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第一曲  夜ニ彷徨ウ 7

 

 その空地は、ビルの森に囲まれ、ひっそりと存在していた。

 無計画にビルを建築、増改築した結果、外部から死角になってしまった場所が偶然出来上がったようだ。

 周囲のビル壁に空地を見下ろす窓は存在しない。

 屋上から見下ろしたとしても、手すりの外側の張出しが邪魔をする。真上からの視線には無防備だが、ここは航空路からも人工衛星の軌道からも外れている。

 いずれ人間に見つかれば潰されるだろうが、それまでは恰好の溜まり場だ。

 明かりひとつ無い空地に、魔物の気配が充満している。

「よう、姐さん。珍しいな」

 声をかけられた。

 ちらと眼を向ける。

 ピット器官が青紫色の塊を視野の中に浮かび上がらせた。

 肉眼の画像が重なる。ずんぐりとした男の姿だった。

 緑色のマスクで貌の下半分を隠している。色はピット器官が捉えたものだ。実際の色はこの暗さではわからない。

 男にしても、この暗さに眼の機能を上げているのだろう。

 眼とその周囲だけ体温が高い。そこだけオレンジ色に光って視える。

 フクロウのような丸い眼。マスクの下は嘴だ。

 鳥族は苦手だが、ターニャは、ちろり、と蛇のように笑って男に近づいた。

「たまにはね」

「『猫』だろ」

「――」

「大騒ぎだからな。情報屋としては放っておけないってわけだ」

 ターニャは肩をすくめた。

「まあね。何か知ってる?」

「姐さん以上のことを知ってる奴はいないと思うがね。正体不明。目的不明。巣も不明。手当たり次第ってわけじゃないが、人間を襲って、殺している。凶器は爪。喰った痕は無い。つまり、食事が目的じゃない。だが快楽が目的にしては三十三人という数は微妙だ。少ないような気もする。――姐さんはどう見る?」

「情報が少なすぎるわね。推測だけなら何とでも言えるわ」

「まあそうだ。人間はどう考えている? 把握してんだろ?」

「あたしからの情報は高いわよ」

「出し惜しみするなよ」

 ぎょろりとした眼がぐるんと動く。鳥は短気だから嫌いだ。まあこちらも大した情報があるわけではない。

「軍のハンターが動いているわ。情報統制をしているところを見ると、これを機に魔物と人間の争いにしようという肚づもりは無さそうだけど、被害が続けば、どうなるかわからないでしょうね」

「『ハロウィンの狂気』が再び起きるか」

「そうね。でも、その時は魔物も黙っていない」

 ちろり、と笑うと、嬉しそうだな――と男が言った。

「まさかとは思うが、姐さんの仕込みじゃないだろうな」

「あたしの? どうしてそう思うの?」

「睨むなよ。姐さんの人間嫌いは有名だからな。まあ好きな奴もいないだろうが。実際に手を出そうとする破滅型は限られるぜ」

「その点は否定しないけどね。今回は何もしてないわ」

「今回? おいおい。すでに何かやらかしているってか?」

 口の中で舌を鳴らす。

 鳥男の眼がぎょろぎょろと動く。

「最近話題になったと言えば……人間を支配する魔物ってのが噂になったな。疑心暗鬼に駆られた人間共が魔物狩りを始めようとし、危うく魔物と人間の戦争になりかけた。結局、そんな魔物は都市伝説だってことで鎮静化したが。姐さんが介在してたのか」

「知らないわ。変な噂を流したら容赦しないわよ」

 両手の爪が伸びた。鋭い爪は指よりも長い。

「落ち着け。『白銀の妖蛇』を敵にまわしたりはしないって――」

「ふん」

 その二つ名で呼ばれるのも気に入らないが、鼻を鳴らして爪を引いた。

「帰るわ。目新しいネタも無さそうだし――」

「まあ待て。ひとつだけある。『猫』だが、どうも二体いるようだぜ」

 帰りかけた足を止めて、男に眼だけを向けた。

「目撃情報が出た。黒い猫が二体、絡み合って飛んでいたらしい。いずれ広まるだろうが、今のところ知る者は少ないはずだ。知っていたか?」

「……いいえ」

「姐さんに情報が提供できたわけだ」

 男が軽く喉を鳴らす。

「そうね」

「こいつが何を意味するか、だな。一体だけなら事件で済むが――」

「――ねえ。お願いがあるんだけど」

 右手を背中にまわし、一歩だけ男に近づいた。

「お願い? 姐さんが?」

「今の情報、できるだけ抑えてもらえるかしら」

「ほう。ってことは、やっぱり姐さんが噛んでるってことだな」

「どう思われてもいいわ」

「何が狙いか教え――」

 男の言葉が途切れた。男の眼の前で、ターニャの爪が伸びていた。爪の先が、見開かれた眼球すれすれで止まっている。

「虫がいたわ」

 ちろり、と笑って言う。

 人差し指の爪は、羽虫を貫いていた。

「……いつまで抑えて欲しい?」

 男が言った。

「とりあえず一週間」

「無理だ。すでに知っている者がいる以上、拡散は時間の問題だ」

「五日でいいわ。それ、鳥族の情報でしょ。抑えなさいよ」

「……やってみよう」

「ありがと。次は美味しい酒でも持ってくるわ」

 男から離れる。男は動かない。

「毒酒じゃないだろうな」

「毒じゃ死なないでしょ」

 さらに離れる。互いの間合いから充分に離れると、男が口を開いた。

「怖いぜ、姐さんは――」

「甘くなったわよ。昔に比べたらね」

 身を翻しながら口にした言葉は男に聴こえたかどうか。

 そう。昔の自分なら男の片眼を貫いていただろう。

(『白銀の妖蛇』が甘くなったものだわ)

 誰の影響かわかっている。

 世界を滅ぼすほどの力がありながら、何もしない男のせいだ。

 その貌が脳裏に浮かんだ。

(でも、知ってる? 本性というものはそうは変わらないのよ)

 脳裏の男に言いながら、ターニャは足を止めた。

 ビルの壁に、破れたビラが幾枚も貼られている。何度剥がされても執拗に貼った跡。

 毒々しい色で書かれた文字が嫌でも眼に入る。

 書いたのは人間だ。


 Kill Demon ! Kill them over !


 殺せるものなら殺してみるがいい。

 頭に巻きつけていた布を外した。

 白銀の髪が溢れる。

 ゆらりと揺れる髪の一本一本が、鎌首を持ち上げて口を開く。全て蛇の頭を持っている。

 この場に人間がいたら、間違いなく引き裂いているだろう。

 両手の爪は伸びている。

 背中を反らすと、ターニャは喉を天に向けて哄笑した。


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