ことの始まり 2
昨日……更新できませんでした……すみません。
原因は分かっている………………昼寝だ……。
セーティは少女の姿が見えなくなるのを確認して、少女と同じ扉から舞踏会会場を抜け出し、人気のない中庭に向かう途中の廊下で、一際目立つカッカッカッ、という足音を鳴り響かせていた。その後に慌ててやって来た足音は言うまでもなく、ベフィだ。
「おい、セーティ! お前、ちゃんと説明しろよ」
「嫌よ、面倒臭い」
「お前なぁ……ってか、どこに向かってんだ。ネズミを捕まえねーなら帰るんじゃねーのかよ」
「んふふ。帰らないわ」
全く。この物静かな雰囲気に不釣り合いな声を響かせ、詰め寄るベフィにセーティは嘆息した。意図したわけではなかったが、セーティが行こうとしている場所は舞踏会中あまり人が寄り付かない所らしいのだ。らしい、というのは、セーティもこの先の目的地がどこなのか、どのような所なのか、全く知らないからである。
「……あの、お気に入りか?」
ベフィは辛うじて見える廊下の宙を舞う一本の糸に気付くと、やにわに顔の皺を寄せた。これはうんざりした顔だ。
それでも、セーティはパアッ、と表情を明るくして手を合わせる。周りに人がいないせいか、その顔は恍惚としたもので、一切セーティの狂気を隠していなかった。
「そう! そうよ! あの子と今日中に仲良くなって、文通したいの」
「じゃあ俺は先に馬車に戻ってるからな――って、おい。腕を絡ませるな」
「んふふー。ダ・メ。ベフィは私と一緒にあの子に会うのよ」
セーティの指の先から一本の糸がどこかに繋がるようにして廊下の先へと伸びている。その先にあるのはセーティも知らない。初めて来たのだ、知る由もないであろう。あるものは知らなくとも、セーティはこの糸が示す方向にいる人物なら知っている。
セーティのお気に入りの子、あの白髪の少女である。かの少女が会場から出て行く際に予め糸を付けておいたのだ。大抵は捕縛する時や罠を仕掛ける時に用いるのだが、こういった使い道もできる。これも全て、セーティが糸を手足のように動かせられることによる応用に過ぎない。
「意味分かんねー……」
「ほら、早く早く。あの子に誰かが接触しちゃう前に声をかけなきゃ」
帰りたい、と目だけでなく態度にも表すベフィを見なかったことにし、セーティは足を速め、んふふ、とその獰猛な野獣を内に秘めた目を細めた。
「…………あの子が他の手に渡る前に、ね」
この言葉は誰に向けられたものであるのか。隣のベフィにさえも聞こえることなく、セーティの声は消えていった。
セーティ達がそのまま糸を辿り、歩みを進めていくと、糸は直線の廊下にも拘らず、突如曲がり、草や花が至る所に植え付けられた庭の奥へと進むようセーティ達を先導している。貴族の令嬢があまり好んで立ち入ろうとしないであろう庭。しかし、糸が繋がっているということは、あの少女はこちらに進んで行ったことを確実に示していた。
さすがにドレスを着たままではこの中に入ることは慮れるはずだったが、生憎とセーティにそのような感性はない。糸が示しているのであれば、突き進む。セーティは躊躇することなくその森のような中庭へと足を踏み入れた。
遠目から見える舞踏会の様子と比べると、中庭は物寂しい雰囲気が漂い、外界から隔離されたかのような感覚になる。まるで、誰もいない世界にいるような場所であり、少女にとってこここそが理想空間であることは遠くから眺めていただけのセーティにも容易に推測できることだった。
「ロックオーン――……」
セーティは中庭に備え付けられたベンチの隅で項垂れる少女を見つけた瞬間、立ち止まり、目付きを変える。
「おい」
「さ、行くわよ、ベフィ」
非難の声を上げるベフィに構わず、セーティは人当たりの良い笑顔を作り、意気込むと、ベフィの腕を引っ張り、一度止めた足を再び動かす。一直線に、少女に向かって。
その際に長く深いため息が隣から盛大に聞こえたが、聞こえなかったことにする。
「お隣、よろしいかしら?」
「………………あっ……は、はい…………申し訳ありません」
常ならば誰も来なかっただろうこの場所。少女の顔が一瞬、固まったのも頷ける。せっかく、一人で落ち着けたのに。少女の口からは出されなくとも、セーティは少女がそう思っていることを察した。もしセーティならば迷わず声に出しているに違いない。例え違ったとしても、今のセーティがそれ以上少女に問うことはしない。
それよりも、セーティには気になることがあるのだ。
「あらあら。どうして謝るのかしら? 私達が後にやって来てわざわざここを選んだというのに」
「え…………あ、いえ……その……」
「ふふふふ。貴女、まるで使用人みたいね?」
さも、謝ることが当たり前のように、少女はすんなり謝罪した。どうぞ、や大丈夫です、などと言わないで、何に向けてのものなのか、知りたくはないが、何かに対して謝罪をしたのだ。つい、セーティの口調が相手を見下し、侮辱している、と幾度も勘違いされたものになる。癖とはそういうものだ。
「っ……! っ、も……申し訳、ありません」
「ほらぁ、またよ。とっても可愛い貴女が謝る必要はないのよ? ね、ベフィ?」
「か、かわっ……?」
「あ? ああ、そうだな」
「えぇ?! そ、そんな! わけ……」
「ふふ。特に、この純白の髪……貴女の美しさを表現しているようだわ」
腰まで伸びた白髪を一束手に取り、セーティは目を細めた。
光に当たってキラキラ、と輝く髪はこの世のものとは思えないほど美しく、目を奪われる。聖女の髪の光沢は力によって決まるのではなく、聖女になれば、自然と光沢が出てくる。故に、それほど光り輝く髪は珍しくも何ともないのだが、セーティの目は紛れもなく、この少女の髪に釘付けであった。
一束手に取るだけで分かる。少女のせっかく綺麗な髪が日常的にあまり手入れされておらず、更に意図的にかどうかは置いておいて、少なくとも外側からも内側からも痛め付けられていることは明らかである。
ああ、勿体ない。この髪に残念なところがあるとしたら、そこしかない。
たった一つの欠点がセーティには大罪のように見えた。一体誰が、と考えるセーティの手がパンッ、と叩かれる。決して大きな音ではなかったものの、静かな中庭ではよく響いた。
「………………私を……笑いに来たんですか? こんな、老人みたいな髪……気持ち悪いでしょう?」
セーティの手を払ったのは、少女の手だった。
「…………」
「言ってもいいんですよ? 気味が悪いって……呪われてるんじゃないか――って……おかしいですよね、まだ十八なのに。私、吸血鬼らしいですよ? あまり、近くにいない方が――」
「それ以上貴女を侮辱してみなさい。怒るわよ」
少女の言葉を遮り、セーティの鋭い眼光と共に低く、不快を隠さない声が放たれた。他でもない、お気に入りだと言ってベフィの話を聞かないセーティの大切な少女に対して。
「ぁ……申し訳」
「あまり……私達の大切な貴女を、貴女自身が否定しないでほしいわ」
「? 大切な……?」
きょとん、と首を傾げる少女にセーティはそれでも笑みを浮かべるだけで、少女の疑問に答えることはしない。
いきなり大切だ、と言われても混乱するに決まっているのに、セーティにとってはそれが当たり前で、それ以外は天地がひっくり返っても有り得ないことである。
「ふふふ。それに、貴女のその髪は貴女がこれまで踏ん張ってきた、貴女の強さの象徴。吸血鬼じゃない、吸血鬼なんかじゃないのよ。だから……貴女が貴女の強さを拒絶しないで。それだけじゃないわ。貴女は可哀想な子。可哀想な、私のお気に入りなんだから。自分を否定しないで、ね? ――――ふふ」
最後に漏れた微笑はどこか虚ろなもので、セーティはすぐさま外いきの笑みに変える。その甲斐あって、セーティの変化に二人が気付く様子はない。
おそらく、少女はそんなことを他人から言われたことがなかったのだろう。気付くよりも戸惑いに身体を固まらせた。
「私、貴女とお友達になりたいの」
呆気にとられる少女に構わず、セーティは半ば無理矢理少女の右手を両手で包み込む。
「とも……だち…………」
「そう。お友達! ……あ。もしかして、怪しい人だから迷ってる? そうねぇ。じゃ、まずは自己紹介かしら? ふふ。私の名前はセーティ。そしてこっちは」
「ベフィだ」
「…………セーティ、様っ……ベフィ様……」
躊躇いがちに呼ばれる名前。たったそれだけで、セーティの内心では鐘が鳴る。嬉しすぎて、頬が緩むのを止められない一方で、セーティは「『様』はいらないんだけどな……」と表情には出さないで、頭の中だけで呟いた。
声に出して言わないのは、少女のことを思ったためだ。ベフィは皇帝であり、名前は知れ渡っている。もし表でベフィを呼び捨てにしようものなら、目の敵にされるに決まっている。加えて、先の出来事や少女の言動を振り返るに、少女は使用人のような扱いを受けているのだろう、と想像できる。そんな少女に無理に呼び捨てを強要するのは酷なことだ。
そこまで考えて、セーティはゆっくりと瞬きをすると、少女の答えを待つようにまっすぐ見つめた。
「わっ、私っ……! ティスロナ、ティスロナ・アニュラロール、っ、です!」
「アニュラロール?」
ピクリ、とセーティとベフィの眉が同様に動く。アニュラロール家。セーティとベフィが王国の貴族の中で最も聞き覚えのある家である。まさか。セーティは口を動かした。
「――……ぁっ……ぇ、と…………私、なんかじゃ……」
「え?! いいえ! そういうわけじゃないの! 私、ティスロナ様とお友達になりたいの。ティスロナ様以外、いらないわ」
「! ……とも、だち…………おねっ、お願いしますっ!」
「ふふ。それじゃ、私達は帰るわね」
「あっ、はい!」
そう、素っ気なく告げるセーティは冷たい人だと言うのか、しかし、今回ばかりはどうしてか、セーティはティスロナから離れたくなかった。目的は果たされた。セーティがここに残る理由はなくなった、はずなのに、セーティの心はティスロナから離れようとしない。
後ろ髪ひかれながらも、セーティは立ち上がり、出口の方へと身体を向けた。
「手紙、送るわ。それと…………待っててね」
「? はい」
分からないのなら今はそれでいい。
ティスロナは間違いなく、アニュラロールの者達によってこの後、苦しめられる。ティスロナの髪が白いという事実に、セーティにはより一層、ティスロナへの尊敬の意が生まれる。
きっと――――いや、絶対に。
――いつか、必ず、貴女を迎えに行くわ。
最後にチラリ、とティスロナの姿を眺め、セーティは静かに約束した。
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