第一曲 夜ニ彷徨ウ 2
「おい。押さえろ」
「う――」
「って。蹴りやがった。この」
「なにやってんだよ」
潜めていた声が、獲物の思わぬ抵抗にあって次第に怒声に変わっていく。
数人の男達と、地面に押さえ込まれている女。
男も女もまだ若い。
十代だろう。身体はそれなりにできあがっているが、貌立ちがまだ幼い。
女も含めて仲間同士かもしれない。服装のセンスが似通っている。
黒をベースにしたパンクスタイルに銀のアクセサリ。
魔物が誕生してから銀のアクセサリは必携になったが、行きずりの関係で同じアクセサリということはないだろう。男達も女も銀色のスカルチェーンを首やら腰やらにつけている。
仲間同士が何らかのトラブルでこうなったのか。
最初からこうするつもりで、女を仲間に引き込んだのか。
闇の中に、女の太腿が顕わになっている。
「―― !」
女の眼が見開いた。
眼が合ったからだ。
「つ――っ」
女の口を押さえていた男が、手を引いた。女が男の手に噛みついたのだ。
「たすけてっ」
明らかに誰かに向けたと思しき声に、男達が振り返った。
血走った眼に苦笑を浮かべる。関わる気は無かったからだ。
「――んだ。てめえ」
「邪魔する気か」
「そんな気は無いよ。僕は去るから。続けてくれてかまわない」
胸の前で両手を広げた。
「とぼけてんじゃねえよ。あっさり帰すわけねえだろうが」
三人の男達が立ち上がった。
女の口を押さえていた男だけが、まだ女を押さえている。
身体を入れ換え、背後から女の首を握り、両眼をぎらつかせている。
「もう一度言う。僕には関係無い」
「るせえ」
ひとりが殴りかかってきた。首だけを傾けて躱す。バックステップするまでもない。
足を引っ掛けると、男は蛙のように転んで悲鳴を上げた。
「てめっ」
残りのふたりがナイフを抜いた。電磁ブレード。違法品だ。
空気が焦げる匂い。
ストッパを外した改造品でもあるようだ。
馬鹿が。加減ができなくなるってのに。
ナイフを握って突っ込んでくる。
右側の方が近い。こちらから近づいた。
横殴りに裏拳を叩き込む。ぱあん、という打撃音が小気味いい。
少しハイになっているのかもしれない。
ごろごろと石畳を転がった男は、最後のひと転がりをして倒れ伏した。
「――の野郎ぉ」
左側の男が振り上げたナイフは、孤を描いて近くの立木に突き刺さった。
ぼっ、と音をたてて、立木が炎に包まれる。
こんなものが人体に刺されば、受傷部分は一瞬で炭化して二度と再生しない。
持っているだけで殺人未遂だ。
「ひああああ――」
情けない声をあげ、ナイフを振り上げた男は腕を押さえた。
肘から手の甲まで五本の筋が刻まれている。
次の瞬間、大量の血を噴き上げた。
皮膚から肉まで裂かれた腕は、一時間以内に医療用接着剤を注入しなければ使い物にならなくなるだろう。自業自得だ。知ったことじゃない。
勾玉のような爪が血に濡れている。
舌を出して舐める。
口中に広がる血の味は、痺れるような快感を伴った。
やばいな。止まらなくなりそうだ。
「ま、魔物か」
女を押さえている男が口を開いた。声が怯えている。
男の瞳に、自分の貌が映っている。
男達と同年代の貌。十代後半。正確な年齢はわからない。誕生日を知らないからだ。
十七か、八。九はいっていないだろう。
金色の眼が、猫の眼のように光っている。
艶やかな髪は夜のように黒い。ただ、前髪から頭頂部にかけて、金色の毛が生えている。そこだけやけに目立つ。
口を開けて笑うと、細い牙が見えた。
血を舐めたせいで、ほのかに赤い。
「人間の交尾になんか興味無いけどさ。かかってくるなら容赦しないよ」
誘うように腕を広げる。
男は動かなかった。
女の背後で、眼だけを光らせている。
反抗的な眼だが、傷ついた野良犬のようでもあった。
まだ十代の、子供と大差ない年齢だということを思い出す。
その男から、最初に殴りかかってきた男に眼を向ける。
転ばしただけだから、無傷のはずだ。
こちらは地面に尻をつけていた。腰が抜けたのだろう。饐えた匂い。失禁したようだ。
「命拾いしたね」
急速に頭の芯が冷えていく。肩をすくめて、背を向けた。
追ってくる気配は無かった。