第9回
夜中に鳴る電話に、不吉な予感を掻き立てられる。一気に心拍数が上がる。その時にいつも思い浮かべるのは叔母のことである。
叔母は今、入院している。病名は知らない。親が教えてくれないからである。手術のために入院し術後の経過がおもわしくないとかで、入院し始めて五ヵ月近く経っているだろうか。
一度、母親とともにお見舞いに行ったことがある。叔母はそれがしが来たのを喜んでくれた。元よりふくよかとは言えなかった叔母がますます痩せ細っていた。イチゴを食べないかと差し伸ばされた腕の細さにそれがしはいたたまれなくなった。病室を出たとき、ほっとしたのを覚えている。
身の回りで最も叔母が死に近い存在であるとそれがしは思っていた。それゆえ、夜中に電話が鳴るたびに叔母のことが真っ先に頭に浮かぶのである。
玉崎先生の夏季講習が終わった日のことである。それがしは玉崎先生の講義に刺激され、珍しく机に向かっていた。電話の鳴る音が聞こえたが、そのときは別段何も感じなかった。勉強に集中していたせいだろう。それがしに電話だと、母がダイニングルームから呼ぶ。英文法の中井先生に勧められて買った文法書を伏せて置き、電話のあるダイニングルームへと向かう。
「誰から?」
不満げに母に尋ねる。
「河村くんから」
彼とは随分と会っていない。高校二年のとき同じクラスだった。よく本を借りたし、休憩時間になると馬鹿な話で盛り上がった。三年のときにクラスが別々になってやや疎遠になり、卒業式の日にちらりと姿を見かけただけで、それ以来会っていない。彼が今何をやっているかも知らない。それがしに一体何の用があるのだろう。
「よう、久しぶり」
と、それがしが電話に出る。
河村からは陰気な声で返事があった。もともと快活な話し方をする男ではなかったので、別段気にならなかった。少し沈黙があった後、
「中根博正が死んだ」
と告げられた。先ほどよりもさらに陰気に、しかし、正確に聞こえた。
「冗談だろ」
そんなありきたりの表現しか口をついて出ない。
「そんな冗談なんて言わないよ。そんな冗談なんか。・・・でも、冗談だったらいいよ。冗談だったら」
鼻をすする音が聞こえた。
中根博正とそれがしとは高校一、二年とクラスが同じだった。一年のころは、ほとんど話さなかった。あまり接点がなく、どうにもとっつきにくい感じがしたからだ。しかし二年になり、幼馴染の河村と同じクラスになったことも奏功してか、次第に打ち解けていった。河村や竹村などと固まって一緒に弁当を食べていた。
四月、学力診断を受けにそれがしが名古屋まで行くとき、同じ電車に市村とともに乗り込んできた。これから入学式だと言っていた。肩のあたりが少し余っている紺色のスーツを着ていた。それから会っていない。その後、何でも結構値の張る車を乗り回していると木田から聞いたのが最後だろう。
「いつ? どうして?」
それがしは河村に矢継ぎ早に尋ねた。河村と中根は幼馴染で、家も近い。高校卒業後も会っていたのかもしれない。それで、それがしよりも先に中根の死を知り得たのだろう。河村がぽつりぽつりと中根の死のあらましを話す。それがしは逸る気持ちを抑えながら聞いていた。
中根は大学の仲間とともにツーリングに出かけ、ミニバイクに乗っていた。前日降った雨で路面は濡れていた。カーブで車体を傾けた際にスリップして転倒、対向車線にはみ出した。それだけでは大けがをしたかもしれないが、死ななかったかもしれない。
しかし、非常に不運なことに大型トラックが前からやってきた。トラックの運転手はそれを避けられず、中根はひかれた。すぐに救急車が呼ばれたが、病院へ運ばれる途中で息を引き取ったと言う。
明日、彼の自宅で夜七時から通夜が行われ、明後日、鴛鴦町の西燈寺で昼一一時から葬儀が行われる。
河村がそれがしに電話をかけてきたのは、それがしに知らせる以外に友人に連絡を頼むためもあった。特に部活の連中に伝えて欲しいと言われた。
中根は弓道部に入っていたが、河村には彼らとのつながりは無いからである。
河村との電話を終えると、それがしは寮にいるだろう木田に電話した。しかし、留守番電話になっていた。木田はこんなとき何をやっているんだと見当違いの怒りを覚えた。メッセージを残さず電話を切った。
家に帰っているかもしれないと電話をしたけれども不在で、電話に出た彼の母親の気を徒らに揉ませただけだった。
仕方なくもう一度寮の方にかけ、
「海深ですけど中根博正が交通事故にあって死んでしまいました。これを聞いたのなら至急電話してください、遅くなっても構いません」
と抑揚のないメッセージを残した。
次いで、関東の大学に通うため実家を離れている沢田に電話をかけた。しかし、ここでもそれがしに対応したのは留守番電話だった。どいつもこいつも何をやっているんだと苛立つ。
沢田は弓道部の部長をやっていた。弓道部への連絡は彼に任せようと思ったのだが、あてが外れた。役に立たない奴だ。
木田の留守電話に吹き込んだのと同じメッセージを、やや苛立ちを込めて残した。
木田や沢田以外の、木田とつきあいのあった友人数名に電話をした。連絡先を知らない者もいたが、仕方ない。弓道部員への連絡は市村に頼んだ。
竹村から電話がかかって来て、初めて彼の所へかけていなかったことに気づいた。
「中根の話は聞いたか?」
「河村から。すまん。お前のところにかけるのをすっかり忘れていた」
「忘れるなよ」
「海深は明日どうやって行く?」
「まだ決めてないけれど・・・ちょっとこのまま待っていて」
電話を中断して母と話す。都合を聞くと乗せていってくれると言う。
「待たせてすまない。母さんが乗せてくれると言うからお前も乗って行け」
竹村と話し終える間際、キャッチホンが入った。木田か沢田だろう。竹村と明日六時過ぎに東岡崎駅裏手で待ち合わせることを約束して電話を切る。
「もしもし、木田ですけど」
「僕だよ」
「あの話本当か?」
「嘘ならいいけどね。僕だって人の死で冗談は言わないよ」
河村としたような会話を繰り返す。河村に聞いた事故の顛末、それに通夜と葬儀の日時を伝えた。
「でも、信じられないよ」
思い出したように木田が言う。
「そうだね。そう簡単には信じられないね。顔を見てみないと。明日さ、あいつの家に行ったらピンピンしてて。『あれ? どうしたの?』ってあいつが言ってさ。僕が電話をかけた奴らしかいないんだよ。そいつらみんな僕をにらんでさ。『違うじゃないか馬鹿野郎』って責められて。『だって河村から聞いたんだよ』って話しても、誰も信じてくれなくて。僕一人置いて、皆あいつの家に入って。ついでだから遊んで行こうって」
木田は何も言わずに聞いてくれた。それがしは自分で話をしながら、何でこんな妄想話をしているのだろうと考えていた。けれども、止められなかった。
沢田から電話がかかってきたのは、木田と話し終え、部屋に戻り布団にくるまっていたときだった。
通夜と葬儀の日程を伝える。沢田は家が遠く、通学できる距離になかったので、高校三年間下宿をしていた。ろくに自炊をしていないので、栄養の偏りを心配した中根のお母さんに一年ぐらいお弁当を作ってもらっていた。泊まりで家に遊びに行ったこともある。だから、お母さんにはお世話になった。そんなことを懐かしむように話していた。
「戻って来られるのか?」
それがしは尋ねる。
「お母さんにはお世話になったし、必ず帰るよ。これから弓道部の奴らに電話しなければならないから切るよ」
「弓道部の連中への電話は市村に頼んだから、多分回っていると思うが。弓道部関係に回せって言っておいたし」
「ありがとう。僕がやらなくてはいけない仕事だったのに。でも、相談したいこともあるからかけてみるよ」
挨拶を交わし電話を切った。
一先ず、やるべきことを終えたので、ベッドに潜り込み、頭から布団をすっぽりとかぶり、風呂に入らずに寝た。
朝起きたとき食欲はなかったものの、ご飯とお味噌汁だけでも食べておこうとダイニングルームへ行った。父は出かけた後で、それがしは新聞を読みながら一人食べていた。「バイクの大学生死亡」と言う見出しの、小さな記事を見つけた。中根博正の死亡記事だった。
鼻の奥が熱くなる。目にも涙があふれ、視界がだんだん揺らいでくる。姉と妹がダイニングルームにやってきたので、それがしは慌てて残りのご飯を口に入れ、部屋に戻る。そして布団を頭からすっぽりと被った。あの、口の端を歪めるシニカルな笑みを、もう目にすることはできない。会おうと思えばいつでも会えると思っていた。
「遅れてすまない」
東岡崎駅の裏手で待っている竹村を見つけ、急いで車に乗る。母の夕食の支度や、それがしの身支度が遅れ、竹村を拾ったのは六時半近かった。
「お前、寿司屋でバイトでもしているのか」
先ほどから気になっていたことを竹村に尋ねる。
「してないよ。なぜ?」
「酢のようなにおいがするからさ」
「あぁこれ。カッターシャツのにおいだよ。買ったばかりだから」
それがしも、今日昼過ぎに母親に連れられてシャツとズボンも買ってきたばかりである。
「ほんと間が悪いよな。高校の制服を捨ててしまった後だから。なんて間が悪いのだろう」
それがしは竹村相手に軽口を叩くが、竹村は乗って来ない。
中根の家の付近を走っているのは分かっているのだけれども、カーナビが正確な場所を指していないようだ。場所が分からず、先ほどから周辺をぐるぐると回っていた。
それがしは中根の家に行ったことがなかったので、場所を知らない。竹村も知らない。車を降り、近くの家にお邪魔して中根さんの家は知りませんかと尋ねるが、その人も知らなかった。まだ、離れているのだろうか。
辺りは流石に薄暗くなってきた。家の近くに工場があると中根が以前話していたのを思い出し、母に工場と思われる付近を探して走ってくれと無茶な要求をした。
走ること数分、古びた工場の建物が見えた。
すると、黒い服を着た集団が目に入った。続いて、忌中と墨書された提灯が目に入った。その近くで母に下ろしてもらった。どれぐらいかかるか分からない。母に待っていてもらうのも悪いので、「先に帰っていいよ。後は電車で帰るから」と母に告げる。しかし、それがしが友人の車に乗ることを心配し、「遅くなってもいいから」と待っていてくれることになった。
母が言うには、人の死を聞いて、注意散漫なまま運転をするから、葬式帰りの事故は多いそうだ。だから、絶対に友人の車に乗ってはだめだ。出かける前にも注意された。
竹村と二人で見知った顔を探す。通夜に参列しようと家の周りを取り巻いていた人は数十名いた。河村が憔悴しきった顔で一人立っているのを見つけた。声をかけづらい。沢田ら元弓道部員が固まっていたので、それがしと竹村はそこに合流した。木田の姿はまだ見えなかった。
到底これだけの人数は家の中に入り切れないので、代わる代わる入り、お参りを済ませる。玄関から入ってすぐ左側の部屋に祭壇が設けられ花輪が並んでいた。棺はその前に安置されていた。
棺の上には見覚えのあるカーキ色のフライトジャケットに腕時計、それに漫画雑誌が置かれていた。
そのすぐ脇に座っているのが中根の両親だろう。父親と鼻のかたちがよく似ている。読経が続く中、順番に前に進んで焼香をする。立ち上がりざま中根の死に顔を見た。予想外に安らかな顔をしている。顔に傷はない。土気色と言うのはこういう色を言うのだな、そんな感想を抱いた。とても生きていたようには見えない。何か別のもののように感じる。
それがしに続いて竹村が焼香をする。竹村は数珠を持ってくるのを忘れたので、それがしのを手渡し、外に出た。木田が焼香しようと並んでいるのを見つけた。向こうもそれがしに気づいた。黙ったまま目配せをし、それがしは靴を履く。玄関には、当たり前だが黒い靴ばかり並んでいる。
玄関を出ると会葬御礼の菓子を手渡された。
木田が出てくるのを待って、明日のことを話し合った。一緒に帰るかと誘ったが、木田は断り、来たときと同じように竹村だけを乗せた。
東岡崎駅で竹村を降ろしてから家に帰った。
翌日、葬儀に参列するために家を出る際、母に絶対友人の運転する車に乗ってはいけないと念を押された。
「まだ死にたくないから。行ってきます」
家を出ると外の明るさにめまいがした。生乾きのシャツが気持ち悪い。昨日、通夜から帰ってから洗ったものがまだ乾いていない。ネクタイとタイピンは父に借りた。ネクタイの結び方が分からなかったので、父が自分の首に結んだのを緩めて抜き取り、それがしの首にはめた。タイピンはどれもこれも年寄りくさいのしかなかったが仕方ない。ましなのを選んだ。
それがしが東岡崎駅に着いたときには、すでに竹村と木田が待っていた。タクシーを拾い、鴛鴦町の西燈寺まで、と行き先を告げ乗り込んだ。
男三人で後部座席に座ったので、ただでさえ暑いのに余計暑苦しかった。
タクシーの中で香典にいくら包んだか話題になった。それがしは五〇〇〇円包み、竹村と木田は三〇〇〇円包んでいた。人間関係をお金で測るような感じがして、何か嫌だねとそれがしはまとめた。
タクシーを下り、石段を上る。どこにも西燈寺と記していなかったので、ここで合っているのかと不安になった。しかし、石段を上りきると花輪が並んでいるのが見え、続いて、「中根家」の文字も見えたので安心した。
受付を済ませ、竹林でできた日陰に逃げ込む。こんな暑い中、ずっと立っていると日射病になりかねない。手をかざしながら空を見上げると雲がほとんどない。 何もこんな暑いときに死ななくてもよさそうなものを、と益体もないことを思った。
「こんなところで自己主張するなよ」
木田がそれがしに話しかけながら、こちらに来た。
「何だって?」
神経質になっているので、人への対応がいつにも増して粗雑だ。
「記帳だよ。何も横にはみ出すほど大きな字で書くことは無い。だから『こんなところで自己主張するなよ』と言った」
竹村も記帳を終え、こちらにやってくる。
「仕方ないじゃないか。使い慣れてないし、小さな字が書けないんだから」
それがしは幼稚園から小学校まで、習字に通っていたが、小筆の苦手意識はなくならなかった。
着々と人が集まり、ほぼ定刻どおりに式は始まった。お堂の中には入り切らなかったので、多くは外で立ちながら参列していた。
暑い。汗でシャツが体に張りつく。その不快感を少しでも和らげようと肩のあたりを引っ張り、空気を入れようとするが効果はない。日が高くなるにつれ、それがしが立っているところに日が当たり出す。
「博正くんは明るく快活な性格で、誰からも好かれており・・・」
と読み上げられたので、それがしは覚えず鼻で笑ってしまった。
あいつが快活だって? 笑っちゃうね。なんでそんなつまらない嘘をつくのだろう? 人見知りはするし、皮肉屋だったけれど、それでも僕らの友人だったでいいじゃないか。
死人を悪く言うつもりはないが、かといって過度な賛辞も失礼ではないか。
読経や挨拶が終わり、最後のお別れの段になった。
棺の中に入れるために、花輪の花を手折る。靴を脱ぎ、堂に上がってお別れをした。似つかわしくもなく白い花々に囲まれている。そういえば、鼻の大きさと形から「スナフキン」と呼ばれていたのを不意に思い出した。
母や姉妹たちだろう、棺にすがりつき泣きむせぶさまは見ていられない。肉親の苦しみや悲しみに比べたら、それがしの悲しみなんて些細なものだ。
棺の中に花を入れるとき、中根博正の顔を見た。さようなら。手を合わせる。
いざ出棺となると、母親や姉妹たちは一層悲壮な声を上げる。それがしは涙を必死に堪える。黒塗りの霊柩車が走り去るのを眺めていた。
「これから斎場まで行くけれど、海深はどうする?」
沢田が聞いてきた。それがしは木田や竹村を見た。どちらも乗り気ではなさそうだ。
「止しておくよ」
「そうか。じゃあ、また」
嵩張る香典返しを持って喫茶店に入った。
散々汗をかいたので、やたらと喉が渇く。汗が出るだけだと分かっていながらも、水をがぶ飲みした。そして喉の渇きが治まってから、前に座っている木田と竹村に言った。
「何か、中根が交通事故で、しかも自損事故で死んだと聞いてもしっくりこなかったんだよね。今、分かった。あいつ車に酔ってゲロ吐いていたじゃない。だからだよ。しっくりこなかったのは」
それがしは花輪から抜き取ってきた百合の花をくるくると回しながら言った。花が一輪咲いていて、二輪つぼんでいる。
「一年の合宿のときだろう。バスガイドにさ、『高校生にもなって』と嫌味を言われていたよな」
木田がつけ加えた。
そこに竹村がそれがしに向かって、
「お前、葬儀の最中に笑っていただろう。周りから顰蹙を買っていたぞ」
木田も同感のようである。
自分では、少し鼻で笑った程度だと思っていたが、周りの顰蹙を買うには十分だったようだ。
「仕方ないじゃん。おかしかったんだから」
そうは言いながらも、それがしは密かに反省していた。
竹村とは東岡崎駅で別れ、それがしは木田とともにホームで電車が来るのを待っていた。すると、部活の帰りらしく、ジャージを来た朝熊に会った。朝熊とは高校一年のとき同じクラスだったので、中根博正の葬儀の帰りだと告げた。ピンとこない顔をしていたので、どんなやつだったかを話したら、何とか特定できたようである。そんなものだろう。
その朝熊から有賀の死を知らせる電話が来たのは翌日のことだった。
不思議と何の感情も湧いてこなかった。
「ひどい目に合わされた」
「そんなこと言うなよ。葬儀に出てやれ」
朝熊は三年間有賀と同じクラスだった。一方、それがしは彼女と同じクラスだったのは一年のときだけだ。有賀にはひどい目に合わされた。その思いは未だに消えない。
彼女にしたらそれがしにはひどい目に合わされたと言うだろう。だから、お互いさまという気もする。朝熊だって知っているだろう。それを承知の上で、わざわざそれがしに電話をくれたのだし、ここで行かないと言って朝熊との関係をぎくしゃくさせたくない、という計算もあって、とりあえず通夜だけでも行くことにした。
朝熊が言うには、夜、塾からの帰宅途中、トラックが歩道に乗り出してきてそれに巻き込まれた。運転手は居眠り運転をしていたそうである。
通夜と葬儀の日時と場所を聞いて話を終えた。
涙が出ない。今となっては好きでもないし嫌いでもない。かといって全く無関係であるかというとそれも違う。泣けない。それを自分でも薄情に感じた。
翌日、有賀の自宅で通夜が行われた。今回も母に乗せてもらった。
中根のときとは異なり、電信柱に括りつけられた「有賀家通夜」との白い看板が目に入った。続いて、通夜に参列するらしい同じ年ごろの集団が歩いているのを見つけた。
その進む先に車を走らせ、忌中の提灯が掲げられている家を見つけた。母に待っていてもらい、車を降りた。
有賀家の前、道を挟んで向かい側の家の塀にもたれて羽田がたたずんでいた。彼女とは三年のとき同じクラスだった。
「もう済ませたのか?」
それがしは尋ねる。
羽田は、ただうなずくだけで返事をしない。有賀と羽田に接点があったとは知らなかった。それは浅くはないようだ。
有賀家の玄関は高い位置にあったので、階段を上り、家に上がった。着いたのが遅かったためか、すぐに焼香をあげることができた。
有賀の顔を見た。口が少し空いており、彼女らしくないな、と思った。傍らに座る、父親らしき人物に黙ってお辞儀をし、それから立ち上がった。
羽田は先ほどと同じ場所で未だ立ち尽くしていた。大丈夫だろうか心配になる。会葬御礼でもらったお菓子を羽田の目の前で振ってみる。こいつが死んでしまいそうな、そんな顔をしている。
母親を待たせているので、「太陽と死はじっと見つめられぬ」と独り言のように呟きながら、それがしは車へと向かった。
結局、葬儀にも参列することにした。
有賀の葬儀が執り行われる正善寺という寺を母が知っていたので送ってもらった。
今日は愚図ついた天気で、湿度が高い。梅雨に戻ったかのようである。見知った顔と挨拶を交わす。昨日は合わなかった朝熊がいた。ちゃんと来ているよ、というアピール込みで、彼にも挨拶した。
葬儀に参列したものの、ここにそれがしはいて良いのだろうかという気になる。場違いなのではないか、そんな気もする。それが他の参列者に対し、失礼にあたるのではないか、そんなことも考えていた。
羽田を見つけた。彼女は自分より背の低い男にもたれかかるように立っていた。
送別の辞を読み上げる男に見覚えはなかった。
「美里さんはとうとう僕に水着姿を見せないまま遠いところに行ってしまいました・・・」
有賀と付き合っていたのだろうか。それにしても、こんなところでそんな話をするなんて、こいつは馬鹿ではなかろうか。こんなことを感じるのは、それがしが得られなかったポジションに対するやっかみだろうか。
有賀のお父さんは喪主挨拶で「生きていれば何でもできる。生きてさえいれば」等々と言っていた。
けれども、生きていたって何もできないこともあるだろう。それは歳をとっていようと、若かろうと関係なく。
正善寺は東岡崎駅に近かったので、それがしはとぼとぼと歩いて帰った。途中で高校一年のときのクラスメイトと一緒になった。彼も朝熊に聞いたのだろうか。
一週間のうちに四日喪服を着ただけでは済まなかった。
有賀の葬儀に参列した三日後に経田から八田の死を聞かされた。
八田は、大学でヨット部に所属していたそうだ。合宿中に八田が操るヨットが転覆、部員たちは八田の行方を探したものの、数時間後に見つかったのは彼の遺体だった。
八田とは中学・高校と六年間同じだったけれども、一度も同じクラスになったことはなかった。部活等での絡みもなかった。したがって、お互いの顔を知ってはいるものの、話した事はほとんどない。
経田と八田とは中学時代に部活が同じだったので、その関係から経田のところに連絡が来たと言った。今は葬儀の帰りだと言う。それなのに、なぜ彼女を連れているのだろうとそれがしは疑問に思った。しかし、そのことを尋ねるのは止めておいた。
三人の死に接してそれがしは思った。
死の知らせを聞かなかったら、どうして過ごしているのかと死んだことも知らないまま色々と想像することがあるのだろうか。
学校が別々になると、毎日顔を突き合わせることがなくなる。よほど仲が良く、普段から連絡を取り合う間柄でなければ、偶然駅のホーム等で出会ったり、同窓会であったりするぐらいだろう。
家族や、同じ学校に通っている人であればその人の死を、その不在によって否応なしに意識させられる。そして、その人の死を認めたくなくても認めざるを得ない現実がある。
しかし、離れてしまった間柄であれば、その人の死を思い起こさせる要素は少ない。その不在は常のことだから。




