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第二曲  夜ニ歌エバ 10

 

 雨が降っている。

 藍色の世界に、ネオンサインが滲んでいる。

 ピンク色の、男を誘う店。

 人通りは少ない。

 車だけが行きかっている。

 糸のような雨が、髪を濡らし、貌を濡らし、首から胸元に落ちていく。

 水を吸った服が重い。

 それでもまだ体温を維持している。

 濡れた身体から、水蒸気が湯気のように立ち昇っている。

 カンはどうなっただろうか。

 立ち止まって、首を巡らす。

 車道の信号機が眼に入った。ずっと向こうまで赤信号だった。

 車のテールランプも赤い。

 幾つも、幾つも。輪郭のぼやけた赤いライトが灯っている。

 血の色に似ている。

 赤い。赤い。赤い。

 警告の――

 レッドサイン。

 吐き気がしそうだ。

 どん、と背中に衝撃を感じた。

 たいした威力ではない。身体は揺らぎもしなかった。

 おい、と声がした。

 眼を向ける。

 男が立っていた。スリムな身体にスーツを着ている。

 きちんとした身なりだが、どこか崩れた気配がする。

 有り体に言えば、目つきが悪い。

 濁った眼。呼気に酒の匂いが混じっている。

 男の背後で嬌声と弾くようなベースのBGMが響き、ドアが閉まると同時に音は途絶えた。

 店から出てきた男が、こちらに気づかずにぶつかってきたらしい。

 最初に、おい、と怒声を発したが、

「あ。なんだ。もしかして店の子か?」

 こちらの貌を見て、にやついた笑みを浮かべた。

 ピンクのネオンサイン。店の名前の下に、ガールズバーの文字がある。

 入ったことはないが、どういった店であるかは知っている。

「サボってんのか? いけないなあ――」

 男の右手が肩に伸びてきた。

 身を躱すと、男の手は空を切った。

 一瞬で男の貌が変わった。眼に危ない光が生じる。

 関わる気は無かった。 

 背中を向けて、男から離れる。

「待てよ」

 男が背後から肩を抱いてきた。

「君のせいで濡れちゃったんだぜ」

 男は傘を差していなかった。左手に折り畳みを持っているが、傘を差す前にぶつかってきたのだ。

「君も濡れてる。なあ。しようぜ」

 耳元に唇を寄せてくる。

「……興味無い。放せ」

 男の手が肩から離れた。

 次の瞬間、頬が鳴った。男の手が頬を叩いたのである。

「舐めた口をきくんじゃねえよ」

 街路樹に背中を押しつけられた。

 葉に溜まっていた雨が、ばらばらと落ちてくる。

 大粒の水滴が砕けたガラス玉のように見えた。

 フラッシュバック。

 雨音が銃の乱射音のように聴こえる。

 タン、タン、タタタ、タタタ――

「なにぼんやりしてんだ。あ?」

 男の手が胸をまさぐっていた。

 唇に下卑た笑みを浮かべている。

「……せ」

「ああ?」

「もう一度言う。おまえに興味など無い。放せ」

「このガキがっ」

 男が手にした傘を振り上げた。

 貌に向かって殴りつけてくる。片手で受け止めた。

「なっ――」

 男の眼が傘に動いた。男の力で振り下ろされた傘が、ぴたり、と動かなくなったからだ。

 き、き、き、

 音をたてて爪が伸びてくる。

 勾玉のような爪。曲がった先は鋭く尖っている。

「まさか、おまえ――」

 手の中で、傘の骨が紙のようにひしゃげた。

「ま、――」

 ものか――と続けるつもりだったか。

 傘を捨て、横殴りに振った手は、男の貌をごっそりと抉った。

 歩道の石畳に、男の脳と肉と骨が散る。

 その上に、雨が降る。

 倒れた男の身体にも。

 男の背中に雨の染みが広がっていく。

 黒い染みに見えた。

 男の身体はうつ伏せになっていて、男の貌はもう見ることができない。

 痙攣していた足が動かなくなった。

 男の貌の下から水のように血が流れてくる。

 一部が石畳の溝に沿って流れ始めた。

 赤い血の筋。その先の黒い溝。赤い。黒い。赤い――

 頭の奥が痺れる。思考が混濁していく。

 ここはどこだ。

 自分は……

 雨が身体を濡らす。

 手を振ると、指についていた肉片が、びちゃり、と音をたてて、地面に落ちた。




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