第1回
初めまして。
月曜日から金曜日に投稿を行う予定です(全16回)。
楽しんでいただければ、幸いです。
ヒトとヒトとの遺伝子の違いは〇・一パーセントに過ぎないらしい。
アフリカ系、アラブ系、ヨーロッパ系、アジア系など随分と外見が違って見えるので、この数値の低さは意外に感じる。
しかし、目、鼻、口など顔部位の位置関係や数、手足の数、骨格、器官構成など共通しているところを挙げていけば、きりがないのは確かだ。
もっとも、先天的な要因以外に、生育環境など後天的な要因も外見に与える影響は少なくないと思われる。
それでも、ヒトは基本的には同じだ。同じだから、必然的に違いが重要になってくる。
人は人が思う以上に、人との違いに敏感だ。
小学生のころ、理科の授業でプロジェクターを使って光と影について学んだ。その際、誰の影かを当てる遊びをした。それがしは、そんなの分かるものかと思いながら、手を差し出し、影を映した。数人で影を映したので、ある程度候補は絞られる。予想に反して、それがしの手だと直ぐに分かってしまった。
それがしの小指は短く、薬指の、指先から数えて最初の関節にも届かない。加えて、小指の指先が薬指側に曲がっている。
短指症という言葉を知ったのは、高校に入ってからだ。これは遺伝らしい。実際、父の小指はそれがしと同様に短い。
小指の先が曲がっているのは、遺伝かどうか分からない。父の指先は曲がっていないからだ。しかし、両手の小指とも同じように曲がっているので、これも遺伝が絡むのかもしれない。脱臼などの怪我で曲がってしまった、ということはなかったと思う。
人は人とは異なりたがる。それでも限度があるのだろう、極端な違いには冷淡だ。村意識というか、出る杭は打たれるというか。
それがしは浪人である。別段、匿名でも構わないだろう。名前を明らかにする必要があることを書こうと言う気はさらさらない。匿名にすると、何か疚しいことがあるのだろうと短絡的に考える向きのある事は重々承知している。
また、名乗らないのは安全なところに身を置いてでたらめなことばかり書くつもりだろうと言う意見があるのも承知している。けれどもそういう向きに一つ言わせていただくと、では名乗っている人々が必ずしも正しいことばかりを述べているわけではないだろう、ということだ。
それがしは、何もそれがしだけが経験しうる特殊な物事を書き記そうと言う気は毛頭無い。また、他人を誹謗中傷し、名誉を傷つける気もさらさらない。ことの当否はこれを読む人それぞれが自身で判断すれば良いことでは無いだろうか。
ここまで書いてきて、ふと、昔のことを思い出した。
小学生のころ、夏休みの宿題で提出した作文がクラスの前で読まれたことがあった。父に連れられて草木やシダの生い茂る山中を登ったときのことを書いたものである。
そんなありきたりなものだけに、わざわざ皆の前で読まれるとは考えもしなかった。当然ではあるが、担任の先生が題名を読んだだけで、それがしには自分が書いたものであると分かった。
題名の横に書かれた学年や名前などを読まずに先生は本文を読み始めたので、それがしは一先ずほっとした。けれども、いつそれがしが書いたのだとばれるか分からない。
それがしが書いたと知らしめたいような、このまま黙っていて誰だろうと友達が推測するのを楽しみたいような、そんなもどかしい思いで先生が作文を読むのを聞いていた。
教室の中で、この作文の作者は誰かをめぐって、隣同士や前後で囁き合っている。漏れ聞こえる中にそれがしの名はなかった。
ところが、つまらないところでそれがしが書いたものだと露見した。
文中の「真明はここで待っていろ」という父のセリフを読んだとき、級友の視線がそれがしに集中した。「真明」という名前は、それがし以外にいなかったからである。
山の中腹ほどにある沢にそれがしを残し、自分はもっと深く山中に入って行こうとする父のセリフで、父が言ったように書いたのだが、こんなことなら名前を削って「ここで待っていろ」だけにした方が良かったかもしれないと思った。しかし、今さらである。
担任がそのセリフを読む前に、少し間があった。そのまま読もうか、読むまいか躊躇したらしい。しかし、そのまま読まれてしまった。
それがしの名前は海深真明という。小学生のころ書いた作文のように、いつ気づかないうちに文中にそれがしの名前を書いてしまうか分かったものではないから、先にばらしておく。
もっとも、名乗ったところで本名か偽名かなんて、大概の人には分からないだろうが。
この四月一日をもってそれがしは晴れて浪人の身となった。「晴れて」と表現したのは、負け惜しみでも自嘲して言っているのでもない。素直な気持ちの表れである。それがしは浪人になりたかったのである。
現役のころから浪人すると言って憚らなかった。そんなことでは、いかなる大学だって受かりはしないだろう。
初めから浪人する気でいたのならば、いくら落ちても堪えなかった、そんな訳はない。受験した私立が片端から不合格になったときは、胃が刺すように痛んだ。割と繊細な質である。
何校か合格をくれたところもある。親にも、担任の先生にもそこに行けと勧められたが、浪人することを選んだ。
大学自体に不満があったわけではない。ただ、浪人がしたかった、ということもあるし、自分自身にやり切った感がなかったことも大きかったと思う。
ところで、浪人と言う言葉が、いつから高校を卒業してからもなお大学受験に向けて勉強をしている人などに対して用いられるようになったのだろう。おそらくこれから派生したのだろう、就職浪人、司法浪人なんて言葉も存在する。
また、どうして高等学校在籍中に卒業見込みの段階で大学を受験する人を現役と言うのに、卒業後に受ける人を退役とか引退者とかと言わないのだろう。
疑問を投げかけるだけ投げかけて、別の話題に移る。
それがしの友人連中でも浪人になった者は少なくない。高校時代の友人だと木田や竹村、杉田など。それ以前から付き合いのある友人だと、経田や中谷などだ。
浪人すると言っておきながら、今春、大学に入学した輩もいる。小学校からの腐れ縁、澤井である。もっとも、進む大学をあみだくじで決めるような男であるから、裏切られたと騒ぎ立てるだけ野暮である。
高校を卒業してからも、木田とは高校で会った。情報を交換しておきたかったし、予備校の手続や高校に書類を提出するというついでもあったからだ。しかし、進む予備校は相談することもなくそれぞれ自分で選んだ。
また、木田は予備校併設の寮に入った。予備校へは歩いて数分の距離にあるという。それがしとはやる気が段違いだ。




