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ネガティブアタック  作者: 海深真明
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第7回

本日分投稿いたします。

 それがしは、塚田とともに尾治大学の自治会室に来ていた。

 尾治大学へは、名古屋駅で地下鉄に乗り換え、二〇分強揺られて、尾治大学駅で下りる。尾治大学駅は尾治大学の敷地内にある。大学の前や近くに駅があるというのはよくあるが、大学の敷地内に駅があるというのは珍しいのではなかろうか。

 尾治大学は東海地区有数の歴史を持つ総合大学だけあって、敷地も広い。また、大学の校舎らしく建物はどれもこれもよく似ているので、慣れない人だと地図を頼りにしないと目的の場所までたどり着けないかもしれない。今回は塚田と一緒だったから迷わずに来られたが、それがし一人では迷っていただろう。


 塚田とは、牧村先生の講義で知り合った。

 牧村先生は一先ず講義を終えてからも、たまに講師控室で話をしてくれた。遅い時は九時近くまで話をしていたこともある。講師控室までついて行き、話を聞くのは二〇名に満たなかった。何度も繰り返すうち、やがて現れる面々は大体固定していったのである。それがしもその中の一人だし、経田もたまに姿を見せた。そして塚田の姿もあった。

 何度も顔を合わせるうち、お互いを認識するようになった。他の場所で出会っても挨拶をする程度の間柄にはなっていた。最初に話しかけてきたのは彼からだ。彼は今年二浪目で、どうしても尾治大学に行きたいのだとそれがしが聞きもしないのに話した。それがしの方が塚田より一つ年下にもかかわらず、それがしの方が態度は横柄で、彼は卑屈なまでに低姿勢であった。


 ある日、講師控室で、牧村先生はもっぱら自分がどのように学生運動に参加したかを面白おかしく語ってくれた。それがしは彼の真横に座って、その話を熱心に聞いていた。

 なお、話には直接関係ないが、牧村先生の真横に座って間近にみると、頭の事情について分かることがある。額の上や頭頂部に毛穴は確認できないが、側頭部や後頭部には毛穴が確認できる。頭頂部が禿げてしまったので、それ以外は剃っているようだ。

「タクシーに乗ったとき、うちの娘がタクシーの運転手に『うちのお父さんって戦車と戦ったことがあるんだよ。それで、倒したんだって』と余計なことを話した。

 運転手はぎょっとして、『本当ですか? お客さん』と私に尋ねた。

 バックミラー越しに目があったんだね。警戒するような色を見せているから、誤解を解いておこうと仕方なしに本当のことを教えてあげたんだよ。『戦車とはやってない。倒したのは装甲車だって』」


「私のやり方は誰にも支持されなかった。もっとも、支持されないのは過去に限った話では無いけれど。

 結局、日和見主義者だ、プチブルだってレッテルを貼られて、何を語ろうとも無視されていた。ビラをまいても必ず妨害が入るし、アジれば音に音を重ねて嫌がらせをする。なんであんな風になってしまったんだろう。

 君たちぐらいの年齢だと、学生運動の印象なんて悪いと思う。内ゲバや連合赤軍に代表されるようなテロを専らとするような。けれども最初は違ったんだね」


「デモやって、捕まって、警察で尋問されるでしょう。その尋問というのが執拗で、発狂するやつも出てくるんだよ。それで私はどうしたかって言うと、頭の中で数学の問題を解いていた。

 最初は簡単な問題を出題していたね、因数分解とか。でも、だんだん追及が激しくなるにつれて問題も難しくなって、あれは失敗した。因数分解程度に抑えておくべきだった」

 などなど。


 牧村先生はまだまだ語り足りないようだったが、建物を締めると言うのでお開きになった。

 その日、経田はいなかった。一人とぼとぼ歩きながら、経田も来ればよかったのにと考え、牧村先生が言っていたことをあれこれ思い出していた。

「今日は連れがいないんだね」

 と、それがしの後ろから塚田が声をかけてきた。経田のことを言っているらしい。それがしは、これには少々腹が立った。

「一緒にいるときの方が少ない」

 と、無愛想に返事をした。あまり真面目に受け答えする気は無い。

「今日、牧村さんの話を熱心に聞いていたよね。学生運動に興味あるの?」

「あるといえばあるし、ないといえばない。興味といってもその程度だ」

 と適当にあしらう。

「僕さ、どうしても尾治大学に入りたいって言ってたじゃない。それは学生運動に参加したいからだよ」

 大抵の人は怯むような、そんな対応をしたにもかかわらず、塚田はなおも食い下がる。面白いやつ。少し興味を持ってしまった。

「学生運動なんて参加したければ、どの大学入ったって参加できるだろ」

「それは違うよ。学生運動が盛んなところと、そうでないところがあるし。同じ参加するなら、盛んな大学に入るべきだと思わない?」

「それはそうかもしれないが、そんな事は知ったことではない」

 それがしはこの話題を収めにかかる。しかし、塚田はなおも執拗に言葉を続けてくる。

「海深くんは、マルクスを読んだことある?」

 と聞いてきた。大して面識もない相手に宗教や思想信条の話を持ち出さない、というのは誰からも教わらなかったのだろうか。

 それがしは、子供じみた揚げ足を取って、

「『マルクス』なんて本は知らない」

と答える。

「じゃあ、『共産党宣言』は読んだ?」

 それでも塚田は食い下がる。いい加減、鬱陶しがられているのに気づくべきだ。「読んだことはない」

「何で読まないの?」

「何で読まないの?」と来たか。我慢にも限度というものがある。

「読みたくて買った本だって部屋に山積みになってしまっている。それなのに、そんな過去の遺物、読みたくもないのに読んでいるられるか」

 唾棄するように言い放った。いい加減、この話題と、それと塚田から離れたい。 これで懲りるかと思ったら違った。

「どうして読みたくないの?」

「『どうして読みたくないの?』だって? それは、唯物史観が嫌いだからだ。それ以外にない」

「好きとか嫌いで論ずるべき問題ではないと思うけど」

 偉そうに反論してきた。

「では訂正する。唯物史観は間違っている。したがって、それを前提として構築された理論も間違っている。考察するだけ時間の無駄だ。それを今も後生大事に祭り上げているのは、思考の放棄と同義だ」

 流石に、これ以上聞くのはまずいと思ったらしく、

「じゃあまた。楽しかったよ」

と塚田は言って、途中で別れた。

 それがしは挨拶し返さなかった。痛くもない腹を探られるような不快感を覚えるとともに、いくばくかの高揚感をも覚えた。

 それがしは人と議論するのが好きだ。しかし、それがしと議論をしたがる人間はほとんどいない。「難しいことを言って」とか「理屈っぽい」とか言われ、結局相手にされない。

 付き合ってくれたのは、澤井や木田など、ごく一部に過ぎない。



「この前のことを鶴さんに話したら、一度会って話してみたいって言ってたよ」 牧村先生の講義が始まる前、塚田はそう話しかけてきた。この前のことがあったので、もう話しかけてこないかと思ったが、懲りもせずに話しかけてきた。それがしは苦笑いを浮かべた。それでも話しかけてくるのを待っていたところもあるのを否定できない。

「鶴さんって誰?」

「あぁ、ごめん。尾治大学自治会の人」

 この前の話が他人の耳に入ったかと思うと空恐ろしい気がした。

「別に構わない」

 それがしはあっさり承諾してしまった。それには塚田も意外だったらしく、「え? 本当にいいの?」

 と聞き返してきた。


 それがしが承諾したのには様々な理由がある。牧村先生や多くの人が携わった学生運動に対する興味や、秘密めいた組織との接触という冒険趣味的な好奇心等々。どうせ関係を清算しようと思えばすぐできるだろう、関係が続いたとしてもせいぜい浪人の間だけだろう、という気軽な気持ちもあった。浅はかだった。

 そして話は冒頭の、それがしと塚田が尾治大学を訪ねているところに戻る。

 塚田はよく来るらしく、足取りに迷いがない。尾治大学駅を出てから一〇分近くかかり、ようやく目的の建物にたどり着いた。大学敷地内の奥まったところにあり、加えて、建物も老朽化して外壁のヒビや塗装の剥がれが目立つ。何かそれらしくて、それがしの心は沸き立った。

 建物入ってすぐの右手に尾治大学自治会室はあった。

 塚田は軽くノックをし、返事を待たずに中に入る。手慣れた感じで、少し頼もしく見えた。それがしも、塚田に続いて中に入る。

 部屋の中を見回す。入ってすぐ右側には接客用のソファが置いてある。左側には本棚があり、多数の本やビラが入っていた。ソファの奥の方は間仕切りで仕切られており、入口からは見えなかった。

 進んでいくと、会議用に折り畳み机が並べられ、それをパイプ椅子が取り囲んでいた。壁には赤い旗に寄せ書きされたものが貼ってあり、プロ革マレ派と大きく書かれている。

 それがしが室内を観察している間に塚田が男性と話している。部屋の中には塚田とそれがし以外に、男性二名、女性一名がいた。歳のころは分からないけれど、皆、歳以上に老けているように感じられた。塚田が話しているのが鶴さんだろうか。

 塚田が振り向き、

「紹介するよ。こちらが鶴岡さん。みんな鶴さんと呼んでいる。で、こちらが海深くん。塾生で牧村の講義でよく一緒になる」

「あぁ、牧村か」

 その言い方で鶴岡さんが牧村先生のことをよく思っていないらしいのが分かった。しかも、塚田まで呼び捨てにしている。

 最初と言うこともあって遠慮したのか、それがしがした唯物史観批判について全く触れられなかった。そのことを聞かれるだろうと予想し、警戒していただけに肩透かしを食らった格好になる。

 

 こうして尾治大学自治会、というよりもプロ革マレ派の人々との面識をそれがしは持つようになった。

 議論をしてくれるのが面白く、暇なときは足が向いた。

 ぱっと見たところ学生運動をするようには到底見えない容姿をした鴻上さんを見つけてから、その頻度は上がった。お兄さんが自治会役員を務めているため出入りするようになったと聞いたのは、多少距離が縮まってからのことだ。



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