇者の記憶で、彼自身が忘れてしまったことでさえ知っている。
ケルベラは幼い頃、人間の侵略により村を襲われて親や友人、そして何よりも大切にしていた妹を惨たらしく殺された。
それ以来、彼は人への怒りを忘れないように自身を毒で侵すようになり、ついには最強の毒である極毒にさえ耐えきる肉体を手に入れた。
「ケヘラー。この名に聞き覚えはないのか!?」
「ケ、ヘラー? くっ、なンだ? ナんなんダ? 頭ガ、俺を惑わスか、勇者っ!」
「聞き覚えがないかと聞いている!」
「なイッ! ソんな者ハ知ラん! ――死ねッ!」
ケルベラは吐き捨てるようにそう言い、声が前方から迫ってくる。
そして、風切り音と共に何かが振り下ろされ、僕はその声に合わせて後方へ剣を振る。
「ハァッ!」
直後、金属と硬い何かがぶつかり合う重い音が反響した。
「なンだト!?」
棘のついた鈍器のような木を持ったケルベラが攻撃を防がれたことに驚く。
僕の足元には口の形をした虫、怨声虫と呼ばれるものがうにょうにょと蠢いていた。怨声虫で前方に気を逸らしておき、本体は感知されないよう魔法ではなく物理で殴る。ケルベラの奥の手だ。
「それはもう見た。鎖よ、縛れ」
僕はケルベラにできたほんの僅かな空白の隙を狙って、彼の手を鎖で縛りつける。そして、
「―――<閃光>光の剣舞」
あたりの霧ごと余波で斬り飛ばしつつ、ケルベラの樹木の鎧を斬って、斬って、斬りまくる。
「おおおおおおお!!」
「ガアアアアアアアアアア!!!」
バキッという軋むような音と共に樹木の鎧がバラバラに破壊される。
「終わりだッ!」
僕はトドメを刺すために剣を突き出し、
「ヒッ!? 腐レッ!」
ケルベラが手首を腐敗させて切り離した。
「しまッ――!?」
僕はすでに剣を振りぬいており、ケルベラはその先にはいない。
だが、残ったものはある。
ケルベラの“手”だ。
拘束していた鎖からずるりと滑り落ちるように、僕の眼前に“極毒”に侵された手が落ちてくる。
僕にそれを避ける時間も余裕もなく、手が触れようとした瞬間、
「がっ!?」
「ぐぉッ!?」
突如暴風が起きて僕とケルベラ、そして両の手を吹き飛ばした。
僕は無様に地面を転がり建物に衝突して止まる。
隣には心配した様子のネムが降り立ってきた。
「勇者ー、ごめん~。加減なーし」
「いや、助かったよ」
僕は助けてくれたネムに礼を言ってすぐに立ち上がる。
そして、狭間の生成を使って聖剣デュランダルを取り出した。
「もう、こいつを使うしかなさそうだ」
僕の言葉の直後、ケルベラの横に空から緇が降りてくる。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
「う、そ。あれってー古龍種~?」
「ハァハァ。やっと、来たか」
なるほど。緇がこんなところにいた理由は、ケルベラと共に行動していたからか。
僕は剣を掲げて一人と一色に宣言する。
「この一撃をもって終わらせる。――聖剣解放」
魔力が一気に吸われて、デュランダルから光が溢れる。
無限に力が湧き上がり、体を全能感が支配する。
放てるのは恐らく一発限り。そこで仕留められなければ、僕は力を使い切って負ける。
彼らも僕の本気を感じ取ったのか、それぞれが必殺の準備をする。
緇が“死滅”のブレスを放とうと魔力を高め、ケルバラが欠けた手を天に掲げる。
「勇者、オ前ハ殺す。お前ハ死なナけれバなラない。俺ノ全テを、俺が持ツ3542体の毒虫ト、極毒ヲぶツける。―――ドクツボ」
ケルベラの真上に禍々しい毒の球が浮かぶ。
「ネム、覚悟はいい?」
「のーぷろぶれーむ」
「うん、ありがとう」
足元に幾重もの燃えるような魔方陣が浮かび、ネムが杖を構える。
放ったのは、同時だった。
光と炎の奔流が闇と毒の奔流とぶつかり合う。
一瞬拮抗したかと思えたそれは徐々に僕らが押される。
だが、彼らが勝利を確信したその瞬間、どこからともなく魔法で超加速した矢が飛来してケルベラの胴体を撃ち抜いた。
当然、闇と毒の奔流はその威力を半減させ、
「いまだぁぁぁ!!!」
「ファイア・バーストォォォ!!!」
僕らの必殺がそれを上回った。
◇◆◇◆◇
僕ら三人の合技によって緇は半身が吹き飛び即死。
ケルバラも右手と右足をなくしながら、体を引きずって逃げようとする。
僕は魔力が枯渇寸前でふらふらになりながらも、その前に立って聖剣を突き付ける。
「何か言い残すことは?」
「人間ガァアアア! 死ね、死ね、死ね、死ねッ!」
既にケルバラに魔法を行使する余力はない。だが、その人への憎悪は最後まで衰えることはなかった。
僕は剣を振り上げ、最後に一度だけ勇者の力を使う。
「<幻影>アイノカタチ」
剣を振り下ろす寸前、この世で一番の愛する者を見たケルベラは涙を流していた。
◇◆◇◆◇
戦いが終わった。
あとのことはザールとネムに任せて、僕は眠るソフィの横にいた。
「っん? ……ゆのー?」
どれだけ経っただろう。無限にも思える時間が過ぎて、ソフィが目を覚ます。
「ソフィ!」
僕は思わず大声になってその名を叫ぶ。
すると彼女はぼーっとした様子ながらも、僕の頭を撫でてきた。
「ふふっ。ユノー、どうして泣いているの?」
「泣いてなんか、ないよ」
僕の目には熱いものが溜まる感覚があったが、それを何とか我慢して無理やり作った不細工な笑みでソフィに笑いかける。
「本当に、無事でよかった」
「ユノーも、元気そう」
「うん……うん。君が元気なら、僕も元気だ」
僕はもう、我慢できずにソフィに抱き着く。
彼女の肩に涙が落ちるのは許してほしい。男は愛する女に涙を見せてはいけない。と、男戦士が言っていたのだ。
ソフィの手がそっと僕の背中を撫でる。
僕は次第に落ち着いていき、そして、彼女は包み込むような優しい声で僕の耳元で囁く。
「私、死にかけた時に生きたいって心の底から願ってやっと目覚めたの」
「ソフィ?」
「これでやっとあなたを守れる。もう、私の手から零さない。……おはよう、ユノー。私が――よ」
初めての短編小説で物語を短くまとめるのに苦労しましたが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。
少しでもこの作品が面白い、長編にして続きもやってほしい、と思っていただけたなら、ブックマーク・評価・感想等をよろしくお願いいたします。
作者は他にも連載小説で「俺はこのチート級ばかりの異世界で、世界一可愛い娘を立派に育ててみせる」というものを書いております。そちらも読んでいただければ幸いです。