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ネガティブアタック  作者: 海深真明
14/16

第14回

 センター試験を終え、一〇日近く経ったある日、澤井から電話があった。経田が交通事故に遭って入院していると言う。経田は受験勉強をしているとばかり思っていたので驚いた。

 経田は、センター試験の初日、友人が運転する軽自動車に乗って、試験会場へと急いでいた。そのとき事故に遭い、病院に運び込まれた。ぶつかった対向車側に怪我人はなかったものの、経田の友人が運転していた車は三人とも重傷だった。中でも、経田が一番の重傷だった。

 これが澤井から聞いた事故のあらましである。澤井は経田の兄から聞いたそうだ。


 翌日、それがしは経田が入院する病院へお見舞いに行った。

 病院の中に入ると、よくもこれだけの病人がいるものだ、というくらい病人がいる。手足に包帯を巻いた者や、パジャマ姿で点滴スタンドを持ち、吊るされた点滴袋から点滴を受けながらテレビを見ている老人や、やはり点滴袋を吊り下げた車椅子に乗り看護士に押されて行く女性等々、挙げ出したらきりがない。

 案内図を見て経田が入院している病棟を探す。しかし、よく分からなかったので、結局、受付の女性に教えてもらった。

 

 それがしは、病院の雰囲気が苦手である。重苦しい感じに、こちらまで浸食されそうだからである。もっとも、得意な人はいないのかもしれないが。「面会の方へ」と書かれた案内標識が目に入った。面会時間を確認せずにやってきたけれど、ちょうどいい時間だったのでほっとした。最悪、出直さないといけなかった。

 経田の病室は二階なのでエレベーターに乗るまでもない。エレベーター脇の階段を上る。

 病棟はさらに気持ちのいいものではなかった。薬品や飲食物、し尿などの様々なにおいが漂う。薄暗い廊下に所狭しと並べられた医療器具等々がただでさえ陰鬱なそれがしの気持ちをさらに陰鬱にさせた。


 六人部屋に経田の眠るベッドがあった。入り口に掛けられた名札で、入って右手の一番手前にあると思われる。

 「失礼します」と言いながら、扉が開け放しになっている部屋に恐る恐る入る。カーテンで締め切っていなかったので、経田の姿をすぐ認めることができた。他の人は寝ているのか、締め切られていて様子を窺うことができない。

 それがしは経田の足側に立った。右手にはお母さんが座っていたので挨拶をする。椅子を勧めてくれたが、長居する気はなかったので遠慮した。

 経田の姿は痛々しかった。点滴の管が経田の首の前側で固定されており、足の間からチューブが伸びている。

 お母さんが経田の肩を叩き、耳元で「ほら、まさちゃん、海深くんが来てくれたよ」と囁き、それがしの来訪を知らせた。

 経田は熱があるらしく、苦しそうな表情を浮かべている。

「よう。元気そう・・・でもないな」

 酷く話し辛そうだったので、話しかけるのが悪いように思われた。それ故、もっぱらお母さんに向かって話していた。

 経田の事故について、お母さんが詳しく教えてくれた。

 事故当時、堤防沿いの道を走っていたそうだ。対向車とぶつかった拍子に堤防から転落したものの、幸いなことに川に落ちることもなく、軽自動車はタイヤを下にして止まった。ぶつかった対向車の運転手が救急車を呼んでくれた。事故の原因は、経田の友人が運転する車のスピードオーバーで、カーブを曲がりきれず対向車と接触したらしい。

 前の座席に座っていた経田以外の二人は、ガラスが割れたフロント部分から抜け出したけれども、後部座席に座っていた経田は、自力で脱出できなかった。駆けつけた救急隊員によって、ハッチバックから引きずり出されたのは事故から三〇分近く経過してからだそうだ。

 澤井から聞いていた以上に酷い事故だった。「よう、生きていたか」なんて軽口を叩かなくて本当に良かった。

 経田の怪我は、会陰部裂傷骨盤骨折と診断された。そのため、食事ができないので、首に点滴の管を縫いつけ、そこから栄養を摂る。自発的に小便ができないので、尿管に管をさしてある。尿管に管をさすのは相当痛いらしい、と何かで読んだ。会陰部裂傷骨盤骨折の痛みは想像できないが、尿管に管をさす痛みは何となく想像できた。

 入院当初から熱が出て、今は三八度あるそうだ。


 経田が聞き取りにくいかすれた声で、

「センター試験どうだった?」

 と聞いてきた。

「散々だった。行くところがない」

 それがしは答えた。本当に散々だった。思い出したくもない。

 二日目の朝出かける前に、不安のあまり朝刊に載っていた解答速報を用いて採点してしまった。 初日に受けた英語は、現役のときに取った点数を大きく下回っていた。


 これが応え、二日目はまったくやる気がなかった。試験を前にして採点をするなんて、受験というものをし始めて以来ついぞなかったことである。それがしの精神力はそれぐらい落ちていたということだろうか。

「そんなことないでしょう。海深くんなら」

 経田のお母さんは、謙遜か冗談だと思ったらしかった。しかし、残念ながら事実だった。

「そうそう、忘れていた。来るときに買ってきたんだった」

 コートのポケットから、白く小さな紙袋を出し、経田に手渡した。

「ご利益があるか分からないが、取っておきたまえ」

 袋の中にはお守りが二つ入っていた。一つは交通安全で、もう一つは学業成就であった。

「遅いよ」

 経田は苦笑いした。笑うさまが痛々しい。それがしはわざわざこんな嫌味な冗談のためだけに一〇〇〇円を費やしたのだった。


 彼女がお見舞いに来たので、邪魔をしては悪いので帰ることにした。それに病院にあまり長居をしたくない。

 彼女は、受験の合間を縫って、まめに来てくれていると部屋の前まで出て見送ってくれたお母さんが言っていた。失礼ながら、そこまで甲斐甲斐しいような女の子に見えなかっただけに意外な気がした。



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